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第三話~入院する、手術する~

「で、どうするの?暫くお父さんのご飯作らないいけないでしょ?」


 と、家に帰って開口一番妻が言ったことではっとした。

 今まで食事も別々だったのだが母親が入院した以上、当たり前だが別の誰かが作らなければならない。

 父親は終戦の年に生まれた78歳。相当いい歳である。

 趣味は競馬と機械いじり。件の暴走した除雪機は父親が直したものである。

 出来ることは自分で出来るが、煮物などの調理などは流石にままならない。

 元々総入れ歯なので硬いものは食べられず、柔らかいものを食べていたことは理解していたし、肉よりも魚の方を好む事は知っていたが、恥ずかしながら息子の私でさえ父親の食の好みはあまり把握していなかった。


 それが急に食事を用意しなければならなくなったのだから大変だ。

 まぁなにが大変かといえば父親に「食べたいものは?」と聞くと大体が「なんでもいい」という答えになるからである。

 そこで「なになら食べられる」か聞いてみると「柔らかいもの」や「魚の缶詰等の保存食系があればいい」ということなのでその辺を用意しよう、ということになった。

 後は私の昔の記憶から、こので食べていた物を買うことにしたのだが、これがまぁ高かった。

 当時魚の需要が高まっているとか、中国で消費量が増えているという理由で魚の缶詰の代表である「サンマのかば焼き」や「鯖の水煮・みそ煮」などの缶詰が軒並み高騰していた。

 昔の記憶なら一缶100円・・・安い時ならそれすら切るぐらいの値段だったのだが、買いに行った当時はまさかの一缶298円ぐらいだった。

 想定の三倍の値段をする缶詰に妻共々驚いた。

 ただ賞味期限が長くこれでご飯を食べられるという事だったので大量に購入し父親の部屋に保存しておいた。

 ちなみに缶詰だけで半月分買ったがこれで恐らくガチャ40連分ぐらいだった。


「一応温かいものがあったほうがいいだろうから、お父さんの晩御飯は私が何か考えるわ」


 任せろ、という妻には後光が刺していたと思う。頼もしい妻には本当に感謝しかない。


 入院翌日・・・日曜日は日用品の買い出しと今後の事についての夫婦会議で過ぎていった。


 その夜一人悶々と考え込んでしまったのが私である。


 私の祖母も実は交通事故に遭い、同じように股関節を骨折して手術を行ったのだが、これが酷かった。

 元々年齢も80歳を超えてからの事故だったので人工関節に置換しても歩くことはまず無理だろうと言うことだった。

 手術事態は問題なく終わったのだがその後が悪かった。

 人工関節を埋め込んだ骨がもろくなっていたのでその部分を補修するためにワイヤーを使ったと聞いていたが、術後痩せてしまった祖母の足から、そのワイヤーが皮を突き破り内部から出てきてしまうということがあった。

