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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

勝利条件:隙あらばイチャつく

作者: 弦巻桧

!注意!

・設定や世界観はゆるゆるです。描写もふわふわしています。(タグの残酷描写とR15は保険)

・主人公達を殺した犯人は明らかにはなりません。

・主人公の失われた記憶が戻ることもありません。

・作者が書きたい、読ませたいことだけを勢いに任せて書きなぐりました。ご都合展開です。

・途中で視点変更があります。


以上が許せる方はどうぞ。楽しんで頂けると嬉しいです。

合わないと思ったら無理して読み進めず、ブラウザを閉じてください。

 考えるより先に、体が動いていた。

 危ないと思ったからレスター様の前に出て、向かってきた刃を体で受け止めた。頬が地面についている感触で、倒れてしまったことに気づく。

 ぼやけた視界の中に、レスター様が刺客を相手に戦っている姿を捉える。レスター様の魔術学校の制服が、どんどん赤く染まっていく。

 私の魔力を使ってほしい。裂かれて血を流す腹の痛みを意地で無視して、左腕の腕輪に意識を集中する。確かに魔力がレスター様に渡っている感触はあるのに、その魔力をレスター様は全て私の体の治癒に振り向けているようだ。

 それでも流れる血は止まらず、意識はだんだん遠ざかる。朦朧とする中で、敵の気配が増えていくことだけは分かった。

 私など捨て置いて、自分の戦いに力を使ってくれればいいのに。レスター様が本来持つ乏しい魔力だけで戦っては、この場を切り抜けるより魔力の枯渇の方が早いのに――。

 意識が完全に落ちる直前、魔力を供給し続けていた腕輪から、レスター様との接続が切れたことを知る。


 それはすなわち私とレスター様の敗北、そして死を意味していた。



***


 白昼夢を見ていた。

 成長に合わせて調整される魔術具の腕輪。新調されたそれを左腕にはめた瞬間、脳裏に流れ込んだ悪夢だった。

 それはあまりにも臨場感があり、感じた痛みもまるで一度体験したことがあるようだった。

 ――いや、実際、それは本当にあったことなのだろう。私とレスター様は一度死んで、どこからか再び同じ生を繰り返している。

 レスター様のものと揃いの腕輪の意匠を見た瞬間、既視感はあったのだ。青い石と黄色の石が埋め込まれ、それらを取り巻くように植物の蔓が彫られた銀の腕輪は、白昼夢の中で身に付けていたものと全く同じ。

 夢と同じことが起きるとすればきっとこれからだ。


「どうした? マルメロ。腕輪がきついのか?」


 心配そうな顔のレスター様と目が合う。


「いいえ。ぴったりです。魔力もこれまでと同じように供給出来ていると思うのですけれど、レスター様は違和感ないですか?」

「俺も問題ない」


 レスター様の答えに頷いた職人が、後片付けを済ませて応接間を出ていくのを見送り、私は心の中で決意する。

 死なないため、死なせないために、出来ることを考えなくちゃ、と。




 私が己の身だけがかわいい人間であったならば、こう考えたかもしれない。


「そもそも二人でいる場で襲われるのであれば、私がレスター様から離れればいいのでは。狙われるのは貴族であるレスター様に違いなく、一介の使用人である私があんな多勢に無勢で襲撃を受けることは考えにくい。レスター様から離れれば、最低でも私だけは死なずに済むはず」


 しかしそんな考えはあり得ない。

 私がいま生きていられるのは、レスター様が拾ってくださったおかげなのだから。



*


 レスター様は、侯爵家の次男である。

 いずれ爵位を継ぐお兄様を支えるため、魔術師となるべく学校に通われている。現在十七才。茶色の髪と深い青の目を持ち、私より頭一つ分背が高い。

 整った顔立ちで、人の目を惹き付けるお方だと思う。本人にそう言うと真面目な顔で

「兄上をそう表現するなら分かるけど、俺のことをそんな風に言うのはマルメロだけだよ」

と返してこられる。

 私の目はこんなにレスター様を追ってしまうのに。ずっと見ていたいと思うし、思ったまま言葉にしているのだが、レスター様は顔を赤くして目を逸らされるし、他の使用人達にも何やら温い目で見守られるだけである。解せない。

 そんな格好良いのに謙虚で慈悲深く、由緒正しいお生まれのレスター様だが、一つ欠点があった。魔力が極端に少ないのである。


 魔力は平時の保有量と限界最大保有量、回復速度で評価される。

 限界最大保有量とは、暴走を起こさず体内に貯めておける魔力の最大量のこと。

 貴族の生まれであればほとんどの場合、平時の保有量は限界最大保有量の八割程度を維持していて、枯渇しても半日あれば元通りに回復する。

 レスター様の場合、限界最大保有量は一般の貴族並み、しかし平時の保有量はその二割程度。また、枯渇した場合、平時の保有量まで戻すのに一日かかる。

 どんな優秀な魔術師でも、自分の平時の保有量を越える大きな魔術を使う時には、限界最大保有量ぎりぎりまで魔力を生み出し、貯め続けることが必要になるが、それもレスター様にはひどく困難なことらしい。


