229 第31章 諦めながらも
雨が降り出した。
煌めく光の雨が。
姫乃はその雨の中で、目の前で戦っている二者を見つめていた。
「もういい加減退場しても良い頃合いなんだけどね」
氷裏は身の丈程の長さの剣を振り回し、啓区を攻撃しようと動く。
「一体どこまで生き汚いんだか、息苦しいくらいに生き苦しい男だね、本当に」
「長生きしようと思ってやってるわけじゃ、ないんだけどねー」
啓区はそれを避けながらも、棘の剣で時に受け流し、時に攻撃を繰り出して渡り合う。
だが二者の状況を見れば、それはやや氷裏の方に有利に進んでいるようだ。
啓区はところどころ剣傷を作っているが、向こうは全く無傷だった。
相手の方は戦闘に慣れているのだろう。
素人目から見てもまったく無駄のなさそうな動きをする氷裏は、滑らかな動作で、まったく手を止めることなく攻撃を加え続けている。
だが、啓区もただやられているだけではない。
攻撃の合間に、回避の合間に。
己の手札を使って、相手の隙を探り、少しでもダメージを入れられないかと機会を伺っていた。
「魔法無効化は君には意味がないみたいだねー、幻も、効いてないような感じー? レールガンは慣れてないしー、うめ吉があればもうちょっとやりようがあるんだけどなー」
目まぐるしく状況が変化していく攻防。
相手の動きは、イフィールですら圧倒するものだったが、しかし啓区はそれにどうにかついていっているようだった。
「借り物の力でチートか。恥ずかしく無いのかい?」
「そうだねー。ごめんね、真面目な人ー。でも、自分の力だからって威張って何でもやってる君よりは、恥ずかしくないかなー」
「開き直りか」
「事実だよー」
悪態を付く氷裏に、笑顔を装っての啓区の言葉。
たった数言交わす間だけなのに、その中で何度命に関わる選択がなされただろう。
氷裏に剣で切り裂かれ、それを避け、右から棘の剣を繰り出して。それで相手が剣をフェイントにして逆の手で首を掴もうとしていて、啓区はそれを左……逆の手で払う。
目まぐるしく立ち回る両者に、姫乃は割り込む事が出来ない。
「……」
確かに啓区にしかできない事かもしれないが、だからといってそれを守って律儀に一人でやらなくてもいいのではないだろうか。
どうして変な所で、真面目なのだろう。
何でも器用に出来てしまうから、と言い合ったのは先程の事ではないか。
「やれやれ序盤で出てくる四天王並みにやっかいだよー。困ったなー」
「へぇ、四天王か。口が減らないね。余裕らしいな」
「全然ー」
姫乃は改造杖を相手へ向けてみる。
当然狙いは定まらない。
目標が、流れる様な動作で右に左に動くからだ。
「逃げ出した腰抜けの残りかすで出来た存在のクセに、いやにしがみつくじゃないか」
「何を言ってるか分かんないから、翻訳してくれると助かるかなー」
「あの男の心を折るのに、どれだけこちらが手間をかけたと思っている? まあ、そのおかげで彼女の呪いは、変異したこの世界でも引き継がれ大きく育ったようだけれど」
「呪いー?」
今まで無表情でいて、滅多に感情を表さなかった氷裏がうっすらと笑みらしきものを浮かべる。口の橋を曲げて弧を描き、氷裏は語りだした。
かつて、クレーディアという機械人形がいた事を。
クレーディアは、自分の生みの親を殺した犯人にそれと知らぬまま従い続けていたが、その事を自らの死の間際に思い出した事を。
そして彼女が、親の仇を取れないと、復讐を果たせないと嘆いて、そこで呪いを生み出したという事を。
その呪いは、次に生まれ変わる魂へ引き継がれる呪いだと言う事を。
「それは君達流に言えば、不幸かな? 関わった者が不幸になるという呪いを、無意識に生み出してしまったんだよ」
「へぇ―、つまり君はそれが欲しいんだねー」
「中身は要らない。呪いの染みついた器、それだけが僕の目的だ」
改造杖を持つ手が震える。
今なら相手が例え止まっていたとしても、きっと外してしまうだろう。
呪いなんていうそんな物の為に、そんな物を手に入れる為に、氷裏はこんな大掛かりな事をして未利を狙っているのか。
