221 第23章 冷たい食卓
時間はほんの数日。
異変の日から流れたようだった。
方城織香が倒れて数日後、本人は訪れずにその日は大人……彼女の親だけがやって来た。
二人の人物。織香と所々顔が似ている母親と父親は、顔を寄せ合うようにして話合い、深刻そうな雰囲気を纏っていた。
二人は困ってような顔をして、孤児院の建物の奥に繋がる廊下で立ち止まっている。
「どうしようか、飴玉とかお菓子をあげた方がいいかな」
「そんな事しなくたって大丈夫ですよ」
父親らしき人が不安そうに言えば、その言葉を聞いた母親らしき人が励ます。
会話を聞くに、二人は結構仲の良い夫婦らしかった。おそらく家族中も同様に良いのだろうと、何となくそんな風に思えるくらいには会話をしている。
「いやしかし、会社の取引でも美味しい料理を振るまって話を良い方に持って行こうと……」
「まったくもう、貴方って人は……。そんな小細工でどうになる問題じゃありませんよ、今回のは。ちゃんと話しましょう」
「そ、そうだよな」
纏う深刻な雰囲気の割には、どこか間の抜けたようなやり取り。
そんな事を至極真面目な顔をして話している二人は近づいてくる子供の姿に最初は気が付けなかったようだ。
「ねぇ」
声をかけられてその存在に初めて気が付く。
二人の大人の前にやって来たのは、未利だった。
「な、何かしら。あらちょうどポケットに甘いお菓子が、食べる?」
「さっき否定してたのどこいったの? それより織香ちゃんはどうしたの? 二人は織香ちゃんのりょうしんさんなんでしょー? だってかお似てるもん」
慌てふためいて前言撤回して、お菓子を差し出そうとしていた大人二人だったが、未利に問われて顔を見合わせた。
「それは……」
「今日は君に大事な話をしに来たんだ」
彼らは、その大事な話の内容を未利へと聞かせた。
方城織香は治療の難しい病気を患っていて、本来なら病院からは出られない身だ。
だが本人の気持ちを尊重して、今まではここまで遊びに来させていたらしい。
何でも本人曰く、たまたま特別に許可されて散歩していた時に、建物の中から聞こえてきた声が凄く楽しそうだったから、どうしても遊びたい……とか。
少女を不憫に思った両親は、できるだけ彼女の願いに応えようとしてきた。
それで、体調の良い日を見つけては、ここへ連れて来ていたのだ。
だがそんな彼らにも容易には応えられない願いが一つあった。
皮肉にもそれは、普通に生きていては簡単には叶えられない願い。
織香が言ったのは、妹が欲しいという望みだった。
大切な一人娘の要望であれば、それが励みになると言うのならば、喜んで新しい家族を迎えようと彼らは思った。
しかし、話はそう簡単にはいかない。彼らは子供ができにくい体で、織香が生まれたは本来はありえない程の奇跡だったのだ。
もう一人、妹を……と言うのは難しい話だった。
そうこうしているうちに織香の病気は悪化していく。
妹がいれば、娘の願いを叶えられる。
ここに来るようになった織香の症状は一時期かなり良くなっていた。だから、彼女の状態が良くなるようにと二人は孤児院から子供を選んで、娘にする事に決めたのだ。
もちろん実の娘の為だけに決めた事ではない。
病気の事はきっかけだったが、自分達も新たな家族を迎えたいとそう思ったから、彼らは今日施設へとやって来たという。
「いもうと……それで織香ちゃんは喜ぶの?」
「ああ」
「ええ」
そんなやり取りで彼らの会話は一旦締めくくられた。
さらに少し後の事。
結論として未利は方城家の一員になることになった。
それが功を成ししたのか、織香の病状は良くなり、また元気に外に出られるまでにも回復した。
両親もきっかけこそ実の娘のためとい名目があったものの、家族みんながよい日々を過ごす為にも少女と織香を区別することなく等しく愛情を注いでいった。
それは確かに存在していた、平和で楽しい時間だった。
ほんの一年くらいだけの。
ひどく短い間だけの幸福だった。
「織香! ああそんな」
「目を開けてくれ、嘘だと言ってくれ!」
長続きしなかった幸せが、無くなった。
