どんな仕事も手は抜きません!
閑古鳥が鳴きまくった開店当日に舞い込んだ初仕事に、私はしばらくかかりきりだった。
写本というのは、私がこの五年間やり続けた手紙代筆の仕事とまったく違う。今まで求められていたのは、女らしい、流れるような水茎の跡。それと相手の気を惹く内容。しかし、今求められているのは、誰もが読みやすい筆致と、一字一句違えない慎重さだ。
とはいえ、写本に関しては昔基礎を教えてもらっていた上、改めて鼓兄弟に指導されているので、そこまで拙くはない……と思う。
そう日数をかけずに私は一冊目の合格を得、仕事を持ち帰ってお店の文机で写本を続けている。
……本業の手紙代筆? ええ、相変わらずお客様は来ませんが、なにか?
あのね、これでも頑張って書いたチラシを、同じ中通りのお店やなんやらに撒いたんだよ。手にした反応はよかったけど……それは、そんなにすぐ仕事に結びつくものじゃなかった。
自営業って、難しいね。今まで雇われて仕事を割り当てられ、お給料をもらう立場しか経験してこなかった私としては、切実に身につまされる。
仕事を獲ってくるって本当に大変だ。営業職の人を、私は転生して初めて尊敬したよ。
生前の私が勤めていた会社の営業は、請求書や申請書はギリギリか締切ぶっちぎってからしか出してこないし、提出書類は足りないことばっかりだし、立替金の清算は溜めるし、無茶振りしまくるし、どちらかといえば皆「困ったちゃん」という印象だった。
けれど、彼らが必死で仕事を獲ってこなければ、他の人の仕事も給与もなかったんだよなぁ。そう思うと、しみじみと有り難さが湧き出てくる。人数はいたけれど、あの人たちもそれぞれ激務だったろうから、私のように過労死してなければいいなと切に願う。
そんな営業さんへの改めての感謝はともかく、まずは目の前の仕事である。
仕事がゼロより、代金が割り引かれたとしてもあるだけいい。しかも、大口っちゃー大口の仕事だ。貯金もあるし、前金だっていただいているので、しばらくはどうにか過ごせると思う。
未来を不安がるより、まずは手元の仕事を完璧にせねば。千里の道も一歩より、である。
大きさを揃えて、文字を崩さずに、細部まで気を遣って。
あたかも写経をするような心持ちで筆を運んでいると、ふと手元が翳った。
「そろそろ何冊か仕上がるだろうとの指示で来たんだが、終わっているか?」
不機嫌そうな顔つきで、奏さんが訊く。
この不機嫌そうな表情はあの人を思い出すから、私はちょっぴりこの人が苦手だ。真面目ないい人だと思うんだけど、眉間の皺とか、思い出す要素がたくさんある。見た目はまったく似てるとこ、ないんだけどね。結構正反対に近いし(申し訳ないけれど、これは有り難い)。
「わざわざ引き取りに来てくださったんですね。ありがとうございます」
「というか、上翼紙が切れては写本ができないし。それの補充がてらだ」
上翼紙は、羽紙の最高級品で、長期保管が必要な書籍専用の用紙である。繊維が細かいせいか、墨の乗りも断然違う。半紙と高級和紙みたいな差だ。
追加の紙を受け取りながら、私は奏さんに笑いかけた。しかし、彼はにこりともしない。
「ありがとうございます、助かります」
「仕事なので。礼を言われるほどのことではない」
そうは言っても、碩庫まで往復せずに済むのは助かるのだ。……店番してても、お客さん来ないけどね。でもほら、来るかもしれないからね! どんな小さなものでも、私はチャンスを逃したくないのだ。
私から出来上がった紙の束を受け取りながら、奏さんはじろじろと文机の上を眺める。
「……本業に支障はきたしてないか」
「は?」
厭味か、厭味なのか!
一瞬そう思ったが、どうも違ったらしい。奏さんはしかつめらしい表情のまま、私の返答を待つ。
「ああ……大丈夫です。その」
「その?」
どうやっても、その先を言わせたいのか。
少し恨めしく思いながら、私は恥ずかしさを押し殺して言葉を継ぐ。
「これだけなんです、仕事。……他のお客様は、まだ来店されたこと、ないので」
「…………」
私の悲しいお知らせに返されたのは、重苦しい沈黙だった。ちーん!