225 第27章 幻影が紡いだ一手
真実の塔
エムの話を聞いた後。
未利の本音は壊さない。
そう姫乃達が判断した時だった。事態が動いたのは。
――姫ちゃんなら、そう言うと思った。
「え……?」
悲しそうに、少しだけ嬉しそうに、それでいて辛そうな声。
そんな未利の声がした気がした。
……とそう思ったら、どこからともなくオルゴールの音色が響き始める。
その旋律には聞き覚えがあった。
シンク・カットで聞いたオルゴールの音色だ。
世闇の中で星が煌めく様な光景の浮かず、その旋律は少しだけアレンジが加えられていて、音楽が細々としていて、途切れそうで今にも消えゆきそうな儚さを感じる。
その音色に心当たりがあるらしいエムが声をあげる。
「まさか、心域切断と、消失!? 本気なの!? そんな、あっちが消えるなんて……」
「エム……?」
これまでにないくらい狼狽し始めたエムにどういうことか尋ねようとした時だった。
「みー」
背後から動物の鳴き声がして振り返る。
そこにいたのはベルカが連れて来た(というより出現させた)あの子ネコウだ。
羽を震わせながら、どこからか飛んできたその子ネコウは姫乃達の前までやって来て、しきりに鳴いて何かを訴えかけている。
この子ネコウも、姫乃達と同じように心の中に来ていたのだろうか。
でもどうして?
目の前にいる小動物は、とても困った様子でいる。
焦ったような感じで、しきりに訴えかける様に鳴き続けていた。
「子ネコウちゃん、どうしよーどうしよーって言ってるの。大変だよーってなってるの」
なあが代弁するが、そのネコウが何かを訴えかけている事ぐらいは姫乃達でも分かった。
だが、さすがに内容までは分からない。
一体、どうしたのだろう。
「それは……」
そんな風に首を傾げていると、背後でエムが息を呑む気配がした。何かを喋ろうとしたらしいがそれは間に合わなかった。
最後のピースがそろう。
かけていた記憶が保管される。
それは姫乃達がずっと知りたかった、あの時の出来事だ。
子ネコウが、口の中にくわえて持ってきたらしい濁った黒色の星屑を吐き出す。そこから、黒い靄が出現して、姫乃達の周囲を覆いつくし、映像となっていた。これをネコウは教えたかったのだろうか。
再生されるのは、ずっと知る事が出来ないでいた船の上での出来事だ。
砂粒が喋った内容。白金という組織の男がしようとした事、フォルトの必死な問いかけ。
それら一部が、全て再生されていく。
未利はその事態の結論として、他の者達から差し伸べられる手を拒絶しようとしたのだ。
それだけを見ればきっとその時起きた自体が原因だったと考えるだろう。
だが、エムの言葉を聞いた今なら、その考えは違うのだと分かる。
その瞬間は、今までに振り積もった問題が、無視できないほど大きくなりすぎて表層化した瞬間に過ぎなかったのだ。
魂を揺さぶられる様な現実の中。本音と強制的に向き合わざるを得なかった状況の中で、仲間の彼女はずっと隠してきた自分自身の本音に傷ついていた。
「仲間が死んでいるって意味、こういう事だったんだ」
あの時、特別治療室にいた砂粒の言葉の意味がようやく分かった。
その影響なのだろうか? 今までこの世界で見てきた過去の思い出の中には、なあはいても啓区の姿は見かけられなかった。
それが、砂粒の言っていた「幼なじみではなくなった」と言う言葉の意味?
「勇気啓区のはもっと別の問題だよー。でも、あたしの視点がなかったら、その異常すら姫乃ちゃん達には認識できなかっただろうね。未利とは違うもう一つの視点で見てるから、分かる事が出来たんだ」
とりあえず、ベルカが姫乃達をここに寄越した理由がやっと分かった。
「砂粒が……、ううん、砂粒の体を乗っとっている存在、氷裏啓介がやった悪辣な一手。これでやっと明るみに出す事が出来た。姫乃ちゃんなら分かるかな? 氷裏はあの彼が……前の世界の彼が、運命に抗う事を諦めなければならなかった大元の原因だよ」
そして場面は暗転。
過去の映像が消え去った後、元の景色の中には砂粒、いやエムの言った事を信じるなら砂粒を乗っ取った氷裏啓介が立っていた。やはり、ここに来ていたのだ。
エアロ達が警戒して、迎撃態勢を取る。
「やあ、こんな所で会うなんて奇遇だね」
彼の足元にはあの子ネコウがいる。ふるふる震えながらうなだれて、元気が無いようだった。
