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混血エルフの穢れた刃  作者: Sharp♯
1/2

紅色の牙

「おい、起きろ。朝だぞ」


聴き慣れた萎れた声が、余韻を残さず頭に響く。


私は、疲れ切った体を無理やり起こし、伸びをする。

傍らには、既に畳まれた麻の敷布が、だらしなく残されていた。


「早く出てこい、今日も急ぐぞ」


「わかってるよ…」


私が寝袋から出るのにもたついていると、テントの口から、短白髪で傷だらけの顔が出てきた。

いかにも不機嫌そうなその顔は、私が準備しているのを確認すると、すぐにまた外へ出ていった。

私も一応年頃の女だ、その辺りも考慮してくれたのだろうか。


重く冷えた皮靴を履き、布と木の枝の簡素なテントから出る。

私は、外の冷気にすぐ目を覚まされた。

外は、もうずいぶん明るくなっていた。


「この地方は季節によって日の出時間が変わる、覚えておいて損はないぞ」


使い古した、黒基調の怪物の革をふんだんに使ったスタデッドレザーアーマーを纏った初老の後ろ姿は、首を鳴らしながら、もう動き始める準備を整えていた。

私はそんな彼をよそに、大きく深呼吸をした。


緑の生い茂る森の中。


湿った苔を纏う木々の間から、白い木漏れ日が差し込み、見事な霧の流れを映している。

地を覆う草本類はみんな葉を濡らし、頭を重たそうに垂れていた。


「今何時だ?六時ちょっと過ぎくらいか?どうだ?」


突然彼に確認を煽られた私は、澄んだ世界に見とれる時間も与えられず、渋々テントに戻り所持品を漁る。

口の解れた小さな綿のポーチから、かつて父から貰った懐中時計を取り出し、確認する。


「六時五分」


「そうか、ついでに装備も着ろよ」


時計をポーチに収め、所持品を少し整理した。


テントの隅に並べられた、一式の白狼皮装備に目を移す。

昨晩遅くまで入念に手入れをしたせいか、まるで新品の様にソーグウルフの純白の皮が光沢を放っている。


伸縮性のあるシクラントラの蔦で編まれた鎧下を着用し、その上に各装備をベルトで固定。

ひとつ前の町で調達した、軽量化された金具に昨晩で一新したのもあってか、かなり軽くなったように感じた。


腕部のベルトに、投げナイフを三本ずつ挟み、ブーツにもそれぞれ二本ずつ挟んだ。

北方鮫の丈夫な皮で出来た剣帯を肩から斜めに掛け、先ほど整理した所持品を傷んだ牛革袋に放り込む。


「準備できたか、早くここを離れるぞ」


彼の鋭い眼付きが、それを知らせた。

私は手早くテントの麻布を剥して、これを畳み、また牛革袋に詰め込んだ。

匂いを消すために、消臭効果のあるイアゲル草を握り潰し、辺りに撒いた。


私が振り返ると、彼は既に歩き始めていた。

その姿が密林へ消える前に、私は急いで彼を追った。


「ここらの怪物は群れで来る、囲まれたら厄介だ」


彼は速めに足を進めながら、独り言のようにつぶやいた。


「あっ、テントの骨組み、解体してない」


私は立ち止まり、木の棒を組み合わせただけの華奢な骨組みを振り返った。

すると彼も立ち止まった。


彼は背負っていた弓を無言で構え、落ちていた木の棒を拾い上げ、引く。

放たれたいびつな枝は、見事なまでに真っすぐ飛んだ。


カツン、と音がして一本の骨組みが弾き飛ばされたかと思うと、たちまち崩れ落ちた。

すぐに彼は道へ戻り、また歩き始めた。


私は、この堂々とした姿を目指していた。


そのために、旅立つ決心をした。


師匠の技を受け継ぐために。


修行を終えるために。





景色は一向に変わらず、薄暗く湿った森を歩き続けた。

もう十時間ほど歩いているが、小休止の一つもない。

私の我慢も、限界が近づいていた。


「ドラン、休憩まだなの」


「まだだ」


私は前を歩く白髪の初老、ドランからの答えは、初めから期待を寄せてなかった。

ドランの戦いの腕には目を見張るものがあるが、どうも女子供に対する配慮が欠けているらしい。


私は再びうつむき、ひたすら前に蹴りだされる自分のつま先を見続けた。


二人は言葉を交わすことなく、無言で歩き続ける。


相変わらず景色は、深緑と茶色と、木漏れ日の黄緑に視界は包まれていた。


群れを成す怪物が生息する森では、一瞬の気の緩みが命取りになる、とよく言われるが、今の私には周囲を気にかける余裕は無く、心を空にしてただ前を歩くモノを追っているだけに過ぎなかった。


