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松本浩紀編 ~隠しきれなかった過去~

松本浩紀編 ~隠しきれなかった過去~


 俺の名前は松本まつもと浩紀ひろき。今度の春、高校2年生に上がる予定の、性別違和を抱えた生徒です。

 俺の場合はFtM…女性の体に男性の心の持ち主です。今のところ明らかになっている限りでは、在校生でFtMは俺一人です。

 卒業生の先輩には2人ほどFtMの方がいらっしゃって、必要な時には手助けをしてくださっています。

 今度は俺自身の話を聞いてもらえればと思います。


 俺は幼稚園の頃から、外遊びが大好きで、教室内でのお絵かきとか工作とか、そういうちまちましたことは苦手で嫌いでした。両親はそんな俺を見て、ちょっと女の子にしては活発すぎるなあと感じていたそうです。


 小学校に上がってからも、男子に混じって外遊びすることが大半でした。小学校低学年の頃は自然に混ぜてもらえたのですが、中学年になると『お前は女子なんだから女子と遊べよ。』という声が出てきました。

 今まで男子と一緒に泥んこになるまで遊んでいた俺にしてみれば、その言葉は衝撃的でした。そうか、俺はこの人たちとは違う存在なのか。そんな事を思い知らされた一言でした。言った方にしてみれば、そんなに深い意味を持って言った言葉ではなかったのでしょうが。


 それから、俺の悩みが始まります。今更女子らしくふるまえと言われてもできないし、そもそも自分が女の子だと思ったことがなかったからです。自分は男子の側の人間なんだと、漠然と思っていました。

 小学校高学年に入ると、俺の悩みは強くなります。第二次性徴が始まり、否応なしに体は変化してゆきます。俺はその変化がたまらなく嫌で、親に思いの丈をぶちまけました。

 両親は話を聞いてくれ、俺をジェンダークリニックへと連れて行ってくれました。この頃には性同一性障害というのもかなり一般に浸透してきていましたし、専門の病院があることも医療に関心のある人なら知っている程度の事にはなっていましたから。

 俺たち家族の住んでいたのは千葉県でも西南の東京にほど近い所で、親父は東京の会社に通っているくらいでしたから、専門の医師せんせいを探すのもそんなに苦労はしなくて済みました。

 これが同じ千葉県でも、房総半島の東側に住んでいたとかだったら大変だっただろうと思います。今にして思えば、俺は恵まれた方でした。親には受け入れられ、医療も受けられる環境にいたのですから。


 俺はジェンダークリニックで診断が下りるのを待つ一方で、体の変化への抵抗感を訴え続けました。

 12歳を迎えて半年くらい経った頃、初潮を迎えたときにそれはピークに達しました。

そんな俺に、医師せんせいは第二次性徴抑制療法を提案してくれました。

 GnRHアゴニストと呼ばれるお薬を打つことによって、一定期間、下垂体から性腺に刺激するホルモンを抑制させ、第二次性徴の発現を抑制する治療方法です。

 俺はこの治療を受けることで第二次性徴の進行を止め、身長もある程度まで伸ばす事が出来ました。


 ただしこの治療は2年程度しか続けることができないそうで、その後は第二次性徴を再開させるか、望む性別の性ホルモンを投与するかのどちらかを選ばないといけない、という事でした。

 俺は中学校3年生に満15歳を迎えると、迷うことなく男性ホルモンの投与を選びます。両親も賛成してくれました。


 これに先立って、俺はそれまで嫌々ながらも女子制服を着て中学校に通っていたのを、都内で男子として受け入れてくれるという中学校があったという事で、親父の計らいで転校し、中学3年生から男子として通学を始めました。

 ただどうしても更衣室の問題やプールの問題などいろいろな問題が出てきて、最初は俺がFtMだと公表していたのは同じクラスの生徒だけだったものが、何かと噂になる様になってしまいました。

 俺のクラスの生徒には迷惑をかけたと思います。俺の事でいろいろ聞かれただろうけれど、先生から口止めされていて本当の事は何一つ話しちゃいけないというのですから。

 誰も知らない知られちゃいけない、俺自身が何なのか…。そんな状態が続いて、俺は精神的にも次第に追い詰められてゆきました。同じ部活の連中にさえ本当の事は言えないのに、更衣室だけ特別扱いなんて日々が続いたのですから、心労も溜まろうというものです。