そんな彼を前にしたエムが、声にはっきりと嫌悪感を滲ませて喋る。
「善意に悪意を紛れ込ませる。悪意を善意で隠して惑わせる。正しさを己の為だけに振りかざす……」
エムは表情を歪めて、氷裏を睨みつけた。
その顔にはとても一言では語れないような様々な感情が渦巻いている。
その幾つもの感情の中には決して友好的な物は含まれずに、存在するのは敵意や憎悪と言った負のものばかりだった。
「あたしは貴方が大っ嫌いだよ」
エムが言い切ったその途端。
どこかで何かが砕ける音がした。
鏡が割れる様な、窓ガラスが割れる様な音とともに、世界に亀裂が走る。
風景がひび割れて、ガラスの様に零れ落ちて闇の底へと消えていく。
「これ……」
「終わりが近いみたいだね。この世界の。もう時間がない、早くあの塔を壊さないと」
焦るでもなく、冷静な口調でエムがいるが姫乃としてはそんな事したくなかった。
意見は変わらない。
「未利が死んでも良いの?」
動こうとしない姫乃の様子を見て、エムの声音が少しだけ固くなる。
良いわけない。けれど、それで助かったとしてもそんなの姫乃達が望んだ助け方じゃない。
互いに譲れぬ平行線の話をする姫乃達の会話のそこに、何を思ったのか原因である氷裏が割り込んでくる。
「別に壊さなくてもいいよ」
「えっ」
「だってもう壊れたも同然だからさ、今更何かをしたところで間に合いはしないよ」
述べて、彼が取り出すのは黒い箱だ。
蓋の開いた、どんな夜闇よりも濃い漆黒色の箱。
その箱からあふれ出す黒い闇は、見つめているだけで何故か心臓が締め付けられるような不快な痛みに遅われてしまう。
迂闊に長く見つめてしまえば、魂が捕らわれて逃れる事が出来なくなりそうな、そんな感じがした。
「ああ、あまり見ない方が良い。これは彼女にとってもっとも残酷な真実の一部だからね。普通の人間には直視するのもためらう物ばかりさ」
氷裏が喋る間も、箱からあふれ出る闇は周囲へと散っていく。
直観的にだが、危機感を抱いた。
あれはあのままにしていいものではない、今すぐやめさせなければならない。
「啓区、エアロ。あの人を……」
仲間達にそう言って動こうとするが、その行動を見越していたかのように氷裏が制止する。
「君達も彼女に会いたいだろう。いいよ。僕もそこまで薄情じゃない、迷惑をかけたからね。その分だけ願いを叶えてあげよう。最も……」
氷裏の言葉の意味を知らしめるように、その場に現れるのは未利だ。
光を失った、表情のない顔でこちらを見つめる。その様はまるで人形のようだった。
「僕の都合もあるから外身だけとの再会になるけど、それでも構わないだろ? 無能な中身なんか誰も必要とするはずがないんだからさ」
「――! 貴方は……っ」
怒りが込み上げてくる。
心の底から、激情の炎が湧き上がってくるようだった。
きっとそう簡単にはこの人は許せない。
許す事が果たして出来るのかどうか、分からないくらいの感情が己の胸の内でどんどん膨らんでいく。
「そういきり立つなよ、君はほんとアイラの時から変わってないね。当然か」
こちらの怒りを大したようには受け止めていない彼は肩をすくめながら、傍に立つ未利に囁くように語りかける。
「相手をしてあげなよ。彼女達も君と遊ぶのを楽しみにして仕方がないようだ」
言葉を受けた未利の手の中に、木の枝が出現する。
星宿る杖とでも表現すれば良いのか、そんな綺麗で美しい杖が現れるのだが。無数の星の輝きを集めてたたえたようなそれは無慈悲な攻撃を放つ武器でもあった。
未利がその杖を振れば、夜空にある無数の目のさらに遠く、視認できないような空の果て向こうから幾つもの星が一斉に落ちてきた。
流星群だ。
「……っ!」
いきなり振るわれた大規模な攻撃に、姫乃達には成す術がなかった。
しかし、
無数の星屑が激突するよりも前に、姫乃達の前に割り込んできた金髪の女性が空に手を掲げて、時を巻き戻すかのようにその星を天へと返していった。
「え……?」
知らない人だ。
後ろ姿を観察するに二十歳くらいの女性である事は分からるが、たぶん姫乃達は会っていない。
「姫乃ちゃん達がいたような現実の存在じゃなくて、あたしと同じ存在だよ。この世界の住人で。クレーディアのお母さん。でも、この世界の中で一番信頼されていて、凄い力を持っているすっごく凄い魔法使いなんだ」
クレーディアの……、お母さん?
