第二話~骨を折る、入院する~
「こうなると、自然に治ると言うことはありませんので、この折れた部分を取り除いてこう、こんな感じで人工関節を入れる手術を行います。」
そう言って図を書いてくれた先生。
折れた骨頭というのは丁度股関節と足の骨を繋ぐ、ボールジョイントのような場所だった。
1/144のプラモで言えば、股の部分についているPPパーツで足部分と合体させる丸い部分だ。
その部分が折れているので取り除いて、足の骨の部分に金属の楔のようなものを打ち込み固定。折れた部分は金属で作ったジョイントを入れるような感じになる、という説明だった。
「手術は早い方がいいでしょう、今日が土曜日なので日曜日は無理なので月曜日か火曜日手術という形で予定しておきます。今日はこのまま入院となりますので、後ほど看護師から説明があると思います」
いいですかね?と先生に聞かれたが、ここまで駆け足での説明だったため頭が追い付いてこなかった。
覚悟は、しているつもりだった。
メモ帳も用意して話を聞いていたが、全くメモなんか取れなかった。
「お、お願いします・・・」
やっとひねり出した言葉はこれ、しかも蚊が飛んでいるようなか細い声だった。
人間「こういう時はこういうことをしよう」と思っていてもいざ、その時になったら何もできないんだな、と痛感した。
先生からの話をメモを取り、分からないことは質問しようと思ってもその時になるとメモなんか全く取れないし、混乱していて質問なんか思いつかない。
結局先生からの説明を聞くだけで自分から質問は出来なかった。
新型コロナの関係もあり、母親とはそこで別れる。
ここの時点で父も私も言葉を失い、なにも話すことが出来なかった。
辛うじて病室に移る母に、父が「早く良くなってパチンコへ行こう」と言ったのを聞いて看護師さんが苦笑いしていたのだけは覚えている。
その間、会社へその旨を連絡。
別の上司から連絡があり、かなり心配してもらった上に、快く休みを承諾していただいた。
転職後1年立っていないのにほぼ1週間ほど休む形になり、正直辛かったのだがその上司から掛けてもらった「まず大丈夫、こっちの事より親の方を優先しな?生きてるうちしかできないことだから」という言葉は今でも忘れられない。
当日急に休んだとは言え、電話越しでもイライラが伝わる上司とは大違いです。
同時に、妻にも現状を連絡していた。
妻も職場の上司に状況を連絡、その日は早上がりさせて貰った様で既に家で待機してくれているようだった。
『お袋診察終わった、お袋骨折、多分月曜日か火曜日手術』
『おk、なんか用意するものある?』
『入院になるから必要な物分かったら連絡する、家で待機よろ』
『把握』
こんなやり取りをして、家で待機してもらう。
入院、となれば必要なものは様々あるはずだ・・・ということぐらいは混乱した頭でも考えることが出来たから、家に帰るまでの間に準備をお願いしたかったからだ。
その後「これが記入してもらう書類です」と看護師さんと医療事務の人が書類を持ってくる。
看護師さんが持ってきたのが数枚の同意書・・・確か手術に関する同意書、輸血に関する同意書、麻酔に関する同意書等々だったと思う。
医療事務の方が持ってきたのが、入院に関する誓約書と契約書だった。
同意書はサインのみで大丈夫だったが、契約書は印鑑が必要だったので一旦持ち帰ることなった。
その際入院に必要なものを看護師さんから聞く。
生活に必要なもの・・・病室で着る服や歯ブラシ等々は、病院と契約している業者が用意することも出来て、しかも1日500円ぐらいということでそっちを利用することにした。
用意してくれる内容は、ビジネスホテルに置いてあるアメニティぐらいだったと思う。
ただ問題は
「術前術後はトイレにいくのが難しい状況になりますので、紙おむつの用意をお願いします。もし難しいのであれば病院側で用意することもできますがどうなされます?」
そう聞かれて「お願いします」と言いかけて少し考える。
もしかしてこれから先、母親は継続的に紙おむつを使う生活をするかもしれない。
そう考えたときに紙おむつの準備を今からどこで、どのおむつを買うか考えておくのは大事なことじゃないだろうか、と考えたのである。
「えっと、正直な所。手術したとしてうちの母親、以前と同じように下着の生活できますかね?」
「ん~・・・一概にはいとも、いいえとも言えないですね。それは今後のリハビリ次第だとは思います」
病院に来て初めての質問がこれだった。
一概にはい、ともいいえ、とも言えないというのは私もよくわかる。
私が介護した利用者さんの中に、ほぼ同時期に腰の手術をした方が2名居た。
ちなみに年齢もほぼ同じぐらい、内容もほぼ一緒の手術だったのだが片方は問題なく日常生活を遅れるまでに回復したが、片方がリハビリを行ってもそうはならず、常に誰かの介助が必要な状況になった。
私はそれぐらいしか見たことが無いが看護師さんはそれこそ数十件、それこそ数百件の同じ症例を見てきて、その後の結果が患者さんによって千差万別というのを身に染みてわかっているのだろう。
だからこそうちの母親がどうなるか、一概に返事ができない、ということなのだろう。
そうなれば今後もずっと紙おむつで生活することになるなら自前で用意出来たほうがいい。そう考えて紙おむつは自分で用意することにした。
最終的に入院に必要なものをリストアップしてもらい、家に帰って早速準備を始める。
何度も言うが、父母と私たちは別々の生活を送っていたため、母の着替えや服などどこに仕舞っているか分からず用意するのに時間が掛かった。
そして紙おむつ。
これを用意するのは本当に大変だった。
最初「ホームセンターへ行けばあるだろう」と思ったのだが、確かにホームセンターには置いてあった
だが種類が兎に角多かったのだ。
値段もまちまち、入っている枚数も多いものから少ないものまで兎に角たくさんあった。
今なら2種類、パンツタイプとテープ止めのタイプがあるのが分かったし、その中に入れる敷きパットも其々に合わせて販売しているのは理解できたが、当日怪我して当日入院して当日必要なものを揃えなければいけない、急に修羅場が訪れて混乱していた私にとっては迷宮に迷い込んだ気持ちだった。
病院でもどっちのタイプが必要か聞いていなかったのがミスでもあった。
ただ足の関節をやってしまって動けない人間がパンツタイプを使えるわけがない。という結論でテープ止めのおむつと、敷きパットを買った。
ここで思った「意外と大人用紙おむつってのは値段が張るなぁ」と。
「いやいやwそんなの当たり前でしょ?」と思うかもしれないが、おむつというものを買ったことの無い人間にとっては「うわ、こんなにするんだ」というのが正直な感想である。
妻と必要な買い物を終わらせて病院へ届けて、この日はおわりだった
こうして救急車を呼んだのが確か当日の12時頃で、検査が終わったのが確か15時頃。
荷物を届けたのが17時頃だったので、5時間ほどではあったが、怒涛の5時間だった。
生活が一変する5時間であったと思う。
こうして、母親の長い長い入院生活が始まったのだった。
ちなみにこの日の買い物は結構な金額だった。
分からないまま、値段も相場も調べず結構高いものを買ったせいもあるがソシャゲのガチャ200連ぐらいの金額だったと思う。
もしこれから入院するかもしれない父母を持つ方がいたら常日頃父母と別々に生活していたとしても、遠方に暮らしていたとしてもせめて着替えと、保険証や薬手帳の置いてある場所は家族で共有しておくこと、介護に必要なものの相場、というのを調べておくことが必要になるかもしれない。
自分がその場に置かれたときに焦らないように。