辺境伯家嫡男 フレイズ 1
グランド魔法学園を擁するイーディース王国には東端の国境がない。最東のオーランド辺境伯領に接するように、世界の果てまで続くと言われる森が広がっているからだ。
その、ただ一言《森》とだけ呼称される森の歩いて四半日ほどのところに辺境守備隊の姿があった。
頭、胸、肘、膝、足だけを防御する軽装に身を包み、剣を携えた男女が6人、頭から剣のような角を生やした虎と対峙している。ソードタイガーと呼ばれるその魔獣はこの森では普通に出遭う脅威のひとつだった。
すでに戦闘も終盤なのだろう。ソードタイガーは身体中から血を流し満身創痍、あと一息で死ぬというところまで追い詰められている。
隊長らしき女が声を張った。
「俺が注意を逸らす。新入りは止めを刺せ!」
言葉が終わるかどうかというタイミングで、ソードタイガーの真正面へと駆けていく。森の中とは思えない機動力に新入りは一瞬呆気にとられたものの、慌てて裏を回りこむように走りだす。
視界の端から硬音が連続して響く。ソードタイガーは器用に角を振るって隊長と剣戟を交わしていた。それはソードタイガーにとってはあと少しで剣先が獲物に届くという絶妙に加減された剣捌きだ。
新入りはその隙に後ろから近づき、教わったとおりに左前足の付け根、肩に当たる部分の後ろ側を真っ直ぐに真横から剣で突き刺した。柔軟な毛皮を破るときのわずかな手応えに顔をしかめつつ全力で突き入れ、根本まで刺し込むとそのまま剣を残して後退した。
それに合わせるように隊長の剣も激しさを増す。ソードタイガーは一吠えすると鍔迫り合いを迫るように一歩前へ飛び出し、角だけでなく爪の一撃も入れようとする。隊長はまるでそれをわかっていたかのように右へ躱すと、すれ違いざまに刺さったままの新入りの剣を抜いた。
途端、まるでシャワーのように血が吹き出し、ソードタイガーは膝をついた。それから回復することなく眠るように頭が落ちた。
死んだのだ。
「やった!」
新入りが快哉を叫ぶ。
「ああ、よくやった」
隊長も褒める。
「並以下の奴なら余計なことを考えるもんだが、よく剣を手放したな」
「森では『命令を遵守!』でしょ?」
「そうだ」
ふたり以外の4人が解体するのを見守りつつ、新入りと隊長は周囲を警戒する。血に惹かれた別の魔獣が来ないとも限らない。
「けど、ソードタイガーですら5人がかり――今回は自分がいるんで6人スけど――ってやばくないですか」
解体の皮剥が一段落したあたりで新入りが声をかけた。
「そのやばいが危険だという意味なら間違いなく危険だ。ここはまだまだ浅い領域だが、逆を言えば魔獣も森を出やすい。辺境伯領の住民にとってはここの魔獣が1体街に入りこんだだけでも致命傷だろう」
「だから《守備隊》なんスね」
「そうだ」
新入りは自分の使命を再確認するように隊長の肯定にうなずきを返した。
視線の先では解体が魔石の回収に入っていた。魔法の介在でなににでも使え、最近では魔動車の原動力になると高騰している素材だ。このお陰で辺境伯領は大好況に沸いており、守備隊の希望者が後を絶たない。もちろん新入りもそんなひとりだ。
「あの、噂で聞いたんスけど」
新入りは、戦闘を終えた今となっては眉唾ものの噂を思い出して、おそるおそる切り出した。
「辺境伯の御曹司はソードタイガーくらいなら一撃だって」
「ああ、坊っちゃんならそんなもんだろ」
答えたのは解体で取り出した魔石を持ってきた解体組の男だ。隊長も親指大のそれを受け取りつつ肯定する。
「それはそれで人間をやめてると俺なんかは思うがね」
御曹司ことフレイズ・オーランドは今、王都の学園へ留学している。一介の守備隊隊長には今さら彼に学ぶことなどあるのか甚だ疑問だ。学ぶことがあったとして、彼に教えうる人物がいるのか。
フレイズの実力と人となりをよく知る隊長は心配気に、西の空を仰いだ。
気味が悪いくらいに晴れ渡っていた。