EP7 マイナスリスタート(未利)
シュナイデル城 訓練室
早朝の時間帯。
部屋には他に人がいない。
「うっしゃー、やるぞー!」
目覚めてから数日が経過した。
未利は気合の声を上げて、訓練室での訓練に取りかかっていく。
起きた当初は大変だった。現状整理やら状況把握やらの課題が積み重なっていて、とても面倒な目に遭ったのだが、すり合わせだけがそうだったわけではない。
むしろ、きついのはそこからだった。
方城未利という人間は、数日間ベッドの上でずっと寝かされていた人間だ。
必然的に体はなまるし、動かなかった分筋肉が落ちている事になる。
だから、当然何かしようとすると疲れるし、時間がかかってしまう。
あと、他の人と比べて時々失敗もする。
ないない、できない、足りないばかりの毎日だ。
だから、察しの良い人間なら、そこまで言えばもうお分かりになるだろう。
シュナイデに来てから上げたなけなしの能力が、底の方に落ちた事を考えると、今すぐもろもろの作業にとりかからねばならない。という、そういう状況が目の前にあるのだ。
そんな現実を直視した未利は、思わず「マジか」……とうなったのだが、それがマジなのが目の前にある現状。
焦りまくった。
それからの数日間は失った体力を取り戻したりするために、費やすことになりマイナスからのスタートだ。
だが……。
幸いな事なのだが、それらの日々は思った程に苦ではなかった。
不思議な事だが、一般例からみても少しばかり首を傾げたくなるくらいに回復が早かったからだ。
新しく顔が代わった治療室の医者が述べるには、魔力総量が体力回復に貢献しているとか、していないとか……。よく分からん。
ともかく、早く回復できるのならばそれに越した事は無い。
「しゃー」
「みー!」
弓矢に風で作った矢を番えながら己に気合を入れていると、いつの間にか足元にいたらしいネコウが鳴き声を上げた。
尻尾を逆立てて、仮想敵への威嚇の仕草。
実に血気盛んなネコウである。
「ムラネコ、アンタも、いたの?」
「み?」
声を書ければ「ん? なぁに?」みたいな感じでこちらを見上げてくる。
マイペースなところが少しだけなあに似ていた。ちょっと和む。
ちなみに名前はムラネコだ。
なんかどこでもいそうな顔つきだし、そこらのムラにいそうと思ったから。
つまり、ありふれた村にいそうなありふれたネコウだから、だ。
「別に、ついてなくたっていいのに……」
「みゅっ」
ベルカという人間が、未利を起こす為の接着剤として医務室に召喚したらしいが、元気となった今では傍にいる必要はない。
なのに、こうやってよく姿を現すのが不思議だった。
「アンタも物好きだね」
「みゅー?」
排水管だか下水管だかに詰まっていた所を助けたというのは、まあかろうじて覚えている所ではあるのだが、それにしたってネコ……ではなく、ネコウが恩義を感じる必要はないだろう。
「考えなおしたら? アタシ達といたって、面倒な事に巻き込まれるだけなんだけど」
「しゃーっ!」
「なぜそこで怒る! はぁ、もういいや。好きにすれば」
所詮ネコウだし、小動物だし、会話が通じるわけがない。
そう思って、ネコウとの会話を終わらせた未利は、弓に風矢を番える。
さすがに寝込んだだけではその仕草までは忘れていなかったのが、救いだ。
これをやると初見の人間に毎回驚かれるのだが、今回は訓練室に一番乗りだったので、無用の中断が入る事は無い。
姫乃達以外の人間に言わせれば、ただの空気である風が掴めるわけない、との事らしいのだが……。
「掴めるんなら、掴めるんじゃないの?」
未利としての意見は、そういう感じである。
そのまま物思いにふけっていても時間の無駄になるだけなので、集中する。
弓を引き絞って、訓練室の壁にとりつけた的に適当に狙いをつけた。
そして、呼吸を合わせて、焦らずタイミングをはかる。
今までは手数を増やそうと、狙いよりも矢を放く放つ事に重点を置いていたが、フォルトの助言もあり正確性を極めてみる事にしたのだ。
