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蒲生氏郷 辞世(和歌)

さて、今回はちょっとイレギュラーです。特にタイトルがないのです。

前回、ランボーの詩を扱ったことで、「あ、和歌もありか」と気づいたって流れです。

絵は以前描いたものなんですがね。



 「かぎりあれば 吹かねど花は 散るものを こころみじかき 春の山風」


 蒲生がもう氏郷うじさと(1556〜1990)の辞世である。辞世というのは、死に際して残す和歌のことだ。

 氏郷は織豊時代の武将で、織田信長、ついで豊臣秀吉にその才を認められて会津に領地をけたが、間もなく朝鮮出兵にあたって参陣した肥前ひぜん名護屋なごやで病を発症して会津に帰国、春になって上洛し養生するも、翌年二月に還らぬ人となった。享年四十とのことだが、若くして亡くなったこの有能な武将は、切なくも美しい辞世の和歌によって、筆者の心を魅了した。


 筆者がこの歌に出会ったのは、じつは同時代の武将、伊達政宗の和歌を集めた本でのことだった。

 筆者は中学生の頃、火坂ひさか雅志まさし著の小説『臥竜の天』を読んでからというもの、伊達政宗という人物に憧れを抱いていた。そのため、政宗に関する書籍が数冊部屋にあるのだが、そのうち一冊、伊達だて宗弘むねひろ著『武将歌人 伊達政宗』こそ、筆者が魅了された蒲生氏郷の辞世に出会った書籍だった。

 伊達政宗と蒲生氏郷といえば、同じ豊臣秀吉の下に仕える家臣同士ではあったが、奥州で起こった葛西かさい大崎おおさき一揆の鎮圧に際して、氏郷が、一揆の首謀者は他ならぬ政宗であると秀吉に訴え出たことによって、秀吉による政宗の詮議せんぎが行われた。これが、歴史上両者を語る上での重要かつ有名なエピソードだ。結果、政宗は秀吉にゆるされて大名の地位こそ安堵されたものの、国替えを余儀なくされた。しかも、一揆の舞台となった大崎地方へである。—— と、伊達政宗の和歌を扱った書籍の中で、事もあろうにこのような因縁のある武将の和歌のほうを好きになってしまうというのは皮肉なものだ。




挿絵(By みてみん)




 絵は、イラスト投稿サイト「みてみん」で筆者と交流のあるユーザさんがお出しになった「『花』『雪』から連想するイラストを描いてください」といったお題に沿って描いたものだ。

 花と雪といえば、花吹雪。—— そこから筆者は、いて花を散らそうとする山風へ、待ってくれと、切に訴える歌人の姿を連想した。西国育ちの蒲生氏郷は会津の雪に耐え抜いたが、とうとう病には勝てなかった。胸へ描いた十字架は、彼の入信したキリスト教を示すシンボルである。







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