知っていることを書く、知らないことを書く
これはあくまでもこむる個人の意見であり、またどこまでを不足としあるいは蛇足とするかは、その人の主義や感覚、好みなどによるものであると考えます。
小説にはリアリティが求められます。“もっともらしさ”と言ってもいいかもしれませんね。必ずしもそれが“本当”である必要はない、しかしその作品内において“たしかにその通りだ”とうなずけるだけの説得力が必要だということです。
これは、“ひとつひとつの描写を丁寧に書く”というのとはまた別の話であるのですが、両者を混同しているのではないかと思われる作品もわりと見かけますね。
なんでもかんでも詳しく丁寧に書けばいいってものではないのです。たとえば、料理がメインテーマでない作品で主人公の料理シーンを一から十まで描いたところで、「うん、お料理上手なのね、で? はやく本題に入ってよ」となるだけであり、その程度いかんによっては、蛇足が過ぎるという評価を受けかねないと筆者は考えます。
では、リアリティを出すためにはどうすればよいのか。方法はいろいろでしょうが、ぱっと思い付くものとしてはやはり「自らの経験、専門知識に基づいて小説を書く」「小説を書くにあたってちゃんと参考資料を調べる、取材を行う」ではないでしょうか。
そして、その小説が「作者の知っていることを書いている」のか、それとも「作者の知らないことを調べて書いている」のかということは、案外読み取れるものだったりするのです。
例えば「異世界に転生した主人公がスローライフを送りつつコスメティック革命を起こす」小説を読んで、ああ、これは「手作りコスメを趣味、あるいは生業として作っている」作者が書いたんだろうなと感じる場合は、たいてい作品の中に必要な情報が過不足なく、しかも主人公やその他のキャラクターの行動の中に自然に取り込まれているように思います――ここで言う「過不足なく」とは、「その工程を一から十まできっちり」ということではなく、「主人公が手作りコスメについての知識をちゃんと持っているのだと納得できるだけの適切な分量」ということです。
そしてその「適切な分量」を大幅に越えて書きすぎている、詳しく説明しすぎてストーリーの流れが途切れてしまっているような作品に接したとき、「あ、この作者はちゃんと調べて書いてはいるけど、自分がちゃんと調べたのだということを主張しすぎているな」と感じるのです。
ちなみに、「小説に書くにあたって調べた知識」ではなく「自分の持つ専門知識」を披露しすぎているなと感じる作品も中にはあったりします。
この場合、情報量は必要以上に多すぎるのだけどストーリーの流れは途切れていない、むしろ非常にこなれている。そこが前者との差ではないかと思っています。(というか、どちらにしろそんなにどや顔したいの? などとつい突っ込みをですね……)
とはいえ、専門知識を有しているにも関わらず作品への落とし込み方があまり上手でない、または調べて書いているけど落とし込み方が非常にうまいといった事例も、もちろんあるだろうと思われます。あって当然です。
後者の作品に出会ったとき、筆者は惜しみない賛辞をその作品、作者に送ります。
まあつまりですね、このとりとめもない文章で筆者がなにを言いたいのかというと、「知っていること」を書くのだろうと「知らなくて調べた」ことを書くのだろうと、書くからには不足なく、蛇足になりすぎず、ストーリーをぶったぎることなく上手に書きましょうということです。
筆者はそのような作品を常に求めています。
ていうか「作者は乙女ゲーム(MMOその他)をやったことがないので云々……(^^;」なんて言う暇があったらちゃんと調べてね。知らないことを免罪符にしないでね。でもあんまりどや顔で知識を披露しすぎても「お、おう……( ;´・ω・`)」ってなるから気をつけてね!(盛大に自分にブーメランしていくスタイル)