212 第14章 叶えられなかった願いの為に
名残りを示してでもいるのか。
赤い光の粒子が砂粒がそこにいた事を証明するかのように儚く舞って、消えていく。
脅威が去った後、静寂の満ちる室内では、姫乃がこちらへ向けてとてつもなく何か言いたげな視線を送っていた。
出来れば触れないで欲しい話題だったが、そう都合よく忘れ去ってはくれないらしい。
彼女が話すのは、こちらの事を知ったきっかけだ。
「えっと姫ちゃんはどこまで知ってるのかなー」
「放っておいたら啓区が死んじゃうって事ぐらいだけど……、本当だったんだね」
「あー……」
現場をばっちり抑えられてしまったし、言い逃れできる機会も失ってしまった。今更否定できるはずもない。
「アジスティアから聞いたの。限界回廊で会って、それとヒント……。未利を助けたかったら、過去を見てって言われたかな」
何でもありの回廊は、敵に掴まっているはずの彼女とも接触が取れるらしい。
困ってるような話しか聞いてないけど意外と便利な場所だ。
「過去を見てって事は、石の町で起きた魔法みたいな事がー……?」
「啓区なら使えるって」
クリウロネからロングミストへと向かう道中で迷いこんだ石の町。あの町から出る際に起こった不思議な現象が魔法であり、自分に使えると言うのなら行使を拒む理由にならない、むしろ進んで手札に加えるべきだろう。
「色々言いたい事も、説明したい事もあるけど、それは後にしなくちゃ。私達はあの時何があったのか、知らなくちゃいけないと思う」
確かに……。
先程砂粒と話していた時にこちらも思った事だけど、自分達には知らない事が多すぎる。
「それで僕の出番って事かー。確かにそうだよね。でも、何をどうやって見ればいいんだろう」
と啓区が悩みながら言うと、姫乃が何とも言えない表情でそれを取りだして見せた。
怪我をしないように袋に入れてある注射器だ。
「これ使えるかな、重要な品だから本当はイフィールさんの立ち会いの元で使いたかったんだけど、どうしてか手に入っちゃったから」
え、どうしてそんな物をー?
「どうしてかって……」
啓区以上に衝撃を受けた様子で、エアロが顔を真っ青にして何か言いたそうにしている。
何があったら、そんな大事な物が手に入るのかものすごく聞きたかったが、姫乃の言う通り後だ。
確かに見るなら申し分ない品だろう。
なんせ、それは未利が倒れる原因になったものだし。
さっそく受け取って魔法を行使しようとするが、その前に注射器をベルカにつままれた。
「キリヤの物ね……。魔力が染みついているわ。魔道具なのね。回収したがるのも道理だわ」
キリヤ。
そういえば、人形みたいな敵がいるとか、うっすら未利から聞いていた。
アレイス邸からすぐに船に移動して事件発生だったので、詳しく聞く暇はなかったが。
注射器は、敵の一人の重要な道具らしい。
ベルカはエアロの足元にいた子猫に近づいて、その襟首をつまんだ後ベッドに放り投げる。
「みー」
「ぴゃ、投げちゃめっなの」
それをみたなあちゃんはもちろん例によって、ふるふる震える子ネコウに寄り添いにいく。
そんな事などお構いなしと言った風にベルカは、未利に近づき、ベッドの上で横たわっている少女へと手をかざした。
「こっちへ来なさい。不安定な魔法を使うよりは確実な方法があるわ。それに根本的な解決をするにはそれじゃ、足りない」
「助けてくれるんですか?」
思いもよらない協力的な言葉に姫乃が驚いた声を発するが、それはたぶん啓区達も同じだ。
今までずっと傍観者然としていた彼女だったのに、どういう心境の変化なのだろうか。
「……、貴方達だけじゃ、無理だもの。私だって、彼女が死ぬのは見たくないわ」
「ありがとうございます」
それとも、思わず手出ししたくなるほど切羽詰まった状況だという事なのだろうか。
姫乃は、無理と言われた事に傷つきながらもお礼を欠かさない。良い人過ぎると思う。
「信用できるんですか? その人」
啓区達はベッドに集まっていくが、その中でもエアロは、ベルカの態度に不信感を覚えているようだ。あからさまに疑うような視線を投げかけていて、姫乃達が嫌なら別に乗らなくてもいいんじゃないかとそんな風に、ベルカの提案を一蹴したい、と分かりやすい姿勢だった。
「大体その人が協力する理由は何です? あんな事を言われた後で疑うような事は言いたくはないんですけど。私の役目でもありますし、私が言わなければ甘い姫乃さん達はずっと言わなさそうですし」
砂粒に言われた事を気にしているらしいエアロだが、それでも自分にできる事をしようと己の役目を割り切って、心がけているような態度だ。
彼女は厳しい視線で、ベルカの反応を探る様に見つめ続ける。
「理由? なんで貴方に教えなくちゃいけないのかしら」
「……、返答これですよ。信用できます」
まあ、ギリギリで―?
