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その日が来たら  作者: 柊 サラ
1.いつか言ってね(Dragon萌え企画)
1/2

1‐1

素敵なツイキャスに触発されて参加を決めました。

 遅筆なので〆切まで時間が無い。

 書きやすい登場人物にしよう。

 そうだヘタレにしよう。

という具合に書き上げた作品ですので、内容はご容赦ください。


こちらは女の子視点のお話です。

 少しだけ早く起きて、顔を出したばかりの太陽の光を浴びながらご飯の支度をする。

 これが、彼を待つ日の朝の日課。

 野菜と鶏肉をたっぷり入れたスープができ上がる頃、彼が帰ってくる。

「レナ~!」

 キッチンの扉を開けて飛び込んできた彼は、私より頭二つ分は大きい身体を窮屈そうに丸めて私を抱きしめる。暖かい雫が頬に落ちてきた。

「おかえりなさい、アレク。また泣いてるの?」

「だって怖かったし……情けなくてごめん」

 大柄な容姿に似合わず、彼は争いごとを好まない。今日のような夜通しの任務は特に危険と隣り合わせだから、帰宅するとその反動か、縋りつかれることも多かった。

 荒事の嫌いな彼が私のために働いてくれることに少しの罪悪感を覚えながら、泣き虫な彼の支えになれたらとの思いを強くする。

「怪我、ほっぺだけ? 他に痛いところはない?」

 少しだけ離れて見上げた彼の頬に薄く走る傷跡を見つけた。そっと手を触れると一瞬だけ顔を歪める。

 薬箱を持ってきて手当をする間、彼はされるがままで大人しくしていた。

 いつも私のためにありがとう、そう言えば感動した彼がまた泣いてしまいそうだから、いつもこの言葉は言えずじまいだ。

「今日もお疲れさま。ご飯できてるよ。あとお風呂も」

 代わりの言葉は彼が気負いしないように、精一杯の笑顔を心がけている。

「俺の居場所はレナのいるところだ」

 薬箱を片づける前に抱きしめられてしまう。頬をすり寄せられた髪がまた湿った気がした。

 精一杯の慰めも結局空回りして、泣き出す彼を宥めにまわることも多いけれど、それでさえ愛しいと思えてしまうのだから、きっと私は重症だ。


 食事をとった彼は、疲れていても私と会話する時間を作ってくれることが多い。けれど、今日はよほど疲労が溜まっていたのか、話し始めて間もなくうとうとし始めた。

 肩にかかるその重みを添えた手でそっと促して、少しでも休めるようにと長椅子に横たわらせる。膝にかかる温かな重みを感じながら、規則正しい寝息がまるで子どもみたいねと口には出さず呟いた。

 レースのカーテン越しに差し込む午前中の日差しが、彼の癖のない黒髪に吸い込まれていく。起こしてしまわないようにそっと手を伸ばすと、指の間をさらさらと零れ落ちていった。

 頬にかかっている髪を耳にかけてあげると、指先が硬質な感触を捉える。短めの髪に隠れるようにあるのは、同色の鱗だ。少し大柄なことを除けば私と何ら変わらないように見える彼は、人族の私よりも強大な力を持つ竜族の生まれだ。

 今は子どものような寝顔の彼だけれど、いざという時はとても頼りになる人だと私は知っている。

 彼との出会いは二年ほど前。私の記憶もそこから始まる。


   * * *


 気がついたら戦場にいた。すぐ前の記憶ですら霞がかって曖昧なのにそうと分かったのは、遠くに聞こえる怒鳴り声や何かの爆発する音、何よりも目の前に折り重なって亡くなっている人の山があったから。

 幸いにも衝突が起きている中心地からは外れているらしく、周囲に生きているのは私だけのようだ。

 そこまで判断すると、回らない頭を動かしながら動き出した。

 立ち上がってみて、自分が裸足であることに気づく。瓦礫の散乱しているこの場所に、どうやったら無傷のままたどり着けたのだろうかとの疑問が過ぎったが、すぐ近くで聞こえた爆音に本能で逃げ出した。

