浮田あかね編 ~孤独だった私~
浮田あかね編 ~孤独だった私~
私は浮田あかね。今は製菓の専門学校に通うべく、高校を卒業して準備を進めているところ。
無愛想な私の話で良ければ、聞いて行ってほしい。
私は幼稚園の頃から友人が少なかった。
曰く、いつも不機嫌そうで怖い。
曰く、無愛想だ。
曰く、近寄りがたい雰囲気がある。
こういうところが概ねの私への評価で、それは幼少のころから変わらなかった。
小学校でも孤立気味だったし、中学校に入ってからもそうだった。
中学校時代には恋心を抱いたこともある…男子にも、女子にもだ。自分自身変なものだと思っていたが、今にして思えば私は両性愛者という事になるのだろう。
もちろん告白なんて恥ずかしいことはできるわけもなく、私の恋は実らないままで終わるのが常だったが。
高校ではせっかく新しい環境になるのだし、少しは今までの評価を覆したい…。私はそう思っていた。
そんな思いを抱きながら、私は学院へと入学した。
しかし現実は思い通りにはいかなかった。1年1組に入り、1つ目の班の5人のうちの1人になったのまでは良かったのだけれど…みんな何となく、私を避けているような雰囲気があった。
もしかしたらこれは被害妄想だったかもしれない。でも、その時には本当にそう思えたのだ。遠足に行った時にもあまり話しかけてもらえなかったし、そのあと掃除の当番の時なども、やることをさっさと済ませてはみんな帰る感じ。
単純にたまたま個人主義的な人が集まる班に入ってしまっただけだったのかもしれないとも、今では思える。少なくとも最低限の協調性は保たれていたし、その調和を乱す行動をするような班員はいなかったのだから。
そんな私の居場所は、まず調理部に確保された。
調理部では週に一回の大きな活動と、それ以外の自由参加の日があるのだけれど、その自由参加の日にみんなで簡単なお菓子を作ってお茶をするのが恒例になっていて、私もその仲間入りをしたからだった。
入部当時の部長は、瀬戸彩香先輩だった。苗字よりも名前で呼ばれることを好むこの彩香部長は変わった人で、私にも分け隔てなく話しかけてくれたし、他の調理部員との橋渡しもしてくれた。
なぜそこまでしてくれたのかと尋ねたことがあったのだけれど、彩香部長は少し考えた後、
「私も、似たような事をしてもらった事があるから。」
と答えてくれた。私が出会った時の様子からは信じられないのだけれど、彩香部長も人付き合いが苦手で、1年生の8月末までは友人と呼べるのは里中科学部長だけだった、とお話をしてくれた。
「だから、何となく放っておけなかったのよ。余計なおせっかいだったらごめんなさいね。」
と彩香部長は微笑んでくれた。私は素直にその好意に謝意を表した。
ところがその調理部で大きな試練が待ち構えていた。お花見の時は授業を全休してお団子づくりに精を出すのだという。その数、1000本。
私は事前にそれを聞いていたら、調理部に入る気をなくしていたかもしれない。そんなに長い時間他人と共同作業をするなんて、コミュ力の低い私には無理だと思っていた。
そんなことで悩んでいた月曜日、花見の話題を話しているグループがあった。
斎藤遥さんと斎武君と塩飽昭君と才原香織さんと椎谷杏子さんに中里楓ちゃんのグループだった。
私は何となく以前からそのグループが気になっていた。異質なものでも受け入れてくれそうな雰囲気がそこにはあったからだ。
そんな訳で私は話しかけに行ったのだが、コミュ力の低さを露呈するような話掛け方をしてしまった。
「参加するだけの部は良いわよね…調理部は大変なのよ…。」
と。そこから話題をどう広げようかと私は内心やや焦ったが、本音を話すしかない。
みんな私を気づかう言葉を掛けてくれて、やっぱりこのグループはいいグループだなと私は判断した。
お花見の時には長時間の共同作業の後、団子売りのメインである町娘の衣装を着せられて、内心とても恥ずかしかった。不愛想な私にこんな服装は似合わないと思ったのだが、お団子の売れ行きは良くて1000本を完売することができた。衣装を着た私の効果があったのかどうかは解らない。
