瀬戸彩香編 ~お姉さまと私~
瀬戸彩香編 ~お姉さまと私~
私の名前は瀬戸彩香。来春大学3年生になります。
学部は経済学部で、私のパートナーの天本早瀬さんと一緒です。学年は早瀬さんの方が一つ上です。もともと高校の先輩ですからね。
今回はそんな私の話を聞いてもらえればと思います。
え、昔に比べて話し方が丁寧になった気がする、ですか?
そうですね、大学で2年間を過ごすうちに先輩方に感化されて、昔に比べると落ち着いた性格になったかもしれません。それに、性別適合手術を受けて戸籍も変更しましたしね。
私と早瀬さんの出逢いは、もう5年も前に遡ります。私が高校に入学を決めたのち、先に打ち合わせをしたいのと、引き合わせておきたい人がいるという事で高校の理事長先生に呼び出されて、初めてお会いしたのが5年前のちょうど今頃でした。
当時の私は『MtFの先輩』という事に憧れて、早瀬さんの事を『お姉さま』と呼んでいました。早瀬さんは初対面でお姉さまと呼ぶ私にちょっと戸惑ったようでしたけれど、嫌とは言わずに受け入れてくれたのでした。
お姉さまには在学中、幾度となく助けられました。その度に私の憧れは好意へと、憧憬は恋慕へと変わっていったのでした。
そして3年前のお姉さまの卒業式の時。お姉さまに好意を寄せ、最後の瞬間に告白する人は幾人もいました。居並ぶ先輩たちの前でしたけれども、私もこればかりは譲れません。けれども、私よりも付き合いの深い先輩は何人もいました。ですから、私は思いを伝えるだけに終わり、選ばれるとは思ってもみなかったのでした。
「告白なら、私が一番早くしていたんです…。先輩方がお相手でも、こればかりは譲れません! お姉さま、今一度言います。私はお姉さまのことを愛しています!」
私はありったけの勇気を振り絞り、そう言い放ちました。
お姉さまは少しの間迷っていたようでした。けれども気が付くと目をつぶってうつむく私の手に触れるものがあり、それは…お姉さまの手でした。
そう、お姉さまは私を選んでくださったのです。居並ぶ先輩達ではなく、いつもご迷惑をかけてばかりだった、この私を。
実は、告白だけならばそれより1年ちょっと前のバレンタインデーの時にすでにしていました。けれどもお姉さまは自分の気持ちがまだ解らないから、待ってほしいとおっしゃいました。
私はずっと待ちながら、受験に臨むお姉さまを少しでも元気づけようと、差し入れのお菓子を作って持って行ったりしていました。お邪魔にならないよう、手短にお渡しして帰る事の方が多かったのですが…。
そうして時を過ごすうちに、お姉さまが悩みぬいた末に出してくださった答えが、私だったのでしょう。私にとっては驚きの結末でしたけれど、望外の喜びでもありました。私はお姉さまに抱き着き、喜びと感謝を伝えます。お姉さまは、
「答えを出すまでに、一年以上も待たせてしまってごめんなさい…。でも、今の私には彩香さんが一番好きだと、そう自信を持って言えるわ…。」
そう、私に優しく言ってくださったのでした。
それからです、私とお姉さまのお付き合いが始まったのは。
翌春になると、今度は私が受験生です。最上級生として、所属していた調理部やGDを抱えた生徒たちの世話も見なければなりません。自分の実力よりもやや上の大学を狙う私にとって、これは中々な負担になりました。ですけれど先輩方やお姉さまから受けたご恩を思えば、疎かにしていい事ではありません。
私が高校3年生の時のGDの生徒といえば、1年生に斎藤遥さんと塩飽昭さん、2年生に奥山羽衣さんと畑中聡さんの4人の後輩がいました。
この中で一番心配だったのは塩飽さんでした。塩飽さんは自分の立ち位置に悩んでいて、4月末からの連休の始めに早瀬さんや加藤忍先輩も呼んで、みんなで相談にのったことを思い出します。
出た結論は『Xジェンダー』という、これまで未経験の性自認でした。塩飽さんは自分の事は自分で説明できる人だから詳細は省きますが、一つの答えを見つけて次第に変わってゆく彼を見守るのが、一番の気掛かりでした。
奥山さんや畑中さんはもう一人前になっていましたし、遥さんには支えてくれる人がいたから、あまり心配はしていませんでした。
それでも秋になり、またトラブルが頻発する時期を迎えたころ、遥さんが同学年の不良グループに目をつけられるという事件が起こりました。塩飽さんもそれに巻き込まれてしまい、その過程でGDなのではないか?という疑惑をかけられるようになりました。
そのうえ、遥さんが退学処分を受けた不良集団の頭の男から襲撃されるという事件まで起こってしまいます。あの時の事は今思い出しても冷や汗が出ます。よくみんなの連係プレーで何事もなく相手を取り押さええる事が出来たなと…。