 荒れた地面で足が傷ついたのが伝わってきたけれど、不思議と痛みは感じなかった。それよりも、森に逃げ込んでからしばらくして気づいた、付かず離れず後ろを移動している気配が怖かった。

 死ぬのかもしれない。

 次第に近づいて来た気配がすぐ背後まで迫り、全てを諦めかけていたその時、急に視界が開けた。数歩先は断崖だ。すぐ背後に追っ手の息づかいを感じた気がして、私はためらう前に強く地面を蹴った。

 けれど、落ちながら遅れて覚悟した死が、私に訪れることはなかった。

 衝撃と共に感じたのは固い地面ではなくて、ひんやりとした硝子のような漆黒。それが何かを確認する前に、私の意識は闇に溶けた。

 気を失っていた時間はそれほど長くなかったようで、次に目を覚ますと、私は岩影に寝かされていた。無造作にかけられた外套だけが助けてくれた誰かの存在を証明してくれている。ちらりと周囲を見渡すも、人の気配はない。

「一体、誰が……」

 そう呟いたとき、頭上で咆哮があがった。

 視線を向けた先にいたのは、空中で対峙する二頭の姿。

「竜……」

 人間など軽く踏み潰せてしまえそうな竜が、遙か下にいる私にまで伝わってくるほど剣呑な雰囲気で睨みあっていた。

 より体躯の大きな竜は漆黒で、細かい鱗が陽の光を反射していた。硝子のような煌めきは、崖を落ちたときの記憶にも残っている。私を助けてくれたのはあの竜なのかもしれない。

 対する竜は緋色だ。漆黒の竜より小柄とはいえ、こちらも人にとっては恐怖を覚える大きさだ。よく見れば怪我をしているようで、少し離れた地面に赤黒い血溜まりができていた。

 いつまでも睨み合っていそうな二頭だったが、不意に巻き起こった突風を合図に、漆黒の竜が動く。

 緋色の竜も怪我を感じさせない動きで灼熱の炎を吐いた。

 大きな体躯に似合わず俊敏な動きでそれを避けた漆黒の竜は、動きを殺さずに太い尾を叩き込む。緋色の竜はそれを受け止めたものの、重い一撃に体勢を崩す。

 それ見逃さず、漆黒の竜が体当たりをするように飛び込み、二頭の竜は崖の上に消えた。木が何本もなぎ倒される音が聞こえてきたが、崖下からはその様子が見えなかった。

 その後、二頭の姿が見えることはなかったが、遠くに聞こえる咆哮や何かの破壊される音から、争いが続いていることは伝わってきた。

 やがてはそれも止み、辺りは静かになった。

 戦場の気配も遠く、どこに行けば人の住む村や街があるのかも分からない。そもそも、ここは私の知っている世界なのだろうか。何も分からない。

 ふと自分の名前すら思い出せないことに気づいてしまい、不安は余計に増した。

 視線を落とした先に、身体にかけられていた外套を握りしめる蒼白い指先が目に入る。

 何にも染まらない漆黒が、意識を失う直前の記憶と、あの竜の鱗の煌めきを呼び起こした。少なくとも、この服の持ち主は私を助けてくれた。その事実だけで身体からわずかに強張りが解けた。


 行く当てのない私は、岩影にうずくまったまま動かなかった。

 頭上にあった太陽が傾き辺りが夕陽に染められる頃、大きな羽ばたきが私の耳に届いた。

「竜?」

 視線を上げると、少し離れた場所に昼間見た漆黒の竜が着地するところだった。

 私の小さな呟きが聞こえたのか、こちらを向いた竜は動きを止めた。夕陽を映す金の瞳は、気のせいか揺らいでいるような印象を受けた。

 離れていても見上げるほどの巨体だったけれど、不思議と怖くなかった。竜を見たことなんて、覚えていないけれど、きっとこれが初めてだ。現実についていけなかったのかもしれないし、助けてくれたという確信があったせいかもしれない。とにかく、私はたっぷり数分の間、何も喋らずただ竜を見上げ続けた。