後に残されたのは不幸だけだった。
方城織香は死んだ。
数日前まで元気に生きていたのに、嘘のようにあっけなく死んでしまったらしい。
心の準備をすることも出来ずに、いきなりの事だった。
当然のように、方城家には暗い暗雲が満ちる。
「……」
笑顔が消えて、会話も減った。
その日、夕食の卓もそんな雰囲気だった。居心地の悪い食卓を囲んで、味のしない食べ物に未利は箸をつけている。
そんな時間の中で、最初にその言葉を言ったのはどちらだったのか。
「織香は死んでいない」
ポツリと呟かれた言葉に、俯いていた未利が顔を上げる。
「何を言っているの、織香は私達の目の前で……」
「君こそ何を言っているんだ。織香なら生きているじゃないか、目の前に今も」
「……っ」
それからはもう、見たくない光景だった。
知りたいとは思えない光景。
けれど、目をつむっても意味がないことは分かり切っていた。
それは過去。すでに定められてしまった事実に過ぎないのだから。
今更何かをしたところで変えようがなかった。
食卓に着く二人の大人は、瞳に暗い光をたたえて未利を見つめ、笑みを浮かべていた。
どこまでも優しい、相手を労わり思いやる様な笑み。
けれど、どこか歪な表情。
現実に、ありのままの事実に蓋をして、見るべきものを見ないようにしている二人の親を前に、未利はどんな気持ちだったのか。
「……そう、ね。そうよ、織香は死んでない。だって私達の目の前にいるじゃない」
「ああ、消えてなんかいない。ずっとここにいたんだよ」
喜びの色を纏い始めた声音に、触発されるように座っていた未利が椅子から腰を浮かせて後ずさる。
「二人共……何、言ってるの」
「ねぇ、織香。織香。織香」
「織香、織香、織香、織香」
「嘘……でしょ、そんな事したって。ねぇ、分かってる? 本物の織香は喜ばないんだよ」
抵抗の言葉は届かない。
その場から逃げ出す少女の景色を最後にして、記憶の映像が途切れて終わった。
周囲を見回すと、記憶の残滓はすでにそこにはなく元の混沌とした浮遊大陸の惨状が目に入るだけだ。
しかし、姫乃達の目の前には、消えずにとどまった幼い頃の未利の姿がある。
――わたしは織香の代わりだから、織香として生きていかなきゃいけないんだ。皆、本当のアタシなんて必要としてないんだよ。
そう、誰にともなく呟く。
俯きがちで表情は見えないが、押しつぶされてしまっている家へと視線を向けているのは分かった。
彼女はそこに何を見ているのだろう。
過去の幸せか、それとも不幸か、両方なのか。
姫乃には分からない。
けれど、ここに来て自分達は過去にあった事を知った。抱えている悲しみも知る事が出来た。
それらを見た上で姫乃が言える事は、一つだけだろう。
「そんな事ないよ。私は本当の未利の姿を知ってる。必要としてるよ」
――……そう、だね。うん、姫ちゃん達がいてくれれば十分だよ。
言葉を受け取った未利は、悲しげに笑ってその場から消え去った。
「今の、良かったんでしょうか。何だか幽霊みたいな消え方してしまいましたけど……」
どうなんだろう。
姫乃の言葉は届いたのだろうか。
精一杯の思いを伝えたはずではあるが、ひっかかる。
「今のは、どういうのだったんだろう」
「過去の思い出……それが姿になった、んじゃないかなー。本人がたぶんこんなに簡単に出てくるわけはないと思うしー。それだったら最初にエムじゃなくて、未利が出迎えてるはずだからねー」
「そう、だよね。限界回廊みたいなものだと思えばいいのかな」
何しろ人の心の中なんて入るのは初めてだ。
比較対象が無いのだから身近な所から参考知識を引っ張って来るしかない。
本人は、きっと不服だろうけれど。
しかし、いつまでも気にしていられる時間はない。気にはなるが姫乃達は、どちらにしても進むしかなかった。
「次の大陸に行くためには、どうすればいいんだろう」
「とりあえず、また最初の時みたいに端っこまで行ってみたらどうかなー」
「そうですね。時間が惜しいですし、さっさと行動しましょう」
「なあもっ、未利ちゃまの為に頑張ってたくさん頑張るの」