侯爵家令嬢 ヴィクトリア 5
グランド魔法学園に納入に来ていた商人はそれが動くのを唖然と見ていた。
普通、車とは馬が牽くものだ。物によっては牛や竜もあるものの、共通して生き物が必ず牽く。しかし、今、目の前で動く車は生き物が牽いていない。勝手に貨車部分が動いていた。
「あれは、なんですか……」
驚き呆れるという見本のような表情でなんとかそれだけを絞り出す。
商人の相手をしていた事務員はそれに苦笑を浮かべて、なんでもないことのように答えた。
「フォロビッツ侯爵家ご令嬢のお車ですよ。魔動車と言うそうです」
「魔動車……」
商人はうわ言のように単語を繰り返す。
「馬の代わりに魔力が車を動かし、御者の代わりに魔法使いが操車するのだとか」
「なるほど、魔法で……」
魔動車はあっという間に颯爽と目の前から走り去っていった。
「フォロビッツ侯爵家が稀代の魔法使いの家系だとは存じていましたが、よもやこれほどとは……」
走り去ったあとをしばらく見つめて、商人はしみじみと大貴族に対する感想を口にした。
それに同調して事務員も答える。
「ええ、あれを普段遣いにできるのはグランド魔法学園、ひいては王都を見回しても、フォロビッツ侯爵家だけでしょうね」
◇
馬がついていない上に四角い装甲の張られた無骨な外見は、道行く人々の注目を集める。驚く顔が右から左に動いて魔動車を追いかけた。
ヴィクトリアの乗る車は軽快に王都を走り抜け、郊外へと走り去っていく。行き先はもちろんフォロビッツ侯爵邸だ。
人気のなくなった道をしばらく行くと、グランド魔法学園の車用門に優るとも劣らない大きな門扉が出迎える。門番が重々しいそれを開くと魔動車はするりと入っていった。
門からさらに一走りして、ようやくポーチへとたどり着く。このポーチも魔動車がすっぽりと収まるほどに大きい。もちろん、後ろにそびえる本邸もそれに見合う威容を誇っている。
この、ほとんど学舎と変わらない大きさの邸がヴィクトリアの住まいだった。
「おかえりなさいませ」
待ち構えていたヴィクトリア専属のメイドが恭しく頭を下げた。
「ただいま」
ヴィクトリアは短く答えると、運転手から鞄を受け取り扉を開いたメイドの後ろをついて行く。
生徒会室がそのままふたつ入りそうなほど広いエントランスホールはがらんとしていた。もし帰ってきたのが父ならばここに使用人が勢揃いして出迎える。残念ながらヴィクトリアには専属メイドひとりがせいぜいだ。
ふたりは壁沿いを歩いてホールの奥にある階段へ行く。誰も見ていないからといって、真ん中を歩くような、はしたない真似はしない。最短距離を行けるのはフォロビッツ家当主である父だけだ。
遠回りしてたどり着いた階段を上りながら、前を行くメイドにヴィクトリアは訊いた。
「夕食の予定は? 湯浴みをしたいのだけど」
「本日はお館様がお帰りですのでいつもより遅うございます」
「そ」
父が帰るとなれば、どちらにせよ湯浴みは必須だ。シャワーを浴びたといえ、汗まみれで会うわけにいかない。
ふたりはそのまま一旦2階の自室に戻った。メイドが鞄を置き、ヴィクトリアはリストバンドを鍵付きの宝石箱にしまう。これだけは自分で洗濯するほど、たったこれだけのために部屋へ寄るほど、大切にしている。今ヴィクトリアが着けられるフォロビッツの徽章はリストバンドだけなのだ。
目的を果たしすぐに部屋を出る。
「お父様は何用で戻られるの?」
浴室へ向かう道すがら、めずらしいこともあるものだとヴィクトリアは訊いた。
ヴィクトリアの父は大役を兼任していることもあり、王城に詰めていることがほとんどで、邸に戻ることはあまりない。
「詳しくは存じませんが、オーランド辺境伯領へ遠征するお話が先頃から上がっておりますので、それに関連すると思われます」
「辺境伯領へ?」
「失礼いたしました。オーランド辺境伯領の《森》でございます」
「……いい加減な言葉遣いをしないでちょうだい」
わたくしの周りはどうしてこうなんでしょう、と思うと同時に、遠征のことをすっかり忘れていたことを情けなくも思う。
どうしてそんな重要なことを忘れていたのか、自分でも不思議だった。
◇
夕食が終わったあと、少し話がしたいと父の部屋へと呼ばれた。壁一面に本が並んだ、平均的な魔法使いの部屋だ。
その一番奥に設えられた重厚な机の向こうで父はどっしりとすわっていた。
襟元にふたつの徽章が目を引く以外、変哲もないローブをまとった普通の壮年男性に見える。決して大きな体躯ではない。バルアトスよりも一回り小さいだろう。
それにもかかわらずヴィクトリアにはバルアトスより大きく感じられた。
父が静かに告げる。
「バルアトスとは上手くいっていないようだな」
「申し訳ありません」
ヴィクトリアは素直に頭を下げた。学園では下げられる側でも、家では下げる側だ。使用人を除けば序列は最も低い。実のところ、父の弟子である魔動車の運転手よりも低い。
それはひとえに魔法の腕がないからだった。
フォロビッツ侯爵家は魔法の大家だ。その事実は、他家がおいそれとは扱えないほどの魔動車を普段遣いに用いているというところに端的に現れている。加えて言えば、父ルートヴィヒは類まれなる魔法の手腕を買われ、ふたつの襟章が示すように、副宰相と同時に魔法騎士団団長も兼任している。これは魔法騎士団創設以来初めての偉業なのだ。
それに連なる者としての期待がヴィクトリアの双肩にはかかっている。その期待に押しつぶされるようにヴィクトリアは頭を下げ続けた。
「顔を上げなさい。もともとアレと上手くやることなど期待していない」
「はい」
返事とは裏腹にそのまま言葉を継ぐ。
「それでも彼との結婚はわたくしに与えられた使命です」
このままでは一方的に破棄されかねません。
という言葉はなんとか呑み込んだ。
ただでさえフォロビッツ家にはあるまじき、単なる政争の駒としての役割しか果たせていないのだ。それすら満足にできない自分に一体どれだけの価値があるだろう?
バルアトスがどれだけ嫌であろうとも父の意向に従うしかない。
魔法をまともに扱えないヴィクトリアが今フォロビッツ家のためにできることは、たったそれだけなのだ。
その己の無力が、悔しかった。
ポイントが100点を超えておりました。
まずまずの評価をいただけているようで幸い。
第一章「ヴィクトリア」はこれにて終了。次回は第二章「フレイズ」です。
ちょっと間が空くかもしれません。ぶっちゃけPV次第です。