 ふと、身じろぎする気配とともに、視界を埋め尽くしていた巨体が消えた。代わりに現れたのは、背の高い黒髪の男性。細身に見えるけれど、動きの邪魔をしない黒い衣服の上から、その無駄なく鍛えられた身体がうかがえた。強張った表情でこちらを見つめるその瞳の色は、金。よく見ていると、時おり緋が混じる。

 もしかして、あの竜なのだろうか。首を傾げる私に、竜だった彼はその場から動かずに問いかける。

「あの……俺が怖くないの?」

 おずおずとしたその声音が、何者も寄せ付けなさそうなその見た目と反している。驚きに軽く目を見張った私の反応をどう捉えたのか、彼は怯えた様子で一歩下がった。

「ごっ、ごめん。危害を加えるつもりは――」

「これ、あなたのもの?」

 どこまでも後ろに下がりそうな気配を遮って、私は口を開いた。

 飛び降りた崖は柔な人間が生きて着地できるような高さではなかった。この外套が彼のものであるならば、私が生きているのは彼がいたおかげだ。

「……気を失ってたから」

 その答えに、感謝の言葉はすんなり出てきた。

「ありがとう」

「……っ」

 息を詰めた彼の、金の瞳に緋色が揺れる。

「あなたがいなかったら私、きっと――痛っ」

 立ち上がろうとして足を動かしたとたんに、忘れていた傷を思い出す。

「どうしたの!?」

 私の声に反応した彼は、先ほどまで距離を取ろうとしていたことも忘れて駆け寄ってくる。

 裸足で走り続けた足の裏は、時間も経って血が乾き小さな草や石がこびりついて、酷い有り様だった。

「手当するから大人しくして」

 打って変わって真剣な表情をする彼に胸がざわついた。

 手頃な岩に腰かけさせられて、近くの沢で汲んだ冷たい水で汚れを丁寧に洗い流してくれる。傷口にしみたけれど、武骨な手に傷だらけの足をさらしているのが恥ずかしくて、今度は私が視線をさまよわせた。

 彼に言われた通り大人しくしていられたのはここまでだった。

「ええと、俺が竜なのはさっき見たから分かると思うんだけど……」

 手を止めた彼は歯切れ悪く話し始める。

「初めて見たけど、やっぱり竜だったのね」

「初めて? 確かに竜は人間より少ないけど……君、どこから来たの?」

 驚いた様子で問いかけてきた彼に、答える言葉を私は持っていない。

「あの崖の向こう……?」

 自信のない声だな、と自分でも思った。

「崖の……確か村があったはずだけど、そこの出身?」

 あの瓦礫の山は村の跡地だったのか。半日前に見た光景を思い出しながら黙って首を振った私に、彼も困惑した気配が伝わってきた。

 まだ心が麻痺しているのか、不思議と落ち込みはそこまで感じない。けれど、確信を持って答えられることを何ひとつ持たないことが心細かった。

「そういえば、まだ名乗ってなかったね。俺、アレクシス」

 気まずい空気を払拭するためか、彼には無理させてしまったかもしれない。

「アレクシスさん?」

「アレクでいいよ」

「アレクさん?」

「竜だけど、らしくないとはよく言われるから。見ての通りの臆病者だし、呼び捨てでいいよ」

 何度か呼び直していると、彼は苦笑しながらさらに訂正してきた。

「アレク……?」

 年上の人を呼び捨てにするのは何だか慣れないけれど、私の呼びかけに満面の笑みで答えてくれたその人を見てしまえば、もう他の呼び方はできないなと思う。

「君の名前は?」

「ええと、分からないの」

 事実として言ったのだけれど、私の返答に彼は目に見えて落ち込んだ様子になった。

「ごめん……」

 当事者である私以上の沈みように、思わず苦笑がこぼれた。他の竜に勝てるくらい強いのに、竜らしくないというのは本当のようだ。

 呆気に取られる彼に、私が話せる限りのことを伝える。気がついたら村の跡地にいたことや、誰かに追われて崖から飛び降りたこと。言葉にしてみて改めて、私の中にある経験がほんのわずかしかないことを自覚した。

