211 第13章 ここから逃げないで
特別治療室
部屋に向かう間にも、存在の力は揺らぎ続けていた。
風に揺れるろうそくの火の様に、ふ……と消えてしまったかと思うとまた灯るようなそんな様子で。
目的地にたどりつくと、そこにはもうベルカが待っていた。
ベッドの傍に眠っていた子ネコウが起きていて、彼女を威嚇している。
「良い性格してるわね、このネコウ。だから、猫は好きじゃないわ」
「嫌いって言わない辺りが、未利っぽいよねー」
「そろそろ決断して来る頃だと思ったわ。来たの?」
「来たよー」
それで、と部屋の中にいる話が出来る状態のもう一人の人間。
城の医師用の制服を着た男性へと、視線を向ける。
「そこで、何してるのかな。お医者さんはー」
「来たのか。死体にたかるハエの様にうっとおしい奴だな」
この特別治療室の主であるらしい男性医師。見た目も声もまったく別人に見えるのだが、その正体はおそらく砂粒だろう。
紛れ込んでいたらしい。いったいいつから、と思う。
驚くほどの死亡フラグのオンパレードだねー。呪われてるのかな、未利は。
「また僕の邪魔をするのか。コマの分際で」
「僕は君に何かした覚えはないんだけどな。すごい嫌われてるねー」
忌々しそうな顔をされるのだが、後夜祭の会場で二回遭遇したぐらいしかないのに、どうしてそんな感情をぶつけられるのだろうか。分からない。
「君が偽物だったって事は治療はしてないって事なのかなー」
たった今成り代わった、なんて楽観的な事は考えない方がいいだろう。
だって、こいつ性格悪そうだしねー。
あ、こいつとか言っちゃったよー。
「治療? 必要だと思うのかい。すでに死者も同然なのに」
「……」
戦って勝つ事は出来ないだろう。
啓区は一度船の中で交戦して、相手に負けているのだ。
戦闘になってここで負けて、相手の行為を見逃したりしたら取り返しのつかない事になってしまう。
「ベルカはあの人の協力者じゃないって思っていいのかなー」
「当たり前でしょう。こいつは出来る事なら、私自身の手で殺してやりたいくらいの人間だもの」
無表情な顔をそれはもう嫌そうな色に染めて、砂粒を視線で指し示す。
何をしたのか知らないが、彼はベルカに相当嫌われてるみたいだ。というより誰かから好意的にみられている光景なんて方が想像できないが。
まあ、ベルカが敵でないなら啓区の行動は決まっている。
「答えは出たのね」
「うん、僕は消えてもいい。時間が無いんだ。この状況を何とかするための可能性を、この世界に呼び込まなくちゃいけない」
「……あの馬鹿と同じ事を言い出すのね」
「?」
「こっちの古い記憶の話よ」
呆れたように言うベルカは、啓区の方へと歩み寄る。
「最後に聞くわ、貴方の答えはそれでいいのね。貴方はこの世界から消える……」
「……うん」
止めに来るだろうか、と敵へと視線を向けて警戒するが……。
砂粒は動かない、ただ静かにこちらを見つめるのみで、事態が動くのを観察しているだけだった。
余裕なのか、それともこちらの足掻きを大した事がないと高を括っているのか。
邪魔されないに越した事はない。
視線を向け、頷きを送る。
ベルカが啓区の要請に応えて、存在力を変動させようとする。
容赦ない一言と共に。
「消すわ」
もっとオブラートに包む表現とか言えないのだろうか。期待は別にしてなかったが。
