辺境伯家嫡男 フレイズ 3
王国淑女の嗜みのひとつに、いかに上手く護衛されるか、というのがある。正面切って戦えないまでも、身命を賭して戦う護衛を邪魔しないことは、結果的に自分を守る意味でも重要だ。
貴族の子女が多く通うグランド魔法学園でも、騎士や魔法使いを育成する上で護衛科目はするほう、されるほう、ともに必須となっている。
運動場にはその受講生が三々五々集まっていた。
ただヴィクトリアは魔法使いとして未熟すぎるのでまだ護衛科目を選択できない。必然的に今日の授業は守られる側――淑女役としての参加だった。
そのヴィクトリアの騎士役を務めるのはもちろん婚約者のバルアトス――などではなく、なぜかフレイズだ。
体操着に着替え、模造剣を帯びていると、いつもの奔放さが鳴りを潜めるように見える。このあたりはさすが魔法騎士だと思う。
あるいは普段は目を覆うほど長い青い髪をピンで横に止めているのがそう見せるのかもしれない。そのピンの意匠が女物でなければもっと良かった。淡紅色の花模様は男の青い髪に似合わない。
「なんですの、そのピンは」
「もらった」
「………………」
貴族が容易に贈り物を受け取るなと言うべきか。それとも平気でそれを着けるなと言うべきか。
ヴィクトリアは一瞬迷い、そこまで気を回す必要もあるまいと口をつぐむことにした。
時期が微妙だった。舞踏祭が近いのだ。
舞踏祭は男女ペアでないと参加できない。つまり男子は女子を誘わないといけないし、女子は男子に誘われるようにしないといけない。
フレイズが女物のピンを身に着けているということは、女子生徒とそれに近いやり取りがあるということだ。貴族の嗜みを持ち出してまでそれを批判するのは無粋を通り越して滑稽だろう。
なにより、フレイズの受け入れたピンの意図するところは察しの良い生徒ならば男女関係なく気づく。
見まわすと男子の半分は女物のピンを着けたフレイズを生温かい眼差しで見つめている。
しかしもう半分は敵愾心を燃やしていた。
生温かい目の男子たちはすでにペアが決まっているか決まっていなくても女心の機微がわかっている生徒、敵愾心を燃やしているのはまだ決まっていない上に機微のわからない生徒だろう。
「フレイズめ……」
「そこまでして参加したいか」
「オレはこの護衛実技に賭けるぜ!」
毎年のことながら鈍感な男子たちのはしゃぎようがものすごい。特に今年は護衛科目のような実技が増えていることもあり、みな必死だ。
先輩方の言によれば、護衛科目の騎士役というのは格好良く見えるのか、授業で組んだペアで舞踏祭に出演することも多いそうで、その情報も盛況に拍車をかけているのだろう。
それに今日は後ろに淑女を据えたままの一対一戦闘で一定時間を耐える訓練だ。躱すことができないので、いかに受け流すか、あるいはいかに早く相手を打ち倒すかが問われる。
形としては決闘に近く、戦闘に疎い女子でも凄さがわかりやすい。
自然、模造剣を握る手にも力が入ってくる。
「では順番に開始!」
待ちきれないという様子の男子たちに押されるように、教師の声が告げる。
フレイズの相手はアルバンだった。
すでに他の生徒たちが盛んに打ち合っているというのにふたりはじっと相手を見据えたまま動かない。
見咎めたアルバンのパートナーが声をかけた。
「なにを……」
「ハッ!!!」
途端、アルバンが裂帛の気合とともに打ち込みを始めた。基本に忠実な騎士の運剣。当然のようにフレイズは受け止めた。
それが何度も繰り返され、連続した硬音が延々と続く。
まるでスズメバチの威嚇音のように。
◇
どれくらい剣戟が交わされただろうか。
耳が硬音に慣れ始めたころ、ヴィクトリアは改めてフレイズの凄さ、いや凄まじさを感じていた。
剣戟の主導権を握っているのは攻撃を仕掛けるアルバンだ。フレイズは防戦一方に見える。
ところがふたりの顔は、アルバンが汗みずくの必死の形相で剣を振るっているのに対して、フレイズは汗ひとつかくことなく余裕の表情でアルバンの剣を受けているという、主導権側が疲弊している状態だった。
アルバンは騎士候補生として弱くない。先ほども軽くケンカの仲裁をこなしたように、むしろ強い。
そのアルバンがついに剣を止めた。
「ハァ……ハァ……本気で……やれよ……」
「と言われても」
これが護衛訓練であることを考えれば、フレイズの対応は間違っていない。とはいえ褒められたものでもない。
「攻撃ばかりでは護衛訓練にならないでしょう。オーランドくんも攻撃して差し上げては?」
ヴィクトリアの言葉に迷った素振りを見せたあと、フレイズは剣を掲げた。
