出会いは新たな道標
「広い所に出たね」
「ブロンズ級としては最深層かな」
地図によればこの近くに転移門と、奥へと進む道があるようだ。
この幻想図書館では、入り口と深い階層を結ぶ転移門がある。一度立ち寄って転送用の魔紋を受け取れば、次から途中再開が可能となる。
俺も空への手がかりとして読んだことがあるが……実用化し、別の町や隔てた地へと転送出来るならば、と思ったのだがそんな甘い話は無い。
転送門で移動可能な場所は、マナの通り道である回路を物理的に繋げなければならないため地続きで無ければならず、空間を隔てた先とはどうやっても不可能なのだ。
さらにマナの消費も移動距離と対象の数や重さに比例するから、緊急の伝令以外ではほぼ使われていないのが現状だ。
「転移門は……ここか」
「これが……転送門なんだー、なんか不思議ね」
ぺたぺたとフィユが手で転送門を触っているので、俺も同じように調べにかかる。
手のひらに伝わるのは冷たい石の感触と、魔術師なら感知出来る程度のマナと術式が今は作動していない事を伝える。
「にしてもだいぶ深い所まで来たな……」
「ざっと五層超えたくらいで、この次はたぶん第六層だろうな」
「でもどうやるんだろ? 使い方って書いてあるのかな?」
「そう言えば、俺も知らないが……どうするんだ」
ヒヤリとした感触で、すべすべとしていてさわり心地は良いだけで、マナを込めても何の反応も示さず、使い方は謎のままだ。
「ワシに聞かれても分からん、が近くに書いてあるんじゃないか?」
「珍しや。お主、初めてか?」
後ろから声を掛けられて振り返ると……やたら露出の多い衣類、というより布を纏っただけと言った女性が立っていた。
猫目のような瞳には確固たる意思といかなる嘘も許さぬ鋭い光が満ちていて、どのような闇も切り裂く燃えるような真紅の髪、鍛えた戦士よりも頑強でありながら女性らしい膨らみと、底の見えない強大な魔力の波動。
対峙するだけで戦意を喪失しかねないほどの威圧感があり、口を開くことが出来ない。
「おっと、先に名乗っておかねばなるまい……我が名はサラ、サラ・ウェールスなるぞ」
「あ、どうも……俺はエルネスト」
しかし相手が口を開いた途端に、先程までの重圧のような気配はかき消え、来客を楽しむような素振りを見せる。
「ふむ、ふむふむ……驚かせてしまったようじゃが、我はお主達に危害を加える気は無いぞ。“それ”が使いたいのだろう? 我はそれの管理者のようなものだ」
「はい……?」
間抜けな応えをしたかと思えば、後ろからくいっと服を引っ張られる。
「なんだか怖いよ、あの人」
フィユが怖がるように指摘するが、確かに言い知れぬ深い底を感じる。
「――マナよ、新たなる名を刻め……エルネスト、ヴォルフ、……そちは如何に?」
「その、フィユ、です」
「――フィユ、魔紋よ、導きの標を与えよ」
まるで発音の手本となるかのような流麗な詠唱に従い、転送門に淡い光が灯る。
魔法はその言葉一つ一つに力と意思を宿すことで現象を引き起こす。
「これで良い。後は触れるだけで良いぞ」
言われたとおりに光に触れる。すると弾けるように光は形を変え、手に染みこんでいく。
「消えた?」
「魔紋はお主のマナの一部となったのだ。ただし気をつけよ、使用には大量のマナを消耗する」
「あなたは……一体……」
「我はただの守護者に過ぎぬ。お主達がより高みへと精進するのならば何れ相見えよう」
これで用が済んだと言わんばかりに、サラはくるりと背を向け、大広間へと去っていく。
「ハァ……ようやく緊張が解けたぜ……」
「ああ……ヘビに睨まれたカエルな気分だったな」
遠く離れて分かったのが、桁外れの強大な魔力の波動を感じる。あまりに近すぎてむしろ感知出来なかったようで、とてつもない実力者であったことは間違いない。
「ぅ~~! 腰が抜けちゃった……」
あまりにも強大な相手がすぐそばまで近寄っていたのだ。もし、相手に敵意があれば何もする間もなく死んでいただろう。
「大丈夫か? キリの良い所まで進めたし、帰ろうか」
「ついでにアレの初体験だな」
「ああ……少し、興味があったしな」
「転送門ってどんな感じなんだろうね、わくわくするかも」