それからも折に触れて斎藤さんグループとの接触は続いたけれど、なかなか仲良くなるというところまでは至らなかった。私としては精一杯努力をしたつもりなのだけれど、世の中そううまくはいかないらしい。
結局私は調理部だけが拠り所の学生生活を続けるしかなく、彩香部長が引退して高橋千絵部長に変わってからもそれは変わらなかった。
転機が訪れたのは1年生のバレンタインデーの時だった。
斎藤さんグループの女子が、私のところにチョコレートの作り方を教えてほしいと頼みに来てくれたのである。私は内心で頼ってもらえるくらい親しみを持っていてもらえたのかと喜んだのだが、
「全くもう…こういう時ばっかり声をかけてくるんだから。たまには別の用件でも持ってきなさいよね。」
などと可愛げのない言葉を返してしまったのだ。このコミュ力の低さはどうにかならないものかと後で自己嫌悪に陥ったものだった。
バレンタインデー当日、思いもよらぬことが待っていた。
楓ちゃんからのお返しは私と一緒に作ったチョコレートではなく別のチョコレートで、メッセージカードまでつけてくれていたのだ。
『お友達になりませんか?』
という内容の。
まさかこれが私の今後を左右する一事になるとは、この時は思いもよらなかった。
カードをもらった数日後、私はたまたま調理部の活動が早く終わったのを良いことに、廊下で奥にある裁縫室で活動中の手芸部の活動が終わるのを待っていた。
私は勇気を出して、活動を終えて出てきた楓ちゃんに声を掛けた。
「今日は早く活動が終わったの。良かったら一緒に帰りましょう?」
そう声を掛けると、楓ちゃんは喜んだ顔をして、
「いいの? ありがとう! これから私達、お友達だね。」
と、私の手を取ってあいさつをしてくれたのだ。
その時はただ一緒に帰るのが何か勿体無く感じられて、珍しく私の方からお茶に誘った。話は弾んだ。楓ちゃんが聞き上手だからというのもあっただろうし、私に興味を持ってくれていたからという面もあっただろう。
それから私と楓ちゃんは、幾度も一緒に帰り、時にはお茶をする事を重ねた。
そうするうちに次第に私は他人とのコミュニケーションの取り方を学び、同時に楓ちゃんの落ち着いた暖かい人格に惹かれてもいった。
だが楓ちゃんは私の事を一人の友達として見ているのではないだろうか? という疑問は解消できなかった。
そんなある日、私は相変わらず斎藤さんグループの様子をうかがっていて、聞き捨てならない言葉を聞いてしまったのだ。
楓ちゃんが、『許される恋じゃなかったから結局告白も何もしないままだった』と言っているのを。
私は真意を確かめるのをしばしの間ためらっていたが、勇気を出して聞いてみた。
帰ってきた答えは、楓ちゃんは同性愛者だという答えだった。
だけれどそれは、即座に私の事を好意を持って見てくれている事とイコールにはならない。私にはまだ時間が必要だった。
楓ちゃんの本当の気持ちを確かめる時間が。
私は2年の文化祭の時、本音を言えば楓ちゃんと一緒に展示をまわりたかった。一緒に想い出を作りたかった。ところが楓ちゃんは展示の都合上、裁縫室から動けないのだという。
私は仕方なく、裁縫室に居座って楓ちゃんとお話する道を選んだ。2日間とも。
手芸部の展示を見に来る人はそんなに多くはなかったから、私達はそう邪魔されることもなくいろいろな話をする事ができた。
その中で、私はふたつの確信を得た。自分が楓ちゃんを好きだという事と、楓ちゃんも私を好きだという事のふたつ。
いずれ時機を見て告白しよう…。そう私は思っていたが、文化祭の片づけが終わって帰る時、楓ちゃんの方から告白された。
私は、本当に私で良いのかと確認せずにはいられなかった。そんな私に楓ちゃんは、
「あかねちゃんじゃなくちゃ、駄目なんだよ。」
と言ってくれた。私の目からは涙が溢れ出た。
そんな私を、楓ちゃんはそっと優しく抱きしめてくれたのだ。
その後も順調に交際は続き、一緒に帰る日は増えていった。
私が斎藤さんグループに混ぜてほしかったんだと話すと、楓ちゃんは早速その直後から始まった定期試験前の勉強会に私を加えるよう話をしてくれた。
