百四記_閉ざされた安寧
「僕の友達が悪いね。気にしなくていいよ。ケビンは何かにつけて呑みたいだけさ」
人混みの多いところを抜けるとバロンは顔の横まで上げた手をおざなりに振る。
ここまで歩いて見た感じだと想像よりこの地下壕は賑やかだった。蟻の巣のような構造のその場所でよく人通りの多い道には露天が所狭しと並んでおり、品揃えも豊富。バロンに聞くと、ここでは生産業も盛んで、食は地上から地下へと流れ込んで川となった場所で釣れる魚と住民が持ち込んだ植物の種で野菜を栽培しているとのことだった。
笑っている子供達が横を過ぎ去っていく。バロンはよく知られているようで手を振られていた。
「まあ、この通りみんな元気なんだけどね。それでもロサを、大臣を倒して、王宮を奪還しなきゃいけない理由があるんだ。住民はこの生活に慣れ始めているけどね、束の間の平和さ。いつも枕元で考えるのは『今日は生きれてよかった』だよ。そんな生活健全じゃない」
彼はいう。寝る時は当然のように明日が来ると考えるのが普通だ、と。今日が来れば、明日は来る。平和でも明日が来るのが嫌であったり、今日を過ごすのが苦しかったりすることはある。しかし、「明日が来る」という事実自体に疑問や喜びを感じることはないはずだ。それを日常的に感じることがこの都市「アガルタ」の狂気を物語っている、と彼は論じた。
「だから、僕らは取り戻さなくちゃならない。安寧と平穏を享受する白と青の都市『永世中立都市アガルタ』をね。…と着いたよ、ここだ」
辺りは閑散としていて、大きめの空洞がいくつもある。
「イブちゃんから聞いたよ。長いこと旅をしているんだってね。しばらくはこの辺りにテントを立てて生活してもらってもいいかい?ここなら火を使っても居住区に煙が充満することもないしさ」
バロンの提案に頷く。正直、雨風凌れば生活に支障はない。彼に食糧の確保も常識の範囲内なら好きにしても構わないという許可を得る。
「あっ、そうだ。そろそろイブ嬢起きているかい?」
テントの設営をしている最中、バロンから思いついたように聞かれる。俺は片膝立ちの姿勢のまま自分のカードホルダーから『不死の紋章』を取り出し、彼に渡した。
それを受け取ったバロンはその場で立ち上がると、右手の中指と人差し指でカードを挟みながら、天井の一点を見上げる。時折、相槌を打ったり笑ったりしてから紋章を俺に返した。
「ありがと、新くん」
それを手に取り、カードホルダーの中にしまうとバロンは前触れもなく話し出す。
「イブ嬢にいつから起きてたの?って聞いたら、『バロンが自語りし始めたくらいから』って言われたよ。…なんだか恥ずかしいね」
そうは言いつつも、口元にはくすりと微笑を湛えている。鼻の下を右手で切るように撫でると再び屈み、俺とバロンはテントの設営に戻った。