十分に精神を集中させたのち、ここだと思ったタイミングで弓を放った。
「っ!」
放たれた風は、想像の中に描いた軌跡を正確になぞって、的に吸い込まれていく。
「よっし!」
「みぃっ!」
訓練の成果は一応順調に出ているようだった。
マイナスからのスタートなので、他のメンバーからすれば見劣りするものではあるだろうが。
そんな風に、一通り練習をしていってその後で休憩をとると、訓練室にエアロがやってきた。
「やっぱりいましたね」
「いちゃ悪い?」
「別にそうは言ってませんよ。ここのところ姫乃さんが早起きしてるって言ってましたから、単に推測した事実が当たった事を、口に出しただけですから」
「あっそ」
少し前だったら確実にケンカに発展していただろうやり取りをしながら、エアロが近づいてくる。その肩には、もうずいぶん姿を見ていなかったヤコウモリの姿があった。
「我慢我慢。仕方ない事。これはそう、仕方ない事だし……」
「何ぶつぶつ言ってるんです? 気持ち悪いですよ」
「アンタやっぱり一言余計だわ! ムカつく!」
別に全面的に理解できたとかおおらかになったわけではないが、そういう可愛くない物言いをするのがエアロという人間なので、仕方なくほんの少しだけ妥協できるようになっただけだ。まあ、やろうと思っても、最後までやりきれていないところが現状ではあるが。
「ところで、そのコウモリどうしたのさ。ロングミストの町以来見かけてなかったから、存在忘れてたけど」
「ああ、これですか。一応船に乗ってるときも傍にはいましたよ。隊長や貴方達とはぐれる事が無かったので、出番はありませんでしたけど」
という事は、名前にコウモリとつくらいだから、船の底の暗そうな荷物保管庫とかなんかにいたのだろうか。
そこらへんに閉じ込められてたとか言っていた啓区に、今度話を聞いてみたらいいかもしれない。
「今までいなかったのは、ロングミストがあんな事になってしまいましたから、一応知り合いの元住民の方たちへ手紙を出していたんです。行き慣れた場所しかいけないので、応用性にはちょっと欠けますけどね」
「ああ、なるほど。だから……。ってことはアンタ、やっぱりあの町の出身なの?」
「はい、まあ兵士になってからはこちらにいる方が長いですけど」
町長の秘書みたいな事をしていたのだから、町の人間であってもおかしくはないだろう。
それなら必然的に他の住民と触れ合う機会も多いだろうし、知り合いがいるというのも頷けた。
町が消失してしまったという一大事なのだから、色々とやらなければいけない事もあったはずだ。
「ふふふ、何十通も同じ内容の手紙を書くのはさすがに疲れましたけどね」
「あー、ご愁傷様……」
エアロにも知り合いの数はそれなりにいたらしい。
何というか、文明の利器に恵まれた自分達では分かち合えない苦悩だったので、そう言ってやるしかなかった。
話しているうちにどこから取り出したのかよく分からない短剣や武器類を並べていっているエアロは、新たな話題をこちらに提示してくる。
このままここで訓練するらしい。
そんな中で振られる話題は、この後の予定についてだ。
「それで、そちらの訓練は終わりましたか?」
「んー? もうちょい?」
当初の見込みよりは、大幅に訓練の時間を短縮する事ができそうだった。
これは、フォルトのおかげで曲がりなりにもマギクスの文字が読めるようになったので、訓練の後に姫乃達と交ざって勉強せずに、他の事に時間を使えるようになった影響だ。
そんな事実が判明した当初は、エアロが「人ってたった数日で別の言語を体得できるわけではないと思うんですが……」と言っていたが。誤解しないでほしい、あくまでも曲がりなりにも、の範囲でありマスターしたわけではないのだから。
その点で言えば姫乃の方がよほど反則だ。
国語が得意な姫乃は、たった一日にしてマギクスの言語の文法……言葉の仕組みを把握してしまったのだから。脳の出来が違う。むしろおかしい。……は、言い過ぎかもしれないが。
