208 第10章 シンク・カット
エンジェ・レイ遺跡 深部 シンク・カット 『ツバキ』
深い深い星の底。
地の果てと繋がっているその場所は、隠された場所だった。
エンジェ・レイ遺跡の最下層、紺碧の水晶が保管されていたさらにその奥に、巨大な空間がある。
中心には、どこまでも果てのない巨大な穴の開いていて、闇に満ちる空洞を晒している。
部屋の壁は遺跡を形作っていた物とは違い、鋼鉄で作られ握色に輝く。
遥か数十メートル先、天井には明りをとる道具はない。四方から発せられ続けていた魔力の残りが、未だ光の粒となって周囲を照らしていたからだ。
「……」
その部屋の中を、一人の少年が移動していく。
漆黒の髪に漆黒の瞳をした少年、ツバキが。
部屋の中央にあいた深い穴の中央、その上には蓋をするように一回り小さな輪が浮いている。
輪はそれ自体が幽かに発光しているものの、特に変化を起こす事なく、ただあるがままの状態で静かに浮かび続けている。
部屋の中に生命らしき存在は確認できず、またガーディアンなる存在も現れない。
ツバキは様子を見て、その場所が遺跡として、正式な場所ではないだろうと検討をつける。
それを示す様にここに来るに至る扉も、非情に分かりにくい物だった。
最奥にある部屋の床の石材の一つが微妙に他の者より違っている事に気が付かなければ、おそらくたどり着く事は叶わなかっただろう。
無言で広い空間を進んで行くと、一つの小さなドアがある。
長年放置された影響か、硬くなって動かしづらくなったノブをどうにか動かし、室内へと侵入。
そこは先程と違った小さな空間で、作業部屋のような場所だった。
作業用のデスクと、色々な物が詰まった棚がいくつか。
たくさんの機材が並べられ、様々な薬品や部品が保管され、各所に埃が積もっていた。
「ここは……」
ツバキはその部屋に一通り目を通して、思案するようにわずかに首を傾ける。
調査を続行するか悩む。何故ならばこれは頼まれた事ではなかったからだ。
遺跡の隠し場所、この場所を訪れたのは偶然だった。
製作者に受けた任務とは何も関係のない。
足を向けたのは単なる偶然だ。
制作者からは、シュナイデル城襲撃の準備をしろと命令されていたが、どうにも作業に集中できずに、遺跡の中を歩いていたら、偶然秘密の場所を発見してしまったというわけだ。
果たしてこの部屋の存在は利益となりうるのか。
その判断を付けたかったので、やはり最低限の調査はすべきだと意見を固めて、室内を歩く。
この場所がどういった目的の元に作られた場所なのか、手掛かりがないか捜して。
関係するかもしれない物は、程なくして見つかった。
「……エマ。エマー・シュトレヒム……?」
作業台の上に置かれた、紐解かれる途中の包み。
そこに添えられたカードに文字が刻まれていたからだ。
『エマへ』
書かれていたのはその一言だけだ。
「……」
しばらく思案した後に、埃が舞わないようにゆっくりと包みを手に取って中身を取り出す。
入っていたのは、……手に平に収まる大きさの、四角い箱だった。側面に丸い穴が開いている。
「……?」
それが何なのかツバキには分からないが、おそらく自分にとって役に立つ物ではないことぐらいは分かった。
しかし、歴史上の人物に関わる品。自分には分からずとも誰か別の者になら用途がわかるかもしれない。
取りあえず回収する事を決めた。
そうして、時間をかけて一つ一つ調べていくのだが、それ以外に持ち運べそうな物はなく、用途や意味の判別できそうな物は存在しなかった。
一通り区切りをつけた所で、その場を離れようかと思った時だ。
「ツバキ君……?」
部屋の出入り口にいる姫乃に声をかけられたのは。
短くなった赤毛の髪をなびかせて、結締姫乃が部屋に入って来る所だった。
彼女がなぜここにいるのか。
そう疑問に思いつつ見つめていると、すぐに気が付いた。
見慣れた姿である事は変わりない。
だが、その体は半透明になていてうっすらと向こう側が透けて見えていたのだ。
魂だけの状態になって、ここに来てしまっているようだ。
「遺跡の中にこんな場所があったんだ……」