 結局俺の事は学年を越えて奇妙な生徒がいると噂になり、10月には俺は全校集会の場で自分が性別違和であることを説明するはめになりました。

 いろいろ特別な配慮をもらっていた以上、仕方のない事だったでしょう。俺は転校までさせてくれた親父に心配をかけたくなかったので、母親にだけこのことを話して了解をもらいました。母も父に知らせる事は事態を悪化させるだけだと考えていたようで、親父には黙っていてほしいというと何も言わずにうなずいてくれました。

 ようやくそれからです、俺が本当に精神的ストレスから解放されたのは。周囲の中で自分一人が異物であるのにそれを隠したままで居続けるというのは、難しいし気も使うし、ストレスもたまるものなのですね。俺は本当の事をみんなに知ってもらう事で、そうした煩わしさから解放されることになりました。


 そうして受験のシーズンを迎えるころ、親父の転勤の話が出てきました。しばらく仙台に転勤になるというのです。

 父だけ単身赴任するという事も考えられましたが、父は家族が離れ離れになるのは良くないと言います。結局俺は仙台の高校を受験することになりました。

 その中で一か所だけ、おおやけにGDの生徒を受け入れているという学校がありました。偏差値的にも悪くないその学校は条件的にぴったりだと思って、俺はそこを受験することにしました。両親も後押ししてくれました。

 受験と引っ越し難民回避のため、俺と母は一足先に仙台に引っ越し、親父は一時的にホテル暮らしをするという形を取りました。

 3月半ばにはそれも終わり、家族全員が仙台にそろいます。その頃でした、今いる学校の理事長から呼び出しがあったのは。


 俺達は家族全員で学校の理事長室を訪れました。到着した時に立ち上がって一礼してくれたのは理事長だけではなく、3人の生徒も一緒でした。

 斎藤さいとうはるか先輩、塩飽しあくあきら先輩、野間のま絵里奈えりな先輩の3人の性別違和を抱えた先輩を紹介され、俺はこの学校の受け入れ実績が評判通りだったことに安心しました。

 ただ、その場で学院の方針を説明された時、予想通り親父は難色を示しました。普通の男子同様に扱って情報開示は最小限にとどめてほしいというのです。おそらく親父がこういうふうに言うだろうことは解っていました。でも俺には、中学校の時の経験からそれが不可能だという事を、身をもって知っていました。

 結局俺の意向を確認したうえで、親父も高校の方針に同意します。やはり特別扱いが必要な以上事前の告知は必要だろうし、範囲を限定するというのは難しいものだと思います。


 特別扱いが不要だったらどうだろうか…。そうも考えました。しかし特別扱いが不要という事は、体も男性体に近付けてあるという事が大前提になります。つまるところ、性別適合手術を受けてからでなくては無理だという事になるのですね。

 ところが基本的に性別適合手術は18歳以上が対象で、中学生のうちに受けるというのは無理な話です。高校生も3年生になって満18歳を迎えなくては受けられません。親権者の同意ありという条件付きで。費用も治療の時間もかかります。

 つまるところ、高校に入る段階で配慮を必要としない状態になるのは、今現在の状況では無理という話になるのですね。

 もっともお一人だけ、どういう抜け穴を使ったのか解らないけれどそれをやった先輩がいたそうですが…それでも学期途中に外部からの影響と思われるうわさが広まり、公開を余儀なくされたと聞いています。

 やはり隠し通すというのは中々、難しいものなのですね。どこまで行っても過去のくびきから逃れることはできないのではないかと俺は考えています。

 よほど環境を変えるか、数年間身を隠すか…。それでも身元ばれのリスクをゼロにする事は難しいと思います。


 幸いにして俺は、新しい土地でゼロからのスタートで高校生活を始める事が出来ました。しかも学校のバックアップ付きで。これ以上の環境を望むのは今の日本では無理なんじゃないかと思います。

 俺の事は遥先輩や塩飽先輩、絵里奈先輩と一緒に、入学早々の全校集会で紹介されました。2年生や3年生は『また今年も入ってきたか』という程度の反応だったように思いますが、1年生は割とざわついていたのを思い出します。

 俺の代で受け入れ開始から6年目という事でしたが、だからといって理解のある生徒ばかりが集まるという訳ではないのですね。

 俺は宮城県の受験事情に疎いので入学するまで知りませんでしたが、レベルの高い公立高校を受験する生徒の滑り止め校の一つというのが今いる学校の位置づけだったそうです。そんな訳で、1年生の中には屈折した思いを抱えたままの生徒も結構いたのだろうと思います。前向きに入ってきた生徒ばかりじゃないのですね。