私と斎藤さん達との本格的な付き合いは、ここからようやくスタートしたのだ。気になりながら1年半もかかるとは、我ながら情けないとは思うけれど…。
この間に、私は調理部長に就任した。まさか私が選ばれるとは思っていなかったのだけれど、高橋部長から
「浮田さんが一番しっかりしているから。」
と言われて、引き受けることになってしまった。
私と楓ちゃんは、斎藤さんグループの面々に正式にお付き合いしている事を秋休み明けに公表した。みんな驚いてはいたけれど、祝福の言葉を掛けてくれた。
それと同時に、私も昼食メンバーに加えてもらえることになった。
最初はややぎこちなかったものの、私は次第に仲間として打ち解けていった。
楓ちゃんに言わせると、この頃から私の表情は次第に柔和なものに変わってきたように思う、という。そういう事もあるかもしれない。そういう変化を起こさせるだけの何かが、あのグループにはあったように思うのだから。
こうして順調に過ごしていた私と楓ちゃんだったけれど、2回ほど大きな試練の時があった。
1回目は、2年生の時の芋煮会。楓ちゃんに告白してきた男子がいて、話の流れで私と付き合っている事を文化部の面々の前で公表するはめになってしまったのだった。
反応は賛否両論もちろんあったが、その前に塩飽君と畑中先輩というもっと異色なカップルが成立していたという事情もあって、さほどの騒ぎにはならずに済んだ。
2回目は、3年生のゴールデンウィーク。私の成績から楓ちゃんはてっきり私も大学に行くものだと思っていたようなのだけれど、私は製菓の専門学校志望だったのだ。
その件で意見のすれ違いが起こり、直接顔を合わせての話し合いではなくてスマホアプリのチャットでのやり取りだったこともあって、喧嘩になってしまったのだ。
結局休み明けに学校で会って一番にお互いに謝り合って事なきを得たし、今では楓ちゃんも私の進路を応援してくれている。
一番大変だったのは、調理部長としての職務を果たそうとする時だった。調理部員の同級生、赤松さんや山名さん、尼子さんが何かと私と楓ちゃんの仲を聞きたがり、その話題を出してきたからだ。
「いい加減にしなさい!下級生に示しがつかないでしょ!」
と怒ってしまったこともあるけれど、後で思えば彼女たちは彼女たちなりに私達の事を心配して見守ってくれていた部分もあったのだと思う。ただ話のタネにしていたわけではなかったように思うのだ。卒業式の時には改めてお礼を言ったのだけれど、彼女たちは喜んでくれた。
お互い志望校はそんなに学力に対して大変なところじゃないという気安さもあって、私達は受験勉強の傍ら二人で七夕に行ったり、文化祭を一緒に回ったりした。
クリスマスの時には二人でおそろいの指輪を買い、交換し合った。
初詣も制服姿で二人で榴ヶ岡天満宮へと合格祈願に行った。
2人とも2月中には進路は決まり、3月2日の卒業式は清々しい気持ちで臨むことができた。みんなも3月上旬のうちに進路を決める事ができて、私達はみんなでおめでとうをチャットで言い合った。
卒業式後に理事長から呼び出しが来たときにはちょっとびっくりしたけれど、最後に私達からお話を聞いておきたかったみたいだった。先生方が私達の事を暖かく見守ってくれているのは知っていたけれど、まさか理事長までそうだったとはその時まで知らなかった。
理事長は他にも、生徒会の主だった面々などとお話をしていたようだった。
これから先進路は別れるけれど、お互いの気持ちは繋がっていると信じている。
私の方が卒業年次は早いから、就職するのも早い。早く独立して楓ちゃんと一緒に住めるようにがんばりたいと思う。
いつまでも仲良く元気でいてね、楓ちゃん。
あかねさん、無愛想な子に見えて実はただの不器用な子だったんです。
序盤から仲間入りさせようと作者も努力していたのですが、きっかけがつかめないままずるずると時間だけが過ぎて…結局、1年半もかけさせてしまいました。
楓ちゃんとだけはその間も交流があったことは本編でもちょくちょく触れていますが、こういう経緯でした。