「君を追っていたのは、この戦いに参加していた竜族の者だったよ」

 いきなり君が降ってきたときは驚いた、と彼は続けた。

「アレクが助けてくれたの?」

「気を失った君を岩場に寝かせていたら、殺気立ったあいつが飛び出してきたからね」

 その言葉に、昼間の光景を思い出す。やはりあれは追っ手と戦ってくれていたのだ。

「それで、ええと……竜族の血には不老不死の力が宿るなんて噂も広がってて、それで命を狙われることも少なからずあるんだけど、実際は治癒の力が強まるくらいなんだ」

「えっ」

 要領を得ないことを言いながら、彼は私を抱き上げる。

「だから、これは決して邪な気持ちでいるわけじゃなくて……」

 視線を逸らしながら彼は私を高い場所に座らせる。怪我をしていなくても自力で降りるのは難しそうだな、なんて呑気に考えていられるのもそこまでだった。

「ち、ちょっと、何して……やぁっ!」

 だからこれは治療なんだよ、と自棄気味に吐き出された言葉と共に、あろうことか彼は傷口に舌を這わせ始めた。

「やっ……な、治りが遅くてもいい、からぁっ」

 痛みは無かったけれど、羞恥とくすぐったさに全力で抗議する私を、彼は封じ込める。結局、手当も終わって元の岩に抱き戻される頃には精神的な疲れも加わってぐったりしていた。

「その……ごめん」

 心底申し訳なさそうな声で言われては、自分がせっかくの治療を施してくれた彼の好意を無下にするわがままな人間に思えてくる。

「恥ずかしかったけど……ありがとう」

 居たたまれない思いを抱えながら、どうにか感謝を伝えた。確かに、鋭い痛みが消えた足裏からは熱を持った感覚が伝わってくるだけだ。

 両足に巻かれた包帯はキツすぎる締め付けでもなく、巻き目も整然としている。危険な世界だから、怪我の手当にも慣れているのかもしれない。そんなことを思いながら心を落ち着けた。

 ふと足下に座っている彼を見ると、その左の袖が鉤裂きになって下に覗く皮膚に赤く線が走っていた。

「あなたも怪我してるじゃない」

 二の腕をよく見ると、深くはないけれど傷口からはまだ血が滲んでいた。

「これくらい、いつものことで――」

「ダメよ、ちゃんと手当しないと!」

 気にする様子のない彼の言葉を遮って、私は着ているワンピースのポケットを探る。森を抜けて走ったり崖から落ちたりしたせいで、元は白かった生地はかなり埃っぽくなっていたけれど、幸いにも目当てのハンカチは汚れていなかった。

 開いた布を細く折り、傷口に当てるように縛る。竜だから自分の傷には無頓着なのかもしれないと後から思い至ったけれど、治癒力が高いからといって放置するのも良いこととは思えない。

「あ、これじゃないかな」

 一連の作業を見守っていた彼が、唐突に声を上げた。

「え?」

「名前。このハンカチに刺繍がある」

 私は気がつかなかったけれど、彼の示すハンカチの縁に、青い糸で文字が刺繍されていた。

「俺の血でちょっと読みにくくなってるけど――レナ、じゃないかな」

「レナ?」

 くり返し呟いているうちに、何だか泣きたくなるような懐かしさが込み上げてくる。無くしたと思っていた名前を、彼が見つけてくれた。

「……何となく、聞き覚えがあるような気がする」

「見つかってよかった。よろしく、レナ」

 自分のことのように喜ぶ彼の笑顔が何だか面映ゆい。包み込まれた大きな手から温もりが伝わってきた。きっと私の頬は赤いはずだ。

 ひとしきり喜んだあと、彼は改まって私に訊いてきた。

「レナ、竜になった俺は怖くない?」

「別に、怖くなんてないけれど……」

 話の先が見えなくて、私は訊かれるがまま彼の質問に答えていく。高いところは平気とか、これから行く当てがないこととか。そんなやり取りをしながら、彼は荷物の中から薄手の毛布を取り出した。