 魔力が無いなら物理で対抗すればと始めた剣や体術も、結果として魔術を諦めることを困難にした。

 剣や体術で伸ばされた身体感覚は、そのまま魔術にも生きたのだ。気づけばレスター様は、同世代の誰よりも上手に繊細に、魔術を操る術を体得していたのである。

 魔力を受け入れる器の大きさは普通の魔術師と変わらないのだから、供給源さえあれば、人並みかそれ以上の術者になれる、という欲が出た。


 問題の供給源だが、そこにたまたま、魔力暴走を起こした子供がいた。私である。

 今から六年前のこと。

 平民の生まれであれば普通は魔力を持たないとされるが、例外は何にでもあるものだ。

 しかし被害にあった小さな村に、その例外に気付ける者は存在しようはずもなかった。

 住んでいた村をまるごと吹っ飛ばし、その拍子に自分の記憶をも綺麗に消し飛ばしてしまった私は、牢に入っていた。

 頭が重く、体も重く、最低限の食事と排泄の時以外はこんこんと眠り続けていた私だったが、その間も少しずつ、体内での魔力の生成は続いていたらしい。

 魔力を封じ、魔力の生成を抑制する効果を持つその牢をもってしても、このままではいずれまた魔力暴走を起こす危険性が高いと見られていた。

 正しい魔力の扱いを教えるにしても、身につく前に再び暴走してしまえばどうなるか。

 当時八才で、記憶喪失で自分自身のことすら何も分かっていない少女。その扱いに困った大人たちとレスター様の利害が一致して、私はレスター様と引き合わされたのだ。


「マルメロ、だね。俺はレスター。触れてもいいかな」


 牢の外から伸ばされた手に触れた時、頭も体もすっと軽くなって驚いた。それまで押し付けられていた重石を取り払ってもらったような、抱え込んでいた熱をそっと冷ましてもらったような、とにかく心地よい感覚。

 私の表情から気持ちいいのが分かったのか、レスター様も嬉しそうに、こんなに相性が良いのは初めてなのだと笑った。

 牢から出た私の手を取り、レスター様は私をまっすぐに見つめた。


「君の力を貸して欲しい。君が俺と共にある限り、俺も君が何不自由なく生きていけるよう、力を尽くすと約束する。どんな時も必ず守ると誓うよ」


 食い気味に頷く私をにこにこしながら見ているレスター様。

 その表情に胸の動悸が早くなる。与えられた言葉を大切に反芻して、凛とした佇まいと共に記憶に焼き付けた。


 きっとその日から、私はレスター様に恋をしている。



*


 大前提として、私が自らレスター様から離れることはない。

 約束を守ってもらっている恩は大きい。

 魔力については定期的に消費できれば方法は何でもいいが、魔術師でもない限り日常的に魔力を使うことはないから、やはり必要としているレスター様に渡すのが一番であるし。

 それに何より、好きな人とは離れたくない。


 では、あの白昼夢を誰かに打ち明けることは是か否か。

 うっかりレスター様に知れて、私のことを遠ざけたり、妙な無理をしたりされると困るので否。

 そもそもありのまま偽りなく打ち明けて、信じてもらえるかも怪しい。

 とはいえ、お貴族様には庶民には理解困難な(しがらみ)があるらしいので、侯爵家もいつ何時お命頂戴な事案に見舞われてもおかしくはない。警戒は大事、という事はそれとなく伝えたい。

 私達を狙ってくる相手に全く心当たりはないし、私自身は情報収集が不得手だから、情報戦は無理だけれど。


 考え事をしながら雑用をこなしていたら、そろそろレスター様が学校を終えて帰宅される頃だった。

 レスター様の帰宅後は、直接会って触れあって魔力を供給する時間と決まっている。腕輪から常時供給されているけれど、疲れている時は触れあっている方が効率が上がるのだ。

 気配に敏いレスター様は、私が部屋に向かっているのを察して先に中から扉を開き、手招きしてくれる。

 喜んで部屋に飛び込むマルメロは取ってこいされた犬みたい、と使用人仲間達に言われているが、嬉しくて無意識なのでどうしようもないと思う。

 広い座椅子に先に座ったレスター様が、隣をぽんぽんと叩くので、遠慮なくその場所に座る。

 手のひらを差し出すと、一回り大きな手にゆっくりと包まれる。重なったところからそっと魔力の残量を探れば、いつもより少し枯渇が酷いことが伺えた。


「お疲れですか?」

「ああ、今日はちょっと強力な術を試したから」


 なら少し、密着度を上げてもいいかもしれない。

 繋がった手を、指と指を絡めるように繋ぎ直す。レスター様との距離を詰めて、腕と肩をぴったりとくっつける。

 見上げるとレスター様は、あいている手で顔を覆って天井を仰いでいた。耳が赤い気がする。


「気持ち悪いですか?」


 触れあった場所と腕輪から、するすると魔力が移っているのを感じる。重ねた手の温度が同じになっていくような感覚が、

「気持ちいいしなんだか嬉しい」


 思わず溢れた感想に、レスター様の呻きが返ってくる。


「俺も、だよ」


 苦しげに吐かれた声を聞きながら、そういえば昔は、疲れた時に遠慮なく抱き締められたこともあったのに、と思う。

 いつからだろう、レスター様が私に触れることに、躊躇っているみたいだと感じるようになったのは。いつもと違う触れ方をするとこんな風に、困ったような苦しそうな反応をされるようになったのは。

