EP4 ひとつの恋が終わる時
ウェルリッド魔石店 店の前 『アテナ』
アテナ・ルゥフェトルは魔同装置研究室の室長である。
魔法・魔法陣・魔同装置の解析をこなせば、少なくともシュナイデで右に出るいないだろう。
生憎、調べ物や研究ばかりを送り続けた影響でか、見た目こそ子供の様な低身長だが、能力の方は、そんじょそこらにいる大人にはそうそう引けを取らないだろうと自負している程だ。
そんなアテナの人生は、子供の頃からずっと変わり映えのしないものだった。
来る日も来る日も同じ事の繰り返し。
魔法に記された書物を読みふけり、研究し、解析する。
それらだけで人生が作られていたと言っても過言ではなかった。
別にその事実に不満などはなかった。
アテナ自身はそんな己の人生に満足を持たないながらも、嘆くほどの不満はなかったのだ。
アテナの人生にあるのは、研究者としての興味とやりがいだけ。
けれど、心の奥底ではずっと探し続けていたのかもしれない。
足りない何かを。
自分がこの世界に生きているという実感を、誰かに関わっているという絆を、証を。
それは、城に勤めるようになって、コヨミやグラッソ、イフィール達などと関わってからほんの少しだけ変わりだしていた。
そしてルーン・ウェルスタと出会って、アテナは初めて「自分がこの世界に生きている」という実感を得る事ができたのだった。
「ルーン……」
ルーンという人物がくれたもの。
変えてくれた世界。
見せてくれた景色。
それらの全てが、アテナにとっては大切な宝物だった。
世界中のどんな宝石にも及ばない、価値のある思い出。
けれど、どんな時でもまばゆいばかりのきらめきを放っていたその思い出は、たったいま色のないただの情報になろうとしていた。
行きつけの魔石店。
彼がいるかもしれないと定期的に訪れていたその店の裏手を訪れば、待ち望んでいた再会が果たされた。
「こんな所に呼び出して、どういうつもりです?」
店の内部。アテナを待っていたのは、行方をくらましていたルーンの姿だ。
彼との逢引きの機会は、自分達にしか分からない秘密のやり方で知った。以前に彼がしていた仕事、時計塔の点検をしていた時に、彼自身が身につけた細工によって。
塔の建物の上部には、建設当時に取り付けられたある仕掛け……定期的に音楽を流すものがあるのだが、その音色を少し変えるというやり方で、待ち合わせを決めたのだ。
正面に立つルーン。
彼は、見ない内にだいぶやつれてしまっている様に見えた。
「アテナ。待っていたよ。遅いじゃないか」
「それはごめんなさいですです。急に仕事が入ったので、引継ぎを済ませるのに手間取ってしまったです」
待ち焦がれていたとでも言わんばかりの相手の態度に、アテナは頭を下げる。
待ち合わせに遅れた事に詫びるのは、本心からだ。
それは嘘ではない。
時間厳守、とまでは行かないが、私生活に余分な時間を持ち込まない派であるアテナは、相手の時間のロスについても気になるし、申し訳なくなる性分だった。
「そういえば遅れてしまいましたが、おめでとうございますですです」
「え?」
「貴方の作り出した作品。美術館に飾られている物が特別賞となりましたですよ。貴方が例の件に関わった事は、まだ世間には出てませんですですから」
「そういえば……、そんな事もしていたね」
アテナが報告した内容を素直に喜べないという心境も分かる。
彼は、今はお尋ね者である身なのだから。
「忘れていたよ。そんなものよりもっと良い作品が作れるようになってしまったから、今更かもしれない」
だが、ルーンはアテナが思ったのとは違う理由でその事実を受け止めていたらしい。
口元にかすかに苦笑の気配を纏わせながら、ずいぶん昔の事でも思い出す様にそう述べた。
アテナは、ポケットの中にある護身用の武器を確かめる。
今回の待ち合わせに遅刻してしまったのは、実はそれを用意していたからでもあったのだ。
重要事件にかかわった犯罪者の一人。
彼の今の立場はこうだ。
アテナは己の彼氏としてではなく、彼の事をそう見て行動しなければならない。
だが、あんな事さえなければ一人の女性としてまだ味方としていられたのかもしれないが。
彼はアテナの友人を……コヨミを売り渡すようなことがなければ。
「それで、何の用ですか。お城に来てワケを話してくれる気になったんですです?」
「ああ、その事なんだけど……君からも皆に言っておいてくれないか」
「何を、です?」
彼は懇願するような、縋り付く様な瞳を向けてくる。
それは、いつもアテナに向けてくれるような甘いものでも、熱っぽいものでもない。
話こそしているものの、彼はアテナの事などまるで見ていないようだった。
「僕は彼等に騙されただけなんだって、そう説明してくれないか?」
「騙された……ですですか。では、ルーンは自分の意思で姫様達に牙を向いたわけではないと、そう言いたいです?」
