214 第16章 弱いままで強く生きていける世界
シュナイデル港 『ウーガナ』
夜の闇に沈む海を目の前にして、ウーガナは立っていた。
思い起こすのは数日前の騒ぎ、後夜祭会場である船上での事だった。
「爆弾騒ぎに、きな臭い連中の暗躍、おまけに武器の密輸かよ……」
城の兵士に紛れ込んだ素性のよく分からない連中は、あきらかに会場で行われる魔法解除を妨害しようとしていた。
それに加えて、少し前まで意図的に流されていた領主の否定的な噂話。
それだけあれば分からない方がおかしい。
このシュナイデルの町はいま、大きな混沌の最中にある。
すぐに離れるべきだ。
厄介事に関わるのはもうごめんだし、血の気の多い人斬り女にも困らされたくない。
未だ足取りの掴めない手下どもを回収して、一刻も早く町から出るべきだとそう心から思う。
しかし……。
「くそが……」
……気になってるってぇのかよ、この俺様が。
未だそんな場所に留まり続けているのは、確かめたい事があったからだ。
ウーガナは、嘘やごまかしが嫌いだ。
騙されれば殴り倒してやりたいと思うし、海賊だった時は海に放り込んでやりたいと躊躇いなくそう思えるくらいに嘘が嫌いだった。
だが他に、それと同じくらい嫌いな物がもう一つある。
それは言うだけで自分で何もしない弱い連中の存在だ。
他力本願、責任転嫁。
自分でどうしかしようと努力しない奴や、自分の行動の責任が取れない奴、文句の声ばかりが大きい、弱い立場を守られるべき立場だと勘違いしているような……、そう言う輩が大っ嫌いなのだ。
だから、この場所で確かめたくなってしまう。
災厄の渦中にあるこの町の住人達の行く末を。
そこに、関わる連中の足掻きを。その足掻きが通るのかどうかを。
「はっ、観戦料は命でした、じゃ洒落になんねぇっつうのによ」
なぜそんなにも、惰弱で脆弱で勝手な人間が嫌いになったのか分からないが、きっかけらしきものはあった。
生まれ育った町が、偽りやごまかしで溢れていたから、なのだろう。
奴等は自分で考えをせずいつも上の人間に判断を委ねっぱなしで、何かあっても自分でどうにかしようとしなかった。
そんなだから、一夜にして害獣の群れに襲われて全滅してしまうのだ。
必ず来る助けという気休めの言葉を信じて、ただ隠れてちぢこまっているだけで、戦おうとも抗おうともしなかったからあっけなく滅びてしまうのだ。
生き残ったのは、自分で逃げようとしたウーガナと年上の兄だけだった。
……って、くそ兄貴の事なんてどうでもいいか。
ウーガナと違って、力も体力もそれなりにあったが、脳みそが残念だったので共に行動するような事にはならなかったのだ。色々あって別れた後、どこかで野垂れ死んでいる事だろうし、今更気にしても関係のない人間だ。
「悪党で悪ぃか。俺様はずっとこうやって生きてきたんだ。力がねぇ奴は勝手に死んでろ。どうだっていいじゃねぇか」
それとも、弱い人間がそのままで生きられる世界なんてものが、この世にあるのか。
弱い人間が自分の弱さに甘んじず、弱いまま強く生きていける様な世界が。
そこまで考えた時に、不意に右目に痛みが走った。
頭蓋骨を刺し貫くような痛みが断続的に襲ってきて、吐き気がしてくる。
「くそっ、がぁ」
視界が回る。景色が回る様な気がしてくる。
頭を抱えて抑え込もうとするが、そんな事をしても気休めでしかない。
薬も効かないし、安静にしていたって意味が無いのだ。これは。
それは今だけの特別な現象ではない。今に至るまで、何度も断続的に襲ってくるものだった。
これに困らされるのももうずいぶんな付き合いになる。慣れるのは御免だが、最初の頃よりは痛みをやり過ごす方法は身に着けた。
呼吸を整えて、痛みが引くのを待つ。
……以上だ。
小難しい事は考えられないので、ウーガナにとってはそれが限界だった。
「テメェ……、はどこにいても俺を悩ませやがるなちくしょうが」
悪態を付くころには痛みは幾分か引いていた。
「あ、ウーガナだ」
そこに声をかけるてくるのは、耳慣れた少女の声。
足音が近づいてきて、視線を向ければ想像通りの小さな影。兄の方はいない。