明星の目的とは違った、それは氷裏自信の目的なのだろう。
取りあえずは敵にも味方にも絶対に当たらないように、離れた所に炎の攻撃。
「あ」
だが、ちょっと予想より、派手になってしまった。
内心の影響をうけて、爆発するような感じで燃えたそれは、けれど相手の動きを止めるという重要な役割を果たしてくれたようだ。
目の前にいた二者が互いに距離を取って離れる。
「それで何をするつもりなんですか。私の友達を使って」
「姫ちゃん?」
炸裂した火に気づいて、啓区は姫乃の存在に気が回ったようだ。
まさか、姫乃が大人しく敵の相手を啓区だけに任せているとでも思ったのだろうか。
いや、思ってなさそうな感じで「あー、やっぱりー?」と貼り付けた笑顔を変えた、力の抜けた笑みが返ってくる。
「答えてください、一体何をしたい為に私の友達を狙ってるんですか」
「さあ、何をしようかな」
何か動く素振りを見せたら、攻撃する。
……という脅しの態度がちゃんととれているだろうか。
慣れていないので分からないが一応頑張ってみる。
大事な質問をしたのだと、そう伝わるようにしたつもりだが……。
距離を開けて向かい合う、氷裏は肩をすくめて普段の調子で言葉を返すのみだった。
「研究者の目的なんて、研究する以外に何があるんだい? 目的なんて後で決めるよ。それは僕だけじゃない、大抵の同僚も同じさ、エマだってそうだったしね」
「……っ!」
それが本当の理由なのだろうか。
氷裏の行動理由?
嘘をついていると言う事はないだろうか。
だが、そうだとしてもこちらからは分からない。
だが、もし述べられた言葉がその通りの意味だとしたら姫乃は許せなかった。
「彼女がいたから、皆不幸になる。どうだい凄いだろう?」
そんなの、ぜんぜんだ。
「黙ってください」
この人はここで、倒さなければならない。
これ以上好き勝手に動かせたら、仲間だけではなく、何かとんでもなく恐ろしい事をしでかしてしまうような気がした。
まずは、炎で取り囲んで……と思いのままに攻撃の魔法を放とうとした瞬間。
「間にあった」
言葉が響く。
それは、いつの間にか隣にやってきていたエムの言葉だった。
「姫ちゃん達が頑張ってくれたおかげで準備が出来たよ」
「え?」
彼女は、さらにそこから一歩前へと進み、氷裏を睨みつける。
「ねぇ、あたし達がただ逃げ回っているだけだとでも思った? ただ貴方に困らされているとでも?」
その足元に駆け寄るのは、エアロ達が相手にしているはずの子ネコウだ。
大きかった体は元のサイズへと戻てっいる。エアロ達が上手くやってくれたらしい。
「みー!」
エムに寄り添う子ネコウは、全身の毛を逆立て対面する相手を威嚇する姿勢になった。
「怯えているだけじゃ前に進めない、泣いているだけじゃ笑えない。だからあの子が生まれたんだよ。その意味が本当に分かってる? あの子は弱いけど、だから強いよ。きっと誰よりも」
挑戦的な笑みを浮かべたエムは、相手に向かって拳を突き出す。
手のひらを上にして開いたそこには色とりどりのビー玉があった。
「あの子は、諦めても、心の底では抗う事をやめなかった。だってあたしがいるからね。どうしてこの世界の大陸が地面にあるのではなく、浮き続けていたのか、分かるかな?」
対する氷裏はつまらなさそうに姫乃達を見やる。
「そういう事か。ああ、いやに彼女達を無駄に寄り道させて、あげくこちらにぶつけてくると思ったら、そんな事をしていたのか……」
「それだけじゃない。姫乃ちゃんがシンク・カットに行ってくれたおかげでオルゴールの音色を回収できた。あの場所で行われていた事の色々な記憶も」
風が吹き抜ける。
緑の、姫乃もかいだ事がある新しい命の匂い。新緑の草原の匂いだ。
心の中の世界だからと思うが、そういえば今までずっと風なんて吹いていなかった。
「そうそう、本能が拒絶してたのに未利がお節介で啓区に物理的突っ込みしてたのとかもねー」
「えっ」
「え?」
重なったのは姫乃と啓区の声だ。
それもあるの?
