36 第35章 旅立ち
エルケ 東門付近 『姫乃』
魔法の練習やら、計測器の調整やらであっという間に数日が経過。そして気が付けば、セルスティーに依頼された旅の日は本日になっていた。
「ぐるおあぁぁ、何してくれんのさーー!」
「あはは、ごめんってー。油性ペンのインクこぼしたのはわざとだよー」
「こぼしたのは! こぼしたのはって何、他に何があったの! しかもわざとって謝る気ないし!!」
ルミナリアの家を出て集合場所である東門に着くと、未利と啓区が騒いでいた。
他にも朝一番で出発する隊商の人達や旅人が、それぞれの時間を過ごしているようだったが。爽やかな風と静かな朝が一瞬で逃げていく様子だ。
他の人達の迷惑になってなきゃいいんだけど……と姫乃は心配になる。
今日は例によって例の日で、姫乃は見送りのルミナリアやナターシャさん達と共に集合場所まで歩いてきたのだが。
緊張感無いよね……。
そこにあったのはいつもと変わらぬ皆の姿だった。
いや、しいて言えばちょっと変かなとは思わなくもないけど。
「手の甲にこんな模様書き込みやがってえぇぇ、こぼしただけでこんなになるかっ。これじゃあ厨二病男子じゃん! 闇の力か!? 闇の力に飲み込まれてんのか、あたし!!」
「あははー、いーじゃん手袋したら隠れるんだしー。それにそのギョロ目模様、結構似合ってるよー(笑)」
「み、未利ちゃまケンカはよくないのっ。おててグーはいけないのっ」
合流してから数日経つけど、当初の二人の距離感はどこへやら……、未利と啓区は不思議なほど仲良くなっていたのだ。
あの二人、何かあったのかな。
聞いても首を傾げられるだけだけだったけど。
殴ろうと追いかける未利、面白そうに笑いながら逃げる啓区。
その二人が、やや遅れて到着した姫乃達に気付いた。
「あ、姫乃」
「あ、姫ちゃんだー。やっほー、おはよー」
「姫ちゃまおはようなの」
三人の言葉に、姫乃とルミナリアやナターシャさん達がそれぞれ返す。
「おはよう、すっごい元気ね。結構遠くまで聞こえてるわよ」
「おはよう、三人とも。ルミナリアの良いお友達がしばらくいなくなるなんて寂しいわね」
そこでルミナリアは不思議そうな顔をする。
「確かにそうね。未利やなあちゃんとも、それなりに過ごしたわけだし。そっちの黒い人さんとはあんまり話せてないけど。……でも、ちょっと不思議よね。この人選で行くの」
そのままの表情で集合した面々を眺め、今は少し離れた所に移動してルミナリアの母と話しているセルスティーさんを順に眺めた。
「セルスティーさんは当然でしょ。姫ちゃんや未利は、そこそこ魔法が出来るようになったみたいだから分かるのだけど……」
「黒い人さんこと僕とー、なあちゃんだねー」
「ふえ、なあと啓区ちゃまがどうしたの?」
あのセルスティーさんが、力のない二人……啓区となあちゃんを連れて行く理由が分からないのだろう。
頼りになるセルスティーさん同伴といえども、旅の道中何が起こるか分からない。安全を考えて、町に残ってもらうという選択をするものだとルミナリアは思っていたようだ。
「うーんと、啓区は計測器の調整があるから、人手になるってセルスティーさんが」
そのルミナリアの疑問に応えるべく、姫乃は口を開く。
「うん、戦闘には自信ないけどそっちは頑張るよー」
胸ポケットから顔をだして眠そうにしている(機械なのに!?)カメのロボットうめ吉と共に、啓区がひらひらと手を振ってくる。
「なあちゃんは、えっと……マスコット、……癒しかな?」
マスカットさんなの? おいしそうなの、という顔でのほほんとしているなあちゃんについては、そう述べた。
「えっ、嘘!?」
驚愕!