確か、こっちは妹でチィーアとか言ったか。
名前を覚えてしまっている事に嫌気がさしそうになる。
ラルドの手回しで、こちらの事を捜しに来たのかと思い警戒するが、周囲に姿はない。
あの野郎は、このガキ共を使ってこちらを補足てくるからやっかいなんだ、くそ。
今回は逆に頼みの綱に振り切られたのか。
「ウーガナも考え事してたの? チィーアは、お父さんの事とかお母さんの事とか考えてたんだよ」
「そーかよ。そりゃめでてぇな」
いかにも適当な、と言った風な言葉であしらいウーガナは歩き出すのだが、なぜかその後をついてくる。
「あのね、お礼言ってなかった。船の時は助けてくれてありがとう」
「……」
助けたのは別の奴だ。何を言ってるのか。
視線を向けると、子供の無邪気な笑顔を直視する惨劇が起きて、顔の皺が大忙しだ。俺が大した何かをしたかよ。どいつもこいつも勝手になついてくんじゃねぇ。
昔からこうだ。軽んじられたり、甘く見られたり、どうでもいいような、戦力にもならないような奴に付きまとわれる。本当に嫌になる。
人間関係の運が無いのだろう。
「ごちゃごちゃ喋ってねーで、周れ右して大人しく家ぇ帰れ」
「家……ないよ。だって、星脈のエネルギーが噴出して爆発で無くなっちゃったから」
「ああ?」
唐突に言われた言葉が理解できずに、思わず聞き返してしまう。
そう言えば、こいつらは一体どこに住んでいるんだと今さらながらの疑問を抱く。
酒場で補足してきた最初の接触からしか知らないが、妙な事に家に関して何か言っている所は今までに一度も耳にした事が無かった。
「町長さんと漆黒の刃っっていう悪い人達に、爆発させられちゃったから無くなっちゃったの」
「……あ?」
「皆ね、考える力を奪われて、それで生贄にされちゃったの。町長さんが凄い人だから、皆絶対大丈夫って信じちゃったから」
「……」
ちょっと待て、おい。考えさせろ。
何で、そこらを歩いてるようなガキから、裏組織の名前やら陰謀の裏話らしい言葉が出てくる。
百歩譲って、陰謀が作り話だとしても前者の名前はそう簡単に口に出せる様なものではないはずだ。
世間からほとんど知られていない組織の名前だが、とあるなりゆきでウーガナはその存在を知る事になった。
そいつらがどれだけヤバい人間かはよく分かっている。分かり過ぎているくらいに。
なんでそのヤバい連中の存在を子供が知ってんだ。
ロングミストの事は知っている。イフィールが勝手に話したのと、例の事件の話し合いで耳に飛び込んできたのがあったからだ。そこで出た漆黒が、避難民だかの安否と領主の誘拐事件に絡んでいるらしいと。
その漆黒の存在を、知ってて生き残れる奴が目の前にまた現れた。現実か?
なんでそう、ほいほい現れるんだよ。
「チィーア達は死んじゃったお父さんの為にも、お母さんや友達の為にも技術と知識を伝えなくちゃいけなかったの。だからウーガナが助けてくれてすっごく、良かった」
だから、それは俺じゃねぇって言ってんだろうが。
あのガキ共もはこちらを軽んじてくるし、イフィールは何故か妙に馴れ馴れしいし、一体どうなっている。世界の常識がウーガナの知らない所で書き換えられたりでもしたのだろうか。
「くそうぜぇ……。つーか、それよりテメェ等、奴らから生き残るとか一体何もん……」
「あっ、幽霊さんがあっちに誰かいるって……」
かけられた感謝の言葉に素直に応じる気のないウーガナが顔をしかめつつ、疑問を口にしようとした瞬間、人の気配を感じた。
一体いつからそこにいたのか、こちらを窺うようにして闇に紛れたいたその景色が、飛び出してきて瞬き程の瞬間の間に行動を起こす。
読み取ろうとしなくても、そこには攻撃の意思が溢れていた。
ウーガナはそこにいるチィーアを突き飛ばして、自身もその場から飛びのいた。
先程まで二人が立っていた場所が、大きくへこむ。
「おやおやチィーアちゃん駄目じゃないか。そんな重要な事ぺらぺら喋っちゃ……」
そこにいたのは気弱ともいえる顔つきをした一人の男。
「村長さん……」
ウーガナも多少は知っている一つの町のまとめ役の人物、町長クルスだった。