「当たり前だ、僕が君達にそんな事をするはずがない」
「嘘」
「え……」
アテナは、考えるよりも前に、一瞬で断定した。
彼は嘘をついている。
信じたくはなかったが、先ほどの彼の発言は嘘なのだろう。
悲しいがそれが、アテナには分かってしまっていた。
「私がどれだけ貴方の仕草を、表情を、クセを観察してきたと思っているですです? 今の貴方は嘘つきの顔をしているですよ」
「そんな……、アテナは僕の事を信じてくれないのかい?」
「それとこれとは別ですです。嘘を嘘だって分かっているのに、信じる事なんてできませんです」
あるいは、彼が連中に騙されているにしても、もっと堂々としていれば……、その表情の中に後ろめたさや罪悪感などの色がなければ……、アテナは今言われた言葉を信じていたかもしれないが。
そんな事を言ったところで、無意味だろう。
彼は、焦ったような表情で、こちらを見つめる。
手を伸ばしてこちらの肩を掴もうとするが、アテナはそれを一歩後ろに下がる事で避けた。
「僕は、僕はっ、本当に騙されていたんだよ!」
なおも詰め寄ろうとするルーン・ウェルスタ。
アテナは、そこから一歩下がって護身用のナイフを向けた。
彼は、それを見て信じられないという表情をしながらも、弁明を続けていく。
「そうだ、そうだよ。僕は呪われていたんだ。呪いの影響を受けていたんだ」
「呪い?」
身振りを交え、両手を広げ、こちらの言い分を受け入れてくれとでも言わんばかりに。
アテナは、唐突に紡がれた言葉に首をひねった。
似たような言葉は聞いた。
コヨミから、聞いた頃がある。
ごく最近の事だ。
それは、とある少女の心域内での出来事で氷裏という人間が口にしていた言葉だとか。
後々、全体的な情報共有の場が設けられて話し合いをする事になっているが、コヨミがたまに執務から逃げ出して中庭にやってくるので、同じく息抜きに訪れたアテナが聞いたのだ。
ルーンは、口の端を引き上げながら、アテナへと詳しく語りかけてくる。
「呪われた少女の影響を受けて、僕は狂気に支配されていたんだ。裏切ったのは僕の意思じゃない。あの少女は危険だから。近づいた物は皆、呪われてしまうから。だからおかしくなってしまったんだ。そうだ、あの子のせいだ。氷裏が言っていたんだ、あんな奴がいたから。僕は、こんな風に人目を忍んでこそこそ町を歩かなくちゃいけないんじゃないか。そもそも浄化能力者がいつまで経ってもあらわれないから、こんな事になってるんじゃないか!」
「ルーン……」
なおも続けられるルーンの言葉。
続きを聞かずに、アテナは遮る様に発言していた。
「……もういいです」
自分は一体、この人の何を見ていたというのだろうか。
自分は彼に恋をした。
彼と同じ時間を過ごした。
色んな事をしたし、色んな所にも行った。
どんな時に、どんな顔をして、どんな事に心動かされるか分かったつもりでいた。
だというのに、今のルーン・ウェルスタの事がアテナには全く分からない。
少し前までは、この世界で一番に大切な人だと思っていたというのに。
けれど、自分が知っていたのは、ほんの一部。
表層の部分にしか過ぎなかったのだ。
「彼女は確かに呪われているようなものかもれませんですですね。本当に運が悪いようだと聞きましたです。氷裏からもそんな様な情報があったようですですし。不幸だと……」
「だろう?」
「けれど」
アテナは、己の背後、待機している者達へと身振りで合図を送った。
「自分の行いを、自分の意思を、他人のせいにするような人間は、私の知ってるルーンではなかったみたいです。仮に……ありえない言い分だと思いますですですが、貴方の言った事が本当だとしても、貴方は欲望に負けて良い言い訳に、喜んで飛びついただけです。今の貴方は犯罪者の一人でしかないですですよ」
隠れていた兵士達がルーンを取り囲んでいく。
「どうして分かってくれないんだ!」
手を伸ばせば触れられるような距離にいると言うのに、アテナ達を隔てる溝はどうしようもなく深かった。
あるいは、彼が一度でもアテナの事を名前で呼んでくれていたら、愛していると囁いてくれたら、心配してくれていたら、今の彼の言い分にも心が傾いていたかもしれないが、彼が喋ったのは自分の事だけだった。
「三度、貴方は機会をフイにしたです」
彼に背を向けて言い放つ。
「屋敷で、貴方の作品見ましたですです」
「っっ!」
「よく、あんなもの描けましたですね」
それはアレイス邸に残されていた、彼の作品の一部だ。
逃走する時に持ち出せなかっただろう物の一部。
「私の友人を、そして何の罪もない少女を苦しめた報いを、貴方は受けるべきですです」
そうして過去をおきさって、アテナは前へと進んで行く。
背後から聞こえてくる言葉には、もう耳を傾けなかった。
自分の好きだった人は今日ここで死んだのだ。
ひとつの恋が終わってしまった、大切だった思いがなくなってしまった。
「さようなら、私の大好きな人」