野口洋介編 ~一陣の風になって~
野口洋介編 ~一陣の風になって~
俺の名は野口洋介。来春高3になる。
手芸部長なんて大層な役柄も背負ってる。俺みたいなツッパリが部長で本当に良いのかね? と今でも思うけど、先代部長の中里楓先輩のご指名なんだから断る訳にゃ行かなかったのさ。
新入生勧誘なんかの対外的な部分では副部長の野間絵里奈に表に立ってもらおうと思ってる。俺みたいなのが表に出ちゃあ、手芸部のイメージが台無しだからな。
小難しい事は副部長に任せて、俺は俺のできる事をするだけさ。
俺は小学校のころからやたらと喧嘩を売られるタイプだった。目つきが鋭くて常にガンを飛ばしているように見えるのが一因だったらしい。最近はそういう事も減ってきたから、少しはましな目つきになったんかね、と思ってる。
基本的に売られた喧嘩は買う事にしていたし、俺は喧嘩は強い方だったから、負ける事はほとんどなかった。相手が凶器を持ち出して来たり、あんまり大勢だったりする時以外は。俺は勝負にならない喧嘩はしない主義だったから、明らかに相手が卑怯な時には尻尾まいて逃げることもあった。まあ滅多にそんなことはなかったけどな。
中学に入るとすぐ先輩の不良連中に目をつけられて、呼び出された。
先輩連中は俺に手下になるように言ってきたけれど、そんなのはごめんだね。俺は道理の通らない連中とつるむのは好きじゃないんだ。
不良連中は俺の事を生意気だから教育してやるとか言って喧嘩を売って来たけど、そんなことでひるむ俺じゃない。呼び出された時点で喧嘩になる事はもう予想していたし、覚悟も決めていた。
俺は不良連中を一人残らずのしちまって、その日から裏番扱いさ。
そんなもんになるつもりはさらさらなかったんだけど、番張ってた連中をのしちまったんだ。そりゃそう呼ばれるのも仕方ない。
汚名返上だか名誉挽回だか知らないが、不良連中はそれからも何回か喧嘩を仕掛けてきて、その度に俺は相手をぶちのめしてやったものさ。
そのうち評判は知れ渡って、近隣の中学校の不良連中まで喧嘩を売りに来る始末。これだから裏番なんて呼ばれるのはごめんだったんだ。
俺はいつの間にか俺の中学校のある地区で最強の存在として君臨するはめになっちまった。ただ普通に中学校生活が送れて、趣味の手芸に打ち込めればいいやと思っていた俺にとっちゃ、不本意極まりない称号だった。
趣味の話が出たついでだ。小学校時代、俺のお袋は体が弱くて家で休んでいる事が多かったんだけど、その時にいつも手芸をしていたんだ。
俺はそんなお袋の脇で一緒に手芸をする事が多かった。お袋はそれを喜んでくれたけれど、喧嘩の絶えない俺を心配もしてくれた。
お袋は中学校に上がる前に病気で亡くなった。俺が裏番なんて呼ばれる姿を見せなくて済んで良かったのかもしれない。
だから俺にとっちゃ、手芸はお袋の形見でもあるんだ。中学校で手芸部に入ったのにはそんな理由がある。
中学時代の手芸部ではお袋ゆずりの腕で編み物や刺繍は上手なほうだった。ミシンだけは初体験だったけど、これもすぐにミシンと仲良くなる事が出来た。俺は機械いじりも得意な方らしい。
手芸部男子なんて珍しいもんだったから、『手芸の野口』とか呼ばれて、俺はその筋では結構な有名人になっていたらしい。裏番張ってて手芸がすごく上手な珍しい奴がいる、ってな。
親父は結構厳しい人間だけど、俺は曲がったことが大嫌いだったし、売られた喧嘩を買う事はあってもこっちから筋の通らない喧嘩を仕掛けることはなかったから、何も言わないでいてくれた。
親父自身も現役時代は番張ってたらしいから、その辺も関係しているんだろうけどな。俺に若い頃の自分を見ていたのかもしれないと今になると思う。
中学校時代の成績は悪い方じゃなかった。勉強自体は嫌いだったけど、片親になっちまった俺の家庭には年の離れた妹もいたから、妹に恥ずかしくない程度の点は取らなきゃ格好がつかないと思っていた。
そんな訳で勉強もそれなりに、できる範囲でがんばってはみた。
お袋のいなくなっちまった家庭の中で、俺が料理を作って飯の準備をする事も珍しくなかった。
家事全般が得意な裏番なんて、笑っちまうよな。俺はそんな変な存在だった。
しかし中学校って奴は窮屈で、一事が万事規則、校則で縛られてる。