 けれど、触れてしまえば振り払われることはなく。


 魔力の供給が終わっても、使用人仲間が声をかけにくるまで、私達は手を繋いでくっついたままだった。



*


 レスター様と出会ってからの六年で、私はこの屋敷の雑用を覚え、読み書きや計算を覚えた。レスター様の訓練の見よう見まねで剣を振ったり体術を試してみたりした。

 その結果、私は読書の楽しさを知り、自分には体を動かすことにかけての才能が欠けていることを知った。

 運動には向いていないことを知った、が。

 いずれ襲われるのなら、戦えずともせめて、逃げ足くらいは鍛えるべきではなかろうか。


 走ることは体力作りの基本、何事も体が資本。

 私の突然の行動に首を傾げるレスター様や使用人仲間にはそう言い訳して、毎日早朝に屋敷の広い庭を走ることにした。

 しかし実際始めて続けることができたのは、レスター様が元々習慣として走っているから、一緒にいられる時間が増える、という不純な動機が大きかった。

 駄目で元々と思いながらお願いしてみたところ、初心者速度に合わせて、一緒に走ってくれるレスター様。

 優しい。やっぱり大好き。走る姿も格好いい。好き。


「マルメロ、それは……いや、俺は何も聞こえてない。何も聞いてない」


 平常心、平常心。とよく分からない呟きが聞こえる。

 平常心、と自らに言い聞かせるように唱えるということは、つまりレスター様はいま平常心ではない、ということだ。そんなところもかわいい。


「もう、やめてくれ……。そんな目で俺のことばかり見ないで、前見て走って……」


 運動量は減っているのに精神的に来た、と、走り終えたあと、レスター様は盛大にため息をついた。

 一方の私は、体は疲労感があるものの、心はすっきりとして、気分は走る前より元気になっていた。レスター様効果と名付けたい。


「余裕ありそうだし、これからは徐々に負荷を上げるか」


 呆れたように言われた内容すら嬉しい。ちゃんと私のことを見て、考えてくださっているのが分かるから。



*


 体力がついたところで、考えたいのは魔力の有効活用についてである。

 私の限界最大保有量は一般的な魔術師のそれと比しても大きいらしい。平時の保有量はレスター様への常時供給がある状態でも、限界最大保有量の六割から七割程度を保っていて、これでおおよそ一般的な魔術師の平時の保有量と同程度らしい。回復も早いので、すっかり空になっても、健康体であれば三時間眠れば元に戻せる。

 あり余りもて余す力を、どうにか自分自身で武器にできないか。

 それ自体はあの悪夢を見る前から考えていたことで、少しずつ勉強もしていたけれど、最近はより真剣に取り組むようになった。やはり命の危険を具体的に示されると、危機感を持つし気も引き締まるのだ。

 私は貴族ではなく、レスター様と同じ学校には行けないので、レスター様の知人の魔術師様による特別講義を屋敷で受けている。

 魔力をもつ人間に何ができるのか、そこにどんな危険性が潜むのか。

 屋敷で働く人間であれば理解した方が良い内容のため、講義は常に数人の使用人仲間達と一緒に受けている。


 最初は講義よりも実践を、と思う気持ちもあった。

 だが過去に一度きり実施された実習を見ていた先生いわく、


「マルメロは不器用。レスターとは逆で力が無尽蔵だから使い方が大味になりがち。どんぶり勘定で使わない意識改革が先。つまり講義受けろ、いきなり実践とか十年早い」


だそうで。近道も抜け道も探せなかったので、真面目に勉強している。


 今日の講義は少し難しかった。復習しておきたくて、自分の部屋で机に向かい、先生おすすめの参考書を読んでいた。


「マルメロ?」


 レスター様の声で、参考書に集中していた意識が拡散して、背後の人の気配を捉えた。

 部屋に近づく足音にも全く気づかなかった。没頭しすぎた。

 振り向くと出入口から顔を覗かせたレスター様が、不思議そうにこちらを見ていた。


「珍しく来ないからどうしたのかと思って」


 はっ、私としたことが。レスター様のご帰宅の時間だったのに。


「集中してたんだな。いいよ、そのままで」


 私は慌てて立ち上がろうとしたのだが、私の手元の参考書をちらっと見たレスター様に、その動きを制される。

 椅子に座り直し、机に向かった私の後ろに、レスター様がそっと立った。

 参考書のページを押さえる私の右手に、レスター様の右手が重なる。

 そのまま後ろから私の肩越しに参考書を覗き込んでくる。顔が近い。

 いつも自分から色々言っているけれど。でもそれだけに、レスター様からの行動に対しては心の準備が出来ていないから。


「これは駄目です。これから机に向かうたび思い出してしまって、集中出来なくなりそうです。困ります」


 ふ、と笑うレスター様の吐息を感じてしまって、また一段動悸がはやくなる。


「マルメロも少しくらい困るといいよ」

「マルメロ『も』ってことは、レスター様、困ってるんですか?」


 反撃のつもりで放った言葉。緊張の色は乗ってほしくなかったのに、声が少し震えたかもしれない。いつものように軽く言えたなら、きっとレスター様もいつものように動揺してくれたのに。