「お、ミーア、草の植生が変わってきたぞ」


長時間の沈黙を破った突然のドランの声。

私は、ミーアという単語を頭の中で連呼しつつ、数秒経って、やっと自分の名前が呼ばれていることに気が付いた。


「さあ」


ドランは、私に言葉を促した。

足元には、丸く可愛らしい葉を持つ草と、小さな白い花が点々としていた。


「…えっと、ニアヤクア草に、カボンの花…だから、近くに川があるかな」


私はドランに目線を送ったが、彼は眉をひそめて頷いた。


「カボンの花とニアヤクア草の、水辺を好む習性は覚えてたんだな、だが一つ重要なのを見落としているぞ」


ドランの言葉が終わる前に気が付いた。


「ニアヤクア草の茎が」


「そうだ、青白い。ということは、この辺りの川には何かが混ざっている、まあ色からして鉱物だな」


「てことは小休止は」


「まだだ」


先程よりも体が重く感じる。

小休止させるつもりは端から無かったのだろう。


「なんだ、もう限界か。人間の女の子と同じように扱ったほうがよかったか」


「そんなこと言わないでよ、まだ歩けるし」


「ならヒュエル族らしく、もっと勇敢になれよ、ミーア。女子だろうと容赦はしんぞ」


「はぁ…何で私の種族だけこんなことを…」


私はわざといじけた口調でつぶやいた。

ヒトとエルフの混血であるヒュエル族には、昔から戦士式の子育てを行うのがしきたりだった。

いじける私の姿を見て、ドランはため息をつき、ただ首を振るだけだった。


「まあ、物は考えようだ。この茎、近くの川を上流にたどれば鉱脈があるサインでもあるぞ、少しは金になるだろう」


「でも、どうせ洞窟には屍鬼種か死霊種が」


「ほぅ、それで、それがどうかしたのか」


ドランは私の顔を覗き込み、こんなもんかと言わんばかりの眼で私を煽った。

人間とエルフ族との間に生まれた、私たちヒュエル族特有の、縦長の瞳孔で、私の姿を炙った。


しかし今日の私には、彼に言い返す気力はなかった。


「…わかった、じゃあ次の川で少し休もう」


ドランはまたも溜め息をつき、再び歩き始めた。


少し進むと、丸みを帯びた石がゴロゴロとした川が現れた。

私は川の目の前で牛革袋と剣帯を置き、腰を下ろした。

ドランのほうは道具袋から、いつもの簡素な浄化器具を漁り始めた。


口の欠けた小さなフラスコを取り出し、それで川の水を汲む。

そのフラスコに左手をかざしながら、銀色の棒で中の水をゆっくりかき混ぜ始めた。

すると、ドランの左手が仄かに白く光り、棒に紫の鉱物か何かが付着した。


しばらく水を回し続け、頃合いを見て、そのフラスコを私に寄越した。

私は手渡された浄化された水を、一気に飲み干した。

少量のぬるい水ではあったが、これだけでも、疲れ切った体に生気を戻すのには十分だった。


ドランは付着した鉱物をナイフで削ぎ落とし、小さな瓶に詰め栓をして、大事そうに保管した。


「お前にこれができるようになるのも、もう三年後か」


精錬、錬金、浄化、狩猟、これらには大きな危険が伴うため、エルフ族の民派ごとに規格を定めた掟があるのだ。

私たちの属する民派では十七歳で大人と認められ、一端のエルフとして扱われるようになる。

そしてその掟のほとんどは主に、私たちのようなヒュエル族を対象としていた。


「もうあと三年か…」


「俺たちヒュエル族は、毒とか、いろんなダメージによる耐性がエルフ族よりも弱いからな、人間よりは大分優れているが、エルフ基準だと十分知識を得てからでないと許されない」


