表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/22

石川良子編 ~手芸が縁で~

石川良子編 ~手芸が縁で~


 私の名前は石川いしかわ良子よしこ。来月から高3になる。

 普段そっけないと言われる私だけれど、お話を聞いていってもらえれば嬉しい。


 幼い頃の私は、あまり協調性のない人間だった。

 集団行動はどちらかというと苦手だったし、友達も大人数作るよりは少数の親しい間柄の人といる方を選んだ。

 小学校に入ってからは何かと集団行動する機会が増えて、次第に協調性も出てきたのだけれど、それでもやっぱりあまり大勢で何かするというのは得意ではなかった。

 体育でチームプレーがどうのと言われると、ああ私には無理だなと思ったりしたものだった。

 小学校高学年に入ってクラブ活動が始まると、そんな訳で私は一人で黙々とできるクラブ活動を探した。その結果、候補に挙がってきたのが手芸クラブだった。

 小学校のクラブだからそんなに本格的な事はやらなかったけれど、何か手芸って面白そうだ! と思わせる程度の事はやってくれた。私の手芸への興味はここからスタートした。


 本格的な手芸を始めたのは、中学校に入って手芸部に入ってから。まず針の使い方を教わって、色々な縫い方を教えてもらったのだったっけ。

 そのあとミシンのかけ方や編み物のやり方なんかを一通り教わって、文化祭に出す作品は教わった中から好きな物を選んで出してよいという事だった。

 私はフェルト人形を作って出したのが最初だった。それが可愛いと同級生の友人に褒められて、ますます手芸にのめりこんでいったのだ。

 中学校2年生の時には刺繍ししゅうを入れたハンカチを出展した。これも細かくできていてすごい! と友人達に言ってもらえた。

 3年生の時にはセーターを編んで展示した。結構作るのは大変だったけれど、やりがいのある作品だった。


 私の家では祖母が和裁をすることもあり、祖母から和裁の基礎を習ったりもした。

 本式になると洋裁とは異なる縫い方も数多くあり、私はまずそれを覚えるのに苦労した。それぞれ異なる場所に用いる縫い方だという。

 縫い方の種類が多いためか、今でも本式の着物は総手縫いで作られている。安いものの場合はミシンで作られていることもあるそうだけれども…。

 祖母は私が裁縫に興味を持ったことがよほど嬉しかったらしく、喜んでいろいろなことを教えてくれた。


 中学三年に入り、受験の時期になる。私の成績はそれほど悪い方ではなかったが良い方でもなく、公立高校をどこにするか大分悩んだ。

 結局は模試でB判定の出ていた高校にしたのだが、残念ながら公立高校入試には失敗した。

 宮城県では私立高校の入試は2回に分けられているが、私は別の日程で受けた今いる学校とは別の私立高校入試にも合格していた。

 けれども今いる学校の方がレベルが高いという事で、補欠合格という苦しい立場ながら入学を決めたのだった。その時点で、入学後に勉強に苦労するだろうなという事は予想が着いていたのだけれど、これには今になっても随分苦しめられることになっている。


 高校に入った後、3日目には部活動見学があった。私は手芸部に入ると決めていたものの、一応他の文化部も回ってはみた。

 結局入学4日目の部活動仮登録の日に私は手芸部に仮入部し、1週間後に正式に入部することになった。


 その間に新入生歓迎会が行われた。私の同級生は2人手芸部にいて、2人とも1年1組だった。

 1人には見覚えがあった。入学直後の全校集会で性別違和の生徒として紹介されていた野間のま絵里奈えりなちゃんだった。

 もう1人の生徒は手芸部で初めて顔を合わせたが、この学校では珍しい気合の入った髪型に着崩した制服といういでたちで、とても手芸をする人間には見えない野口のぐち洋介ようすけ君だった。

 2年生の先輩は中里なかざとかえで副部長に、斎藤さいとうはるか先輩、3年生は中島なかじま涼子りょうこ部長がいて、当時の手芸部は総勢で6名という陣容だった。


 私達新入生の3人は、全員が中学校時代も手芸部の経験者だった。そのため運針の練習もミシン掛けの練習も例年よりはるかに早く終える事が出来た、という事だった。

 例年を知らない私達にはそれがどれくらい違ったのかその時には解らなかったけれど、翌年後輩を持つことになってその差を思い知らされることになったのだった。


 例年より早く…とこれまた言われたのだけれど、5月半ばから文化祭に向けた展示品作りが始まった。私は祖母に和裁を教えてもらったお礼に、帯を一本機織りして作ろうと考えた。図案はパターン化すれば結構いろいろなものが作れると聞いているから、面白いものが作れるだろうと思った。