 俺は部活動は陸上部に入りました。体を鍛える事が男らしさを磨く上での一つの方法だと思ったからです。現に、卒業生ながらスマホアプリのチャットグループを通して面倒を見てくださっている畑中はたなかさとし先輩や加藤かとうしのぶ先輩も、同様の助言をしてくださいました。特にお二人からは肩の厚みを増すことを勧められました。確かに、肩ががっしりしていないとどうしても華奢きゃしゃに見えてしまうんですよね。俺は陸上部のトレーニングの他にも自主トレをして、華奢さを消そうと努力しています。


 基本的にはこの学校での生活には不満のない俺ですが、一回だけトラブルになったことがありました。それは1年生の5月の事でした。

 同じ陸上部に所属する岡本おかもとの奴が、俺の方がタイムを出せるのをねたんで、いたずらを仕掛けてきたのです。明らかな侮辱でした。俺の股間をまさぐった上に、『何だ、やっぱりねえじゃねえか。』と聞こえよがしに言ってきたのです。

 俺は瞬間湯沸かし器のように頭が沸騰して、岡本につかみかかりました。

「貴様、俺を侮辱したな!」

 と怒鳴りながら、俺がまず一発岡本の頬に本気の殴りを入れます。

「俺は本当のことを言っただけだぜ!」

 と言いながら、岡本も俺の腹に重い一撃を入れてきます。

 そんなやり取りをしながら数発殴り合っているうちに遥先輩が駆け付け、間に入って止めにかかってくださいました。

「あなたたち、止めなさい! 喧嘩はご法度なのは知っているでしょう⁉」

 遥先輩にそう言われても、俺の気持ちは収まりません。間に遥先輩がいなければそのまま本格的な喧嘩になっていたでしょう。

 結局俺と岡本は生徒会役員に取り押さえられ、放課後に審問を受けることになったのでした。情状をくんで岡本の方に重い処分が下され、俺は多少留飲を下げたのでした。


 陸上部ではみんなと一緒に練習には参加できるものの、公式戦への選手登録はできません。男性ホルモン…テストステロンはスポーツの世界では禁止薬物の一つに入っていますし、俺はそれを2週間に1回投与してもらっているからです。

 だからといって男子の枠で出場できるほど、まだまだ環境は整っていません。そんな訳でみんなが大会を目指す中、俺は黙々と自分との戦いに身を投じていたのでした。どこまで自己ベストを伸ばせるか。どこまで体を鍛えられるか。そんな戦いです。

 孤独な戦いではありますが、普段の練習では分け隔てなく接してくれる人もいて、それほど悲壮感を感じたことはありません。ただやっぱり、みんなと一緒に大会を目指せないのは残念ではありますね。


 学校生活では、同じ班の松山まつやま弘美ひろみさんや松川まつかわ好美よしみさんを始め、クラスの中に何人か仲の良い人々が出来ました。異郷の地から越してきた俺にしてみれば、入学早々仲良くしてくれる人ができたのは嬉しい事でした。

 同じ班の人々を中心に、一緒にお昼を食べたり雑談したり、時には遊びに行ったりすることもあります。俺は仙台は不案内なので、いつもみんなにお任せになってしまいますが…。

 部活の中でも友人はいますし、まずまず学校生活はうまく行っている方だと思います。成績も良いラインをキープできていますしね。


 ところで、一つ気になっているのですが…。

 今度高3になる絵里奈先輩は、どこの大学を受けるのでしょうね?

 え、好きなのかって? はい、そうだと思います。

 いつか想いを伝えられたらいいなと思っていますけれど、先輩の迷惑になってはいけないですし…今は待とうと思っています。


過去を捨てて生きるというのは非常に難しいのです。いつかどこかでふとした瞬間に過去と邂逅してしまって身元がばれる…なんてこともこの世界ではまま、あります。

同様に身元を隠して生活するというのも苦しいし大変なものです。いっそ言えたら楽なのに、と思ってしまう瞬間はいずれやってきます。

私自身もその両方から何とか逃れようともがいていた時期が長かったです。今は身を隠して生活していますので、逃れられていますが…いずれ社会復帰しようと思ったらまたこの葛藤と戦わないといけなくなりますね。

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― 新着の感想 ―
[一言] なんで恵さんが知っているのか…。 何も言えない、話しちゃいけないのに…。 あなた、あの頃生まれてないでしょー
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