すぐに足元に魔法陣が現れて、体の内部から、大事なエネルギーが抜け出ていくような感じがしてくる。
「……っ」
もともと薄かったところから搾り取られていくのだから、すぐに立っていられなくなって膝をついてしまう。
これで、いい。
これでいいんだ。
元からいないはずのない、予定にない人間なんだから、消えた所で悲しむ事も、嘆く事も、必要ないはず。消えるのは最初から予定されていた事なのだから。
――うわべだけの幸せな事を、そのまま幸せな事だと考えないで下さい
――啓区ちゃま、それは駄目なのっ
――本当に何もなかったの? こんな時に、啓区まで何かあったら困るよ
声が聞こえる。響いて、蘇る。
皆の声が。
つい先ほど聞いたエアロの声が。
ほんの半日前に聞いたなあの声が。
そして、ベルカとのやり取りを終えた後に、こちらの身を案じて問いかけてきた姫乃の声が。
腑に落ちなさそうな表情をしていたけど、無理に聞くような事はしないで我慢するような表情と共に、脳裏に蘇ってくる
本当にこれで良いのだろうか。
後悔は、しないのだろうか。
「……っ!」
僕は……。
熱を感じる。
視界を火の粉が舞っているのに気が付いた。
さっき見た目に焼き付くような鮮やかな赤色ではなく。
優しく周囲を照らす、炎……いいや焔の色が。
そう思た一瞬後、部屋の扉が開いた。閉めておいたのに。
火の粉を周囲に舞わせた姫乃がいる。たぶん扉を魔法で壊したのだ。
姫乃は怒っていた。でもそれよりも、何倍も悲しそうで。
荒い息をつく彼女は、決意に満ちた表情でその言葉をこちらへと述べた。
「これ以上誰かを失くすなんて私は嫌だよ。帰る時は皆で帰らなきゃ」
そして、繋ぎ止めようとするかのように、歩み寄って来て、姫乃のその手がこちらの手を掴んだ。
まるで今にも崖から奈落の底に落ちそうになっている所を、支えて引き戻そうとするかの様に。
「まだ一緒にいて欲しいよ、私は皆と一緒にいたい。ここから逃げないで、今いる場所で私達と一緒に戦って、助けてよ」
姫乃は啓区が何をしようとしているのか、分かっているみたいだった。
一体いつ、そんな事を知ったのだろう。
だが、そんな疑問はすぐにどうでもよくなった。
「僕は……、君達と同じように、生きる事を望んでも良いのかな」
姫乃は答えるのに躊躇わなかった。
「生きて。未利も啓区も、なあちゃんも皆も。私は最後に一人になって帰るのなんて、そんなの絶対嫌」
存在力の流出が止まって流れ出していた力が戻って来る。
ベルカに視線を移せば、顔を背けていた。
「結局、最初から答えは決まっていたんじゃないの」
不満そうな半分の顔だけがこちらからは見える。
そんな様子を見守っていた砂粒が声を発した。
「消えないのかい? 死なないのか。これは驚きだ。君みたいな人間が、リスクを承知で不自由な道を選択するとは」
追いついてきたらしいエアロが、同じように遅れてついてきたなあを押しとどめて、出入り口を固めている。姫乃も改造杖を出して魔法の発動準備をしていた。
「一体これはどういう事だろうね。ここまで手を打ったのにことごとく邪魔をするなんて」
……それは逆にこっちが聞きたいよ。どうなってるのかなー、ほんとうに。
こっちが色々頑張っても、その先手を絶えず取って来るなんて念入り過ぎるし、ちょっと正気の沙汰じゃないよー?