 中島部長に具体的に相談をすると、可能だという事でいろいろと教えていただいた。

 さすがに機織りの経験者は中島部長しかいなくて、私は部長から直接教えを乞う事になったのだ。


 少し学校生活の方も触れておきたいと思う。

 私は1年5組だったから、残念ながら手芸部の同級生2人とは別のクラスだった。

 それでもクラスに友達は何人かできた。中心になったのは同じ班の人たちで、その人たちの友人とまた顔見知りになる…という感じだった。

 私はまだちょっと協調性に欠けるところが残っていて班のみんなに迷惑をかけることもあったけれど、みんな私が不器用なのは気付いていて大目に見てくれていた。これは今でも感謝している。


 入学直後の実力テストでは、結果は散々だった。教科によっては40点を割る教科も出てきていて、これは日ごろから勉強しておかないと授業について行けないぞ…と思わせるには十分な値だった。

 そんな訳で私は、17時に手芸部が終わると帰宅して、1時間は復習の時間を設けるようにしていた。

 それでも定期テストでは50点台を取るのが精一杯だったが、元が補欠合格なのだ。いきなりそんなに上を狙えるわけはないのである。


 夏休みに入る前には、手芸部の人々とはすっかり打ち解けていた。

 最初はちょっと怖そうだなと思った野口君も、絵里奈ちゃんと一緒に3人で話をしているうちに、意外にしっかりした落ち着いた性格の持ち主だという事が解ってきた。

 ギャップ萌えというのはこういうことを言うのだろうか。私はそんな彼に興味を持ち始めた。

 絵里奈ちゃんはそんな様子に気が付いていたようで、それとなく2人で話す機会を作ってくれたりと応援してくれていた。


 夏休み、演劇部からの衣装の注文が入る。

 今回は架空の高校の男子制服3着、女子制服2着という事だった。

 先輩たちがデザイン画を何度も描き直して打ち合わせをしている傍らで、私達は型紙用のハトロン紙の用意などこまごましたことをやっていた。

 デザインが決まり、演劇部の役者さんの採寸を行う。これを間違えると大変なことになるので、採寸は丁寧に行った。

 型紙はネットで出ていた似たようなデザインの物をダウンロードして、それを手直しして使う事になった。これが結構厄介で、手間暇を取らされたのだが…。

 型紙が出来れば次は布の買い出しである。手芸部員と演劇部員総出で買い物に行くことになった。何しろ5着の上下の着分である。一体何メートルになるやら…と私は心配だった。

 幸い上着用もズボン用も接着芯や糸なども良いものが見つかり、買い物は1日で終わった。大変な量の買い物になってしまい、大人数で来ておいて良かったと思ったものだった。

 この時演劇部のまき義男よしお君が中里副部長の事をよく見ていたのに私は気付いていたが、特に気には留めなかった。中里先輩は笑顔の素敵な人当たりの良い大人びた性格の方だから、憧れでも持っているんだろうな、くらいには想像していたけれど。

 これが後日の騒動の引き金になるとは、さすがに私には予想できなかった。


 この間には1日だけお休みをもらって、この年仙台に来たばかりの絵里奈ちゃんをみんなで仙台七夕に連れて行こうというお話が出た。中島部長も誘ったのだが、悪いジンクスがあるからやめておくわと笑っていたのを思い出す。

 結局、遥先輩と楓先輩と野口君と絵里奈ちゃんと私の5人で行ってきたのだった。

 この時『擦れ』対策にみんなで足袋を履こうという話になり、絵里奈ちゃんに自宅に買いおいてあった足袋を一つプレゼントしたのを思い出す。絵里奈ちゃんは早速お手洗いで足袋を履いてきて、これなら痛くないと喜んでお礼を言ってくれたのを覚えている。

 この時野口君は自作の浴衣を着てきたのだったっけ。ミシンの直線縫いだけで作っていたけれど、きちんときせをかけてあって丁寧だなと思ったことを思い出す。

 ちなみに「きせをかける」とは和裁独特の表現で、縫い目が表側から見えないように縫い目より2ミリほど外側を折ることを言う。和服で縫い目が目立たないのはこのためだ。


 演劇部の衣装作りが終わると、自分たちの作品作りが再開される…。

 …のだが、私には問題があった。夏休みに出された課題がなかなか終わらないのである。その窮状は野口君も同様だったようで、中島部長は午前は部活動、午後はみんなで課題をする時間を作るという提案をしてくれた。