「うん。困ってる。それに、苦しいよ」


 右手は重なったまま。なのに直接触れているのはそこだけで。もっと触れたい。けれど身動きが取れない。

 緊張して、でもどこか甘やかなこの場の空気を、壊してしまいそうで。これ以上、手を伸ばすことを躊躇う。

 今マルメロが感じているそれが、いつも俺が感じている気持ちと同じものだと思うよ、と、囁きが落ちてくる。


 たしかにこれは、くるしい。



*


 困るのも苦しいのも、我慢しているからではないか。成人女性向け恋愛小説を読み耽っていて、そう思い至った。

 私は殺される気は無いし、レスター様を殺させる気もない。しかしそれはそれとして、ああいう形での私達の死がどうあっても不可避の運命なのだとしたら、私達はもっと、今を悔い無く生きることを考えた方が良いのではないだろうか。

 再びやり直せる保証などどこにもない。やりたいことを全力でやって、うっかり死んでも後悔しないようにしておきたい。

 もっともらしいことを言ってみたが、つまりはレスター様といちゃいちゃしたいだけである。我慢することなく、心置きなく。


「添い寝がしたいです。お願いします」

「……は?」


 夜、皆が寝静まる頃。寝間着姿で枕を抱え、レスター様の部屋に奇襲をかける。

 レスター様は、扉に手をかけたまま、驚いて呆けていた。その隙にレスター様の横をすり抜けて、寝室に侵入を果たした。


「……あー、眠れないのか? 怖い夢でも見たり、お化けの話でも聞いたりしたのか」

「今さら何も、村一つ分、人を殺した身で、……あ」


 怖くない、と言いかけて気づいた。ここで怖いと主張しておけば、優しいレスター様は一緒に寝てくれそう。


「やっぱり怖いって言っちゃおうかな、一緒に寝てくれないかな、って思ってるの、顔に出てるからな?」

「え、出てました? あわよくば既成事実と思ってるのも、もしかして漏れてました?」

「はあ、まったく。恥じらいとか貞操観念というものをね、もう少し持てないかな」

「持ちます。持つので、ご褒美に添い寝を!」

「あのね、添い寝できちゃうのは、俺が求めてる恥じらいを持ったことにならないでしょうが」

「ええー。じゃあやっぱりいろんなものをかなぐり捨てて実力行使しか」

「やめなさい」


 レスター様の声は真剣だった。よく見なくても目が笑っていない。

 とはいえ、今夜は添い寝を断られるのは想定内、肝心なのはここからだ。


「仕方ないので今夜は諦めます。でもあの、我慢する代わりにお願いが」

「言うだけ言ってみろ」

「ものすごく嫌そうな顔。珍しい。素敵」

「言いたいことはそれか?」

「勿論違いますよ! お願いしたいのは、おやすみの口づけです」


 レスター様が、真顔のまま硬直した。

 しばらく待てども反応がない。……聞こえていない?


「おやすみの口づけです。おやすみなさいの時にちゅってしたいです」


 大事なことなので何度でも言う。伝わって反応があるまで繰り返す。

 ようやく意味が理解に届いたらしく、レスター様の頬が赤く染まっていく。


「マルメロ……」


 レスター様が口を手のひらで覆いながら呻くので、すかさず言葉を足す。


「ほっぺですよほっぺに軽く! それが挨拶の地域もあるくらいの触れ合いですよ! 唇がご希望でしたら喜んで叶えますけれども! ええ、是非もなく! 」


 私の勢いにやや引いたらしいレスター様は、

「そこまでしなくていい。……分かったよ、頬な」

と渋々承諾された。それくらいなら耐えられる、うん、と、こぼしながら。

 耐えなくていいのにーと思いながら口にはしない。その代わり、ではないが


「わーい今日からおやすみのちゅーとおはようのちゅーだー」


 ばんざーい、と両手を上げてみる。

 一人ぶつぶつ言っていたはずのレスター様が、ものすごい勢いでこちらを見た。


「待て、なんで増えてる? おはようの方は許してないぞ!」

「え、おやすみがあるなら、おはようもあるでしょう挨拶なんですから」

「いやだからなんで俺の方が非常識みたいな顔されないといけないんだ。だいたい、挨拶というなら屋敷中の人間と同じにしないといけないんじゃないのか」

「レスター様と使用人仲間とで全く同じ挨拶が許されるとでも? そこは関係性の違いというものがですね」

「ああ言えばこう言うな」

「お分かりでしょう? 私はただ隙あらばレスター様と触れ合いたいだけなんですって」


 あけっぴろげすぎる、なんでこうなった、と頭を抱えるレスター様。

 あ、頭痛いですか? 痛いの飛んでけーで触れ合いの好機ですか?


