210 第12章 炎獄の鳥籠
悲しそうにするエアロを前にどうしようかと考えていると、ふいに揺らぎの様な物を感じ取った。
集中して、感じ取る。
それは波を打つように小さく、大きく揺らいで、時折りふっと明滅する様に消えかかる。
たよりない様子で波立つ者の正体は存在の力だ。
「……啓区さん?」
「治療室に誰かいる。違う、敵がいるがいるかもしれない……」
「えっ」
おかしい。
どうしてこんな事が起きるんだろう。
早すぎる存在の変動は、自然に起きた物ではない。
人為的に引き起こされた物だろう。
ならば、一体誰が……?
ここは味方の拠点で、この世界でも強固な守りのある場所だと言うのに。
「早く、行かないと……」
急く思いのまま足を扉の方へ、向ける。
物理的にも心理的にも余裕がなかった。
早く原因を突き止めて何とかしないとまずい。
このまま放っておいたら、自分が手を打つまで持たないかもしれない。
そう思い、部屋を出ようとしたのだが、その扉がいきなり目の前で開いたのだがら驚いた。
王宮の廊下には、人が立っていた。
「……。こんな夜中にどこに行くつもりなのかな?」
若干のサイレント……から入るスマイルと言葉だった。
目の前に立つ見慣れた赤毛の少女……姫乃を見つめる。
えーと、ひょっとして怒ってる?
「あ、聞いてたー?」
「聞こえてたよ」
今度は間髪入れずに答えが返って来た。
一体どの部分からだろうー。まさか最初から聞き耳立ててたなんて事、無いと思うし……。無い、よねー?
「今日はもう遅いから眠った方がいいんじゃないかな。用事なら明日すればいいと思うよ」
「そういうわけにもー、行かないんだよねー。待ちぼうけしちゃう人がいるかもしれないしー」
それにぼやぼやしている内に自分が消えてしまったら元も子もない。力を貸せるうちにこの状況を何とかしたかった。
「じゃあ私もついていくよ。だって心配だし」
「えー、うーん……それには及ばないというかなんというか、あはは、どうしよー。予想外だよー」
あ、でもこの場合はいた方が良いのかな?
誰がいて、何が起こってるのかも分からないし。
こんな所で問答している時間はない。
そうだ、早く急がないと。
もしかしてエアロの言った通り昼間の事、根に持っているのかなー。
姫乃はそういう事を引きずって、誰かに圧力掛けるみたいな態度とるはずはないのだが。
「あの、そんなところでケンカされていると通行しづらいんですけど……」
そんな風に扉の周辺で会話している啓区達にエアロが話しかけてくる。
あ、ごめんねー、忘れてたー。
そうだねー、会話の流れからしてエアロもついてくるんだよねー。ああ、ちょっと失敗したかもー。
あれ、とそこで気が付く。姫乃の横にいてもおかしくないはずの、小柄ななあの姿が見当たらない。
「とにかく時間が……、あれ、なあちゃんはー?」
「ああ、なあちゃん? どうしたんだろうね、さっきまで一緒にいたのに」
「?」
心配そうにする姫乃の様子だが、なぜかその態度に違和感を感じる。
いつもの姫乃だったら、もう少し慌てたりすると思うのだが。
「それより、どこに行くつもりなのかな?」
と、そんな疑問を抱いている内に話を戻した姫乃が一歩前へ進む。
すると、赤毛の少女は必然的に部屋の中へと入って来る事になって、啓区は扉の内側へと押し戻される形になるのだが……。
何かがおかしい、と思考の片隅で警鐘が鳴り響く。
「ここにいたら? 今日はエアロに日記の事とか教えてもらわなくちゃいけないし、皆でここで聞いた方が色々良いと思うんだけど」
そう目の前の少女が、結締姫乃が言いそうな事を言って、笑顔を作るが……。
「下がってください」
その様子を見たエアロが啓区の前へ。
わぁ、男前ー。
とと、そんな事言ってる場合じゃない。
「貴方は何者ですか? 姫乃さんじゃありませんね」
「いきなり何を言い出すのかな。どうしたのエアロ。私は姫乃だよ」
緊張した様子でどこに忍ばせていたのか分からないナイフを取り出して構えた。
「演技が雑ですよ。本物の姫乃さんだったら、もっと堂々としててくださいと言いたくなるくらい、この場面では狼狽えるはずですから」
「そう、かな。私そんなにオドオドしてる様に見えるかな」
「ええ、見えてました。もうちょっと自信を持っても良いと思ってましたよ」
「過去形なんだね」
……あ、違うやこれ。