そもそも、未利がこちらの文字を習得できたのは、何か知ってる気がしただけであって、あふれ出る才能が開花したとかそんなではないのだから。
「あとちょっとやってくよ。もうちょっとでコツが掴めそうな気がするし」
「そうですか、じゃあお店に寄ってからになりますね。例の件は」
「そう、なるね。たぶん……」
横に並んだエアロが、さらに他の武器…杖をどこからか取り出して調子を確かめ始める。そうして、軽く振って物を浮かせたりして、準備体操。
それで、エアロの述べた例の件とやらは少々暗い話になるのだが、フォルトの遺産についてだ。
フォルト・アレイス。またの名を古戸零種は後夜祭会場のあった場所……海中・海上を捜索しても、生存どころか行方が確認されなかった為、現在死亡扱いになっている。
それで当然、もろもろの手続きが進んでいき、フォルトが残した遺産や建物やその他親交のあった者達への連絡など、死亡決定後の処理が行われたのだが、その中で唯一別荘の扱いについてだけは明確に遺言が残されていて、遺産相続人の指定があったのだ。
遺言状が書かれていたのは、人質救出作戦前夜。
分かったのは、日付と時間が書いてあったかららしい。
書き記したのは、未利とフォルトが墓参りをした後の事だろう。
フォルトは、他のほとんどの財産は美術館や休憩寮への寄付にあてていたというのに、それだけは明確に相続先を指定した。
だから未利達は、近いうちにその別荘に行ってどうしてもその意味を、確かめなければならなかった。
「本当は外に出て欲しくないんですけどね。現状を考えれば」
集中しているかと思ったら、横からそんな言葉が横からかけられる。
エアロはどれだけのものを正確に浮かせられるかの訓練をしているようだったが、会話をしながらでもその集中に乱れは窺えない。
「氷裏さんがまだしつこく周囲を動き回っているかもしれませんし、せっかく起きられたんですからまた眠りこけられてしまっては困るんですよ」
「……眠りこけてたわけじゃんないっての。そんな事言ったって。仕方ないでしょうが」
文句を言うなら「あっちに言え」と、そう言ってやる。
「お昼のアレだけなら、まだ城の近くなので安心なんですけどね。兵士もいますし、でも遠くに行くのは感心しないというか。はぁ……後にしません?」
「何その、五歳児の初めてのお使いを見守る母親のような言葉は。明日やる、はいつまでもやんないの定番でしょ。何さ、そんなに警戒しなくたってよくない?」
憂鬱そうに杖を振るエアロの様子を、良い方に捕らえる事もできるのだが、現状としては理解できないという方向へ一直線だ。
気にしすぎだとそう言うのだが、エアロとネコウは全く同じタイミングで呆れの反応を返した。
「はぁー……」
「みゃう……」
「何でため息! しかもネコウにまで!」
「未利さんて、なあさんより危ないんじゃないんですか? 誘拐犯の事気にしすぎですし、気を許しすぎです」
「そこまで言う!?」
別に過剰に気にしているつもりはないし、全面的に許しているわけでもないというのに。
甚だ遺憾の意である。
しかし、この分だと訓練が終わった後は、姫乃達とは顔を合わせずに城を出る事になるが……。
その事に申し訳なくなる思いを巡らせるのと同時に、少しほっとしている自分もいるわけで……。
「逃げてばっかりじゃ駄目なのは分かってるけどさぁ」
「何がですか?」
「何でもない」
適当な返事をしながら訓練を続行する。
心の中でひっそりと思うのは、仲間に関しての事。
より詳しく言えば、勇気啓区について。
幼なじみであると言う記憶だけ、元に戻らなかった事をどうやって受け取っていいのか分からないでいるのが、悩みの種なのだ。
気にするなと言っても無理な話だ。
たとえ悪い奴ではないと分かっていても。
むしろ下手に仮初めの時間を過ごしてきてしまっただけに、こちらもマイナスからの関係になっているのではないだろうか。