ちょっと昔の恋文にまつわる話
あけましておめでとうございます。
本年も、どうぞよろしくお願いいたします!
そうして別れた私たちが再び接点を持ったのは、実は私が成人してからのことからだった。
まだ桐瑩が闘院生だったうちに、私は一浪の末に書院に入学できたのだが、残念なことに面と向かっては会えなかったのだ。
闘院と書院は、せっかく同じ有藍という地にあるというのに、実のところ、書院生と闘院生というのは、仲がよくないのだ。頭の良い彼らは、わかりやすくいがみ合ったりはしない。けれども、水と油のようにどこまでも顔を合わせようとしないのだ。彼らは入学式と卒業式のみ顔を合わすものの、それも基本は同学年のみなのである。
だが、先程「面と向かっては会えなかった」「式典で顔を合わすのは基本は同学年のみ」と言ったように、遠目で見たことはある。入学式の闘院生代表挨拶が彼だったのだ。
私が最後に見た彼の姿は、この時のときのものだ。
長い黒髪を一つに括り、眉間に深い皺を刻んだその姿は、あの日の彼と変わらなかった。もちろん、背が伸びてひどく大きくたくましくなっていたけれど。嬉しくなりながらも「さすがは闘院生」と感心したことを覚えている。しかし、挨拶が終われば在校生である彼はすぐ退場していったので、向こうは私の存在に気付かなかっただろう。
そうしてすぐに彼は卒業して闘尉となったが、庶民かつ書院生であった私には、それ以上のことはわからなくなってしまった。
書史となったらわかることもあるだろうかと、私は勉学に励んだものの……悲しいかな、女子の就職状況というものは、とても厳しいものだった。ピンポイント就職氷河期、これに尽きる。男子の書史募集はたくさん──そう、悲しくなるほどたくさんだ!──あったのに、西華における女子の書史募集は皆無だったのである。
たった一人いた東泉出身の女子生徒は、どうしても書史になりたい私に対してすまなさそうな表情をしながら故郷に戻り、私を含んだ西華出身の女子生徒は、それぞれ算学士や筆士として国内の彩族に雇われていった。
私の就職先は、西華の彩族であった赤家だった。
そこで、私は約五年ほど筆士として修業した。紙の漉き方を覚えたのもこの頃だ。
赤家の筆士は旦那様専門の筆頭筆士が一人と、奥様専門の女性筆士が一人、そして庶務をこなす筆士が私を含めて二人いた。赤家はそれなりに裕福だったから、四人も抱えられたのだと思う。
私が選ばれたのは、そこのお嬢様の専属を兼務させるという目論見もあったらしい。ちょうど翌年に中等院の卒業を控えたお嬢様は、これから縁談を進める立場にあったため、その代筆をする女性筆士を必要としていたのである。
お嬢様──香燕様は、強く玉の輿を希望する方だった。
西華(東泉もだが)は、強く望めば女性も学問ができるし、就職もできる国なのだが、ただひとつ、恋愛の始め方というのが変わっていた。
恋のはじめは、誰もが手紙をやり取りするのである。
たとえば普通に顔を合わせるような立場だとしても、仮に相手と付き合いたいなと思ったら、まず恋文を出す。普通に顔を合わせて会話をしていても、そこで恋のやり取りをしてはいけない。恋文を交わして、仲を深めてから、ようやく外でも恋人として付き合っていいのだ(余談だが、私がすごく変わったこの風習を初めて知ったのは書院時代だった)。
それは、政略結婚でも同じだった。同じというか、こちらが先だったそうだが、詳しいことは知らない。
まぁ、縁談を進めるには、まず双方手紙で相性を確かめ、大丈夫そうなら縁談成立ということらしい。
前世の記憶がある私からしてみれば、政略結婚というのは家同士の話で、当人の相性より家の利益の方が優先されるのではないかと思うのだが、この国では個人の気持ちも尊重してもらえるそうだ。
さて、ここまでくればわかるかも知れないが──彼女の縁談の相手が、黒桐瑩だった。
本人は不愛想でとっつきにくそうだが顔がいい。その上、西華の彩族の中でも力の強い黒家の嫡子であることには違いなく、縁談相手としては高ランクなのだと、香燕様は扇の陰で笑って言った。そのときの桐瑩は忙しい部署にいるらしく(どこにいたのかは、香燕様は興味がなかったので知らないままだったそうな)、優雅に暮らすにはうってつけなのだという。