「十分知識を得ても、死んじゃう人はいるんでしょ」


私の言葉に珍しく目を丸くしたドランは、すぐに鼻で笑った。

前にドランから、彼の友人のヒュエル族が家で精錬を行っていた際に、誤って毒ガスを発生させてしまい、死亡したと聞いた覚えがあったのだ。


「まあ…あいつの姿が、エルフのなり損ないの本当の姿なのかもしれんな」


「人間にもなり損なってるしね」


「だが、エルフ側で誓いを立てたんだ。純血のエルフより能力は劣るが、エルフ族の一員として誇ってもいいんだぞ」


「混血のエルフ、か」


他種族、特にエルフ族を何のためらいも無く殺す、残虐な人間。


エルフの栄えた時代はとうに過ぎており、今では人間が世界を埋め尽くす、非常に残酷な時代となった。

わずか数百年で世界の隅へと追いやられたエルフ族。

人間による大量虐殺もあり、その数は激減してしまった。


それでもなおエルフ族は、”魔法”という、今でも人間を滅ぼし得るほど強大な力を持っている。


エルフ族の男と、人間の女の間に生まれる、ヒュエル族。

人間でも、エルフでもないその希少な種族は、どうしてエルフ族があれほどの力を持つにも拘らず、人間に仕返しをしないか、それがどうしてもわからなかった。


特に、まだ大人にならない私にとって、それはただの拷問としか思えなかった。





私は、雪原の小さな村で、人間と、村唯一のエルフ族の間に生まれた。

私が生まれてすぐ人間の母は亡くなり、エルフ族の父親に、戦士式でもエルフ式でもなく、ヒト式の子育てで育てられた。


その村の住人は皆優しく、エルフ族の父と、見た目は人間のヒュエル族の私に親しく接してくれた。

私はそれが、人間という種族の当たり前の姿だと思っていた。


私が七歳になった年に、一人の商人がこの村に迷い込んできた。

彼は助けられたお礼として、他との関わりをあまり持たないこの村に、外の世界について多くの事を教えてくれた。

私にも、何のためらいもなく、多くの文化を教えてくれた。


しかし、私の父を目にした瞬間、彼の態度が変わった。

この村の皆を見下したような態度を取り、武器で脅して私たち村民を使役し始めた。

若い女にはさらにひどい事をしたとも聞いた覚えがある。


私にとって、これは恐怖でしかなかった。

初めての外の世界からの人間。

外の世界には、こんな怪物のような人が、他にもいるのだろうか。


ひどい生活がしばらく続き、遂にしびれを切らした村長が、私の父に、彼を追い出すよう頼んだ。

それは、最悪の場合の手段だった。

頼まれた時の父の顔は、悲壮な顔であった。


父は近くの雪山に行き、数日で帰ってきた。

大きな怪物に跨りながら。

私は初めて、エルフ族の本当の姿を知った。

恐怖ではなかった。

むしろ、そのエルフの戦士の姿に安心感を覚えた。


父は、乱暴をする商人と、その姿で再び対面した。

商人は怪物に跨った父の姿を見て、一言も残さず、ひどく慌てて村から飛び出していった。


村民たちは父に感謝した。

同時に、私の中から恐怖が拭い去られ、父という安心できる存在に守られ、心を安らげることができた。


しかし父の顔は、なんだか寂しそうであった。


それから二年が経った。

私が九歳になり、古い伝承も暗唱できるようになり、やっと村の歯車として活動できるようになった頃だ。

全身を鉄の板で身を包んだ人間が、馬に乗って、それも何十人もやって来たのだ。

彼らは、自らを、帝都のエルフ掃討隊と呼んでいた。

その名前から村の皆が察した。


村長は、民全員に、私の父の事を隠すように言った。

私たちはごまかした。

しかし、彼らは帰ろうとしなかった。


そして遂に、村長一家を人質にとって、村民一人一人に、エルフはどこだと尋ね始めた。


私はその拷問を、エルフの父と一緒に隠れて見ていた。

村長は私たち二人に、決して出てきてはいけない、出てきたらみんな殺される、そう言っていた。

その時の父の顔は涙で濡れ、手が震えていた。


突然隠れ家の扉が豪快に破壊され、私と父は、鉄の男の一人に見つかった。

父は私を蹴り飛ばし、私の姿を陰へ隠した。


鉄の男は、父に首輪と手錠をかけ、村の真ん中へと、ひどく乱暴に引き摺って行った。