啓区としては、多少不信感が残るだけで、砂粒などよりは遥かに信頼できると思うのだ。
それに時間がもうない。可能性があるなら少しくらい危なくても賭けてみるべきだろう。
姫乃はどう思ってるんだろうか。
意見を求める様に視線を向ける。
その意味に気が付いた姫乃は、考え込む様子で意見を口にしていくが、正直はっきり答えを出しかねるようだった。
「え、どうだろう。私じゃそう言うのは分からないかな。信じたいって思いはあるけど」
そうだよね、姫ちゃんだったら怪しい人でも信じたいになるよねー。そこが良い所なんだけどー。
「だからなあちゃんに聞いてみようかなって思う。ほら、なあちゃんって、こういう時には間違えなさそうだから」
ああ、確かに。
小柄な少女の姿を視界に入れれば、ベルカに向かって威嚇している子ネコウをなあがなだめているところだった。
その当人が、視線が集まった事に気が付く。
「ぴゃ、なあなの? 何か聞かれた気がするの」
「うん、あのね、ベルカって人の事だけど……。ええと、大丈夫そうかな?」
あんまり難しい事をいってもわからないだろうなー、と言う感じでふわっと尋ねてみれば、いつも通りにふわっとしたなあちゃん語で答えが返ってくる。
「なあは大丈夫だと思の。えっとなの、未利ちゃまと同じって感じがするから、大丈夫だよーって思うの」
……だ、そうだ。
取りあえず姫乃達ははこれで意見は決まった。
約一名エアロが渋い顔をしているが我慢してもらうしかない。
意見がまとまったのを見てベルカが声をかけてくる。
「先が思いやられるわね。一つ決めるのに、こんなに時間がかかるなんて」
「えっと……すみません」
「私達の事は貴方には関係ないじゃありませんか」
棘の一言が返って来て、姫乃は素直に謝ってエアロは棘返しだ。
今までは……前者はともかく、後者は未利の役目だった。
未利がいなくなっても、物理的な面での影響は本当は大した事が無いのかもしれない。
代わりが効いて、その役目は誰かに代えられる程度の物なのかもしれない。
ふと、そんな事を思った。
けれど、それに対して啓区が思うのは……。
駄目だよねー、それじゃあ。
やっぱりその場所は姫乃達にとっては未利の場所なのだ。
エアロが嫌だとか、不足しているとかそういう話じゃなくて、たとえ世界にとって代わりの効く存在であっても、自分達にとって代わりとなる者などいやしないと言う事だ。
姫乃の代わりも、なあの代わりもいない。
それぞれ、唯一の一人、ただそこにいる存在しかないのだから。
……僕もそうなのかなー。
そんな風に考えてたら、目の前で、誰かが音を立て両手を打ち合わせた。
ベルカがこちらを見ていた。
「馬鹿みたいな顔して呆けてないで、しっかりしなさい。奴が大人しく撤退していくなんてありえないわ。必ずまた仕掛けてくる。その時に本当の意味で彼を何とかできるのは、おそらく貴方だけなのだから」
ひょっとして励ましかなー?