どこからどう見ても姫乃にしか見えない少女は悲しそうにするが、エアロの言った事を考えれば確かにおかしいと思えた。本物だったらもっと狼狽している。
でも、まさかと思う。
こんな状況で、また別の問題が起きるのか、と。
ただでさえ問題が重なってるのに、加えて主人公である姫乃に関わる事まで起きるなんて。
こんなの、予定されていた事なんだろうか。
「なあさんはどうしたんですか?」
「ひどいよエアロ。その言い方だとまるで私がどうにかしちゃったみたいに聞こちゃうよ」
「状況的にそうとしか思えないから聞いているんですが」
「話し合おう? エアロ達はきっと誤解してるんだよ。今はこんな事してる場合じゃないはずだよ。お城も大変なんだし、力を合わせて色々知恵を出さなきゃ」
「……」
対話を試みる口調の姫乃に大して、しかしエアロは取り合う事を止めたようだ。
無言で機会を伺っている。
対面に兵士然とした様子で立つエアロを見て、姫乃は残念そうな表情を浮かべた。
「そう……」
そして、次の瞬間にはこちらを取り囲む様に輪となって炎が発生した。
鮮烈な赤色が、熱を発しながら視界を染め上げる。
それはこちらを逃がさないように、移動させないようにする為の炎獄の鳥籠だった。
「せっかくあの子の意識を遮断してまでここに出て来たんだから……。悪いけど、これからの事情の為に貴方を外に出すわけにはいかないの。彼女には死んでもらわなきゃ。ごめんね。貴方もここで終わって?」
「危ないっ」
エアロに突き飛ばされて、元いた場所へ炎の塊が飛んできて通過した。
ぼーっと立っていたら、焼け焦げていた所だ。
やはり急ごしらえの才能では、ただの器用止まりだ。
修羅場はそれなりにくぐってきたつもりだけど、やはりここ一番の時の危険察知の能力は本職には及ばないらしかった。
「残念だな。運命に逆らわなきゃ、もうちょっと生きられたかもしれないのに。私はけっこう気に入ってたよ? 貴方って、面白いし」
対面にいる少女が、眉をひそめて啓区へそんな言葉を放ってきた。
この少女は、気づいている。
目の前にいる姫乃は啓区が運命から外れようとしている事に。
物語の登場人物未満でいる啓区の事情を。
「君は一体……」
「ああもう、二人だけで分かり合ってるような話をしないでください。人を蚊帳の外に置いてなめてるんですか」
尋ねようとする啓区だが、そんな二人の会話を聞いていたらしいエアロがちょっとキレた。
先程啓区とした会話の影響が残ってるのかもしれない。
冷静なように見えて、意外に未利なみに感情の変動が激しい少女だ。
「これが終わったら、シンク・カットに行って、色々回収してこなきゃいけないな。クレーディアも可哀そう。エマが贈り物を受け取るわけないのに」
「だからそちらで勝手に会話しないで下さい……」
今のは僕は何もしゃべっていないよー。
そんな風にしていると、扉の前から声が聞こえて来る。
炎越しに小さな人影のシルエットが見える。
「ぴゃっ、お部屋が真っ赤になってるの。大変なの」
そしてもう一つ、こちらは若干見えづらい。
次に聞こえてきたのは姫乃の声だ。
「あ、なあちゃん近づいたら危ないよ」
炎の壁越しなので、はっきりとは見えないが二人共無事だったらしい。
「一体どうしてこんな事に。貴方は……、え、私?」
そして突然の襲撃者の正体を確かめたらしい姫乃から驚きの声が上がる。
当然の反応だろう。
うん、自分そっくりの人間がいたら驚くよねー。
「時間切れみたい。諦めるしかないかな」
おそらく偽物の姫乃の方が、そんな事を発言。炎の壁が消え去っていく。
視界から鮮烈だった赤色が取り除かれ、こちらを熱していた源が消失し、舞い散る火の粉と焦げた床の後だけが、残される。
そして、つい先程まで偽物が立っていた場所には、狼狽したような様子の姫乃が立っていて、混乱したような声を出している。
「あ、あれ私、移動してる……? じゃなくて、元に戻ったのかな」
「ふぇ、姫ちゃま透明ですけすけさんしてたのに、今はすけすけさんじゃないの。どうしてなの?」
なんだか、そっちもそっちで色々あったみたいだ。
とりあえずは、急場の危機はしのいだと言う事で。
話し合いの場を設けたいのはやまやまだが、啓区はそれらの事情を丸ごと無視した。
「え、啓区?」
「ぴゃ、啓区ちゃま?」
「啓区さん?」
次に何か起こる前に早めに手を打っておかなければならない。
そう思い、その場から駆けだした。