231 第33章 まつり
『未利』
来てくれた姫乃達には大丈夫だと言って、この世界から帰らせた。
大丈夫なフリじゃない? ……って疑われたのは心外だが、前科があるから仕方がない。
去り際に、あいつとはちょっと話をした。
「ちゃんと帰って来るよねー?」
自分の言葉が届くかどうか、分からない。
そんな風に不安そうに言葉をかけてくるのは、らしくないと思った。
色々ごちゃごちゃになってるから、ここで起こった事が現実世界にどうやって影響するのか分からない。判明した事……、そいつに関する真実を覚えていられるか分からないけど、こちらから言うべき事は一つしかない。
「そんなのあったり前でしょ」
「そっか、待ってるよー」
そんな風に会話をして、姫乃達が向こうの世界へと帰っていくのを見届けた。
あとやらなくてはならない事は、一つだけだ。
それは一つの不幸の物語だった。
それは一つの幸せを得るために足掻く物語。
それは一つの世界の終焉を綴る物語でもあり、
それは一つの世界の再生を記す物語。
たくさんの悲しみがあって、喜びがあって、怒りがあり、
涙を流して、笑みを刻んだ一人の人間の歴史があった。
誰にも真似できない、誰のものでもないただ一人の物語。
……そのはずだった。
けれど、物語には手が加えられ、歪に書き換えられ、運命が、理が捻じ曲げられてしまっていた。
足掻いても足掻いても、先へ包めない。
探しても探しても、道が見つけられない。
そんな世界に書き換わってしまっていた。
けれど、もう理不尽な終焉の物語はここでお終い。
これから綴るのは、新しい物語。
自分達の手で綴る物語だ。
誰の責任にも、誰のせいにもできない世界だけれど、それでもきっと歩いて行けるだろう。
なぜなら、貴方は一人じゃないから。
一人で歩く事を選ばなくていいのだから。
光の中。
駆け巡る思いと過去の光景の本流の狭間で立っていると、その人物が目の前に現れる。
見慣れた顔。
数年前までは当たり前に近くにあった顔だ。
いるはずだと思っていた。
だってここは、心の中なのだから。
「織香……」
「久しぶりだね」
未利はそこに現れた人物の名前を呼ぶ。
方城織香。
生きていたらそうだっただろう成長した姿で、姉が目の前に立っていた。
「あたしはアンタの事が嫌いじゃない」
「私も、大好きだよ」
「でも、大好きとかまでは、別に思ってないけど……」
「相変わらず照れ隠しが下手だね。ツンデレさんなんだから。可愛いなあ」
「うっさい」
交わす言葉はひねくれていて、まっすぐには発せられないが、織香には全てお見通しのようだった。
生きていた頃もいつもそうだった。
本心を見抜かれて、優しく包まれてしまう。
「アイツ等も……お母さんもお父さんも嫌いなんかじゃないよ。ずっと心に蓋をしてた。真っすぐに見つめてたら、アタシが壊れちゃいそうだったから。嫌いなフリをしてたんだ」
「うん、知ってるよ。ずっと見てきたから。傍で見守ってたから」
「ほんとに?」
「ほんとのほんと。だって私はお姉ちゃんなんだもん」
数年分の思いを、長く途切れていた溝を埋める様に、本音があふれ出す。
「家族に、必要とされて嬉しかった。でも、おかしくなってから……、辛かった。他の人間にアタシを見てもらえないのも悲しかったけど、一番見てほしかったのは、お母さんとお父さんだった」
「うん」
「嫌な事ばっかりさせられてたけど、そんなに嫌いじゃなかった。でも、そんな気持ちを認めちゃったら。そんな事になった状況を受け入れてるみたいで、嫌だった。だから、嫌がる事にしたんだ」
「うん」
織香は、二人を見ている。
気づけば、未利の隣にはエムが立っていたから。
未利は手を伸ばし、エムも手を伸ばす。
二人はどちらからともなく手を伸ばし、繋いだ。
「アタシは……」
「あたしはね……」
――諦めたんだ。
苦しくて、悲しくて。そんな日々が続く事に耐えられなくて。限界だったから、本当のあたしを封じこめて、別のアタシを作り出した。
だって、あのまま生きて頑張って行く事なんで出来なかったから。
希望なんてなかった。あるのは不幸と絶望しかなくて、掴もうとした幸せがどこにもなかったから。
一度手にしてしまった、幸せが眩しすぎて。不幸が辛過ぎて……。
存在を拒まれて、否定されて、別の誰かを演じる事でしか生きる事を許されなくて。
自分が誰だが分からなくなりそうだった。
だから……。
あたしはアタシを作り出した。
茉莉は未利という虚勢で本音を封じ込めたのだ。
殺さずに、消す事も出来ずに……。いつか、起きる時を夢見ながら、茉莉を眠りにつかせて……。
偽物はその存在を忘れ去っていた。
敵意を真実にすれば、自分の存在だけは守れる。大好きだった人達に傷付けられる事が無くなる。
虚勢を本音にしてしまえば、かすかで絶望的で敵わない未来を夢見て、無駄な事に頑張る事もしなくて済むから。
だけれど……。
「今はアタシ一人じゃないから」
「今はあたし一人じゃないから」
一人で頑張らなくてもいいって、困った時に助けてくれる人達がいるから。
虚勢だけで、本音だけで生きなくて良いのだと言ってくれた人達がいるから。
だから……きっと厳しいけれど、大変だけれど、これからも頑張って行こうと思ったのだ。
究極に我がままで自己中心で、勝手な願いなのかもしれない。
きっと目も当てられないような傲慢で、強欲な事なのかもしれない。
それでも、前に進もうと、そう決意したのだ。
滅びた世界を新しく作り変えて、未知の可能性を掴み取るために。
「辛い過去なんて、いつか過去に起きた不幸なんて、みんなの楽しい思い出でかき消しちゃえばいい。これから頑張って、積み上げて。今まで起きた分のたくさんの不幸よりも、もっとたくさんの幸福を積み上げればいい。それがきっと出来るて信じてる。皆が信じさせてくれたから」
「そんな生き方がきっと、アタシ達の……」
「そんな生き方がきっと、あたし達の……」
そう言って、未利とエムは織香へと笑む。
「そんな生き方が……?」
ほほえみと共にかけられた織香の問いかけに、二人は同時に応えた。
「「一番したいことなんだよ」」
春の木漏れ日に照らされて、そっととける雪の様にふわりと笑いながら。
一週間後、終章を更新して一旦休憩です。
誤字脱字チェックと、ストック貯めの為、二か月ほど期間をあけます。