 結局何度か手術したが、人工関節が定着することはなく、祖母は寝たきりとなってしまった。

 先にも言ったが80歳を過ぎてからの事なので寝たきりになる結果は最初の段階で見えていた。

 だが、まさか三度も手術することになるとは思わなかった。

 結果寝たきりになった祖母は急速に痴呆が進行。

 最後には孫である私の顔すら分かっていなかった・・・と思う。

 私は・・・恥ずかしい話そうなる祖母の姿を見るのが辛く、殆ど顔を合わせることが出来なかった。

 多少は母親を手伝って祖母の介護をしていたが、辛さの方が勝っていたので殆ど母親任せだった。


 そんな経験から「母親もああなってしまうのではないか」そしてネットで調べた情報で得た知識で不安が増し、日曜の夜は全く眠れなかった。


 翌日月曜日は朝から大忙しだった。

 仕事の方は私たち夫婦共々有難いことに火曜日まで休みを貰えたので時間だけはあったので今日一日でやれることを済ませようと意気込んで外出。


 まず向かったのが役所だった。

 入院の長期化や診療費が高額になる場合所得に応じてひと月当たりの自己負担限度額が減免される「限度額適応認定証」の交付手続きの為だ。


 これは病院から「手続きして下さい」と言われていたので役所に行き、手続きを行う。

 その前に予め電話しておいて必要になるものは全部聞いていたので手続きもスムーズだった。

 もし、生命保険等入っているのであればこのタイミングで申請すると良いらしい。

 ・・・まぁ我が母は加入していなかったので「良い」とはいいが事務員さんが言うにはいいらしい、としか言えない。


 手続き自体はスムーズだったが、そこはお役所様。

 当日交付されるとはいえ、交付される頃にはお昼を回っていた。

 それから病院へ不足していた荷物を届け、一旦帰宅したころには15時を回っていた。


 そこで病院から連絡、手術が火曜日に決定。時間も13時からということになった。

 当日は麻酔を使う前の数分間だけ面会が出来るということで1時間前に病院へ入ってほしいと連絡があった。

 ちなみにこの後手術時間は二転三転し、結局11時から手術で10時には病院へ来てください、ということになった。


 この時のメモ帳を見返すと明日病院で聞きたいことを纏めて書き留めてあった。

 内容は大きく分けて三つ


 ・リハビリ開始はいつからになるのか、どのぐらいの期間なのか

 ・リハビリは入院なのか、通院なのか

 ・今後必要になるものはなにがあるか


 まだ冷静とは言えない頭で必死に考えた項目がこれだったようだ。


 兎に角手術は決まった。

 正直この時も「手術は成功するのか」「失敗して祖母の様にならないか」この二つが頭の中をぐるぐるとめぐり、答えの出せない迷路にハマっていた。

 ネットで情報を調べたのが良くなかったのかもしれないが私の性格的にネガティブな思考に振れるとなかなか抜け出せない傾向にある。

 結局母親が入院して3日間、合計睡眠時間が12時間とかそんなもんだったと思う。


 そして手術当日。

 今回は、私と父が手術の付き添いで妻は自宅待機してもらっていた。

 というよりも混乱して使い物にならない私や父親の代わりに家事を片づけてくれていたようである。


 手術中の待機と言えば、手術室前に置いてある長椅子に座って待っているイメージだったが今回お世話になった病院では待合室が用意されておりそこで待つことになった、

 手術室に入る前に待合室前で手術用のストレッチャーに乗せられた母親と面会。

 麻酔の説明を改めて行われ、その時に看護師さんから入院診療計画書というものが渡され説明を受ける。

 内容としては手術前日・当日(術前)・当日(術後)・術後1~2日・2週間後と分かれ、それぞれ達成目標や必要な治療・薬剤に検査、病院内での生活について事細かに書かれていた。


 それに沿って看護師さんから説明を簡易ではあったが受けた後


「手術中はご家族様でご覧になっていただいて、その後本人に渡しますので改修させていただきますね」


 と、言われたので個人的にコピーが欲しかったのだがそこまで要求できるほど余裕のある感じが看護師さんから感じなかったので大人しく待っている間にスマホで写真だけ取っておいた。

 それによれば術後1~2日で痛みや感染症がないかなど様子を見つつリハビリを開始。

 術後最長2週間入院で、それで歩くことが出来れば自宅へ、無理なら付属のリハビリセンターへ転院となるようだった。


 手術中は、父親と取り留めのない話をいくつかしていた


「俺の知り合いの奥さんも同じことになったらしい。ただあの人は歩いて生活していたようだし、おっかもまだ若いし大丈夫だべ」


 と楽観的な話をする父親。

 多分ではあるが、父自身も不安だったのだろう。私と同じく夜あまりよく眠れていなかったと言っていた。


 手術時間はなにも問題なければ2時間かかるということだった。

 普段であれば2時間時間を潰すなどスマホや娯楽が普及した現代、そして年齢を重ねて待つことを覚えたおっさんの私にとって余裕だったのだが、正直この2時間は5分置きに時計を見るなど、ここ数十年で一番長い2時間だったように思う。


 何度も何度も時計を確認し、父と「長いなぁ」「まだ終わるわけねぇべ」と似たようなやり取りを繰り返しながら、ここでもスマホでリハビリの期間や内容などを調べてはなにか安心材料がないか探していた。

 結局、ここでもネガティブな情報しかなく気がめいっただけだったのだが。


 2時間後、手術が終わると父と二人、手術室前に通され手術が終わった母親と再開。

 手術を担当し、今後主治医となる先生から術後のレントゲンと共に現状と今後について説明があった、


「今回このように折れた関節を取り除き、大腿骨骨頭を人工骨頭に置換する手術を行いました、手術自体は成功と言っていいでしょう。今後1~2日は様子を見つつ、2週間後リハビリセンターへ転院となるでしょう。今後は内またになったり過度に足を上げたりするなどの忌避動作が出てくると思いますのでそれは今後のリハビリで徐々に覚えていきましょう」


 大体事前に渡された計画書に書かれている内容と同じ説明を受ける。


 示されたレントゲンには明らかに人の骨ではない、人口の、金属の関節が差し込まれているのを見たとき、その時初めて「あぁ・・・もう元の母親には戻れないんだな」と認識させられたのだった。


 ちなみにこの時父親が昔の感覚で、看護師さんと先生にいくらかお金を包み渡そうとしてひと悶着あった。

 いつの間に用意してたんだ・・・と呆れかえってしまった。恥ずかしくて先に退室してしまった。

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