だが、闘尉を多く輩出する黒家と違い、赤家は書史に傾いた一族だったから、香燕様のお相手として最初名前が挙がったとき、双方の家の人間は戸惑ったらしい。
けれど、当の本人である桐瑩が手紙を寄越したことから、その縁談は進められることになった。申し入れたのは赤家からだが、受ける側の黒家から手紙を出すのがルールらしい。
そして、桐瑩と香燕様の恋文のやり取りが始まったのだった。といっても、実際やり取りしていたのは私と、黒家の筆士だけれど。
そうなのだ、彩族になると、自分で文字を書いたりはしない。家で雇った筆士が、公的なだけでなく私的な手紙すら代筆する。
出す前に当人が内容を確認して私印を捺すものの、当人以外が書いた恋文をやりとりして相手のなにがわかるのだろうと思った私に、旦那様の筆士を務める盾さんが「彩族の政略結婚に当人の意見はあまり関係ないからね」と笑ったのには闇を感じた。やっぱりどこの世界も、政略結婚に当人の意思は求められていないらしい。本音と建前というやつだ。
忙しいと聞いていたのだが、桐瑩は意外とマメに手紙を寄越した。そりゃ書いてるのが他人なら、当人がどれだけ忙しくても出せるだろう。
最初は定型文のみの、オリジナリティのない内容。その、お手本をそのまま写したかのようなまったくやる気が感じられない文面からは、嫌々ながらの恋文なのが読み取れる。縁談に乗り気な香燕様も、ちらりと一瞥をくれただけだったので、そんなものなのかもしれないが。
香燕様の「返事だしといて」という、これまたやる気の感じられない命令に従って(てか、香燕様の希望なんだから内容の指示もくれたらいいのに!)、私は緊張しながら筆を執った。
やり取りする相手は桐瑩じゃないけれど、きっと目は通してもらえる。そう思うと嬉しいけれど複雑だった。桐瑩の、自分じゃない相手との手紙を覗き見しているような、なんとも言えない気持ちだ(いや、書いてるのは桐瑩じゃないんだけど)。
あくまでも、手紙の主は赤香燕。その体を装って、香燕様になりきって文章を組み立てる。これは仕事だ。どれだけ私が複雑だろうが、仕事なのだ。
仕事は完璧にしなければ。お給金をもらってるんだから。
……私がその仕事を、「仕事」と捉えていたのは、いつまでだったろうか。結構早い段階だったことだけは、覚えている。
最初こそやる気のない様子がビシバシ感じられた黒家からの恋文は、三回目を超えたあたりから熱を持ってきた。文面だけでなく、贈り物まで添えられていたことからも、それはわかる。
けれど、「とても面白いから、ぜひこの本を読んでほしい」と送られてきた贈り物の本──相変わらずの本好きっぷりに笑ったのは内緒だ──に、香燕様はとてつもなく嫌な顔をした。
そう──なにを隠そう、香燕様は……読書が嫌いなのだ(嫌いなのは読書だけではないのだけれど)。
それだけでこの縁談はうまくいきそうにないのだけれど、香燕様にとって桐瑩からの恋文は金と地位の塊に見えるらしく、そこでこの縁談を取りやめるという選択肢はなかったらしい。
そこで香燕様は、私に手紙と共に本を押し付けると、読んで感想を送れと申し付けてきた(そのときだけは香燕様が女神様に見えたのは、私だけの秘密だ)。もちろん、雇われ筆士の私がその命令を断る選択はできない。
桐瑩のおススメという本は、とても面白かった。
昔の彼は戦記物を好んでいたけれど、その好みが変わっていないとわかって、私は嬉しくなった。それと同時に、縁談相手に戦記物贈ってくるってどうなのだろうかと思う。
私が書いた──例によって香燕様はまともに内容は読まなかったのだけれど──手紙の返事は、ものすごく早く来た。直接は書いていなかったけれど、本の話ができるのが嬉しいと、記された文字から読み取れる。相変わらずの書痴ぶりだ。闘尉でなく書史になって、碩庫士になればよかったのにと、他人事ながら思ってしまうくらいだ。
もちろん、本の話ができるのは、私にとって嬉しいことだ。だから──
だから私は、はき違えてしまったのだ。