百八記_レジスタンスの希望
食後、イブは眠くなったとのことでマイヤを連れて『不死の紋章』の中に入っている。ちょうどよかった。俺としてもあまりアガルタの話は聞かれたくなかったからだ。彼女には何も知らないまま溌剌としていて欲しかった。
『イブ、バロンと大事な話があるからしばらく切るよ』
『…はーい』
眠気の漂う声色が聞こえている。話が伝わらないように念の為、カードを取り出して机の上に置く。これで彼女から何らかの要求があるときは外に出てくるというのが条件になる。出てきた時に話を中断すれば知られることはないはずだ。
シャーロットさんが紅茶を入れ、各自に配るとそれが会議開始の合図となった。
「どこまで話したっけ?」
「左大臣がクーデターを起こしたのと、そん時使った『法下の秩序』のせいで街が閉鎖空間になっていること、王宮にその解除装置があること。そんで、隷属者に襲われた人は『隷属者』と化す。…新それくらいだよな」
バロンに問われた楠木は、昨夜彼に語られたことをかい摘んで話す。呼びかけに応じて俺は脳裏で昨日の話を反芻しながら頷く。一応の確認のためシャーロットさんにも聞くと「間違いないと思います」と返ってきた。
「うん、都市の現状は大体喋ったんだね、僕は。じゃあ…後アレだ。『王宮奪還計画』を話せばいいんだ」
バロンは顎下の髭を触りながら、独りごちる。
…王宮奪還計画
その言葉に息を呑む。思わず、反復しそうになったがその前にバロンが話し始めた。
「『王宮奪還計画』。地上はあんな感じだけど、まだ僕らは希望を捨てちゃいない」
彼はそういうと先のように地図とチェスの駒を出して説明を始めた。
「みんなこの国が長く戦乱に晒されてきたのは知ってるよね。『天蓋決壊』でそれも一時的には休戦して、その後共同開発で水流の制御装置を作った」
バロンはそこで言葉を止め、俺に向かって言葉を投げる。
「さあ、ここで問題だよ、新くん。ここの共同開発どこが主導で進んだと思う?」
森林都市『ヴィーザル』、商業都市『ニョルズ』、鉱山都市『ドヴェルグ』。考えるまでもなかった。
「鉱山都市『ドヴェルグ』だ」
「正解。これから僕がいうのは僕らが知ったアガルタ成立の裏の話さ。ここを出たら他言無用で頼むよ、みんな」
バロンは地図に送っていた目を俺たち一人一人に向ける。全員が彼に対して頷きを返すと彼はゆっくりと口を開いた。
「実はこの制御装置作成時の地下水路の整備で『ドヴェルグ』は秘密の水路を作っていたんだ。僕らもそれを発見するまで気づけなかった。都市の歴史にもドヴェルグ自体からも抹消された事実だよ」
その水路は旧・ドヴェルグの地下壕の地図にも書かれていなかった。レジスタンスが出来た頃の調査で見つかった代物らしい。入り口は古い紋章で隠されており、偶然看破系の紋章を身につけていた団員によって発見されたという。
「その水路はね、驚いたことに『ヴィーザル』、『ニョルズ』に繋がっていたんだ。つまり、いざとなれば一人勝ちできたってわけだよ。当時の権力者ってのは隙がないね、全く。結局、アガルタという予想外の勢力が台頭して使われなかったみたいだけどね」
バロンはそこで喉が渇いたのか、紅茶に手を伸ばす。言葉を待つ沈黙が間を満たす。それを置くのとほぼ同時に楠木に熱が宿った。
「まさか…!その水路の何処かを拡張して王宮を強襲しようってハラか」
バロンは楠木を指差して「その通り」と意気揚々に言う。
「楠木少年は相変わらず良い勘してるよ。そう、この秘密の地下道は他のそれとは繋がらないように曲がりくねっていてね。偶然にも王宮近くも通っているんだ。僕らは発見から時間をかけて、アガルタ王宮へと続くトンネルを掘っている。それが僕らの希望だ」
曰く、大きな音が原因で隷属者、引いては左大臣の軍勢に知られては元も子もないということで紋章術も掘削用の機械も使わず、手掘り作業を行なっているという。
「僕ら『レジスタンス』は本当に運がいいよ。実はそろそろトンネルが地上と繋がるんだ。そのタイミングで優秀な君たちがアガルタにきた…これは好機さ。千載一遇のね」
バロンは口角を上げて、右手を硬く握りしめる。
「っと言っても『奪還作戦』は早くても一ヶ月後になるよ。それまでは今まで通り戦力の獲得に努めるさ。新君もシャーロットちゃんもそれまでに少しでも実力を上げてくれると嬉しい」
彼は俺たちを熱心な眼差しで見つめる。それが俺たちへの期待であることは想像に難くなかった。また、この事実は完全に大臣の手の付いていない者かつ作戦参加可能な力量を持つ者にしか伝えられていないことを教えられる。
「バロンさん、こんな事言うのも差し出がましい事とは存じますが、何故会って一日の私たちをそこまでご信用なさるのですか」
バロンを訝しむ問いに彼はくすりと笑って答えた。
「君たちのことをイブ嬢が教えてくれたんだ。子供は嘘をつかないさ」
その後、夜も更けてきたとのことで会議を終え、バロンは自分の家に帰って行った。いつもなら飽きたなり、何なりで外に出てくるイブが食事から三時間も経っているのに姿を表さないことを不思議にも思ったが、深くも考えず「そういう日もあるか」と独りごちる。隷属者との戦闘にレジスタンスまでの移動、昨日に引き続きかなりの疲労が蓄積していた。
徐に『不死の紋章』で念話をつなげるも聞こえてきたのは彼女とマイヤの寝息だけだった。
…風呂は明日入れればいいか
シャーロットさんと楠木と入れ替わりで折りたたみ式の浴槽に入ってから、テントの中で就寝した。