という表情のルミナリアだ。
背景に稲光が見えるような驚き方。
「ごめん冗談、そんなに驚くとは思ってなくて」
「そ、そうよね。姫ちゃん、やるわね。さすが姫ちゃん」
慌てて否定すると、ルミナリアは安堵の表情を見せた。
それにしても予想に反する方法で自分に対する好感度が上がってしまったようだが。
ルミナリアのツボが分からない。
「なあちゃんはちょっと特別な魔法が使えるの。分かったきっかけは偶然なんだけど……」
くわしい経緯を教えようとしたところ……。
「あ、それ凄い秘密なのね。内緒話風に教えて!」
と耳に手を当てて傾聴スタンバイ。
目が、キラキラワクワクしてる。
「秘密ってわけじゃないんだけどな」
これだけ大勢の人がいる前で、あえて内緒話って……。何か恥ずかしいような気がするけど、断る方が長くなるんだよね。
ごにょごにょ……と、姫乃は口元に手をあててその内容をルミナリアの耳元で話してあげる。
「なるほど、よく分かったわ。すっごいって事が」
「それならいい……のかな?」
そんなに凄い話をしたかな。
と、二人が話し終わったのを見計らってかナターシャさんが近づいてくる。
ナターシャさんは、ほんの少し寂しそうに笑いを見せる。
「明日から家が寂しくなるわね。姫乃ちゃん、気を付けて行ってらっしゃい。セルスティーさんがついているなら大丈夫だとは思うけれど、時期が時期だし……とにかく、また無事に帰っていらっしゃい。ルミナリアも姫乃ちゃんの前ではあんまり態度に出さないけど、結構さみしがってるようだから」
そうだったんだ。
そんな風には姫乃には見えないけど母であるナターシャさんが言うならそうなのだろう。
こんな時になんだけど、ちょっと嬉しいかな、それは。
「ちょ、もうっ。そんな事……確かにそんな事この前言ってたけど……、それとこれとは違うというか……」
自分で言うのは平気なのに。ルミナって人に指摘されるのはダメなんだ。
新しい一面発見しちゃったなあ。
「少ない間とはいえ、あなたもうちの子だったんだから。さみしくなるのは当然の事でしょう」
恥ずかしさとか照れとかで悶えているルミナリアにそう言って……。
ナターシャさんはごく自然に、当たり前のことをするように、一歩距離をつめて姫乃を抱きしめた。
……暖かかった。
そして、なつかしい。
この温もり、お母さんの温もりだな。
あっちの世界にいる、お母さんどうしてるかな……。
会いたいな。
つかの間の別れの抱擁が終わって、訪れた名残りおしさを振り払うべく、言うべき言葉を発する。
「……ありがとうございます。ナターシャさん、きっとちゃんとまた帰ってきますから」
「ええ、待ってるわ」
元いた世界に帰れないのはさみしい。
でも同じくらい、この町でできたもう一つの家族と離れるのも寂しいって感じる。
「おかーさんずるーい、ぎゅーするのー」
「するのー、ぎゅぎゅーって」
いつの間にか、近づいてきていたヤアンとローノが突撃するように抱きついてきて、体勢をくずしかける。
「わわっ」
「ぎゅー。姫乃おねーちゃん、早く帰ってきてねー」
「ぎゅぎゅー、おねーちゃんが二人いた方が楽しいもんー」
力加減のない抱擁に少し息苦しくなりながらも笑顔で答える。
「うん、なるべく早く帰ってこれるように頑張るね」
「やたー」
「やったー、次は未利おねーちゃんだー」
早くも次のターゲットを決めた二人が嵐のように離れていく。
一人っ子だったから、お姉ちゃんになるのはちょっと新鮮だったんだよね。
うっとおしがる未利に纏わりついている小さな二人の姿を見て、姫乃はそう思った。
後は……、と考える。
他の町の人たちにはこの数日の間に、挨拶を済ませておいたし……。
「少しいいだろうか」
声がかかって振り返ると、ここにいるはずのない人と目があった。
ルミナリアの父だ。
「あれ、ボルゾイさん?」
仕事は大丈夫なのだろうか。
姫乃のそんな当然の疑問を予想して、ボルゾイは説明してくれる。
「部下に代わってもらってね。ルミナリア、少し向こうに行ってなさい。他の友達とも挨拶が必要だろう」
「えー」
「行ってきなさい」
「むー、しょうがないわね」
不満気なルミナリアだが、二度同じ事を言われるとあっさり離れて行ってしまった。
「変な事言わないでよ、もうー……」
訂正、あっさり離れてしょうがないとは言ったが、恨めしそうな目線をときどき父親に向けて送っている。
「私はこういう話を上手く話せないのだが、とりあえず伝えておきたいと思ったので話をさせてもらう」