塩飽さんの件も気掛かりでしたが、塩飽さんは自分自身の口で全校生徒に説明するという決断をし、実行しました。ものすごい勇気だと思います。まだ1年生の立場なのに、理解してもらえるか解らない話を、自分の口で説明したのですから。
どういうことなのかと私に尋ねてくる同級生もいましたけれど、私は私のできる限りの説明をして塩飽さんを側面から支援したのでした。
調理部の方では、気掛かりだったのは新入生の浮田あかねさんでした。浮田さんは人付き合いが苦手で、自分の思っている事をうまく表現できないで孤立している様子が見て取れる1年生でした。私は浮田さんに手を差し伸べ、周囲の部員たちとの関係を作り上げる事に協力しました。
何故そうしたのかというと、私も以前には人付き合いが下手で、同級生の里中紀久子さん1人しか友達がいなかった時期があったからです。その時手を差し伸べてくれたのが当時の調理部長だった田中理恵子先輩で、私に友達を作るきっかけを与えてくれたのでした。私はその恩を今度は後輩に返したかったのです。
私は浮田さんの中に、自分の過去を見ていたのかもしれません。他人との関係づくりに悩み、どうしても孤立してしまう後輩を、そのままにはしておけませんでした。
半年後には私は調理部長を引退することになりましたが、その頃には浮田さんは調理部内ではすっかり打ち解け、同級生とも先輩ともいい関係を作れているようでした。
後を頼む高橋千絵さんも性格の良い後輩でしたから、私は安心して調理部を引退することができました。
そのあとは卒業式まで大きな出来事はなく、試験も順調に受ける事が出来ました。
卒業式の日、調理部を訪れた私は後輩たちから心づくしの花束を受け取り、最後の歓談をしてみんなと別れを告げました。
それからあとは、いつもの昼食仲間達…里中さんに安田翔子さんに相沢朋美さん、それに田中部長が引き合わせてくれた岡田聡さん、小田香織さん、中田咲さん、上田晃子さんと歓談していました。
そこに奥山さんや畑中さん、遥さんや塩飽さんも来てくれて、お世話になりましたとお礼を言ってくれたのでした。
里中さんはこの時、既に付き合いを始めていた大山伊織さんとも一緒で、仲睦まじい所を見せてくれたのでした。
私達は思い思いの写真を遥さん達に撮ってもらい、卒業式の想い出としたのでした。この時の写真は今でも大切に保存してあります。
高校卒業後、私は合格できた地元の国立大の経済学部へと進学します。1年生はまずは一般教養と、入門科目から。
私はサークルには入らず、色々な資格を取るための勉強時間を取ることにしました。どうしてもハンデのある私達ですから、ハンデを埋めるには別の面でのアドバンテージが無くてはいけない…そういう考えからです。
年数をかけて簿記にファイナンシャルプランナー、秘書検定などいろいろなものに手を出しては片っ端から取ってゆきました。
そんな私達の学生生活ですが、休み時間や空き時間は図書館の休憩スペースで過ごす事がほとんどでした。
時間が合えば早瀬さんに、早瀬さんの同級生で文学部の如月京香先輩、それから各々が大学で知り合った友人達も一緒にお話をする事が多くありました。
そういう場でまで『お姉さま』と呼ぶのはちょっと目立ちすぎるかなと思って、大学入学と同時に私はお姉さまの事を『早瀬さん』と呼ぶようになりました。如月先輩の事は如月先輩とお呼びしていたので、ちょっと釣り合いは取れていないのですけれど…。
時間の合う時には同じ大学の保健学科に進学した里中さんと会ってお話をしたり、一緒にご飯を食べたりすることもありました。早瀬さんも里中さんとは高校の時の部活動の先輩後輩ですから、時には一緒することもありました。
里中さんは恋人の大山さんが隣県の大学なので、私達が羨ましいと言っていましたっけ。大山さんは隣県で下宿生活をしているそうですから、たまに仙台に帰って来る時くらいしか会えないのではないでしょうか…。まあ、大学のお休みは結構長いので、帰省中などはゆっくり会う時間も取れるのでしょうけれど…。
実は、彼女も早瀬さんの事が好きだったんじゃないかと私は思っています。里中さん自身は『先輩部長として憧れがあっただけ』と言っていましたけれど…彼女、嘘をつくときは人の目を見ないんです。その時のその言葉は私の目を見ていませんでした。
それでもそんな事はおくびにも出さず今でも友達付き合いを続けてくれているのだから、ありがたいなと思います。私にとっては付き合いのある中で一番古い友人ですから、大切にしたい人の一人なのです。
早瀬さんにとっても、科学部で1年半苦楽を共にしたかわいい後輩で、何かと気になる友人というところみたいです。