そう言いながら姫乃は遺跡の壁へと触れている。
前と同じ様に姫乃は、自分がそんな状態でいる事を気が付いていないようだった。
「限界回廊に入った覚えはないけど、どうして遺跡の所にいるんだろう」
首を傾げて考え込む。
そこらも前とは違う。どうやらここに来ることになった経緯を覚えてはいないようだった。
「ツバキ君はここで、何をしてたの?」
「調べていた」
「この部屋を……?」
姫乃は改めて周辺の様子を見まわす。
「ここは一体どういう部屋なのかな」
「分からない。偶然見つけた」
「でも、ここって遺跡の中だよね。四宝があった部屋に隠し通路みたいなのがあったから、ここまで来たんだけど」
つまり最初に移動してきたのは、あの最奥だったらしい。
この場所に着いて分かる事はあまりない、だがこれまでの調査の中で、分かった事もある。
それは……。
「シンク・カット」
「え?」
「この部屋の名前だ。そう呼ぶらしい」
「シンク……カット……何だろう。すごく聞き覚えがある気がする。あっ……」
何かを見つけたらしい姫乃が、近くの棚に置いてある鉱物の標本に歩み寄る。
「これ、お城の中庭にあった物と、多分同じだ……。でも私どうしてそんなこと分かるんだろう。それに……」
言いながら姫乃は別の所にある、道具を手に取る。
小さな鍵だ。流星を象った装飾が施された、銀の鍵。
ツバキが先程開けた包みの中身、小さな箱へと向って、箱を調べ始める。
箱には小さなカギ穴があったらしい。そこに鍵を入れるとカチリと音がした。
箱を開けて中身を見ると、まず金属板が目についた。その表面には複数の突起が付いている。
そして取っ手の様なものが収まっている。
「これってひょっとして……」
姫乃は取っ手を取り出して、箱の外部にある丸い穴に差し込んでまわした。
回す取っ手の動きと連動して、金属板が動き出せば、どこかにある別の突起が当たって音を紡ぎ出していった。
一つ一つの音が連続して、旋律となる。
「オルゴール」
「おるごーる……」
「えっと、音楽を奏でる箱って言えばいいのかな」
「楽器か」
「みたいなものかな。どうなんだろう。詳しい事は分からないけど」
ならば持っていっても意味のないものだろう、とツバキは判断する。
鳴り響く音楽に耳をすませる。しんと静まり返った夜空の深い深淵の中で、こうこうと輝く星の音を、音楽にしたかの様な旋律だった。
音楽芸術に興味はないが、その音色には聞くものを癒す力の様な物を感じた。
「これが、クレーディアのエマへの贈り物……」
オルゴールの音色が途切れた所で、ツバキは聞きたい事が湧いてきた。
ずっと気になっていたのだ。
彼女の、姫乃を助ける為には、姫乃だけを助けるだけでは駄目だと言う事を。
本当にそうなのだろうか。
「姫乃。お前は、仲間がいないと悲しむのか」
「え?」
唐突な質問に姫乃はめを丸くするが、すぐに答えてくれる。
「うん、皆と一緒じゃなきゃ私は嫌かな。誰かがいなくなっちゃうなんて考えられないよ。ねぇ、ツバキ君。製作者さんって人とツバキ君の関係はよく分からないけど、私達に協力してくれないかな」
「……」
目の前の少女からの提案にツバキは悩む。
あの女性に付く事は決められた事で必要な事だ。
今離れれば、後に自分の首を絞める事にもつながりかねない。
だが、姫乃は困っているようだった。
ツバキの手を借りたいと目の前で言っているのがその証拠だ。
今手を貸せば、おそらく力になれるだろう。だが……。
「駄目、かな?」
不安そうにする少に頷く事ができない。
なぜならツバキがしている行動は大事な約束だったからだ。
「アイナと約束した。共に世界を救うために力を振るうと」
「アイナって人と……?」
「だから、そちら側に行く事は出来ない」
「そう、なんだ……。でも、だったらせめて事情だけでも」
姫乃は続きを言いかけるが、言葉が音になるよりも前に早く、その体が揺らいで消え去ってしまう。
おそらく魂が元の体へと戻ったのだろう。
後に残されたオルゴールが地面に落ちて、その衝撃ででわずかな音を立てた。
それはひどく歪で軋んだように聞こえる音だった。