「なんでこうも触れ合いたがる。やっぱり魔力の影響なのか」

「そんなこと言ってー、レスター様も私と触れ合うの、お好きな癖にー」


 そこで無言になって言い返せなくなる所も、正直すぎてかわいくて好き。


「いったいどこから発想を得てくるんだ。本か? 本なのか?? マルメロの本棚、片付けさせた方が良いのか?」


 そんなこと、腕組みして真剣に悩まないでほしい。どうせ悩むなら、もっとこう色っぽいこととか……勿論相手は私で。


「いくらレスター様といえど、私の趣味や思想までは制限させませんよ?」

「俺だってする気はないんだよ。被害さえ出なければな」

「え、どこに被害が? 我慢なんてするから駄目なんですよー」


 レスター様は、もう少し心を解き放って、欲望のままに生きてもいいと思いますー。


「……ここに俺を誘惑する悪魔がいる……」


 む? 失礼な。


「どちらかと言えば、なんでも受け止めてさしあげる天使のつもりですよ?」

「はいはい。天使様は自分のお部屋に帰って寝ましょうね。いい子だから」


 そっと肩を押され体を扉の方向に向かされる。そのまま肩に手を触れられていたい誘惑に抗って振り返った。

 誤魔化せないか、とレスター様が苦笑する。


「何もないまま部屋に帰そうとしても駄目ですよ? 約束は今日からです」


 渋々といった(てい)で、しかし実のところ満更でもない顔をしているレスター様に、私が届くように、少しかがんでもらう。

 肩に手をかけて、レスター様の頬にそっと、唇を押し当てる。

 唇を離して、肩にかけていた手も外して、体を離そうとしたとき。


 くいっと顎を掴まれて、柔らかい感触が頬に触れた。


 それがレスター様の唇だと気づいた瞬間、心臓が止まるかと思った。

 思わず頬に手を当ててレスター様を見上げた私の顔は、きっと真っ赤になっていただろう。


「何だよ、その反応」


 自分から仕掛けてねだっておいて。耳まで赤くしたレスター様が、不本意そうに呟く。


「レスター様から口づけを返してもらえるとは思いませんでした」


 あ、と開かれた口が、音にはならない『しまった気付かなかった』という言葉までも表していた。


「そうか、俺からはしなくてよかったんだな」


 そこで私も気づく。

 ああ! 言わなければ明日からも、レスター様に口づけをしてもらえたのに!

 喜びと興奮と少しの後悔を抱えて、その夜は部屋に戻った。




 翌朝、レスター様の寝室に入り、おはようの口づけをしたところ。

 寝惚け眼のレスター様は、ごく自然に口づけを返してくれた。

 思わず「ふへへ」と変な笑い声が出ていて、レスター様はその声で我に返ったらしい。その日は出掛ける前までの間、なかなか目を合わせてくれなかった。

 しかし、学校から帰ってくる頃には開き直ったのか、はたまた疲労度が高すぎて軽く記憶が飛んだのか。

 見つめれば見つめ返され、手を握れば握り返され、口づけをすれば口づけを返してくれる、そしてそうしておいて全力で照れたり呻いたりする、ある意味いつものレスター様に戻っていたのだった。




 結局いつの間にか、おはようとおやすみでの互いの頬への口づけは、帰宅後の接触魔力補充と同様、毎日の習慣と化していた。

 それらを目撃した皆が皆、空気が甘ったるいだの砂糖を吐きそうだのと言ってくる。

 思えばまだ決定的なことは何一つしていないのだから、甘さ控えめのはずなのに。解せない。



*


「抱き締めても、いいか?」


 その日は帰宅したレスター様の部屋に入り、いつもの座椅子で顔を合わせて開口一番、そう乞われた。

 事情を知らなければ唐突に思える発言だが、私は動じることなく腕を広げる。


「どうぞ」


 今日は随分、日中の供給量が多いと感じていたから、きっと帰宅時の枯渇も酷いと予想していた。いつもよりたっぷり触れ合えるかもと期待していたのだ。

 背中に回された腕は優しい。もっと強くぎゅっとしてもいいんですよ?

 私の体温は上がっているけれど、レスター様の体温も高い。

 心臓の音がばくばくいっている。私のものなのか、レスター様のものなのか、あるいはそのどちらも、だろうか。

 手を伸ばし、レスター様のさらさらの髪を撫でる。

 ああ、ずっとこうしていたいな。

 ため息と共に溢れた私の言葉に、ふ、とレスター様が笑う。


「マルメロは本当に俺のことが好きなん、だ、な」


 自分で言っていて途中で恥ずかしくなってきたのだろう、語気が尻すぼみである。


「その感情は魔力が起こす錯覚じゃないか、とは考えないのか」


 大きな手のひらで、私の頬を包むように撫でながら、レスター様は目を伏せる。

 気持ちよさに思わず目を細めてしまいながら、問われた意味を考える。答えは決まっていた。


「錯覚のわけがありませんよ。初めて会ったあの日に、必ず守ると誓ってくれた心意気に惚れて、それ以来ずっと有言実行し続けてくれているところに日々惚れ直しているんですよ?」


