斎武編 ~遥との付き合い~
斎武編 ~遥との付き合い~
俺の名は斎武。
現在は高校を卒業して進路も決まり、春からの新生活を待っている状況だ。
今日は少し、昔話をしようと思う…。
俺と斎藤遥の出逢いは、3つか4つのころだったと思う。正確には覚えていないが、お互い幼稚園の年少だったはずだからまあ、そのくらいだろう。
俺と遥は通っていた幼稚園は別々で、初めて遥を見かけたのは自宅の近所にある児童公園でだった。
それなりの広さのある児童公園で、それなりに遊具も充実していてそれなりに遊びに来ているグループも多かった。
俺はその時、確か母親に散歩がてら公園に連れてきてもらったのだったと思う。
周りのみんながボール遊びや鬼ごっこに興じている中で、その輪に入ることなく黙々と砂場遊びをしている子がいた。
俺は興味を持ち、
「一緒に遊ぼう。俺は斎武。」
って自己紹介したんだ。そしたら遥のやつは、
「あたしは斎藤恭二。でも女の子だよ。」
って自己紹介してきたんだ。
俺は変な奴だなとも思ったけれど、同時に興味を持った。まだこの頃の子供なんて外見で男子と女子の区別のつくようなものでもなく、服装とか髪型で判断することの方が多かったから、中性的な格好をしていた遥のやつは本当にどっちか解らなかった。
でもそんなことは関係なく、何となく俺と遥は馬が合って、児童公園で遊ぶ機会が増えていった。時には俺が交渉役になり、他のグループに混ぜてもらって一緒に遊ぶこともあった。
自然、公園に連れてきている親同士もこの頃から知り合い同士になった。もちろん後で聞いた話だけれど、遥のお母さんはこの頃から自分は女の子だと主張してやまない遥の事をどうして良いか解らず、うちの母にも相談していたらしい。
年中、年長と年を経ても俺と遥の仲は変わらなかった。いや、むしろ仲は深まったといった方が正しいかもしれない。
同じ小学校に行くと解った時は、二人で喜んだものだった。
けれども小学校に上がる前の春休み、遥の様子が変わった。
遥の家族や俺だけの前では今まで通り『自分は女子だよ』と言っていたのだが、他の連中がいるところでは粗暴で手の付けられない男子として振舞っていた。
小学校でもそうで、担任の先生は遥の扱いに手を焼いていた。『凶暴ですぐ怒って手を出す男子』というのが、その当時の周りの遥に対する目だったと思う。
ところがこれが俺や遥の家族の前では、以前通り『自分は女子だ』という快活で気持ちの良い性格なのだ。
俺は幼心に『遥は周りから自分を護ろうとして無理をしているんだ』と感じた。それなら代わりに俺が護ってやればいい。そうすれば遥は遥のままでいられる、凶暴になる必要なんかないはずだ…。当時の俺はそう思っていた。
もちろん話はそんなに簡単な事じゃない。今なら理解できるが、遥は自分の体が女子ではないことに気が付き、心が割れていたのだ…。凶暴な男子の人格と、大人しい女子の人格という対照的なふたつに。
解離性同一性障害の疑い。それが遥に出された診断名だったそうだ。
当然、心が二つに割れた状態のままにするのは良くない。両方の人格の融合がはかられ、治療は成功した…かに見えた。
中心になったのは元からある女子の人格の方で、融合され消失したのは外界から自分を護るために作り出された男子の人格だった。
結果、誕生したのが今の遥を構成する人格…快活だけれど喧嘩っ早く、やや短慮なところのあるどこか危なっかしい奴…だった。
結局遥のやつはその人格で小学校の3年の始めからを過ごし、自分は女子だと言ってはばからなかった。髪を短くすることを拒否し、中性的な服装…遥にしてみれば精一杯女子らしくした服装を好み、ぱっと見ではどちらだか解らない存在になっていた。
俺はそんな遥のやつが孤立しないように気をつかって、周りとの橋渡しをしたり時には盾になって護ってやったりした。遥がおっぱじめた喧嘩を止めに入ったことも何度もある。
小学校4年生に上がったころだろうか。遥が『遥』という名前を使いだし、自分は『性同一性障害』という病気かもしれない、と難しいことを言いだしたのは。
解離性同一性障害…人格の分裂という…は治ったものの、今度は心の性別と体の性別が合わないという問題が出てきて、性同一性障害の疑いで引き続き精神科に通院することになった、と後で聞いた。『遥』という名前は、この頃精神科に通院するにあたって遥のご両親が新しくつけた通称名だった。