一般教養が中心の1年生のうちは割と会える時間も多く、空き時間などによく一緒に過ごしたものでした。
高校の文化祭へも顔を出しに行きました。この時、GD仲間でチャットグループが作られて、学年を越えた交流がはかられるようになっていったのでした。
私は心配していた浮田さんが調理部の中で大きな存在になっている事に安心していました。この時、初めて野間絵里奈さんと出逢ったのでしたっけ。
奥山さんも畑中さんも遥さんも一回り大きく成長して頼もしくなった様子を見れて、私達はなんだか安心したのでした。
大学2年生になると、だんだん理系の生徒と文系の生徒では授業が分かれてきて、あまり接触がなくなってきます。里中さんと会うのも放課後や土日が中心になってゆきました。それでも今でも付き合いは続いていて、仲の良いお友達です。
そんなわけで、図書館に集まる仲間も自然と文系4学部の生徒が中心になってきます。中心になったのは早瀬さんと如月先輩で、私は早瀬さんの後輩という立場でその輪の中に加えてもらっている形になりました。そこにさらに後輩として、法学部に進学した奥山さんが加わりました。
私自身はサークルにも入っていないので、大学で親しい友人というのはあまりいないのです。早瀬さんと如月先輩が卒業してしまったらいっしょにいられるのは奥山さんだけになってしまうかな? と思う事もあります。
でもその頃にはゼミが始まっていて、同じゼミで仲の良い人ができるかもしれないとも思っています。私は経営系のゼミに行くことが決まっているので、結構な人数、ゼミ生はいるはずですしね。
ゼミと言えば最近、如月先輩は同じゼミで仲の良い人が出来たそうで、その方のお話をよく聞かされます。どうもお話を聞く限りでは相思相愛なのではないのかな…? と思うのですけれど、どうなのでしょうね。これは今後の進展を待ちたいと思います。
大学2年生の時といえば、大きな出来事がありました。
性別適合手術と戸籍変更です。私は6月が誕生月なので、6月に満20歳を迎えました。
7月に大学の試験が終わるとすぐ準備をして、8月に海外で膣なし性別適合手術を受けてきました。膣なしでもかなり痛いですし。まったく膣がないというのも見た目におかしいので多少の凹みはあり、それを保つための形成外科的処置も必要になってきます。
私の手術した病院ではそうだったというだけで、これは手術する病院によって差が出てくると思います。まったくくぼみを作らない方法もあると聞いたことがありますから…。
私の回復が遅かったのか、思ったよりも治療が長引いてしまい、家庭裁判所に戸籍変更の申し立てをしに行けたのは9月に入ってからでした。
戸籍変更の申し立てをして呼び出しを終えて審判結果を待っている間に、この年も高校の文化祭に顔を出しに行きました。
調理部では浮田さんが立派に部長を務めていて、そこまで人付き合いができるようになったのだなと一安心したものでした。ついでに浮田さんと手芸部長の中里楓さんが付き合い始めたと聞かされた時には、ちょっとばかり驚きましたけれど。そんなところまで私に似ているとは思ってもいなかったですから。
春先に一回GD仲間で集まってはいたのですが、この時も手術の療養で動けない加藤先輩を除いたメンバーが集まりました。
何だか遥さんは恋の悩み事を抱えている様子で、まだ自分の気持ちと向き合えないで苦労している様子でした。私は大したアドバイスはできなかったですけれど、早瀬さんと奥山さんが優しい言葉を掛けていたのが記憶に残っています。
それから間もなくして性別変更の許可は下り、私は区役所で所定の手続きを経て戸籍を変更しました。名前の方は高校時代にすでに変えていたので、これで一通りの手続きが全部終わったことになります。
ここまでたどり着くのは大変でしたけれど、ここがゴールではないのですよね。これから先をどうやって生きて行くかを真剣に考えないといけない。そう気持ちを切り替えることにしました。
2年生も後期に入ると専門科目も増えてきて、だんだん授業の内容も難しいものになってゆきます。私は置いていかれないように勉強するのに苦労しました。
来年はいよいよ3年生で、一般教養は終わり専門科目のみの授業編成になります。
大学生活で悔いを残すことのないよう、がんばってゆきたいと思います。
大学に入ってもがんばっている様子の彩香さん。性格も強気一辺倒から落ち着きのあるものへと変化しつつあるようです。
成長した面もありますけれど、パートナーができたというのも大きいのかもしれませんね。
第一期の登場当時と比べると、相当変わったキャラクターの一人だと思います。