 レスター様のくれた言葉、見せてくれた表情、凛とした佇まいが、私の心を惹き付けた。

 今も、約束を守り続ける誠実さに、与えられる優しさに、時折垣間見えるかわいい一面に、私の胸はときめいてやまない。


「それから度々言っていますが、格好良くて優しくて、どんな表情も素敵で」

「変顔でも?」

「見たい!」

「そんなに食いつくかあ」


 うーん話をそらしたい、とレスター様は困った顔をする。変顔を見せるのは自尊心が許さないらしい。かわいい。


「マルメロはやたら俺をかわいいというけど、俺からすればかわいいのはマルメロだ」


 指でふにふにと頬をつつかれる。それが何やらとても楽しそうなので、私もお返しにつつき返してみた。

 ふむ、レスター様につんつん触るなら、頬よりもっと肉のありそうな場所の方がいいかもしれない。


「錯覚の話、レスター様はどうなんですか? かわいいって、錯覚してるから言ってくれるんですか?」


 違う、という確信があって聞くのはずるいかな。でもそれは、きっとお互い様なのだ。


「俺がマルメロをかわいいと思うのは、錯覚じゃないよ」




 魔力が満たされた後も、レスター様は私の腰に手を回して抱いたまま、離さなかった。


「今日はちょっと疲れた。体の疲れは回復しても、明日からを思うと少し気が重いな」


 そっとレスター様の頭を引き寄せると、期待にそわそわしているのが分かる表情で見つめてくる。

 思わず小さく笑って、おやすみの時のように、頬に口づけて。反対側の頬にも、同じように口づける。

 前髪を軽く指で払って、おでこと瞼にも口づけを落とす。

 手を取って、手の甲、手のひら、指先、手首にも、順にそっと唇で触れていく。

 最後に顎の、唇に触れないぎりぎりの場所に口づけた。


「魔力が満ちていても、癒されたい時には呼んでくださいね? いつでも癒しますから」

「癒し……。嬉しいが何か試されている気分になるな……」


「今日は私からたくさん口づけをしたので、レスター様からも一つだけでいいので、返してもらえると嬉しいです」

「ん……、そうだな……」


 考える間の後、レスター様が私の髪に唇を落とす。

 ちら、とこちらをうかがう目が笑っている。


「物足りない?」

「物足りないって言ったら、おまけをくれますか?」

「いいよ、正直者へのご褒美」


 上を向かされて晒された喉に、少し濡れた柔らかい感触。

 ちゅうっと軽く吸い付いてから、唇が離れる。

 離れた後も生々しい感触が残って、なんというかこれはいけない。


「レスター様は時々、私の心臓破壊神……」

「俺にとってのマルメロも、似たようなものだぞ」


 やった後で恥ずかしさが込み上げたのか、レスター様の顔はじわじわ赤みが増している。

 遂に耳や首まで真っ赤になった頃、抱き締めていた腕がそっと放された。


「……他の男にもあんな口づけしたりしてないよな?」

「まさか。レスター様だけに決まっているじゃないですか」


 以前その存在を疑われていましたが、私、貞操観念はあるつもりなんですよ。どんなこともレスター様にだけ、と決めていますよ。


「レスター様こそ、私以外の心臓破壊神になっちゃ嫌ですよ?」

「ならねえよ」


 もう休んだ方がいいな、とレスター様が言うので。最後にもう一つだけ、忘れてはいけない大切なこと。


「今日はいっぱいしましたけど、おやすみ前のは別腹ですよ」



*


 枕を抱えて、レスター様の寝室に侵入すること再び。


「今なら添い寝できるかなー、と」


 レスター様は就寝準備を整え、寝台に腰掛けたまま、寝間着姿の私を呆けたように見ていた。

 添い寝、という単語に反応して、私を寝室から追い出す動きを取ろうとしたのが分かったので、その前にさっと、レスター様の隣に座る。


「抱き締めるのには慣れたんですから、そのまま横になればいいだけです」


 レスター様の手を取り、両手で握りしめる。上目使いであざとくおねだり。

 今も触れた手から魔力が流れていて気持ちいい。

 レスター様は、目を泳がせながら、ときどき堪えきれないようにこちらを見る。その心が、ぐらぐら揺れているのが分かる。


「夜眠る間もずーっと魔力で満たされるの、どんな感じか、今後のためにも試してみたくありません?」


 ごくり、唾を飲み込んだのはどちらだっただろう。


「おかしい、マルメロの理屈はどう考えてもおかしいはずなのに、丸め込まれてしまいたい気持ちがあるなど……! でもこのまま流されて、俺、耐えられるのか」

「耐えなくていいですよ? だって、きもちいいの、もう知ってしまってるじゃないですか」


 握っていたレスター様の手に、すり、と頬を摺り寄せる。ほんの少し体を寄せてレスター様との距離を詰めてみる。

 手は振り払われず、近づいた分の距離を離されることもない、その事実がレスター様の本音を何よりも雄弁に語っている。


「私はいつだってレスター様に、私のすべてを差し上げたいと思ってるんですよ?」

「そういうことを簡単に言うんじゃない。だいたいなあ。じゅうよんさいに、手が出せると思っているのか」

「わあい!」

「俺は怒っているぞ? なぜ喜ぶ」

「手を出したいけれど、出せなくて耐えています、と言っているようにしか聞こえないからです!」

