あなたのお手紙代筆します!(ただし恋文を除く)
更新はゆっくりになります。
よろしくお願いいたします。
「これでよし、と」
店の入り口に張り紙を張り終えた私は、額に軽く浮いた汗を袖口で拭った。
春の盛りの今、ここ東泉国紫州はほどほどに気温が高い。東の国はもっと寒いとばかり思っていた私は厚着をしていたため──実際、朝は寒かった!──開店準備でこまごまと動き回ったことも相俟って、軽く汗ばんでいる。
瞬時、上着を脱ぐという考えが頭をよぎるが、この世界ではマナー的に脱ぐことは許されていないので、ここはひとつぐっと我慢の子だ。私だって成人女性の端くれである。人目がある場所で恥ずかしい格好はできない。
「変な張り紙するのねぇ、あんた」
私の背後から覗き込むようにして張り紙に書かれた文章を読んだ友人の笙薛は、溜息交じりの呆れたような声を上げた。
その視線の先にある張り紙には、墨痕鮮やかに「あなたのお手紙代筆します。ただし恋文を除く」と記されている。我ながらいい手蹟だ。これならば、技術見本としても胸を張れる出来であり、変だと言われる筋合いはない。第一、この注文は私の中では譲れない事項なのだ。
「だってこれ、重要なことだし」
少々むっとしながら返すと、「まぁ、そうよね」と、我が友人はその秀麗な顔に苦笑めいた表情を浮かべた。多少あきれた様子ではあるものの、この男──そう、この一見美女にしか見えない私の友人は、れっきとした男性だ──は、こうと決めたら一直線な私の性格を熟知しているのもあり、その一文を外せとも言わず、代わりに私の額を艶やかな爪で軽く弾いた。
「でも、勿体ないわね。書院時代に鳴らした恋文代筆の腕がさ。あんた、だいぶ稼いでたじゃない。西華では違ったの?」
「そんなことないよ。あっちも恋文を筆士に代筆させる人は多かったよ。特に彩族は自分で書く人珍しいし」
「そっか。あんたそれで食べてたんだもんね」
薛の言葉に、私はかすかに目を眇めた。不快だったからではない。恥ずかしい、そして取り返しのつかない自らの苦い失敗を思い出したからだ。
その失敗のせいで、私は職を失うだけでなく、故国を出奔する羽目となり、仕方なしに隣国の友人を頼りにこの東泉という国へやってきた。
文系の最高学府である書院を卒業して院士の称号を得ていたのと、東泉で書史として働いていた薛の口利きもあって、どうにか市民権と出店権利をもぎ取ったのが半年前のこと。筆士だった店主が引退して空き店舗になっていたこのお店を借りて、出店準備や引っ越し(それまで薛の実家である笙家に厄介になっていた)したりして、ようやくここまでこれたのだ。
うーん、感慨深い。そして予定外過ぎる。人生設計、安定志向に基づいてかなりしっかり立ててたんだけど……。
ちなみに、その予定には免職による失業とか、再就職の妨害を受けて隣国に亡命とか、自営業に転職とか、まったくなかった。あるのは書令部に所属して、役所か碩庫で仕事するか、お金持ちの彩族の雇われ筆士になるかの二択だったのに……。
「玲、眉間に皺寄せてると、癖になるわよ」
「薛と立場入れ替わりたい……」
「はぁ?」
怪訝そうな声を上げる薛に、私は恨みがましい視線を投げかけた。
麗しの友人が身に着けているのは、錆鼠の長衣。その上に藍媚茶の上着を重ね、腰帯には布袋と書令史の証である「鷹と本」を形どった玉環が下げられている。
全体的に暗く地味な色合いの衣装だが、この衣装は私が憧れてやまない官吏──書史のものだ。
薛はこう見えて男性だから、裙ではなく筒袴を穿いてはいるものの、知らない人が見れば、その姿は素敵な女性書史である。髪の毛を綺麗に結って洒落た簪を挿しているのが原因だろうか。ええい、ニヤニヤ笑いながらしなを作るなっ!
「気持ちはわかるけどね~。でも、今、どこも人員募集してないからさ、あんたはあんたの得意なことで頑張りなさいな」
書史の募集がかかるのは春の初め。ちょうど書院の卒業シーズンである。そして私が前職を馘になったのは、ちょうど募集が終わった頃。タイミングが悪すぎて泣けてくる。
「元からさ、書史になるには女性は不利なんだから」
「女性蔑視はんたーい!」
「私は差別なんかしないわよ」
「まぁね……薛はしないよね、昔から」
「そうよう」
私がこの綺麗で風変わりな友人と出会ったのは、最高学府である書院に入学した年だ。
その頃から女装まではしないものの、美しく着飾り、女言葉で話していた薛は、比較的性質が穏やかな文系男子ばかりが集まる場所においてもひどく異質だった。「闘院だったら死ぬまでしごかれてたわね!」と薛は笑い飛ばしていたが、大っぴらにされないまでも、彼が男子たちから差別されていたのは、側にいた私が一番知っている。
だから、薛が誰かを差別することがないということだって、よくわかっているのだ。女性が書史になるのが不利なのは、事実なのだし。私が先程口にしていたのは、単なる愚痴みたいなものである。
「あんたの字は綺麗だし、女っぽくも男っぽくも書き分けられるでしょう? 文の書き方だって巧いし、大丈夫よ。どうしても書史になりたければ、ここで商売しつつ目指してもいいんだし」
我が友人は優しいものである。しょげている私を気遣って、フォローまでしてくれる始末だ。
「まぁ、道は遠いけどね」
一言余計だけれど。