「僕、あんな人を何とかできるように見えるー?」
それらは買い被りが過ぎる評価だろう。
最初の邂逅で成すすべもなく、やっつけられてしまったと言うのに。
それにどうしてか分からないが、相手に過剰に敵視されてもいるようだった。
ベルカはこちらの様子を見つめた後、これから行うことについての説明をしていく。
「今から、貴方達を彼女の心の中に送るわ。そこで何をすればいいかとか、どうするべきかなんて、詳しい事は私でも分からない、だけれど……彼女を助ける唯一の方法はそこにあるはず。それは間違いないわ。運命を変えたかったら腹をくくって挑む事ね」
ただし、内容はざっとだったが。
過去を……情報を知りたいだけだったのに、心の中に行く話になってるけど、それでいいのだろうか。
見れば姫乃達もどう反応すれば良いのかと言った様子で、それぞれ困惑したような顔をしている。なあは普通のまま、子ネコウを抱っこしている。
そんなこちらの様子には全くお構いもなく、ベルカは先へと進めるようだ。
「始めるわよ」
彼女は天井へ手を向ける。
一瞬後。
その手の中に、まるで空から呼び寄せられたかのように光が集まって来た。
キラキラと煌めく星の欠片の様な光は、徐々に集まって、ベルカの手の中で輝きを強くする。
数秒もすれば、強い光を発して部屋中を照らし出していた。
光で景色が塗りつぶされる。
「お願い、お母様の為にもその子を死なせないで……、お母様の願いの為に……」
そうして景色が完全に輝きの色で消える前に、最後に小さな呟き声が聞こえた気がした。
……。
感覚が消える。
視界は真っ白で白一色だ。
けれど、どこかに引っ張られていくような、沈み込んで行くような、反対に浮き上がっていくような、そんな不思議な感覚がする。
やがてはどこかへと降り立って、この感覚も元に戻るのだろう。
だがその前に、思考の狭間に焼け付く様に、脳裏によぎっていく光景があった。
それはあるはずのない過去。
与えられる事のなかった時間の景色。
子供だった頃の未利やなあの傍に啓区がいて、様々な遊びをして日々を過ごすという物だ。
三人は一緒に育って、一緒の学校に通って、今まで同じ時間を歩んできた。
あり得ない光景の、けれど温かくて優しくて幸せな思い出。
二人は今までこんな思い出を胸の内に抱えてたのか、と思う。
こんな思い出があるなら、そりゃあ態度もあんな風になるわけだろう。
最初の頃の、認識すらしていなかったような、声すらかけないようなそんな関係ではなく、気まぐれにふざけあったり、遊んだり、無警戒に傍にいて気安く話をしたりする様な……。
いいな、と。
心からそう思う。
叶う事なら自分もこんな思い出が欲しかった。こんな楽しい時間を過ごしたかった。
ある時唐突に発生した思い出は、そして唐突に消えていってしまう。
なあはまだ分からないが、少なくとも未利一人の中では、ゼロへと戻ってしまった。
彼女達が与えられ、短い間でも抱えてきた歴史。それを、ここで知れただけでも十分な奇跡だろう。
だが、感謝する気は起きなかった。
つきつけられてしまえば、それがどんなものだったか、分かってしまうから。
どんなに良い物だったか分かってしまったら、悲しくなってしまうではないか。
どうして自分にはこれが与えられなかったのだろう、と。
今まで何もなかったのが当たり前だったのに、そんな物を見せられたら……。
心が痛くなる。悲しくなってしまう。
知らないままでいれば良かったのに、と思わずそう思ってしまうくらいに。
「これが思い出なんだ……」
今まで自分に与えられ無かった、過去という物の片鱗を見つめる。
今につながる過去の足跡。
今を形作る過去の軌跡。
「今を積み重ねて未来まで行ったら、僕にも過去が出来るのかな……?」