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食堂の客

「お待たせしました~ぁ」


 少し間延びしたその声と共に、私の目の前に湯気の立つ料理の皿が置かれる。つい物思いにふけっている間に、注文したものが届いたようだった。

 ふんわりと漂うおいしそうな湯気に、私はきゅっと唇を噛んだ。過ぎたことを思っても、もう起きてしまったことは仕方がない。今の私にできるのは──うん、ごはんを温かいうちに食べることだな!


「いただきます」


 両手を合わせる風習はこの世界にはないので、私は小さく呟くとそのまま料理にはしを伸ばした。うん、予想以上においしい! 煎饅頭いりまんじゅうはパリッとしていて胡麻油の香りが香ばしい上、一口噛むと肉汁がじゅわっと出てくるし、蟹柳炒かいりゅうしょうは卵の甘みと塩加減が絶妙だ。この調子なら宮酪きゅうらくもきっとおいしいだろう。

 こうなると他のメニューも気になるところなので、外食する際にはまた来よう。そのためには、まず資金稼ぎ──つまり、仕事が必要だ。


 代書屋の主な仕事として、役所に出す公的書類をする仕事と、招待状など数をこなす仕事、そして恋文をはじめとする私的な手紙代行の仕事が挙げられる。

 このうち公的書類を代行する仕事は、本通りに店を構えているげんさんのところが強いだろう。そして、数をこなす仕事は、筆士が私一人しかいないうちの店は、多少不利だ。となると、やっぱり手紙代筆で地道に稼いでいくしかないのか。

 でもなぁ、恋文だけは鬼門なんだよね。恋文は稼ぐにはもってこいなんだけど、やっぱり恋文でなにもかもをくした私としては、怖くて手が出せない。

 となると、普通の手紙の代筆……ダメだ、それだけじゃ絶対食いつなげない。普通の彩族は自分のところで筆士を抱えるものだし、一般の人は代金を払ってまで私的な手紙の代筆をお願いしたりしないだろう。

 うん、やっぱり多少なりとも先の二つ──公的書類の代行と招待状等の量のあるもの──はけたいところだ。私の店がある中通りから、本通りにある阮さんのお店まではそれなりに距離があるので、近所の店の書類だけでも回してもらえたら有り難いんだけど。

 あとは……碩庫の写本ができれば。でも、碩都になるとお抱えの筆士がいそうな気もするから、これはさらに難しいな。まず、碩庫士への繋ぎがないしね。


「あああ……」

「どうされました?」


 思わずため息が漏れていたらしい。慌てて顔を上げると、給仕ちゃんが可愛い顔を心配そうにかげらせている。


「具合悪いですか? それとも……あの、お口に合いませんでした?」


 心配させても悪いが、後者はさらに悪い。おいしくないなんてそんなわけがないのだ。その証拠に、運ばれてきた食事はあっという間に姿を消し、後はデザートを待つだけといったところなのだから。


「ああ、いえいえ! そんなことはまったくないです! すごくおいしくて、また来ようって決意してたところですから! 考え事してただけなんです、仕事の……」

「お仕事ですかぁ? お客さん、見たことないけど最近来たばかりの人?」


 おしゃべり好きなのか、私に問題がないと判断したらしい給仕ちゃんは、ニコニコと問いかけてくる。忙しい最中ならばともかく、客入りがまばら──なにせ、私ともう一人だけだ──な今、それを断る理由は私にはなかった。新参者として、この町での顔見知りを増やしたいっていうのもあるけれど。


「そうなんです。つい先日、文具ふみぐ屋のりんさんのお隣に越してきたんです」

「鈴さんとこの隣っていうと……」

そうさんの代書屋があった場所で、同じ代書屋を始めた玲琳れいりんと申します。よろしくお願いします」


 私が名乗ると、給仕ちゃんは目を丸くした。きょとんとした表情かおが、栗鼠リスみたいで愛らしい。


「お客さん、他所よその国の人?」

「はい、西華の出身です」

「はぇ~、珍しいね~。あたし、見たの初めて」


 珍獣を見るような目つきで、給仕ちゃんは私を見る。元は同じ国の隣国という特殊性はあるのに、この東泉国州ではあまり西華の人間がいないらしい。


「それにしても、筝さんのとこは長いこと閉まってたのに、また筆士さんが来るなんて」

「よければご贔屓のほどを。あ、これうちの店の簡単な料金表が載った引き札チラシです。割引券もついてるんで、ご店主にお渡しいただければ嬉しいです」

「はぁ~い。父さんに渡しとくね、今、厨房ちゅうぼうだけど」


 給仕ちゃんはこの店のお嬢さんだったらしい。おいしかった旨と再来店希望を共に伝えてもらうことにする。

 チラシを片手に「点菓子デザートもってきまぁす」と奥に給仕ちゃんが引き込むのを見届けた私は、茶器に残っていた橙茶を口にした。あぶらっ気があるものを食べた後は、お茶がおいしいよね。


「失礼、筆士殿。面白そうなものをお持ちですね」


 お茶をじっくり味わう私に、背後から声がかかる。

 振り向くと、ひょろりと背の高い男性が、私の手に残っていた手書きのチラシを覗き込んでいた。

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