「ここから一番近い街までは距離があるんだ。レナは怪我で歩けないし、そもそも健康な男の足でも朝までかかるくらい遠いから、俺がレナを抱えて飛ぶ」

 大きな外套を私に羽織らせて、頭からその毛布を被せた。

「……え?」

「落とさないから、絶対大丈夫だから!」

 言葉を失った私に何を思ったのか、私の肩を掴むと力説してくる。

「うん……そこは心配してないけど」

 気圧されつつもそう答えると、彼は安堵の息を吐いて私から距離を取った。

「それじゃあ、竜に戻るよ」

 その言葉と共に、彼の人としての姿が薄れていく。先ほどとは逆に、現れた漆黒の竜は夕暮れの中で大きな影のように見えた。

「アレク?」

 小さく呼びかけると、首肯した彼がゆっくりと近づいてきた。その大きさに呆気に取られている私に、彼の手が伸ばされてくる。鋭い爪で傷つけないように、彼が気を使って私の身体を持ち上げた。

――痛くない?

 浮遊感に驚く私を宥めるように、彼の優しい声は頭に直接響いてきた。頷くことでそれに答えると、守るように抱き寄せられた。

――しっかり掴まって!

 身体を寄せた胸の鱗の下で、筋肉に力の入る気配がした。

 キツく瞼を閉じた後、一瞬下に強く押しつけられたと思ったら、次に感じたのは浮遊感と、それから頬に当たる冷たい風。怖々と目を開けると、眼下には昼間逃げてきた村と森、崖が見えて次第に小さくなっているところだった。

 声をなくして景色に見入る私に彼は苦笑して、見やすいように手の向きを調整してくれた。


 初めての空中散歩は感動と共に終わった。

 目的地近くの森に降りると、彼は私を放して人の姿を取った。

「竜は驚かれることも多いから、街に入るときはこうやって人型を取るんだ」

 人になっても私よりずっと大柄な彼は、そう言いながら私を左腕に抱えて歩き出す。重くないかな、とか色々気になることはあったけれど、私には靴も無くおまけに怪我までしているから、ここは好意に甘えることにした。

「あ……鱗が」

 腕の中で揺られながらふと気づくと、私は手に何かを握り締めていた。開いてみると、手のひらには漆黒の薄い欠片が数枚。飛び立つ時に無意識で掴んでしまったものだろう。

「ごめんなさい。痛かったでしょう?」

 髪に櫛を通している時になどうっかり抜いてしまうと痛いから、それと同じなら彼も気づかなかったはずはない。

「ああ、気にするなよ」

 捨てておいてくれと言われたけれど、私は丁寧に重ねると落とさないように握り込んだ。

 森を歩きながらたわいない会話を続けていると、すぐに街の灯りが見えてくる。出口で立ち止まると、彼は私に向き直った。

「街に着いたけど、行く当ては?」

 名前を取り戻すのが精一杯の私には、これからどうしていけばいいのかさえ分からない。

 黙ったまま首を振る私が余程不安そうな顔をしていたのか、彼は落ち着かせるように背中を叩いた。

「それじゃあ……」

 言いかけた言葉を途中で止めて、また口を開くもなかなか続きが出てこない。そんなことをくり返して数分。

「一緒に来ないか? レナが落ち着ける場所を見つけるまで」

 彼の提案はとても魅力的だった。それでも、親切なこの人に頼りすぎてはいけないと、心のどこかでブレーキがかかる。

「いいの?」

 迷惑ではとか、お荷物になるとか、続かなかった言葉も彼は汲んでくれたようだ。

「ずっと一人だったから、レナが居てくれると嬉しいよ」

 そんな風に言われてしまっては、私は頼らずにいられないではないか。

「一緒に……連れて行って」

 私の言葉に、彼は抱き寄せる力を強めることでこたえると、再び歩き出した。

 不安から救い出してくれたその腕の中で感じた安堵を、今でもよく憶えている。


   * * *


 そのあと私を連れた彼は、各地を転々としながら定住できる場所を探し歩いた。

 私は彼と過ごす生活で様々なことを見聞きし、記憶の欠けを補いながらこの世界での常識を身につけていった。そうした中で、彼が竜族の中でも最強と噂される人だと知った。

 味方としては心強い竜も、敵となれば脅威でしかない。ときに追い出されて野宿を強いられることもあったけれど、竜化して守るように抱いてくれる彼の懐は暖かくて、夜も安心して眠ることができた。