俺みたいなはずれ者にはそいつが我慢ならなかったけれど、『悪法でも法なり』って言ったのは誰だっけな…思い出せないがまあいいや、そんな訳で嫌々ながらも筋だけは通してた。親父や妹に迷惑かけたくなかったからな。
喧嘩の多い中学校時代だったけれど、先生方も俺から喧嘩を仕掛ける事はないのは知っていたから、いつも大目に見てくれた。俺が裏番なんかに仕立て上げられたお陰で、不良連中がおとなしくなって荒れていた学校の雰囲気が変わってきた、ってのもあったのかもしれない。
そんな訳で高校は自由なところへ行きたかった。そう担任に相談すると、勧めてくれたのが今いる高校だった。私立だからちょっと金はかかって親父には申し訳なかったけれど、生徒の自治が強くて自由な気風に溢れているってのが気に入った。俺は専願推薦で進学を決め、後は高校から出された課題を黙々とこなしていた。
春になって高校に入る。1年1組で俺の後ろの席には随分かわいい感じの女子が座っていた。こいつが今手芸部で副部長をやってくれている野間絵里奈だった。
ところがどっこい、入学式の次の日の全校集会でこの野間は性別違和って奴で、体は男子だけど心は女子だという大変な問題を抱えた奴だという事が解った。学校も手際のよいことに、全校集会の後に性別違和とは何かをていねいに解説するロングホームルームをやってくれたから、門外漢の俺でもある程度理解することができた。
入学3日目の部活見学の日。俺はかねて決めていた手芸部へと足を運んだ。当時の部長だった中島先輩にはお間違いではないですかと確認されたけれど、まあ無理もねえ。俺は気合を入れた髪型をしていたし、それ相応に制服も着崩していたから、とても手芸なんかやるような雰囲気には見えなかったんだろう。
間違いねえ事を伝えて部屋の中へ通されると、聞き覚えのある声がした。野間の奴も手芸部だったんだな。それから5組の石川良子もやってきて、3人でいろいろな説明を聞いたもんだ。
俺が特に興味をひかれたのは演劇部の衣装を作るって話だった。一体どんなものを作ることになるんだろうってワクワクした。先輩方の作品集のアルバムも見せてもらったけど、俺の心に火をつけるには十分すぎるくらい本格的だった。
野間も石川もそれは同じだったみたいで、俺達3人はそろって手芸部に入部した。
そのあと遠足に行ったけど、最初のうち俺の班の連中は野間を除いて俺の事は敬遠気味だった。野間の奴は人付き合いが良くて、他の連中とも交流していたから、野間を通して他の連中とも話し合い、俺がどういう人間か解ってもらう事が出来た。
今でも班の連中とは普通に話すし、必要な時は協力して何かすることもある。俺は高校時代は一人でツッパリ通す気でいたんだけど、野間の奴のお陰でスタートからそんな事はなくなった。
手芸部では新入生歓迎会とお花見と2回のイベントが4月にあった。
どちらでも乾杯の後に一気飲みをしてコップを空にして、みんなには笑われたっけな。でも乾杯っつったら飲み干さなきゃ格好つかねえだろう。
別の意味での新入生歓迎会もあった。先輩方の不良連中からの呼び出しさ。中学ん時と一緒だ。やっぱり俺に一緒につるんで手下になる様に持ち掛けてきたけれど、俺はそんなのはごめんだねと断った。
結果も中学の時と一緒さ。先輩の不良連中に喧嘩を売られて、俺が買う。俺は先輩だろうがこういう曲がったことは大嫌いだったから、遠慮なくやり返してやった。結局俺が噂の『手芸の野口』だとその一回の喧嘩でばれてからは、その手の連中から喧嘩を売られることはなくなったけどな。俺の姿を見るとこそこそと逃げ回るようになっちまって、何とも微妙な気分にさせられたもんだ。
これまでの高校生活で一回だけ、俺の方から喧嘩を仕掛けたことがある。それは1年の5月の事だった。
野間の奴が4組の柄の悪い連中に絡まれて、いたずらされてたんだ。1組は団結力の強いクラスだったから、すぐに様子を見た生徒が廊下から駆け込んできた。
「野間さんが柄の悪い連中に絡まれてる!」
ってな。俺はその瞬間、胸のエンジンに火が点いた。ためらわずに俺は教室を飛び出し、止めに入ろうとしていた遥先輩を脇目に見ながら野間を拘束していたずらをしていた連中をのしてやった。
4組も負けちゃあいねえ。同じ組の連中が俺一人にのされたとあって、頭に血がのぼって全員で出てきやがる。
