275 第6章 バードラッシュ
コヨミが放った魔法でも、姫乃達の先制攻撃でも削り切れなかった脅威がこちらへ押し寄せてくる。
当初の数からは大分減ったものの、憑魔の軍勢はそれでもまだ十分に、たやすく人を蹂躙できる。
翼を持った巨大な威容が目に入った。
姫乃達が今まで相手にしてきたのは、おそらく二足歩行するであろう、巨大な牛の様な生き物。
未利がときどきゲームやアニメに出てくる生き物の事を喋っていたが、その中のミノタウロスとかいう生物に似ている。
彼等の頭部には二本の角が生えており、背中には闇夜に浮かぶ漆黒の羽がある。
だが、そんな見た目とは明らかに違う個体が数十体の中に一つの割合で紛れ込んでいた。
姫乃達が相手にしていた群れの中にはいなかったそれは、後続の身に紛れ込んでいたのだろう。
物語の中に出も出てくるような、巨大な体をした……竜に似た姿をした生き物が交ざっている。
星月の光を反射する固く黒いうろこでおおわれた体表は、軽く5・6メートル程はあるだろう。
それを竜と称さないのは、あまりにもその姿が威容だったためだ。
よくある物語の中に出てくる竜たちは、堂々とした威容を誇る巨大な体を持っていた。
だが、目の前にある生き物たちからは、生きて呼吸しているのがおかしく思ほど、生命力が感じられなかった。
今にも崩れ落ちそうなボロボロの肉体に、みずみずしさを失った肉体、そして……周囲の一回り小さな憑魔達の理性の感じられない瞳とは比べ物にならないほど、淀みきって何も移していないだろう瞳。
その竜に似た何かは、身動きをするたびに、体の一部をボロボロと壊して、暗闇の中へとこぼし落としていた。
まるでそれは死者の国から這い出してきた、屍のようだった。
ああいう生物(?)の事は確か、ゾンビなどと言うのだろうか……。
そんな光景を見たなあが、感想をこぼした。
「むむむ、なんだか良くない感じがするの。ふつうじゃない感じで、何か違うって感じがするの」
「少なくとも、まともな生き物ではないよねー」
啓区もその言葉に追随。
迎撃している他の兵士達はどう考えているのかは分からないが、姫乃もそう思ったところだ。
しかし、見た目の印象は別として考えなければならないのは、次の一手についてだ。
「とりあえず、そろそろ射程範囲に入るかな」
周囲を見れば、魔法攻撃を加えている者達とは別に、弓などの飛び道具を持つ人達がいた。
敵を隔てる距離がなくなる代わりに、物理攻撃が通りやすくなってきたのだ。
結界があるので、下手に攻撃しても、星詠台以外には被害は及ばないだろう。
魔法が通過してしまうが、周囲に落ちないように気を配るため、今は遠方の敵にのみ狙いを絞っている。
その代わり、こちらに徐々に近づいてきている相手には、結界に弾かれる物理攻撃の矢の出番だ。
だから、姫乃達のやることはシンプルだ。
結界から突き出ていて、城内へと通じているこの星詠台さえ守りきれば大丈夫のはず。
先程まで魔法を使用していたコヨミ姫たちは、今はもう中庭にはいない。
次の一手に向けて準備……休憩する為に、退避しているはずだ。
それまでに姫乃達は時間をかせがなければいけない。
別に倒しきることができるならそれに越した事はないのだが、無理だろう。
「なあちゃん、すずめ……じゃなくてチュンチク達動かせる?」
「なあの出番なの! どくだんじょーで、はれぶたいだって思うの! なあ、姫ちゃま達と一緒で姫ちゃま達を守るためにいっぱい頑張るの!」
だから、仲間の中でも特に小柄であるその少女にお願いするのだ。
任せておけとでも言わんばかりに小さな拳で胸を叩くなあは、少しだけ頼もしく見える。
こちらの言葉を受け取った彼女は、周囲を飛んでいるチュンチク達とお話しはじめた。
それを見ながら、今度はエルバーン乗りのユミンへ視線を向ける。
「ユミンちゃんの方は……」