「これだからお花畑は……」


 頭が痛そうにしているレスター様に、こう言うのは追い打ちかもしれないけれど、言いたいので言ってしまおう。


「私がもっと大人で、本気だって伝われば、レスター様ともっといろんなことができるー!」

「そんなことは、…………言ったことになるのか」


 思ったよりあっさり認めた。

 認めたことで、頭が冷えて落ち着いたらしい。


「マルメロが今よりもう少し大人になって、気持ちが変わらなかったら、その時に考えよう、な?」


 それはあたかも、お兄さんが聞き分けの悪い子供に言い聞かせるような口調。

 そういうのも好き。ぽわんとした顔で見つめてしまっていたであろう私の手を、ちょっぴり名残惜しそうに離される。


「おやすみ」


 いつものように、おやすみの口づけをして。


「おやすみなさい」


 さりげなくレスター様の隣に横になる。


「いやおい、今それは駄目だって言っただろ」


 すぐさま突っ込みが入った。思ったより反応が早い。五秒くらいは堪能出来るかと思ったのに。


「私は一瞬前より、確実に大人になっています!」

「屁理屈やめろ」


 問答無用で強制送還された。魔術で。

 これで魔力消費が大きければ、補充を言い訳に突入出来たのだが。さすがはレスター様、腕輪の常時供給分で賄ってしまわれた。


「大人になったら、の言質は取れたので、今日は良しとしましょう」


 明日は今日より大人だし。




 翌日もレスター様に、添い寝を挑んだ。


「今日は昨日より大人です!」

「せめて成人だろ、十六だ。十六になるまで待て」

「つまり私の十六の誕生日が本番。レスター様も同じ日に十九になりますからね、絶対忘れないですね!」


 私の本当の誕生日は分からないため、便宜上レスター様と同じ日にしてもらっているのだ。

 はっ、とレスター様が、何かに気づいた顔をする。


「これはもしや、俺は言質を取られているのか?」

「口約束が心配なら、契約書か魔術にしましょうか」

「俺が心配しているのはそういうことじゃない……」

「やっぱり誕生日当日いきなり本番は厳しいです? 助走期間も必要ですかねえ」

「知るかよ。何だよ助走って。……説明しなくていいから」

「絶対気持ちいいのは分かってて、相性は心配してないんですよ? でも……」

「いや何の話だよって説明しなくていいから。――なんか妙な方向にしか話が進まないな。とにかく、今後俺達がどうなるとしても、何も心配しなくていい」


 くしゃくしゃと頭を撫でられる。見上げれば優しい目でレスター様が私を見ている。


「心配しなくても、俺はマルメロの人生に責任を持つと決めている」

「人生に責任、までいくと、もはや」


 婚約、のような、とは思ったけれど口に出すことが躊躇われた。

 私が躊躇った言葉を、レスター様も察している。


「――そういう約束は時が来たらきちんと、こちらから仕切らせてくれ」


 顔が緩んで、自然とにこにこしてしまう。


「約束の約束ですね」




 通りがかりに話が聞こえてしまったらしい使用人仲間の一人が、

「約束の約束? あれ? そもそも約束とは? 約束って何だったっけ?」

と呟きながら、遠い目をしていた。



***


 魔力の供給源を欲した俺に、その少女の情報を持ってきたのは兄だった。

 魔力の暴走を起こし、村を一つ消滅させ、記憶喪失となった少女。

 その少女に関する情報は、村に出入りしていた商人達の証言で分かったのだという。家族と共にその村に住んでいたという事実も、年齢も、マルメロという名前でさえ。本人は覚えていなかった。


 面会する前に、調査に立ち会った魔術師から、マルメロの魔力の異質性について説明を受けた。

 魔力を持つ者は通常、平時の魔力を一定値に保っており、それには二つの方法があるとされる。

 一つは、体内の魔力が一定量になったことを感知し、生成を止める方法。もう一つは、魔力の生成は常に一定で、同時に常に一定量を体内で消費し続ける方法。

 どちらの方法を取るかは本人の意思では選べず、生まれつきの体質として決まっている。

 前者の場合、体内で消費される魔力はほとんどなく、最大限界保有量まで魔力を貯めるためには、止まっている生成を再開させる技術の習得が必要となる。

 後者の場合、最大限界保有量まで魔力を貯めるためには、魔力の生成量を一時的に増やす技術と体内の魔力消費を止める技術、それらのいずれか、場合によっては両方の習得が必要となる。

 俺は後者にあてはまり、生成と消費が均衡を保つ魔力量が人より少ない。


 マルメロは、前者にも後者にも分類できないという。

 マルメロの魔力は限界最大保有量の六割に達するまで、最大速度で生成が続く。六割に達した後は次第に速度が落ちていくが、限界最大保有量に達しても生成が止まることは無いという。

 また、体内での魔力消費も皆無のため、作られれば作られただけ体に溜まっていく。


 栓の閉まらない蛇口が水を流し続け、出口のない入れ物は水を貯め続け、ついに耐え切れず壊れた。それがマルメロの身に起きた事故だった。

 過剰生成を抑止する仕組みも、消費によって均衡を保つ仕組みも、いずれも彼女は持たない。生まれつき無かったか、あるいは壊され奪われたか。知る術はなく、知れたところで為す術もない。