喧嘩慣れしてねえ連中がいくら束になって掛かって来たところで俺の敵じゃあねえ。俺は一人で残りの連中も片付けるつもりだった。
ところが1組の気のいい馬鹿どもが、『野間を守れ』『野口をやらせるな』と口々に言って喧嘩に混じって来ちまった。俺一人で背負いこもうとしていた覚悟は無駄になっちまったんだ。
喧嘩の後、生徒会から取り調べを受けたけれど、俺は堂々と言ってやった。
「俺は仲間の危機を助けただけっすよ。そいつが悪いってんならどんな罰でも受けますよ。」
ってな。喧嘩ってのはそのくらいの覚悟がなくちゃあやっちゃあいけねえ。でも事は俺と4組の間だけじゃ済まなくて、1組と4組全体に及ぶことになっちまった。
「あいつらは人が良いから、野間と俺を助けようとしにきただけで責任は俺にあります。こいつは俺の喧嘩です。」
と言ってやったら、生徒会長が感心したような呆れたような何とも言えない顔をしていたっけな。
結局俺も1組も4組も軽い処罰で済み、最初に野間にいたずらを仕掛けた6人に責任があるって事になった。ここの生徒会は話も分かるし筋も通すんだなと感心したもんだ。
1年の5月といえば、俺は4月生まれだから早々とバイクの免許を取りに行ったな。中免まで取って、親父に無理言って400ccのバイクを買ってもらった。俺がこういうわがままを言うのは滅多になかったから親父の奴、驚いていたっけな。
それからは平日の放課後は手芸部、休日はバイクを走らせる日が続いた。
もちろんテスト前には勉強なんかもしたけどな。
俺とバイクは一心同体で、もう切り離せるもんじゃねえってくらい気に入った。あのエンジンのサウンド、風を切る感触、全てが俺の五感にしっくり来た。
日頃の整備点検なんかは自分でやってる。俺は機械いじりがどうやら得意みたいだ。あんまり俺は成績の良い方じゃないから、自動車とかバイクの整備の専門学校に行って整備士になろうと考えてる。好きなモンのそばにいられる仕事ってのは良いよな。
ツナギを着て油にまみれている自分を想像すると、何だか似合っている気がしてワクワクするんだぜ。これが俺の仕事だってな。
土日どっちかの休日に行くツーリングは結構遠くまで行くこともある。でも大抵は日帰りだ。俺には親父と妹の夕食を作る仕事があるからな。行ける範囲は精々隣県までだ。
小遣いは大体手芸用品とガス代で消えちまう。親父はガテン系で稼ぎは良いから、俺も妹も不自由はしていない。ただいつまで体が持つのか、そいつが心配なところではある。早いうちから働ける専門学校を考えてるのはそれも理由の一つだ。
ツーリングの帰りに近所のスーパーで夕飯の買い物をするのがいつもの休日の日課だ。最初のうちはスーパーにバイクで乗り付けてメットを外すと周りのおばさんたちに驚かれたもんだけど、最近はもう馴染みの風景になっちまって驚く人もいなくなった。むしろ俺の境遇をどこからか知って、今日は何が安いからどのメニューがおすすめだよ、なんて話し掛けてくるおばさんも居るくらいだ。俺はいつも礼を言って助言を聞いている。
ちなみに学校へはバイクじゃなくてチャリンコで通っている。バイクの免許取得は自由なんだけど、バイク用駐輪場がないから登校では使用禁止なんだ。隣の大学に止めてバイクで通っちまう手もあるんだけど、俺はそれは筋が通らない気がしてやる気はしない。別にチャリンコでも通える距離だしな。
当然平日はチャリンコでスーパーに立ち寄って、夕飯の買い物をして帰る事になる。チャリンコの方がバイクで来るよりゃ目立たないんだけど、気合の入った俺の姿と家庭的な買い物はやっぱり似合わねえみたいで、レジのおばさんに最初のうちは不思議な顔をされたっけな。
俺の話はこんなところだ。筋の通らねえ事は大嫌い、高校時代は硬派なツッパリで通す。バイクが俺の友達だ。
さあ、今週の休みはどこへツーリングに行こうかな。
名前の元ネタにしたキャラとはだいぶん違ったキャラ造形になりました。
野口君、見た目はツッパリでちょっと怖い印象だけど、基本的に良い奴なんです。
手芸にこだわる理由はそこに母の面影を見ているからなのかもしれませんね。彼の中では大事な事のようです。
あんまり部活以外での活躍が見られなかったのは、家事全般をこなしていて忙しいからだったんですね。
ツッパっているのは普段苦労している分の裏返しなのかもしれません。