「うん。お役目終わりだね。本当はもうちょっと手伝ってあげたかったけど、戦いの事なんて分からないし、乱戦になったらエルちゃんが混乱しちゃうだろうから」
戦闘経験の少ない彼女の出番はここまでだった。
後の事は姫乃達や兵士に託してもらって、エルバーンともども安全な場所に避難してもらう。
「頑張ってね、姫乃ちゃん達!」
「うん!」
彼女は、翼を折りたたんで体を小さくしたエルバーンと共に、町の避難所へと向かう為、一旦城内へと向かった。
そこで、なあの準備(お話?)が終わった様だ。
「チュンちゃん達ごーっなの!」
彼女は近づきつつある憑魔へ向けて腕を上げて、号令。
そして、ぴっと降ろす。
そうすると、周囲を飛び交っていた無数のチュンチク達は砲弾のような速さへ数十メートル先まですっとんでいった。
「わ……」
壮観ともいえる機敏な身のこなしだ。
しかも、それが一匹だけではなく、なん十匹も連なっている。
飛行機が飛ぶように隊列を組んだチュンチク達が、そのままのフォーメーションを維持しながら夜空の空気を切り裂いて進んで行く。
星詠台にいる兵士達は、弓矢を飛ばし始めるが、それよりもうんとはやかった。
放たれ始めた矢にまざって、疾風のような速度をだして飛行するチュンチク達の姿は、とてもシュールな光景だった。
「練習でたまに飛んでるのは見たことあるけど……」
とりあえず色んな意味ですごい光景だと思った。
チュンチクは魔獣ではないので、魔法の使えない普通の動物だ。
そのはずなのだが、一度通った場所なら、あのように飛んで、砲弾の様なスピードを出せるらしい。
しかも、自分の意思止まらない限りは、ほぼノーストップで何度も行き来ができるという。
肉体的にそんな事が可能なのだろうかとも思うのだが、こちらの世界のすずめに似た生き物チュンチクは、絶えず色々な場所を飛び回っている体力のある鳥らしいので可能らしい。アテナから聞いた話だ。
星詠台と近づいてくる憑魔達の間を何度も、残像を残して行き来するチュンチク達は視界の中で次々と敵対者を跳ね飛ばしている。
体力が切れるのは半時くらいらしいが、このままのペースでいくとかなりのダメージになりそうだ。
もうこれで十分なような気もしてくるが、跳ね飛ばすだけで倒す事にはならないので、やはり姫乃達の努力は必要だろう。
そんな事を思っていたら、啓区も若干同じような気持ちになったらしい。
「たくましい鳥さんだねー。でも、あの前に飛び出したら潰れたトマトみたいになっちゃいそうだー」
修正。
そこまで悲惨な想像は、姫乃の方はしていなかった。
だが、通常の個体はともかく、やはり一際体の大きい個体はそう簡単にはいかないようだった。
星詠台にいる誰かが叫んだ。
「押しきれない、一体来るぞ!」
男性兵士らしき声の言う通り、ボロボロになった竜の様な生き物がこちらに向かって来るところだった。
姫乃の仲間の一人であり、名前を付け事が得意な少女ならばなんて命名するだろう。
「名づけるなら、竜モドキとかかなー? とにかく、あれを中に入れるとさすがにまずそうだねー」
暫定で竜モドキとなったその個体は、こちらのすぐ真上までやってきていた。
羽ばたきの音と共に、星詠台の中央へ降りてくる。
何名かの兵士達が、その竜モドキへと魔法を撃つのだが、全て羽で叩き落されてしまう。
憶する気持ちはあるが、それは戦いの手をとめるほどではない。
姫乃達よりも何倍も大きい巨体は、見上げなければ全容を把握できないが、あいにくそんなスケールの相手と戦うのは珍しくもないからだ。
「あんなのが町中に出たら、大変な事になっちゃうかもしれない」
星詠台から、城の内部へ進むと結界に阻まれる事なく町の中へと出る事ができてしまう。そうすると、かなりの被害となってしまうだろう。
そうなる前に、ここで押さえなければならなかった。
しまっていたペンを取り出して、竜モドキへと構える。
「ここで、私達が倒さなくちゃ……」
※次回の更新は、5月6日になる予定です。