いや、それよりエムは啓区を嫌っているのだろうか? 今も? 何でだろう。
考えていると、一足早く子ネコウがやってきていた為に、遅れる形となったエアロとなあが背後につく気配。
「ふぁーなの! 風が吹いてるの。ふぁーってなってるの」
「今までそういえばありませんでしたね」
風は頬を撫でる様な優しさで、不規則に空気を動かし続けている。
吹き抜ける風は徐々に光を帯び始めていた。
よく見れば、今までは降り注ぐなリ消えていた光の雨が、風へ寄り集まる様に動いていっているのが分かった。
それらの光は風と共に姫乃達の周囲を渦巻き、エムへと集まっていく。
多方向から光の筋道が一点へと延びるその様子は、詳しくは見た事はないが、機械の内部にある基盤のようなものを連想させた。
「覚えてるかな? 未利が時々してる花火未満の風矢の事。あれは、風を光らせているんじゃなくて逆なんだ、星々の光を風の魔力に変えていただけ。それはこの世界でも出来る事なんだよ、こんな風にねっ」
エムの言葉と共に、大地が揺れる。
途端、耳に煩いくらいの風の音が聞こえて来て、目に見えるほどの風の渦が周囲を囲む様に渦巻いた。
「ぴゃ、うずうずさんになってるの」
なあの言う通り、姫乃達は渦の中だ。
様子はさながら台風の目の中にいるかのようだった。
「さあ、用意は良い? 籠の中で覚悟して踊って?」
「ふぅん、なるほど」
集まって来た風を見て取り、エムがそんな風に号令をかければ、それらの風が全て氷裏へ殺到していった。
暴風の密度は、ただ一点へ。
威力がたった一人へと向いている。
姿が見えなくなってしまった。
発光する光の渦の向こうでは一体どうなっているのだろう。
「よーし、今の内に準備しよー」
生きているんだろうか、と姫乃は不安になるのだが……。
それで終わりではないとばかりに、エムが次の指示を出し始める。
「エマの研究成果とオルゴールの力を借りてex/SOULCHAINを引き起こさないと。イントディール形式だけど、ここなら大丈夫だよね。なあちゃん、お手」
「ぴゃ!」
姫乃達にはよく分からない言葉を呟き続けるエムは、己の手に反射的な動作でたしっとしてきたなあの手を受けて、さらに何事かを言葉にし始める。
「これから他の世界にいる……えーと創造主? 神様的なハルカさんの力を借りて、この心の中に動力を持ってくるね」
え? え?
「勇気啓区、こっちに。日々未利からの突っ込みで蓄えわえられた存在量、ちょっともらうよ」
「え? あれってそういう? えー?」
そして、混乱しつつ近づく啓区の手を、わりと乱暴な感じにばしっと掴んだエム。
姫乃には分からない話だったが、啓区には何か納得できる部分があったらしく、最期には「あー、なるほどねー」と落ち着いていた。
「姫乃ちゃん、エアロちゃん、こっち。後は鈴音ちゃんのを繋ぎ直して……」
仕草で呼ばれて、エアロと共に近づく。一人知らない名前が出たが、誰なのだろう。
姫乃とエアロはエムに指示され、それぞれが啓区となあと手を繋ぎ、皆がぐるりと輪になって閉じた。
やがて、何事かの準備を全て終えたらしいエムは口を閉じ、改める様に咳ばらいを一つ。
「あー、こほん。さて、ここまで来れるとは思わなかったけど、最後のお仕事だよ。氷裏が動けるようになるまでに、あの子のお尻を叩いてきて。やっと居場所を補足できたので、貴方達をそこに送ります」
一人一人の顔を見つめるエムの表情は真剣だ。
真剣に、それぞれの思いをくみ取る様に、自分の心が伝わる様にと、言葉をかけていく。
「だから、お願い。あたし達を助けて。運命を切り開いて見せて」
そしてそう、託される。
こちらの答えは、もちろん最初からずっと決まっている。
「うん、当然だよ。きっと、助ける。その為に来たんだから」
想いを込めるように姫乃が言えば、エムは微笑みを返してくれる。
「信じてる。じゃあ、送るね」
光が周囲に満ちた。
遠くのどこからか、音が聞こえてくる。
ここまでに何度も聞いたオルゴールの音だ。
星の煌めきの様なその旋律が、姫乃達の意識をどこかへと誘っていった。