「よし、行くぞ!」
先程までの沈黙とは打って変わって、石だったはずの表面に波紋を広げるように中へと手が入っていく。
入ってしまえば水の中を流されるように、光の奔流に飲み込まれ、まるで大地の楔を振り切るようにふわふわと身体が浮くような感覚がし、途端に真っ逆さまになる。
「いってぇ!」
光の渦が途絶えたと思ったら、そこは幻想図書館の入り口に着いていた。
空中に投げ出されたせいで、尻から着地する羽目になり、重たいものが降りかかる。
「ぐぉぉ……ど、どいてくれ……」
「あっとごめん! あ、もう着いた!」
どしりと乗っかってきたのはフィユで、胃の中のものが逆流しそうだった。
「こりゃ便利、だな……だけどこの疲れはなんだ……」
しかしそんな俺たちとは違い、ヴォルフは空中で姿勢を正して三点着地をしており、このあたりは戦士と魔術師の違いとでも言うものだろう。
「マナを消費するって……こういう事か」
「なんか目がシパシパする……」
立て続けに魔法を連発したかのような疲労感が襲ってくる。動力は自分自身という訳だ。
「帰って寝るか、今日は疲れた」
「その仕草、なんだかお父さんみたい」
「まだ腰悪くしてないし!?」
■
この灯りの少ない地の底で魔紋を授ける行為は新たな出会いである。
本来は直接付与はせずに、代理の妖精に任せていたことだが、懐かしい波動に釣られて自ら出向いたのだ。
「新たな魔紋の貸与、いつになっても慣れぬ事よ」
サラは古代種と呼ばれる身であるが故に、永い時間を生きてきた。当然、出会いと同じ数だけ別れもやってくる。
「それに“完全なる知識の書”を持ち出せる者が現れるとは……」
そう、これこそが懐かしき波動の正体で、叡智をその書に記すことで、ありとあらゆる技能を覚え、使いこなすことが出来る異界よりもたらされた書。唯一の欠点は記された叡智に匹敵する対価が必要な事のみ。
だが、それほどの“完全なる知識の書”を携えていようと、真の力を引き出すには、所有者に力量がなければ使いこなすこと能わず、この幻想図書館に永く永く封印されていたものだ。
「今年はなかなか見どころがありそうな若者が豊富よの」
先程の書を携えた若者達だけでなく、既に一人でこの地にまで訪れた者も居た。
薄桜色の彼女はまさしく英雄の卵とも言えるほどの技量であった。
「だが……冒険者の試練とは、かくも厳しいもの。何人が恐怖を乗り越えられるやら」
我が真の姿に怖じ恐れるのでは、命を失う事になる。冒険者を続ければ、いつの日か我に比肩するほどの脅威と相対することになるのだから。
古の仲間との想いに応える者を探すこと、それを求め、我が身をとして見極めるのが友との契約。
「……楽しみであるのう、リジュよ」
守護者と管理者に分かれた友を偲び、二つのグラスを空ける。
いつか酌み交わせる事を夢見て、眠りへとつく。
■
「……ふむ」
昼間、幻想図書館で手に入れた本をじっと調べる。
「装丁は……これ竜の革か? えっと確か本棚に……あったあった」
材質図鑑を見ながら何で出来ているのか調べてみる。
さわり心地はすべすべとした表面の割に、指で革をつまんでも非常に硬く変形しない。
マナを指先に込めて持つと、まるで吸い込むように指から本へと流れ込んでいく。これはマナの整流作用によるもので、竜の特性の一つだ。
「ある一方からだけマナを受付、それ以外の方向からは弾く。やっぱり竜の革が使われてるんだな」
次に中身を調べるが、こちらは紙のようだが、何らかの魔法的処置が施されているのか、劣化を感じさせない。
このクラスの高級紙は、議会の議事録や大切な書物でもなければ使われる事は殆ど無い。それだけこの本は貴重な物であるのだろう。
「しかし白紙ばっかだな……俺が書いたページ以外、特に書き込みが無い」
後ろ半分は封印されていて開かないが、前半は殆どが白紙だ。書いてあるのを消したというよりは、これから何かを書けと言わんばかりに新品だったような感じである。
「……シルマリル」
そっと妖精の名前を呼んでみる。
あれがただの夢であったのか、それとも本当に宿る妖精が居るのか、確かめてみる。
「お呼びですか、主殿」
小さな光の玉が本から飛び出てくる。夢であったのか、それとも今も夢を見ているのか。