「僕は別に悪い事をしてるわけじゃないのにねぇ」
「え、どこが?」
思わず発言。
あ、いけないいけない。ちょっと棘になってしまった。これじゃあ未利だ。言葉ってうつるんだねー。
だがそんな風に呑気に考えていられたのも、そこまでだ。
目の前の人物が、少年と言う人間の皮を被った何かは、その口から絶え間なく善意に見せかけた悪意を生み出し続けていく。
「僕としてはね、彼女の望み通りにしてあげてるだけなんだよ。友人として、いわば善意の協力者ってやつさ。だって彼女、現状に不満を抱いてたみたいだし。本心では出来損ないのお荷物だって気が付いてたみたいだからね。友人としては、そんな悩みをどうにかして解決してあげたいって思うだろう? だから、そんな風に悩まなくて済むように、君達から引き離してあげたんだよ。無様に迷惑をかける所なんて、見ていてしのびないからね」
「それにさ、知ってるかい? 彼女って甘ちゃんだから、不要ないざこざを起こしてしまわないか心配になるんだ。ほら、時々滑稽なくらいに考えている事とは違う事をしてるだろう。自分が弱いって事を認めないで強がっているもんだから、それと気が付かない内に相手を持ちあげちゃうんだよ。……だから、フォルトみたいなあんな悪人に上手く取り入って、気に入られちゃったりしてさ。危なくなっても、助けてもらっちゃったりしてね……。嫌いだと思ってる人間ですら、心の底では許してるんだから。どっちつかずで本当に甘いよね。君達としてはそんな友人なんか許せないだろう。足手まといだって思うだろう」
「だから、そんな無意識の甘さに苦しめられている友人をさ、解放してあげようと思うんだ。無様に生き永らえさせるよりはさ、一思いに終わららせて有終の美をかざってやるのが、友人として当然の思いやりじゃないか。そう思うだろう」
それは、悪意だ。
悪意の塊だった。
底知れない闇を抱えた彼は、言葉だけで周囲を支配し、こちらを圧倒してきた。
立て石に水のごとく喋り倒した砂粒に対しての好感度は、皆きっと最底辺で固定されているに違いないが。そんな事は何の慰めにもならない。
かろうじてその空気に姫乃が抗って動こうとするが。でもそれよりも前に……、
「貴方は卑怯です」
その中で一番に声を上げたのはエアロだった。
「そうやって、表面上だけの正義と善意を振りかざして、未利さんをいつも追い詰めてたんですか」
怒りの感情をはっきりと顔にに刻みつけて、けれどそこにあるのは怒りだけではない。
同時に悲しみもだ。
「中庭で未利さんに会った時もずっとそうやって、薄っぺらな正しさで傷つけていたんでしょう? 本心が分かっているのなら、どうして未利さんが大事にしていた物を破ったりしたんですか! 貴方はいい加減な人です。とても卑怯で自分勝手な人です」
エアとの足元には、助けられたらしい子ネコウがいつの間にか寄り添っていて、威嚇する様に牙を見せていた。
彼女はベッドの上に横たわったままのその姿を見て、言葉を続ける。
「甘くていけませんか、どっちつかずでいけませんか。私は彼女のその甘さのおかげで大切な事に気づけたんです。そんな人達と付き合っていると、ちゃんとしろって言いたくなる時も結構ありますけど、それでもそこが良い所なんじゃないですか」
言葉を受けた砂粒は、唇を歪めて見せた。
「へぇ、仲が良いんだね。友情でも芽生えたのかい? 今まで彼女の事を毛嫌いしていたのに。それを言うなら、何も知らないで自分勝手な事を態度を取っていたのは君だって同じじゃないのかい? コヨミにも、そこにいる彼女らにも」
「っっ」
言葉を詰まらせるエアロは何も言い返せない。
つい最近ケリをつけてきたらしい彼女にとって、それは深すぎる傷だっただろう。
「まあいいさ、君達と会話してたって、利益なんて何もない。言葉の無駄遣いだ。今日の所は退散させてもらうよ」
そういって、どこかしらに姿を消そうとするが、そうする前に聞かなければならない事があった。
口を開こうとするが、遮られる。
「ああ、そうそう言い忘れていた事なんだけど。彼女の仲間は、彼女の目の前で一人確実に死んでいるよ」
?
首を傾げる。
これらは誰一人死んでいないはずなのに、どういう事だろうか。
それともフォルト・アレイスの事だろうか。
啓区が制止の声を発して言葉の意味を問おうとする前に、砂粒は畳みかけてくる。
こちらの方を見て……。
「アジスティアはこちらにあるからね。今の君、彼女の幼なじみでもなんでもないよ。そんな君の努力なんて、重ねた所で果たして意味があるのかな」
そう言ってこちらの虚をつき、笑みを刻んだ相手は、今度こそその場から掻き消えた。
(※10/3修正しました)