難しげな表情をしたボルゾイが口を開いたので、姫乃はいまずを正す。
ナターシャさんとは、家の中で一緒にいるのだしよく話すけれど、ボルゾイさんは仕事で忙しくてあまり接する機会がないものだからどうしても緊張してしまう。
「娘はどう育ったのか、この年でとにかく奔放で自由で快活で嵐のような性格になってしまいました。誰かに迷惑をかけたり、誰かの事情に首を突っ込んだりが、日常茶飯事で……」
と、姫乃なんかよりよっぽど長く傍にいたであろう父親は、苦労を窺わせる口調でしみじみとそう言った。
ルミナリアの保護者という立場って、きっととても大変なんだろうなぁ。
ナターシャさんも、ボルゾイさんも。
実際エルバーンが町に入って来た時の事なんか、心配してすっごく怒ってたし。
「けれど、もう気づいておられるかと思いますが、あの子は何故か同じ年頃の特定の誰かと深く付き合ったりはしないんですよ」
「えっ……」
驚きつつも姫乃は考える。
多くの町の人達と知り合ってるルミナリア。
それは、強制的に人と関わりを持ってしまうような強引さや、困っている人を放ってっておかないような優しくておせっかいでだけどちょっぴり迷惑な性格ゆえだろう。
理由は他にも色々ある。悩みごとを持っている相手の気遣う思慮深さとか、彼女の笑った時の太陽のような笑顔……人を不思議と引き付ける魅力などもだ。
だけど彼女が、姫乃達以外の……誰かと長く一緒にいるのを見たことがあるだろうか、と考える。
セルスティーさんの所にはよくお邪魔してるみたいだが、友達という感じには見えなかったし。
「そういえば。確かに……」
「聖堂にいる余計な虫は後で排除するとして……」
「余計な虫……?」
何やらそんな様な姫乃の耳に届いてきた気がするのだが、聞き間違いだろうか?
気になって聞き返すと、さっきと変わらぬ表情と声色で否定されてしまったが。
「いえ、何でも。……娘にとってあなたは特別な存在のようだ。だからこれからも仲良くしてやってほしいと、今日はそう伝えたかったんです」
「そんな……私こそ、ルミナリアにはたくさんお世話になってて……こっちもずっと友達でいてほしいな……って思ってますから」
「そう言ってもらえるとありがたいです。きっと娘が聞いたら喜ぶでしょう」
そ、それはちょっと恥ずかしいからできれば言わないでほしいかな。
でも今さらかな。
それでルミナリアが喜んでくれるなら、いいかもって最近思えちゃうんだよね。
「そろそろいいかしら。問題が無いようならもうこの町を出ていくけれど」
セルスティーさんが、皆に声をかける。
お別れだ。
永遠の、ってわけじゃないし、戻ってくるつもりだけれど。
それでもやっぱり、まだ……ってって思っちゃうな。
誰かに促してもらわなきゃ、ずるずる残りたくなっちゃいそう。
「はい」
「なあも大丈夫なの」
「おっけー」
「別にいいけど」
それぞれが了承の返事をして全員集合。東門の前にいる門番さんにお願いする。
他の隊商の人たちや、旅人の人達が開いていく東門に集まりだす。
終止刻の影響はともかく、旅に危険はつきものだ。
害獣や荒くれ者の盗賊なんかの被害に遭わないように、道が分かれるまでできるだけその人達と一緒に行動するのがいいのだそうだ。
「そんな顔しないで姫ちゃん、こういう時はあえて笑顔よ」
ボルゾイさんに追い払われていたルミナリアが戻ってきて、姫乃の顔を見るなりそう言った。
「笑顔でいれば、きっともっとたくさんの笑顔を見つけることが出来るの。 だから、ね? 姫ちゃん、笑って」
そうだよね。
「うん、ありがと。ルミナ」
ぎこちないながらも、笑顔を作ってみせる。
うん、何かちょっと前向きになって来たかも。
エルケにはない、この世界の色々な物が見れるかもしれないし、きっと色々な人に出会えるかもしれないから。
悪い事ばかりじゃないはずだ。きっと。
そう思う。
「行ってらっしゃい、そして待ってるね」
「うん、行ってきます」
この物語の、長い旅の始まり。
物語が動き出す始まり。
私はこの時、まさかあんなにもエルケに帰る日が後になるなんて思わなかった。
そう、このこれから始まる小さな旅路で大変な事が起こってしまうのだけれど……。
でも私は後になったとしても同じように思うよ。
笑顔のルミナリアに見送られて、皆と一緒に旅を歩く事が出来て良かった。
そのささいな、小さなきらめきが、大きな光となって私を支えてくれるのだから。
『きっと大丈夫ね』
どこかで誰かがそんな事を呟いた気がした。