もちろん俺には当時は何の事だかよく解らなかったが、遥が何かの問題を抱え込んでいて、それが性別に関する物らしいことだけは解っていた。だから俺はこの当時から遥の事を『恭二』ではなく『遥』と呼ぶことにした。その方が本人が喜んでくれたからだ。
周囲からも、先生からも『恭二』で呼ばれているのに、俺だけが『遥』と呼ぶ状態。今にして思えば異様な光景だっただろう。俺はあんまり周りの目を気にする方ではなかったから、気軽にあだ名くらいの感覚でそう呼んでいたが、目立っていたのは間違いない。
そんな状態で小学校4、5、6年と学年は上がっていった。学年が上がるにつれて周囲の連中と遥の間の溝は深いものになり、俺が橋を渡そうにももう手が届かない状態になりつつあった。
実質、遥の友達は俺だけだった。俺は友達付き合いのあるやつらが何人かいたけれど、そいつらでさえ遥を受け入れるのを拒否した。俺は無理強いはできなかった。
そんな訳で遥の遊び相手といえば遥の兄貴と、俺と俺の兄貴たちくらいだった。俺の兄貴たちも小さい頃から遥を知っていたから、特に抵抗なく受け入れてくれたのには救われた。
次兄がバスケットボールが好きで、俺と遥もよく一緒に遊んだものだった。長兄は電子機器いじりが趣味で電子パズルなんかでよく遊んでくれたが、これは俺には面白かったけれど、遥にはあまり受けなかったみたいだった。長兄が残念がっていたのを今でも覚えている。
後で聞いた話だが、遥は小学校6年から最新の治療方法として認められた第二次性徴抑制療法を受けていたという。
周りが第二次性徴を迎え変化してゆく中で、遥一人だけがそれに抗い続けた。
やがて中学校に入ることになった。中学校になると制服がある。
遥のやつは制服も女子の物が良いとさんざん駄々をこねたらしい。それはそうだろう、この当時にはもう髪の毛を肩まで伸ばして、髪形はほとんど女子の物にしていたし、第二次性徴抑制療法のお陰で少年らしさは残るものの中性的な雰囲気を保ち続けていたのだから。
もちろん学校側との交渉なんてそんなに簡単に話のつくものじゃない。遥の両親は1年間かけて中学校と話し合い、診断書なども提出したうえで女子に準ずる扱いを要望し続けた。俺も俺の両親も側面からそれを応援した。
中学校になると部活動がある。俺はバスケットボール部に入った。俺は下手のうちでも最下位に属するくらい下手だったけど、女子バスケ部で同じくらい下手だった子がいた。大谷佳乃さんだ。
下手は下手同士何か通じるところがあったものか、俺と大谷さんは時折話をするようになり、仲良くなっていった。大谷さんなら遥の事も受け入れてくれる…なぜかそんな気がして、俺は遥を大谷さんに紹介した。結果はうまく行った。遥にとっては幼稚園以来の女子の友人だったそうだ。
やがて中学校2年に上がる時、遥の不満が爆発した。1年間も望まない性別の制服を着ての学校生活を強いられたのである。不満が積もりに積もっていても責めることはできないだろう。
学校側とは事前に交渉していたこともあり、2年生から遥を女子として扱うことを決めてくれた。
けれども性急に事を進めたこともあって、それはかなり無理のあるスタートとなった。
「今日から斎藤恭二さんは斎藤遥さんになり、女子の仲間入りをします。」
と担任の先生は紹介していたけれど、急すぎて周りは誰もついてこられなかった。
結局、遥と交流を保ったのは俺と大谷さんだけだった。気付けば俺が男子向けの、大谷さんが女子向けの遥の保護者みたいな役目になっていた。俺はそれを不快には感じなかったし、むしろ喜ばしく思ってさえいた。この頃にはもう遥に対する好意は芽吹いていたのかもしれない。
大谷さんは良い子だったし、周りとの仲を保ちながら遥と交流するすべをきちんと身に着けていた。そういう意味では俺よりも上手だったかもしれない。俺はこの頃、友人と呼べるのは遥と大谷さんの二人だけにまで減っていたから。部では下手くそで孤立していたし、遥の事を好意的な目で見る俺を奇異の目で見る奴の方が多かったからだ。
俺がもう少し男子連中と仲良くするすべを身に着けていれば、遥が男子連中から因縁をつけられて喧嘩に巻き込まれる…なんてことはなくて済んだかもしれない。何度もそういう事があって、その度俺は駆けつけて遥を援護しながら、大谷さんが先生方を呼んで来てくれるのを待ったものだった。
