第五話~準備する、転院する~
妻と協力し、なんとか必要なものを揃えて転院当日。
午後から仕事ということは予めリハビリセンターの方にも話をして
「では9時に病院を出てくるということなので10時から1時間ほど、リハビリセンターで担当の作業療法士と整形外科の先生、病棟担当の看護師とソーシャルワーカーの私の4人でご家族様に説明しますのでその時間までにリハビリセンターまで来ていただきますようにお願いします」
という風に言われていたので、その時間に沿ってまずは母親を迎えに行く。
新型コロナの影響で病院内での面会は出来なかったので、久々に母親と顔を合わせるということもあって8:30には病院へ。
父親も久々に母親に会えるということで心なしか元気だった気がする。
本人はそんなことはない、と否定していたが。
知り合いに話を聞いたり、自分でも色々情報を集めたりしていたのでなんだかんだ父も母が心配だったのだろう。
久々に会った母親は2週間ぶりとはいえ大分痩せていた。
病院で生活すると痩せる。とは聞いていたがこれには流石に驚いた。
聞けば10kgも痩せたらしい。
自力で歩くことはまだ出来なかったので車椅子を使っていた。
お世話になりました、と担当の看護師さんへお礼を言ってそこからは私が車椅子を押して車まで言って移乗させる。
移乗は特に手を貸すこともなく、時間はかかった物の母親が自分で移乗することが出来た。
同時に2週日分の入院費の請求書を手渡された。ガチャ200連分だった。
事前に限度額の申請をしていたのでこのぐらいの治療費で済んだが、これ申請しないままなら恐らく倍以上の治療費が必要になっていただろう。
申請、大事、ぜったい。
リハビリセンターまでの道中は取り留めのない話をしながらの移動となった。
「病院の食事は不味い」とか「寝てばっかりでテレビも面白くない」とかそんな感じのよくある内容だった。
途中「缶コーヒーが飲みたい」というのでコンビニで買って飲んだり、本来なら5分もかからない道のりを、ワザと遠回りしてみたりと少しでも母親が外の空気を吸えるように少しだけ気を遣ってリハビリセンターを目指した。
結局10時よりも15分早めにリハビリセンターへ着き、入院の手続きをしようと受付へ向かったのだが・・・ここからが酷かった。
病院からの退院時に車椅子を使っていたので、そのほうがいいだろうと思って車椅子を借りようと受付で貸してもらうように頼んだのだが・・・
「外来用のならありますが、入院患者様が使うのは・・・」
と言われてなかなか貸してもらえなかった。
ん?とは思ったのだが、病院には病院のルールがある。まだここら辺は「あぁ、ここはそういうルールがあるんだな」程度で済ませていた。
結局受付のお姉さんが色々確認してくれて無事車椅子を借りることが出来たのだが、ここでもひと悶着。
入院の為に必要な荷物を運び込むために台車を使おうと思って、受付のお姉さんに声を掛け、一番近くにあった台車をお借りしたのだが・・・荷物を載せたあたりで走ってくる別の受付のお姉さん。
「すいません、その台車は他の患者さんが荷物を運ぶために使うので使わないでいただけますか?」
と結構きつめの口調で言ってくる受付のお姉さん(B)
これには流石に「は?」となった。
「いや、受付のお姉さん(A)さんに確認してお借りしてるんですが・・?」
「だから別の患者さんのなので使わないでください」
明らかにイライラしている受付のお姉さん(B)の口調にこちらもイラっとしてしまいそうになるのだが・・・ここで私は思ったのだ「これから母親がお世話になるのにここで揉め事を起こしたら病院内で母親の立場が悪くなるのではないか?」と。
今後、このリハビリセンターでは様々あったのだが・・・私の行動の根底にはこの考えがあったということだけは覚えておいてほしい。
往々に聞く話ではあるのだ「患者家族と病院側で折り合いが悪く、患者さん自身への風当たりが強くなってしまう」というのは。
介護関係の仕事についていた時でも本来は良くないのだが、よく聞く話ではあった。
これからどのぐらい入院するかわからない母、その入院期間中に出来るだけ良い生活・・・といってはなんだが、兎に角心穏やかに過ごすことが出来る様に、こちらも病院側と揉めるのだけは避けたかったのだ。
「分かりました」と半分ぐらい乗せた荷物を車に戻し、台車を元にあった場所に戻す。
ただ、流石に転院の為に揃えた荷物は相当に多かった。