 そんな生活を二年近く続けてたどり着いたのがこの村だった。辺境と言われるこの場所にも争いの余波はやってきて、壊滅的な被害をもたらしていた。そうした脅威がやってきたときに率先して追い払うことを約束に、彼は私に村での居場所を確保してくれた。

 落ち着く場所を見つけるまでという当初の期限はいつしか無くなり、今も彼は私と一緒にいる。

 最強と謳われる彼が、本当は誰よりも臆病で戦いを嫌っていることを、私だけが知っている。それでも彼は、嫌な顔ひとつせずに出かけていき、この家に帰ってくる。

 私と出会う前は各地を転々として自由に暮らしていたという彼に、苦痛を強いていると思うと、申し訳ない気持ちで一杯になった。それでも、私の謝罪なんて望んでいないこともわかるから、せめて戻ってきたときに安らげる家にできていたらいいなと、日々願いながら過ごしている。

 穏やかな寝息を立てる彼の髪を梳いていた手を離し、自分の喉元に持って行く。指先が硬質な感触を捉えた。鏡を使わないと自分では見えないけれど、私は首に彼から贈られたチョーカーを着けている。

 あの日取ってしまった鱗を後生大事に持っていた私に半分呆れてか、彼が装飾品に加工してくれたものだ。聞けば鱗を見るとその竜の強さが分かるらしく、最強と知れ渡っている彼の鱗を身につけていれば半端な竜族は手を出して来ないし、人間でも漏れ出す魔力を感じて何か仕掛ける前に逃げていくのだそうだ。

 早口に語られた言葉から、私の身を守る物であることが分かったけれど、たとえそうでなくても命を助けてもらった証は一生の宝物だ。

 時々二人で出かけていると仲の良いご夫婦ねと声をかけられることもあった。彼も曖昧に笑って否定しないから、村での私たちは異種族の夫婦と認識されている。

 けれども実は、二年もの間一緒にいる私たちが夫婦らしくあったことは一度も無かった。毎日一緒にご飯を食べて、夜は同じベッドで寝ているけれどそれだけで、一度も彼の気持ちを言葉で聞いたことは無い。

 私の方はたぶん初めから、出会ったときから心惹かれていたけれど、これ以上願うのは迷惑になってしまうと思うと、彼との関係を変える勇気も出せなかった。

 臆病な彼に、少しくらい心休まる時間があればいい、その助けになれるのならそれでいい。そう言い聞かせてみても、正直なところ彼の言葉がほしかった。

「アレク、大好きよ」

 寝ている彼になら言えるのに。臆病なのは私も同じだ。

 もっと平和な世界になればいいのに。そうすれば彼も苦しまなくていいのに。

 今はくつろいでいる彼は、見た目よりずっと長く生きているらしい。そしておそらく、残された寿命は私の方が短い。私がいなくなったあと、彼はどうなってしまうのだろう。今はそれが心配でならない。

 夫婦でもないのにこんなことを考えているなんてと呆れながら、穏やかな眠りを妨げないように髪をなでていると、長い睫毛が一瞬震えて彼の瞼がゆっくりと開く。

「レナ……?」

 まだ眠気の残る声で、彼が見つけてくれた私の名前を呼ぶ。寝起きで緋の混ざる金の瞳が、目覚めて最初に私を見つけて柔らかく笑うのには、いつも心臓が跳ねる。

 大きな手が、髪をなでていた私の手を捉える。そのまま重ねられた頬から温もりが伝わってきた。

「おはよう、アレク」

――いつか言ってね

 いまだ伝えられない願いを抱えながら、今日も、彼を甘やかす。

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