マギクスの過去に生きていた人物のその母親が、どうして未利の心の中にいるんだろう。
唐突に割って入り、姫乃達を守った女性は、その姿を揺らめかせるようにして消えていこうとしている。
「当然だよね。悲しいけど、未利にとっては知らない人なんだから長くはここで活動できない」
エムの補足の言葉にさらに分からなくなってきそうだ。
だが、彼女が姫乃達側の人間で味方である事は間違えようがなかった。
なぜなら、向かい合った相手側……おそらく未利へとかけられる言葉には、隠す事のない純粋な親愛がこめられていたからだ。
「……忘れないで。たとえどこにいたとしても、どれだけ時が経とうとうとも、どんなに姿が変わっていても、私は貴方を愛しています。どうか、幸せに……」
心の底から願うように、祈る様に告げた言葉を残して彼女はその場から消え去ってしまう。
気のせいかもしれないが、それを見届けた未利が一瞬悲しそうな顔をした気がした。
「毒姫……。彼女の執念も彼並みだな。まあいい。次は君の出番だよ」
「みー。みぃ……、ぐ、るるる……ぐるるる……」
顔色一つ変えずに、そこで起こった出来事を観察していた氷裏が足元にいる子ネコウに声をかけると、その動物がどこからか出現した闇を纏い始めて大きな獣へと変貌していく。
雰囲気が変わる。何かよくないものが集まって来ていく。
憎悪や怨恨、悲哀、哀切、悔恨……ありとあらゆる負の感情が、離れている姫乃達にまで感じ取れるくらいだった。
変貌した獣は一際大きな鳴き声を上げる。
「グルルル……」
もはや、元にあった原型など何一つとどめていない。
黒い体表に固くなった岩の様な肌、けれどその岩は枯れた大地の様に所々割れていて、内部から鮮血を流し続けている。
ベルカに軽々と運ばれる様な小さな姿だった子ネコウは、今は家一つ分より大きいくらいになっている。
「ルルル」
その獣が、再び鳴き声を上げて前足で地面をかいた。
そして前傾姿勢になる。
来る、と思った。
「皆!」
仲間達へ警戒を促し、こちらへと突撃してくるその巨躯を避ける。
効果不幸か、大型動物との戦闘は慣れている。
自分の体よりも大きい相手と戦った経験なら数数えきれないくらいだ。というより、その逆がまったくない。
うまく回避した後で、エアロが杖を相手へ向け警戒しながら声をかけてくる。
獣も危険だが、氷裏も気を付けなければ。
「姫乃さん、相手を何とかしないと……」
「うん、けれど……」
だが、戦闘経験があったとしてもいずれの場合も姫乃達だけで勝てた試しが無いのが、不安要素だろう。
戦力を分散するのも、どうするべきかとっさに判断がつかなかった。
それに加えて、
「流星群……」
相手にはこちらの仲間もいるのだ。
どうしても戦闘をするのに躊躇いを覚えてしまう。
だが、相手はそんな事を気遣ってなどくれない。
迷っている間にも、未利の魔法が発動し、先程の様な流星群よりは小規模な攻撃、いくつかの星が落ちてきた。
「ぴゃっ、お星さまが流れ星になっちゃったの!」
「流れ星っていうような夢のある景色じゃないけどねー」
三者への警戒と、攻撃を繰り出してくる二者からの回避。すぐに手一杯になった。
これではとても自分達から状況を動かす事などできない。
「やめて! 私達……未利とは戦いたくないよ」
「……」
声をかけるが相手の様子は全然変わらないままだ。
何にも反応しない様子で、次の攻撃に映ろうとしている。
言葉が届いているのかどうか、分からなかった。
意思というものがまるで感じられない。
そうしている間にも、周囲は変化していく。足元が時折揺れ、浮遊大地ら掴んでいる手に引っ張られ高度を下げる。世界は刻々と壊れ続けていた。
マギクスの世界が終わるよりも前に、一つの世界の終焉のカウントダウンを目にする事になろうとは……一体誰が予想できるのか。
「どうすれば……」
「そんなの決まってるよ。塔を壊して、姫乃ちゃん。そうすれば最悪な状況からは逃れられる。それしかもう方法はないんだよ」
後方に避難していたらしいエムの言葉が返ってくる。
現状を見るにそれしかないようにみえる。だが、どうしても頷けない。
理想だけで、全部が救える事ではない事ぐらい姫乃自身も分かってはいるが、それが他でもない大切な仲間に関わる事なら悩まない訳がないではないか。
「わ、なあちゃん」
「ふぇ、ぴゃ!」
そうこうしている内にぼうっとしていたなあに星屑が当たりそうになって慌てて、啓区が避けさせていた。
けれど、ぽてっと、足をもつれさせて転んでしまったなあ。そこをエアロが間一髪フォローした。
舞い落ちてくるそれを、浮力の魔法で浮かせて留める。
だがじっとはしていられない。
動きを止めた三者へ獣が突進してくる。
「姫乃さん、このままじゃ……」
エアロの声に、頭が痛くなる。
状況が切迫している。
今でこそ敵は肥大化した子ネコウと未利だけだが、そこに氷裏が加わればどうなるか分からない。
このままではいけないことぐらい姫乃にだって分かっていた。
どこかで状況を変えないといけないことぐらい。
せめて原因を作っている氷裏を何とか狙いたいが、けれど姫乃達は自分の身を守るので手いっぱい。現状はそれすらできない状態だ。
どうにもできないまま時間が過ぎて行った。
そして。
誰にも何かを成す事が出来なかった。
「王手だ」
氷裏によって、一つの世界の滅亡が宣告されたと同時に、世界が砕け散った。
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世界から、灯りが消える。
音も消えた。
響いたのは砕ける音だけ。
恐れていることが起きた。時間切れだ。
世界が消失する。崩壊する。
粉々に砕けた大地は一瞬で光の粒と化して、消失してしまった。周囲にあった物も、その上にあった物も。全てが。
――姫乃達は闇に包まれてその場から、消失した。
(※キーコード「3A」3173)