第一話~母親転ぶ、骨を折る~
「おっかが転んだ!救急車を呼んでくれ!」
そう言われたのが、昨年。令和4年の11月の中旬だった。
その時同居していた父は78歳、母は67歳だった。
当初は迷惑をかけまいと自分の携帯電話で救急車を呼ぼうとした父だったが、焦っていたのか救急の番号が思い出せず104(番号案内)にかけたり111(経路受付案内)にかけたりとなかなか119にたどり着かなかったようである。
その騒ぎを、私・・・木辺音尾は自室で聞いていた。
私たちが同居していた家は元々母方の祖母が住んでいた平屋の古民家。大騒ぎすればその音は家中に響き、当然私たち夫婦が生活していた部屋にも聞こえてくる。
「どうした、大騒ぎして?」
騒ぎを聞きつけ、父母が暮らす部屋へ言って声を掛けたところ、冒頭の答えが返ってきたのだった。
「どこで転んだの!?」
「畑の所だ、除雪機動かしてたらスピード上げ過ぎたせいで引きずられて畑に転がり落ちてった」
嘘だろ!?と思いながら外へ出てみると、家から少し離れた道路沿いにある自宅の畑の端に座り込む母親の姿があった。
急いで駆け寄り「なにが起こったかわからない」という表情をしてぼーっとしている母親に声をかけ、状況を確認する。
「どーした、転んだの?」
「ほだ、足が痛くて動けないんだわ・・・」
今にも消えそうな声でそういう母。
この事件のちょっと前に、腰を痛めて病院へ行っておりこの時は正直ぎっくり腰で動けなくなったのかな?程度の認識だった。
私はこの時、10年以上勤めた介護関係の仕事を辞めて交流のあった運送会社の仕事に転職したばかりで正直仕事を休む事に抵抗があった。
ただ母親がこの状況では仕事どころではない。
本音をいえば「面倒な事しやがって」とこの時は思っていた。
とはいえ、流石にそんなことは言っていられる状況じゃない。母親の血の気の引いた真っ青な顔を見て私はそう思った。
すぐに救急車を呼び、職場にも連絡。
電話越しでも分かるほど嫌悪感をあらわにする上司の声は、今でも鮮明に覚えている。
というか忘れないと思う。絶対に。
努めて冷静に・・・とは思ったがやはり私も混乱していたのだろう。
救急に連絡した時も上手く伝えられたか怪しい所ではある。
救急車を待つ間、保険証や財布、お薬手帳など必要になりそうなもの準備・・・しようと思ったのだが、これが大変だった。
今まで一緒の家に住んでいるとはいえ、父母は父母の、私たち夫婦は私たち夫婦の別々の生活をしていた。
その為、両親の部屋のどこにそれら必要なものがあるか私にはわからなかったのだ。
父も母に管理をまかせていたので、どこになにがあるかわからない。
家の中と外を往復して、母から場所を聞いて探しているうちに救急車が到着。
動けない母をなんとかストレッチャーに移乗し、救急車へ乗車。
その際「どこの病院がいいですか?」と聞かれたので、腰の事で数日後に検査を受ける予定だった病院を思い付きそこへ連絡してもらう。
その間も母親に必要なものの場所を聞き準備は進めていたが、本当にどこになにがあるか探すのに苦労した。
もし皆さんもこういうことがあるかもしれないと思うなら日頃からそういうものは家族全員分かる場所に纏めておくといいかもしれない。
そうこうしているうちに搬送許可が出たので、母と付き添いで父が病院へ。
既に仕事に行くつもりで制服に着替えていたので、私は着替えをすませ、もしかしたら必要になるかもしれないと少しお金を降ろして、20分遅れぐらいで病院へ着いた。
その時既に母親は検査のためレントゲン室へ入っており、父親が待合室で待っている状態だった。
どうやら病院側も息子である私が来るのを待っていたのか、到着するや否や看護師さんが来て説明をしてくれた。
「木辺母さんの息子さんですか?」
「はい」
「今お母さんの状態見ているのですが、恐らく股関節の骨折だと思います。これからレントゲンを取って、一時間後に整形外科の先生に来てもらって診断してもらいますのでそれまでお待ちください」
「骨折ですか?えっと、ということは入院になりますか?」
「そうですね、入院から手術という流れになると思います。兎に角検査して先生から説明あると思いますのでそれまでお待ちください」
淡々とそういって診察室へ戻っていく看護師さん。今思えば悪くはない・・・というかそういう対応が正しいとは思う、個別にやってたら精神が持たないだろうし。
ただこの時は酷く冷たい看護師さんだなぁと思った。
介護、とりわけ障がい者介護の現場で長いこと働いていた私にとって「股関節の骨折」というのはよく聞く話だった。
それと同時にそれがとても大変なことであることも、理解できた、はずだった。
それから母親が検査を受けている間、ずっとスマホで只管「股関節 骨折 女性」や「股関節 骨折 高齢者 治る」など検索して調べていた。
自分が持っている知識が間違いかもしれない、もしかしたら母親は良くなるかもしれない。と今まで介護の現場で見てきた現実・・・股関節を折ったら「終り」という現実から目を背けたくて必死に検索していた。
ただ当然出てくるのはネガティブな情報ばかり、ポジティブな情報など出てくるわけもなく、どんどん不安ばかりが募る。
不安なのは私だけではなく、付き添っている父親もそうだったのだろう。
そんな父に「大丈夫だ」「大丈夫だ」と繰り返し言って励ましていたが、単純にこれは私自身が大丈夫だと思いたかったから、そう言い聞かせるために口に出していただけに過ぎない。
待合室のテレビを眺めたり、ネットで情報を集めていると先生が到着。
同時に母親もレントゲンなどの検査が終わって診察室へ通される。
「こんにちは、木辺さん、まずお母さんの状態ですが・・・ここ、股関節の骨頭部分ですが折れています」
座って開口一番、先生の言葉と共に見せられるレントゲンという名の現実。
そこにはぽっきりと折れた股関節が写っていた。