中学校3年生に上がると、急に周囲が慌ただしくなった。高校受験が近づくにつれそれはどんどん大きくなり、誰もが自分のことで精一杯になっていった。
俺は遥が学院に推薦で合格したことを知り、滑り止めに学院を受けることに決めた。
公立校入試で失敗すれば遥とまた一緒にいられる…。そんなささやきが頭の中をまわり、公立校入試は完全な失敗に終わった。出来は散々な結果だった。
大谷さんはこの時別の公立校への合格を決め、3人は2人と1人に別れた。
結局俺は滑り止めとして合格していた学院への進学を決め、高校も遥と一緒にいられることになった。しかも運よく同じクラスで。思わず入学式の夜に近所の神社にお礼参りに行ったくらいだった。もっとも、これも学校側の『配慮』の一つで、友人を同じクラスにする事で円滑に学生生活が送れるようにする意図があったのかもしれない、と今になると思うけれども。
思った通り、遥の奴は入学早々へまをやらかした。ゴールデンウィーク明けの事だ。
通院日だからってポケットに入れたままにしておいた戸籍名入りの保険証を、うっかり女子トイレに落とすという、どう挽回して良いか解らないミスだった。とりあえず『俺に心当たりがあるから』と言って俺が代わりに受け取り、後で遥に返したのだが、拾い主がご丁寧にも8組から1組まで順番に聞いて歩いてくれていた事…まあこれは責められないが…と、俺もうかつなことに遥に保険証を返すところを人に見られてしまい、遥の本名が学年全体にバレるという一件に発展してしまったのだった。
結局これは生徒会の力を借りて何とか鎮圧できたのだけれど、俺にももうちょっと慎重に事を運べばよかったという後悔がある。せめて空き教室で誰にも見られないように確認してから、くらいはするべきだったと。
1年生の時の最大の後悔は、遥に命の危険が迫った時にそばにいてやれなかったことだ。この時は先輩たちが代わりに遥を助けてくれた。俺がその場にいたから何か変わったかというとそれは解らないし、もしかすると悪い方向に変わっていたかもしれないとは思うが、それでもそんな大事な時に自分はそばにいてやれなかったと思うと悔いが残る。
高校1年の入学早々、同じ班の面々と、遥と同じ部に所属する子と仲良くなった。塩飽昭君、才原香織さん、椎谷杏子さんに中里楓さんだ。
このメンバーのうち塩飽君には独特の雰囲気を感じていたけれど、不良グループとの喧嘩が原因で塩飽君も性別違和を抱えていることが改めて浮かび上がってきた。遥とはまた違う、先輩方ともまた異なるタイプの性別違和だった。
俺でも理解するのに時間はかかったから、他のみんなはもっとかかった事だろう。それでも最終的には大体の生徒は『そんなもんか』という程度で受け入れてくれた。俺にはそれが自分のことのように嬉しかったし、安心もした。
この分なら遥も大丈夫だろうと。
高校1年生の時の文化祭には、大谷さんも来てくれていたらしい。遥は会えたと言っていたが、俺は会う事ができなかった。そういえば俺は携帯を持ったのが遅かったから、中学校時代に連絡先を交換しないまま別れ別れになってしまっていたのだった。
この時大谷さんに出会えていろいろ話ができれば、もっと遥との話は早くまとまっていたのかもしれないとも思う。だが遥を悩ませる時間が増えただけに終わった可能性もある。結果論でしか語れないけれど、この時は会えない事が正解だったのかもしれない。俺の気持ちもまだこの段階では、確固として固まったものにはなっていなかったのだし。
俺の気持ちが固まり始めたのは、高校2年に入ってからだ。修学旅行でさんざん男子連中に追及されて意識して、そのあと塩飽君に恋とは何かを問われて、ぱっと浮かんだのが遥の事だった。それらのことが契機になって、俺は遥の事が好きなんだと意識するようになった。
高校2年のクリスマスには遥にだけプレゼントを渡した。遥の奴は不思議そうな顔をしていたけれど、あれには俺の気持ちがこもっていたんだ。
お前だけが特別だよ、ってな。
斎君と遥さんの付き合いを掘り下げて斎君視点で描いてみました。
もともと濃密な関わり合いがある設定だったのですが、ここまで濃密な付き合いのある幼馴染というのも珍しい気がします。
ここまで来るともう、恋愛感情通り越して家族になっていそうな気がしますね。
お話としては高2の冬までで終わっております。あとは本編で描いていますから、あえて触れるまでもないかなという事で…。