 本人が忘れていることを、無理に思い出させても苦しいだけだ。




 牢に案内され、俺は少女と対面を果たした。

 薄い黄色の髪と、同色の目。薄暗いその場所で、肌の白さがよく分かった。気だるげに見つめてくる少女と視線を合わせて、牢の中に手を伸ばす。

 重たそうに持ち上げられたその手と触れた瞬間から、魔力が流れ込み始める。それは心地よく、俺の体内を満たしていく。

 兄や魔術学校の教師や友人に同じように魔力の供給を受けたことはあったが、ここまで違和感なく、何かがぴたりとはまる感覚があったのは初めてだった。


 軽く触れただけで離し難くなる相手。

 一生でたった一人、巡り会えることが奇跡のように幸運な相手。

 この時から、俺にはそれが分かっていた。



*


 マルメロと揃いの魔術具の腕輪は、俺の腕から外れることがあっても常時マルメロの魔力を吸い上げるようにしてもらった。

 放っておくと魔力を生み出し続けるマルメロのために、俺がうっかりした時の保険を掛けた特別仕様である。

 少なくとも俺の方からマルメロを手放すことはないと知っていたから、最後の新調になると思われた今回の腕輪の意匠は、さりげなく結婚相手にも贈ることができるそれにした。

 腕輪の石の青は俺の色、黄色はマルメロの色。

 ずっと共に生きていくという、誓いの証。

 その意味を知る人からは勿論、結婚を申し込んでから贈れという突っ込みも受けた。

 だがその時はまた別のものを贈る計画なのだ。今はまだ、自己満足の決意表明である。


 しかしそれを自己満足にしておけるのはいつまでなのだろう、と、このところ俺は考えている。

 俺が心の奥底に隠し、封じ込めようとしている欲望は、隠し封じ込め切れずに、しょっちゅう漏らしてしまっているのは自覚している。

 その欲望を向けられている本人であるマルメロも、その存在には気づいている。

 気づいているが、その濃さと粘着度合いは知らないから、ときどき俺の理性を突き破ってこようとするのが困る。

 マルメロの剥き出しの好意。無邪気なそれは、俺が決して彼女を傷つけないという信頼を含んだもの。だからまだ、かろうじて踏みとどまれている、と思っている。

 以前はここまで好意が全開ではなく、隠し切れずとも見せまいとする意識を感じた気がするのだが、いつから箍が外れたのだろう。

 最近はマルメロから求められれば『我儘を叶えてやっている』という言い訳ができることに気づいてしまい、俺の方も歯止めがかけにくくなっている。


「あ、そうそう。聞いたよレスター、マルメロと結婚するんだって? おめでとう」


 久しぶりの兄との食事の席で、唐突にそんなことを言われてむせた。


「誰がそんなことを」

「使用人たちの間で話題だよ。マルメロが『レスター様とは将来のお約束があるので』と嬉しそうだと。良かったね」

「俺の外堀……」

「埋められて困るどころか喜んでいるだろう。頭が痛む振りをしても、口角が上がっているのは見えているよ」


 マルメロもレスターも隠すのが下手というか、思い切り顔や態度に出るからね。いつかこうなると思っていたよ。

 上機嫌に微笑まれ、いつの間か俺達の結婚は次期侯爵様の公認となっていた。



*


 マルメロの黄色の髪は、光に透かすと金色にも見える。

 黄色の目は、俺の姿を映す時に一際きらきらと輝く。

 細い体を抱き寄せるとふわりと甘い香りが漂う。

 その声が紡ぎだす言葉に思考に、予測できない行動に、翻弄されることもある。

 その全てが愛しく大切な、俺の宝だ。


 傷つけたくない、守りたい。

 二人きりで過ごす穏やかな時を誰にも邪魔されたくない。

 だから今日も、魔力の糸を張り巡らせる。

 侯爵家の安泰は、そのまま俺とマルメロの幸福に繋がる。どんな些細なものであっても、気になった火種は消し、悪意の芽は摘んでいく。

 幸いなことにマルメロの魔力は、いくら使っても負担にはならないから。

 これからもずっとこうしていくのだ。二人が天寿を全うするその日まで。



***


 あれ、そういえば、あの悪夢の中でレスター様が着ていたのは学校の制服だったな。

 ふとそのことを思い出したのは、卒業式もとっくに終わって、レスター様が侯爵家の魔術師としての正装姿なのを見た時だった。

 これといって特別な何かを成した自覚はなく、しかし確かに一つの分岐点を越えたらしいと知り、拍子抜けしてしまった。

 残る懸念は、本当に危機は去ったのか、だが。

 実のところ、それはこれまでとあまり変わらないと思っている、予兆が有るか無いかの違いだけで。

 人はいつでも死ぬ可能性がある。

 つまりいつだって後悔しない生き方を選んだ方が良いし、私の場合それはいついかなるときもレスター様といちゃいちゃしていたいということに尽きるのだ。



 レスター様も同じ気持ちで、あらゆる脅威を先回りして退けていた、という事実を私が知るのは、もう少し後のことである。

お読みいただきありがとうございました。


【余談】

・作者が自分に課した謎の縛り:「カタカナ語をできるだけ使わない」「口と口のキスはお預け」

・この話で書きたかったもの:「魔力をやりとりする主従」「死亡エンド回避を目指すループもの」「ただただデロンデロンに甘い話」


★豆知識

・マルメロの花言葉:「幸福」「魅惑」

・喉へキスの意味:「欲求」

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