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初仕事はブラック企業からの外注でした

 さて、質問です。私は現在どこにいるでしょうか。

 食堂で宮酪きゅうらくを食べている? チラシを配布している? 店に戻っている?

 ぶぶー! 答えは「碩庫に拉致られている」が正解でした!


「皆さん、筆士殿を連れてきましたよ~」


 私の横で嬉しそうな声を上げているのは、私を拉致した本人の、げん碩庫士長。笑顔仮面のおっさん(推定)である。


 私が食堂に行ったとき、すでには傾きかけていた。食事を済ませた今、すでに空は暮れかかっている。

 それなのに、私はこんな時間から顔合わせ、なのである。碩庫、予想以上にブラック! 嫌だ、ブラック企業反対! ブラック企業は前世で死ぬほど満喫したの! もうお腹いっぱいなんです!

 そんな私の心の叫びは誰にも届かず、悲しいかな、外面のいい笑顔仮面に連れられて、私は現在三人の男性碩庫士たちの前に立っているのだった。


「士長、本当ですか!?」


 ほっぺたに墨を付けた一人が、顔を輝かせる。うんうん、わかるよ。手に余る責務から逃れられると知ったら、嬉しくなるよね。

 墨の彼が素直に顔を輝かす横で、ずんぐりした体形の碩庫士がはあっとため息をつく。


「というか、どういうことか、説明してもらえますか?」


 しかめっ面をしたずんぐりさんは、鋭い目つきで私と弦碩庫士長を見比べた。そりゃ、事前情報なしに上司が人を連れてきたら、説明も求めたくなるよね。


「筆士……まぁ、たしかに、部外者ですがいてくれると助かりますな。正直、もう腕が限界で……」

「そうそう、老人をこき使いすぎですぞ、士長は。兄者なぞ、来年は定年に届くのですぞ」


 そう言って揃って右腕を揉む二人の男性。兄弟碩庫士がいると聞いていたのが彼らだろう。ちらりと袖から覗いた腕には、包帯が巻いてある。炎症用か痛み止めの軟膏なんこうを塗っているんだろうな。腱鞘炎けんしょうえんはつらいから……。


「ふふふ、困った顔も可愛らしいですねぇ。やっぱり女性は華がある」


 歯の浮くようなお世辞を言いつつ微笑むのが、最後の一人。人のよさそうな笑顔からは感情が読めなくて、そこは彼の上司である笑顔仮面とよく似ている。といっても髪型はまったく似ておらず、布でひとつにまとめてあるのだけれど。


 さて、見た感じ、すなおくんは私と同じくらいか少し下くらいっぽく、ずんぐりさんと笑顔仮面二号は私より年上のようだった。もちろん、おじさま兄弟たちは笑顔仮面こと弦碩庫士長よりも年長だ。

 そんな個性的な碩庫士のメンバーに、私は頭を下げる。


「中通りで新しく代書屋を始めた、筆士の玲琳れいりんです。この度、写本のお手伝いをさせていただくことになりました」


 寄せられる皆の視線に、経歴も話した方が納得してもらえるかなぁなどと、余計なことを考える。


「頼りなく見えると思いますが、五年ほど彩族のもとで筆士の仕事をしておりました。学生の頃、西華国の碩庫で写本の仕事を請け負っていたこともあります」


 そう付け加えると、碩庫士たちがあからさまにほっとした様子を見せた。うん、言ってよかったみたい。

 同じくほっと胸をなでおろす私の隣で、依頼主である弦碩庫士長がニコニコ笑っている。


 私が弦碩庫士長このひとから請けた仕事は、写本だ。


 ことのはじめは、去年の秋の終わりにあった長雨。たしかに毎日毎日雨ばかりで鬱陶うっとうしかったし、あんまりに雨が続くもので、洪水や作物の生育が気になったのを覚えている。

 ところが、雨の影響は作物そこだけでなく、碩庫ここにもあったのだ。なんと、雨漏りによる浸水や湿気によるかびで、紫州の碩庫はその蔵書の大部分を傷めてしまったらしい。特に字がにじんで読めないなど傷みが激しいものは、この際、新しく写した本と差し替える必要があるんだそうだ。

 とはいっても、本の原書は皇都・泉蒼せんそうにある。紫州は皇都のある蒼州に隣接しているとはいえ、その中心にある皇都は遠いし、そこまで行って写すには費用がかかりすぎる。物価の高い皇都では、滞在費も膨大になるしね。

 まぁ、それでまずは紫州の碩庫だけで相互扶助そうごふじょしようということになったのだ。つまり、無事な碩庫が蔵書を写し、それを駄目になった碩庫へ送るというやつだ。


 冬の内に各碩庫の被害が割り出され、蔵書目録を元に、冬の終わりにようやく仕事が割り当てられたのだが……不幸と言っていいのかわからないが、このしゃだけが無事だった本が、結構あった……らしい。「本の被害が少ないところが写本の迷惑をこうむるとか、意味不明ですね」と、弦碩庫士長は笑っていたが、あれは絶対怒っていると思う。「うちはほぼ無傷だったんですけどねぇ」って厭味ったらしく付け加えてたし。

 そうは言っても断ることはできず、ここの碩庫士たちは手分けして写本を始めたのだ。


 問題は……それを写していくうち、写本担当の三人(これはすなおくんとおじさま兄弟だ)の腕が悲鳴を上げたことだろう。

 仕方なく、ずんぐりさんと笑顔仮面二号が代わりに写本担当になりかけた……のだが、実は彼ら、写本に適した字を書けないらしい。ひどい癖字なのだと、その話をしてくれた笑顔仮面は楽し気に笑っていた(笑うところじゃないと思うけど)。


 個人的にはそんなに急いで写さなくても、年を跨いでゆっくりやっていけばいいじゃないかと思うのだが、沙の碩庫としては、今年中にやれるだけやってしまいたいんだそうだ。

 なぜなら、来年度に定年予定なおじさま兄だけでなく、その次には年子の弟の方も退職してしまうのだ。つまり、おじさま兄の後任であるすなおくん一人になってしまう。

 しかも間の悪いことに、今年、おじさま弟の後任としてくる予定だった新人が、赴任前に辞めてしまったのだという。なんてもったいないことをするのだろうと思ったが、東泉では人気の低い書令部の中でも、とりわけ碩庫勤務は人気がないという話だった。なんでだろう……碩庫勤務そこが第一希望だった私と代わってほしい。

 とにかく、新たに写本技術を持った新人が配置されなければ、すなおくんが残った写本を一人でこなさねばならない。まごうことなきブラックな職場である。過労死を(多分)経験した身としては、前途洋々たる若者のすなおくんが過労死するのは避けたいところである。

 そう思ったのは私だけではなかったので、おじさま兄弟もすなおくんも、腱鞘炎を押してまで頑張り続けているんだけれど。


 ていうかさ、碩庫勤務の条件として、全員が写本技術を持ってるべきじゃない? 写本に向いていない癖字の人は、初めから別のところに回せばいいのに。

 話を聞いたときにそう思ったが、さすがにそこまでは踏み込めず、私は依頼を受領した。うん……ほら、私も食べてかなきゃいけないわけだしね。

 ちなみにこの碩庫は、今までおじさま兄弟だけで写本が事足りていたらしく、長いこと外注はしていなかった。同じ本通りにあるから、げんさんとこが御用達だと思ったんだけどね、違ったみたい。

 そんな中、私が選ばれた理由は……単に予算を安くあげられるから。その一言に尽きる。

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