ぶっちゃけ着替えやタオルなどの他、日用品やバケツ、おまけに追加のおむつなどを含めると「海外へ2週間滞在ですか?」ってレベルの荷物量になる。
これを一つ一つ運ぶわけにもいかないので、先ほどの受付(A)さんに声をかける
「すみません、あの台車使えないみたいなので別の台車お借りできませんかね?」
「え?あ、はい、ちょっとお待ちください」
といって奥へ引っ込む受付(A)さん。
この後暫く待ったのだが、Aさんは出てこなかった。
待っていると台車よりも先に母親が入院する病棟看護師の方が来て母親は先に一人病室へ。
一言二言「元気でな」「頑張ってな」と言葉をかけて私と母親は数か月顔を合わせない生活を開始したのだった。
その後私と父は別室に通され、先生の説明を受けることになったのだが・・・・。
「それじゃぁ今後のリハビリの日程について整形の先生から12時から説明ありますのでそれまでこちらでお待ちください」
ちなみにここで二度目の「は??」となった
「え?すいません10時から1時間ほどの説明があるって聞いているのですが、12時からってどういうことですか?」
「え?12時までは整形の診察があるので先生が開かないんですよ、だから12時からの説明になるって言ってましたよね?」
内心「聞いてねぇよ」と叫びたかった。
私が受けた説明は冒頭に書いてある通り、10時にリハビリセンターに入ってそこから1時間の説明ということだったのだが、どうやら全く違うらしい。
「すみませんが、私は10時から1時間ほどの説明だと、最初にリハビリセンターの担当の方からお話しいただいて、今日は午前中しか休みを取っていません。最初の約束通り10時から説明をお願いできませんか?」
そういうと困った顔をした看護師は「ちょっと確認します」といって出て行った。
数分後、看護師がが別の・・・まぁありていに言えばトラブル対応にしなれた気の強い、年配の看護師を連れて戻ってきた。
「えっと、木辺さん?申し訳ないけどね、この時間は整形の先生は12時まで診察でびっちりなの、だから今すぐ説明は無理だから待っててもらっていいかな?」
「ん?最初の説明の時に休みを取らなきゃいけないので時間については何度も確認して10時から1時間のお約束でしたが・・・」
「いやだからその時間は診察の時間なの、待っててもらっていい?」
「あー、こいつまともに取り合う気ねぇな?」と初手で分かるほどの高圧さと千日手問答。
普段であれば「いい加減にしろ」とキレてクレーム入れるコースなのだが場合が場合、私も努めて冷静に話を進めようと思った。
「すみません、10時からのお約束と聞いていたので午前中しか休み取ってないんですよ、だから午前中に説明を聞けないと困るんですが?」
「えーっとね、午前中は診察してるので無理です。息子さんが無理なら旦那さんに話聞いてもらうのダメなんですか?」
正直「こいつ正気か???」と思った。
70越えた父親にこれからの事を説明して大丈夫だと思ってるのか?
そもそも大丈夫じゃないから私がここにいると理解できないのか?
努めて冷静、といったが正直この辺りで私の怒りは有頂天!だった。
そんな私の様子を見かねたのか父も「俺が話聞いていくから、お前は働きに言ってきな」と言い始め、心配ではあったがどうしても譲らない病院側の態度にここは折れるしかないと思った。
というか、父もここで病院側と揉めて母親に何かあっても困る、と思ったのだろう。
そこは共通していたので私もここは後に引いた。
父親に帰りのタクシー代を渡して、部屋を出た後先ほどの気の強い看護師から声を掛けられた。
「息子さん、大分心配してたけどお父さん呆け(認知症)だったりするの?」
「いえ、違いますけど。普通こういう話って息子とか話の分かる人間にするもんじゃないんですか?」
「いや~、結局誰かに聞いてもらえば一緒だからお父さんでも大丈夫。ちゃんと説明するから。心配ならあとでソーシャルワーカーさんに同じ説明息子さんにもするように伝えておくから。」
「では、すみませんが後ほどお電話頂けるようにお願いします。あとサインする書類などありましたら父ではなく私が説明を受けてしますので、父にサインさせないでください」
この間、本当は千日手問答の続きがあったのだが、そこは長いので省略し要約すると上のようなやり取りがあった。
ちなみにこの看護師の言うソーシャルワーカーさんの説明は、結局退院まで電話が来ることもなく、説明もなかった。
釈然としないまま、この日私はリハビリセンターを後にした。