夏休み1
―11年前―
ミーンミーン…
じりじりと天高く上がった太陽が地面を焼き尽くしているように思えるほど、暑さが増している。8月のお盆明けの夏休み真っ只中だ。セミの鳴き声は通り雨よりも激しく、全身に突き刺さるように感じた。
「暑い…暑い…あつ」
「うるさい。」咲里が浩輔の言葉を遮って言い放った。
「うるさくない。暑いから暑いって言ってるだけだし。」木陰に隠れながら真っ直ぐ正面を見て言った。
「それがうるさいって言ってるし。」
「真似するなし。咲里は暑くないの?」
「…暑くない。」
ふと咲里のほうに顔を向けると、ボブカットに整えられた髪の隙間から見える首筋には汗が流れていた。暑いんだなと思った。この気温の中じゃ仕方ないな。でも今は敵に見つからないようにしないとと、自分自身を勇めて再び正面に視線を戻した。
ここに姿を隠してからどれ位の時間が経っただろう。永らく敵の姿が見えないのであれば今がチャンスかも知れないと考え始めたその時、後ろからガサッガサッと枯れ木や生い茂った緑を踏みしめる音が聞こえた。
「浩輔見―っけ」後ろからこれでもかと大きな声で浩輔は自分の名前を呼ばれた。
「咲里行くぞ。」浩輔は咲里の左手を握り、標的に向かって真っ直ぐに走り始めた。
「浩輔速いな。でも咲里と一緒なら俺のほうが速い。」
隠れていた茂みから標的までは10メートルほどだった。茂みを抜けるとすぐに平地になる。一人であれば難なく標的を蹴り飛ばすことが出来るが、今は咲里と一緒だ。手を握りながらでは限界がある。
標的まで残り3メートルのところで浩輔たちは抜かれた。そして、眼前には勇ましく缶を踏みつけている賢人の姿が入ってきた。
「浩輔、咲里見―つけた。あと二人だな。」賢人は自信に満ち溢れた顔で言った。まるで肉食動物が獲物を捕獲する前のような目つきになっている。
それを見た咲里が「賢人恐い。」と呟く。
「こっちは真剣なんだ。負けたら明日も鬼をやらないといけないんだからな。」と賢人は語気を強めた。
賢人は勝負になると回りが見えなくなり、勝利の2文字に執着する。それが女の子相手でもだ。
「ミルと深瀬は一緒に行動しないから、缶から離れられないな。」
片方を追いかけようとして缶から離れると、もう一方が缶を狙うというのがミルと深瀬のいつもの作戦だった。賢人もその作戦は分かっている。
木陰から一転、何からも守られていないこの場所にいるだけで頭が焼けそうな気がした。河童だったら、皿を利用して目玉焼き作れるなと思った。
「咲里大丈夫か?」と咲里のほうに顔を向ける。
「ハァハァ…大丈夫だよ。」余程辛かったのだろう。体全体で息をしながら、顔を真っ赤にしている咲里の姿あった。
この炎天下、このまま他の二人が捕まるまで待つことは難しいと判断した浩輔は最近できたばかりの立派な公民館に移動しようと咲里に提案した。この公民館は風通しが良く、建造物の造りから日中になると入口前に影ができることを浩輔たちは知っていた。
入口前のコンクリートでできた3段の階段に腰を落とす。
「ごめんね。足遅くて。」体育座りし、両膝に額をこすり合わせながら咲里が言った。
「咲里の足が遅いことなんて皆知ってるし。不得意なことなんて誰にだってある。不得意なことを得意なことにしようと努力することが大事なんだって。諦めずに自分と向き合うことが…」
「ありがと。」咲里は浩輔のほうを向き、にっこりと笑った。
「まぁ、親父からの受け売り?ってやつだけど。」
「やっぱり。顔赤くなってるよ?」
「これは…ほら、暑いなか全速力で走ったから。」自分自身の言葉ではなく、父親の言葉を借りて格好良く言おうとしたことが、余計に恥じる気持ちを高めた。
恥ずかしい気持ちを切り替えようと、自身が持っていたお茶を咲里に勧めた。
その時カーンと甲高い音と歓喜の声が混ざって浩輔と咲里の耳に入る。
「終わったみたいだな。さすがに女の子でも二人相手じゃ賢人も厳しいな。」
汗だくの三人が浩輔と咲里の元へとやってくる。
「暑―い。河童の皿があったら目玉焼きが作れるな。」と言い、賢人がスポーツドリンクを勢いよく喉へと流し込みながら、短髪の黒い髪をタオルで拭いている。その姿はお風呂上がりの姿そのものだ。
「面白くないし、賢人くん缶蹴り弱い。」と深瀬が言い放ち、水筒に入った氷入りのスポーツドリンクを同じように喉へと流し込む。浩輔は言わないでよかったと思った。
「ミルと深瀬のペアじゃ敵わないわよ。ミルが考えた作戦なんだから。」ミルはタオルで額と首筋の汗を拭った。腰ほどに伸びた髪が一層暑さを助長しているように見える。
「一対一だったら絶対に勝てる。もう一回やろう。」賢人は元気よく言った。
「賢人、ダメだって。ちょっとの間休憩。咲里もまだ、復活してないし。」浩輔は咲里の姿を見るが、俯いたままだ。その後、賢人のほうに目を配る。
「分かったよ。じゃぁ休憩。」賢人はコンクリートの階段に腰かけて、残ったスポーツドリンクを再び流し込む。
「みんなごめんね。」咲里が申し訳なさそうに言った。
「いいわよ。体力バカの賢人と缶蹴りしてれば誰だってこうなるわよ。」ミルが賢人のほうを見ながら言った。賢人は頬を膨らませて不満そうな顔をしている。そして、急に賢人が立ちあがり、歩き出した。
「ん?そんなに怒らなくてもいいじゃない。」と言いながら不安そうな顔をするミル。
「みんな暑そうにしてるから、アイス買いに行くんだよ。」賢人はこちらを見ずに答えた。
「じゃぁ私も行く。」とミルが賢人の後を早足で追いかけて行く。
「なんで来るんだよ。」
「重たいかもしれないし。お金足りないかもしれないでしょ。」
「女に持たせるわけにいかないだろ。それに買うのは30円のあたり付きアイスだ。」
二人は焼き付くような日差しの中、元気よく駄菓子屋へと向かった。
「まるで夫婦漫才ね。いなくなった途端静かになったけど。」深瀬が言った。
「本当に夫婦みたいだね。」と咲里が顔を正面に向けて答える。
「向こうが夫婦なら、こっちは家族かしら?」と咲里に微笑みながら悪戯っぽく深瀬が言った。
「ん?どっちが子供になるんだ?」と浩輔が聞くが、答えは返ってこずに咲里と深瀬はお互い見つめあった後に、笑い始めた。




