女子力は低い方かもしれない
「こちらになります」
気にいればいいな。ドキドキしながら紐を解き、木箱の蓋を開ける。
蓋を開くと、ふわりと香木のいい香りが漂った。簪を包んだ布を開けた瞬間、二人が息を呑んだのが分かる。
「なにこれ……」
薛が絞り出すように呟いた。え、そんなにダメ? 受け入れがたい?
美的センスは薛の方が断然上だ。途端に不安になった私は、依頼人である奏さんを窺うようにして見た。これでダメ出しされたらやり直さねばならない。そして、その費用は当然私持ちだ。
……これ以上貯金が目減りするのは困るんだけどな。依頼が数件舞い込んだとはいえ、収支を考えると余計な出費は避けたい。ここで持ち出しになれば、完全に赤字なのだ。
「漣……か」
そっと、奏さんが簪に触れる。ふわり、ときついその目元が緩んだ。
「素敵ね」
「え、ほんと?」
思わぬ薛の褒め言葉に食い付いてしまう。どうやら、さっきの「なにこれ」は「なにこれ素敵」の「なにこれ」だったらしい。
「あんた、こんな能力隠し持ってたなんて……聞いてないわよ。筆士やるよりこっちで稼いだ方がいいんじゃないの?」
我が友人は、相変わらず厳しい。
「そうは言っても、目新しいだけで、技術的には拙いよ」
前世の記憶頼りに作ったとは言えず、私はそう言葉を濁した。心を籠めて丁寧に作ったが、素人作業なのは間違いないのだ。
「いや、僕は装身具のよしあしはまったくわからないが、これはきっと漣に似合うと思う」
四歳の妹の面影しか知らないはずの奏さんが断言する。現在の姿絵でも持っているのだろうか。そう思ってしまうほどの言い切りっぷりだ。
「ありがとう、代筆屋。紙にしろ贈り物にしろ、あまりにも特別で……僕では思いつきもしないものばかりだ。……君に頼んでよかった」
ほほ笑む奏さんの感謝の言葉に、私は言葉を詰まらせた。
自分の仕事が誰かの力になる。それは、忘れていた手紙代筆のご褒美だった。そうだ、その表情が見たくて、書史を諦めた私は、筆士の道を選んだのだ。
「いいえ。お力になれて、なによりです。そして、その「特別」は、奏さん、あなたが作ったものであることも忘れないでくださいね」
私の言葉に、奏さんは「まさか仕事を手伝わされるとは思わなかったぞ」と苦笑したのだった。
◆
奏さんが帰宅した後、私は薛と夕飯を食べていた。外食ではなく、私の手料理だ。
「あんたの料理は変わってるけど、まさか他の制作物まで変わってるとは思わなかったわ」
「そう?」
今日の夕食は角煮だ。別に薛が来るから仕込んでいたのではなく、私が食べたくなったので仕込んでいたものである。だから、二人で分けるには量が足りなくて、追加で青菜と麺を打って茹でた。即席角煮ラーメン的な料理に、薛は文句も言わず舌鼓を打つ。
「変わってるかなぁ」
「少なくとも、こんな麺料理、他ではないわよ」
たしかに、麺の上に角煮が載ったものなど食堂ではトンとお目にかかったことがない。
「最近碩庫にあんたが出入りしてるって耳にして来てみたんだけど、今日来て正解だったみたいね。私、これかなり好きよ」
「気に入ってもらえて嬉しいよ。でも、薛。今日来るって先に教えてもらえてれば、もっとたくさん準備しといたのに」
「そうなの? じゃあ、次は」
「あ、教えるなら二日以上前にしてね」
圧力鍋のないこの世界である。角煮を作るには一旦冷やして浮いた膏を取り去ったりと、手間も時間もかかるのだ。ふらりと来られて準備できるものではない。
それを伝えると、薛はひどく不満げに唇を尖らせた。可愛くしても、時間短縮は無理だよ。
そうして、私たちは取り留めない話をしながら、夕飯を楽しんだ。食後にお茶でもと思ったけれども、さすがに帰ると薛が言ったため、食事までで終了だ。
「あんたね、もう少し自分が女だって自覚しなさいよ」
「自覚してるって。どう見ても女だって」
「それならいいわよ。モテなさ過ぎて男だって勘違いしてなければね。ほんと、女子力高いのは料理くらいなんだから、他もちゃんとしなさいよ? 日常的に」
意味のわからない忠告を残し、薛は帰って行った。なにが言いたのか、さっぱりわからない。あれか、身なりが地味なのを直せとか、そういうことだろうか。たしかに、身に着ける服は鈍く地味な色ばかりであるが、薄色はうっかり墨が飛んだ時に誤魔化しが効かないのだから仕方がないではないか。
「モテなさ過ぎて悪かったですね~だ」
振り向きもせず帰っていく薛の背中に、私はぽつりと呟いた。結婚だけが人生じゃないのだ。独身謳歌してなにが悪い。やりがいのある仕事もあって、自分のために骨を折ってくれる友人もいて、会えないけれど隣国の家族だって元気でいる。それで十分じゃないだろうか。
家に戻り、食事の片づけをする。家にお風呂があるのは皇族や彩族くらいなので、庶民である私が入れるのは盥を湯船代わりにした簡易風呂である。盥に沸かしたお湯を入れ、水で適温にぬるめたものに浸かる。
もちろんボディソープはないから、さらしに米ぬかを包んだもので身体を洗うし、髪だってとぎ汁で洗う。トリートメントなんてものはあるわけがないので、こちらは蜂蜜や髪油でヘアマスクをしたりと、これでも女子の端くれとして頑張っているのだ。
なお、石鹸は恪聿国から輸入されてくるものの、高級品過ぎて庶民の手には入らない。西華にいたときに香燕様が自慢したのを見たのが、最初で最後だ。
「……寒っ」
浴室はなく、炊事場の土間の片隅で沐浴しているので、冬場は寒さが身に染みる。春になったとはいえ、朝晩はそれなりに肌寒いのだ。気化熱が発生する入浴中は特に寒い。ああ、湯船が恋しいなぁ。温泉行きたい。州都に行けば共同浴場があるのだが、学問都市である碩都にそういった施設はない。
寒さに耐えられず烏の行水となった私は、濡れた髪を手ぬぐいで包みながら盥を隅に片づけた。水道がないので、残り湯は洗濯に使うのである。共同井戸から水瓶に水を汲むのは、そう何度もやりたいものではないのだ。
「女子力ねぇ……」
男性である薛に負けるような己の女子力を思い返し、私はもう少し頑張ってみようかと、ほとんど物の入っていない化粧箱から鏡と櫛を取り出した。
なお、この化粧箱も鏡も薛のおさがりである。あとは紅が一つ入っているくらいの私の化粧箱と違い、彼の化粧箱はおしろいやなにやらがひしめき合っている。
……女子力で薛に勝てる日が来る気がしないのは、気のせいだろうか。