私の姿は見つかっていなかった。


動けなかった。


泣きたかった、しかし声も出なかった、あまりの恐ろしさに。


私の目線の先では、虐殺が既に始まっていたのだ。

人間が人間を、赤黒く光る鉄の刃で、切り裂いていた。


悲鳴と、怒声と、奇声。

変わり果てた、聞き覚えのある声。


それらは雪の降り始めた空に、響く事無く消えていった。


虐殺が終わって、父は連れて行かれた。

父は最後に、大声で、山の彼方に叫んだ。


「エル、セテュラムス、ヴェヌエット」


父のよく口にしていた古代エルフ語の言葉だ。

「娘よ、ヴェヌエットの民を愛せ」


村は炎に包まれて成す術を無くした私は、泣きじゃくりながらその場から逃げ出した。

道もない、明かりもない、闇の吹雪の世界に、独り放り出されたのだった。


この時だ。

私の中に、人間に対する憎悪が、"最も人間らしく"生まれたのだ。





「…どうしたミーア、またか」


気が付くと、私の目の前にドランが座っていた。

川辺の景色は少し暗くなっていた。


私は視線を落としたまま頷いた。


「確かにお前の過去は恐怖でしかない」


ドランは私の顔を覗き込み、続けた。


「だが、危険な場所でそんな無防備に物思いに耽るのはだめだ。できるなら、過去は断ち切ったほうがいい」


「うん」


私はわずかに震える手を押さえ、空を見上げた。


藍色に染まり始めている空には、ちらちらと星が見える。

今日はここで野宿だろう。


「お前の父親の故郷まではもうひと頑張りだ。で、俺らの集落に戻る頃には、お前は立派な戦士だ。もちろん、戦士として従事するもよし、自由に旅をするもよし、俺みたいに他のヒュエルを導くもよし」


私は、ドランの萎れた声にたびたび頷いた。


あの日虫の息だった幼い私は、ドランに拾われて、彼の故郷である、エルフ族レヴィンの民の集落に保護された。

そこで私は、ヒュエル族ならそれらしく生きろ、と、ひたすら戦闘を叩き込まれた。

生き抜く知恵を、生き物すべての知識を叩き込まれた。


そして、保護期が終わって私は十三歳になった。

修学期、外の世界を旅することができる年齢になったのだ。


私は、まだ見ぬ父の一族、エルフ族ヴェヌエットの民に会うべく、そして晴れてヒュエルとして独立すべく、旅に出る事に決めた。

人間からすればまだ子供の私、危険が多いと言ってドランも同伴する事になったのだが。


道のりは長い。

今でも投げ出してしまいそうな位だ。


しかし今は目標がある。

目の前で火に薪をくべている彼、ドランの姿を追うのだ。


彼のように立派な戦士になる。


その思いが、私の心を自然と奮い立たせているのだった。



久々の星空だった。


前の町はちょうど雨季だったようで、常に雲が覆い被さっていた。

町を出て二日間の密林横断の間も、まともに空の様子を見ることもなかった。


焚き火はすっかり小さくなっており、辺りをほんのり黄色く照らしていた。

ここ最近、随分と平和な日々が続いている。

怪物や蟲に襲われることもなければ、盗賊とたちと睨み合う事もない。


数年前の私なら、只のつまらぬ苦行、などといかにもな捨て台詞を吐き捨てていただろう。

この平穏の大切さに気づいたのもまだ最近の話であった。


しかし私には、一つの不安があった。


「ドラン、明日さ、例の鉱脈に行ってみようよ」


「そろそろ剣術も鈍って来る頃だろうしな、じゃあ明日の早朝にするか」


「うん」


屍鬼の活動が比較的穏やかなこの時間を攻めていけば、死霊との混戦になった場合でも融通が利くだろう。


「そうとなれば、早く寝るぞ。イアゲルの葉、撒いておけよ」


ドランは道具入れの革ポーチの上に頭を預け、そのまま目を閉じた。

私もそれに続いて、葉を潰して消臭してから仰向けになった。

手足の指先まで力が抜けていくのを感じながら、満天の星空を見つめた。

月明かりに照らされた夜行性の鳥たちが、忙しなく飛び回っている。

木の上でね寝ている小動物の捕食に忙しいのだ。


私は、川のせせらぎに心癒されながら、そのまま眠りに就いた。

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