 私は一瞬絵里奈ちゃんの課題を丸写しするというズルを考えたのだが、

「ただし、自分で解いてみて解らないところだけ聞くこと。絵里奈ちゃんの課題を丸写しは駄目ですからね。」

 と中島部長には見透かされてしまっていた。あの時はちょっと慌てた。中島部長は鋭い人で、嘘やごまかしはほとんど通らない方だった。

 私もこういう出来る人になりたいなと憧れのような気持ちを持っていたのを思い出す。今の私は少しでも中島部長に近づく事が出来ているだろうか。少々自信がない。


 やがて文化祭になる。私は少し勇気を出して、野口君に一緒に回らないかと誘いをかけてみた。

「俺で良けりゃ喜んで。」

 そう野口君は言い、一緒に回ってくれた。彼と一緒の文化祭は楽しかった。この頃からだろうか、お互いにお互いを意識し始めたのは。


 文化祭が終わると、部長と副部長の改選がある。2年生部員は二人の先輩がいたので、順当にそれまで副部長の職にあった楓先輩が部長、遥先輩が副部長という事になった。

 遥先輩は腕前で私達1年生部員に劣ることを気にかけていたけれど、私達にしてみれば先輩を差し置いての副部長就任など考えられないというのが本音だった。

 腕前だけの問題ではなくて、やっぱり1年先輩なだけでも人生経験が違うのである。人格的に我こそは副部長にふさわしいと言えるような1年生はいなかったのだ。押しの強そうな野口君でさえ常に先輩のことは立てていたし、私と絵里奈ちゃんにしてみれば何かとお世話になっている先輩だったから、なおさらだった。


 秋冬に入り、自分の好きな物が作れる時期が来る。私は来年の文化祭に備えて機織りでタペストリーを何枚か作ることにした。

 織模様や図案を考えるのがなかなか難しくて、苦労はさせられたけれど…それも今ではいい思い出になっている。

 秋冬には部活ものんびりした空気になり、雑談する機会も多かった。私と野口君の間に淡い恋愛感情が育ちつつあるのはみんな気が付いていたみたいで、私たち二人で話しているとみんな温かく見守ってくれたのを、今になると思いだす。当時は気付かなかったけれど、みんな配慮してくれていたのだ。


 そんなのんびりムードが漂っていた手芸部に激震が走る日が来る。文化部合同の芋煮会の日だった。芋煮会の最中に、楓部長が演劇部の牧君から告白されるという事件が起こったのだった。

 ところが楓部長にはすでに相手がおり…なんとそれが同じ女性の浮田うきたあかね調理部長だと解って、場は騒然となったのだった。

 結局遥先輩たちの言葉を受けてその場は沈静化したものの、以降この二人は何かと噂の種にされたり、好奇の目にさらされたりするようになってしまった。私も同級生からいろいろ聞かれたこともあるけれど、野口君の言葉を借りて、

「個人の問題にあれこれ言うものじゃないわよ。」

 と言って突っぱねていた。そのうち、私に噂を聞きに来る生徒はいなくなった。


 翌年度になり、2人の後輩ができる。松山まつやま弘美ひろみちゃんと松川まつかわ好美よしみちゃんの2人だ。2人は手芸初心者で、野口君と私が主に指導に回り、絵里奈ちゃんがそれを補佐する体制が出来上がった。この過程で私と野口君は急接近して行くことになった。


 夏休みを迎えて演劇部からの衣装の注文が入って数日たったころ、部活を終えて帰ろうとしたところで野口君から呼び止められた。話がある、と。

「俺は石川の事が好きだ。良ければ俺と付き合ってほしい。」

 ストレートな告白だった。

「私も、あなたの事が好き…。これから、よろしくね。」

 私はそう答えて、承諾の意を表した。


 付き合い始めた私達は、休日に野口君のバイクに乗せてもらってツーリングに行くことが多かった。そんなに遠出はしないで、近場で折り返すことの方が多かったけれど。

 その頃には野口君は家庭の事情も私に話してくれるようになっており、何かと忙しい様子がうかがえた。

 私はたまにおかずを差し入れたりして、そんな彼を支えられるようにと心掛けている。

 花嫁修業という訳ではないけれど、手芸だけではなくて料理や洗濯なども覚えて行かなくちゃと思って、家の手伝いをするようにもなっている。

 せっかく気の合う者同士で恋人になる事が出来たのだから、末永く仲良くしたいと思っている。


野口編では語られなかった交際に関するエピソードを入れてあります。たぶん野口君は自分の口からは語らないと思うので、では良子さんから語ってもらおうという事で…。

こまごました内容をつらつらと書き連ねてしまいましたが、少しは良子さんの人物像を深めていただけたでしょうか。それがうまく行っていれば良いのですが…。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 野口君、ストレートな告白だなぁ(^^)
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