「では少しだけ」
言葉と同時に剣が燃え上がった。
驚く3人をよそに、フレイズはアルバンと同じように基本に忠実な運剣で攻め立てる。
アルバンも基本に忠実に受け止める。いや、忠実にならざるを得なかったのだろう。迂闊な受けをすれば焼き切られる。グランド魔法学園の体操着は最新鋭の防刃耐衝撃仕様で、生徒たちの腕では斬ることが難しいが、耐火性能はさほど高くない。
アルバンは先ほどまでとは比べ物にならないほど必死にフレイズの剣について行く。フレイズの運剣は、ヴィクトリアが後ろから見ているだけでわかるほどにアルバンのものより力強く、しなやかで、鋭い。
そして速い。
火花が弾けるような音が一瞬たりとも途切れることなく続いている。さらに数撃に一度はアルバンの顔へと燃える剣が文字通りに肉薄していた。
この目の前に剣が迫る恐ろしさたるや。
「や、やめ……!」
騎士候補生として優秀なアルバンでも泣くほどだった。あまりの剣の速さに、やめてくれと声に出すことができない。声を出した瞬間、剣を止めた瞬間、斬られる。その予感に身がすくんでしまっているのだ。
事態に気づいた他の生徒が集まってきた。それを教師が押しとどめる。集まった生徒に気を取られればアルバンが危ない。
膠着しかけた状況を破ったのは、やはりと言うべきか、フレイズだった。
器用にアルバンの剣を巻き上げて、弾く。心身ともに限界だったアルバンは簡単に剣を手放して尻餅をついた。ほとんど同時に弾かれた剣がフレイズの手に収まる。反対側の手の剣の火はいつの間にか消えていた。
「こんなもんでいい?」
フレイズの小首をかしげる様子にヴィクトリアはおろか誰もが絶句した。この剣戟がアルバンの限界を超えていたことを明らかに理解していない。
「加減を知らんのか」
バルアトスがアルバンをかばうように立った。平民の生徒たちにあごで示してアルバンを運動場から運び出させる。
「実戦だったら殺してるよ」
「野蛮人め」
「辺境伯領の人間だもの」
「ここは王都だ。場をわきまえろ」
ヴィクトリアが繰り返している言葉をバルアトスから聞くことになろうとは。特にバルアトスが成長しているわけでもないことを考えると、フレイズの奔放さは本当に頭が痛い。
「そういうのを学ぶために学園に来てるんだけど」
心外だとばかりにフレイズは静かに言った。それから左に顔を向ける。
「ちょっとやめなさいよ!!」
まるでわかっていたかのようなタイミングで女子生徒の声が上がった。
フレイズの視線の先ではさっきアルバンとヴィクトリアが仲裁したばかりのふたりが剣を持って争っている。
もはやそれはケンカと言うには危なすぎる。教師が仲立ちしようと走りだすより早く、バルアトスが割って入った。
男爵位のほうの男子生徒の剣が弾き飛ばされる。相手の商家の生徒はバルアトスのひと睨みで剣を下ろした。
剣を持っているというアルバンが仲裁した素手のケンカよりも難しい状態ながら、アルバンよりも鮮やかにバルアトスは争いを止めた。
「チッ!」
男爵位の生徒は舌打ちすると、自分の茶色のリストバンドを片方だけ外し――商家の生徒へと投げつけた。
それを見た瞬間、他の生徒たちの動揺が波紋のように広がっていく。
リストバンドを投げつけることが意味するのは決闘の申し込みだ。
校内のことなので模擬試合ということになるものの学歴には残る。俗に言う『リストバンド』とはこの模擬決闘を示し、対決したふたりの名誉不名誉がハッキリと決まる神聖なものだ。だからこそ行われる数は非常に少ない。
そのリストバンドを商家の生徒は拾った。受諾したのだ。
バルアトスはそれをしかと確認すると厳かに宣言した。
「この決闘、生徒会が受け持とう。ヴィクトリア、頼んだぞ」
「!?」
「待ってくださいまし!」
バルアトスの言葉に決闘者のふたりは顔色を変えて、急な展開と急な指図にヴィクトリアは色を失った。
「なにゆえわたくしなのです!?」
「我々はすることがある。任せたぞ」
マーチェリッカいじめの犯人探しが優先だ、とバルアトスは言外に匂わせる。その裏にはヴィクトリアが犯人ではないのかという不審も透けて見える。
丁度よく授業終了の鐘が鳴った。
ヴィクトリアは途方に暮れた。
神聖な決闘に《悪役令嬢》が首を突っ込んでいいわけがない――。
女物のヘアピンを渡すくだりで、「なんで?」と思うのは男脳。にやにやできるのは女脳。
「気にしなかったんだけど」とかわざわざ言うのは中二病。
「『気にしなかったんだけど』とかわざわざ言うのは中二病」とかわざわざ言う作者w と思った方は軽鬱の疑いがあるので心療内科受診を勧めます。