「質問してもいいか?」
「はい。わたくしめに答えられる範囲で受け付けますが、叡智の書に記されていない事は分かりかねます」
「という事は、基本的にはこの本に書かれたことしか分からないのか?」
「申し訳ありません……その通りです。書に記されていれば、それはわたくしの記憶となります」
なんでも知っている魔人が宿るランプとか、そういう類の物ではないが、便利な司書さんみたいなものだろうか。
しかしその程度の役割をわざわざ作って本に宿すのは相当な物好きか、真の目的を隠すような偏屈者か。
「しかし書に記す事が出来れば、その叡智をいつでも引き出す事は出来ます」
「使いやすいんだか、使いにくいんだか、よく分からない能力だな……じゃあお前を日記みたいに使ったら、そのことを記憶出来るのか?」
「もちろん記憶出来ます。ただし書き込むにあたり、マナを多量に必要とします」
書くだけで魔力を消費するとかやっぱり失敗作か何かな気がしてきた。
「マナを必要とするのも、わたくしめの身体を構成している魔書は、マナエミッタであるページとマナアノードである装丁によって構成されております。術者から受け取るマナを効率よく増幅し、記載されている術式を展開、代理の術者として発動します」
「なるほど……わからん」
機能の説明を求めると早口で一気にまくしたててくる。
一応、理解出来る範囲で掻い摘んで意訳すると、魔法の代理発動とかをすると。
「はい、その理解で問題ありません。わたくしは本書に記載されているすべてを利用出来ます」
「それでより多くの知識や出来事を書き込むといいのか」
魔書に書き込めばそれを実現する。
概要としては一行で収まるが、非常に高度な魔法が使われているようで、かなりのレア物であることは間違いない。
じゃあ試しにと、次のページに別の魔法を書き込んでみる。意識してなかったが、書き込むだけで普段使うよりも多くのマナを消耗してる。
「こんな感じでいいのか?」
「新しい魔法が書き込まれました。……この魔法は3ページを強く思い描く事ですぐに発動します」
「手が疲れるというよりは、マナを吸い取られた感じだな……」
装丁の文字が淡く光り、これがマナアノードとやらなのだろう。
結局、アノードって何なのだろうか、あとで調べておいたほうがいいかもしれない。
「あとは日記を書くとどうなるかだが……」
幻想図書館に行った事、そこで隠し部屋があったこと、シルマリルとの出会い。
魔法を書き込んだときに比べて、マナの消耗は少ない感じだ。それでもただ日記を書くだけに比べて遥かに疲れている。
今日は戦ったり、歩いたり、魔法を使ったりと体力もマナも消耗しているが、それにしても深夜でもないのにまぶたが重くなる。
「…………新しい出来事を理解しました」
「ああ、分かった。……それにしても眠いからもう寝るよ」
晶石のランプを消すとシルマリルの周り以外は真っ暗になる。
「おやすみなさいませ、主殿」
そのシルマリルも本の中へと戻り、真っ暗闇になる。
「…………ぐぅ」
■
……空を飛ぶ鳥の夢。
どこか寂しげにも聞こえる声を上げ、ただ一心に飛び続ける。
それは群れを離れたことか、それとも。
それでもただ一人、目指すのは空高く浮かぶ神殿。
この鳥の身体は天を翔け、一筋の流星のように飛翔し、人とは比べ物にならないほど思い描く通りに空を飛べる。翼をはためかせ、ぐんぐんと高度を上げる。
一心に、翼を羽ばたかせ……ついに神殿へたどり着く。
神殿の上空を旋回し、俺は何かを待っている。
「あら、今日も来たのね」
現れた彼女は柔らかな羽毛の羽根を持つ、伝説の太陽人。もう地上に存在しないと言われている種族の一つだ。
待っていた相手に嬉しそうな声でピピピと高い声で応え、そこが自分の居場所だと、名前も知らない彼女の温かくやわらかな手に抱かれる。
「けれどお前のような無謀な鳥は珍しいのよ」
優しく撫でるその手はまさしく天使の愛撫。羽ばたいて疲れた身体を撫でられると心地よい眠気に誘われる。
「でも……必ず来てね? わたしは……待ってるから」
温かな手に抱かれたからか、安心に誘われた眠気に身を任せ、目を閉じる……
いつかこの手のひらを感じるために。