205 第7章 分かるための努力
『エアロ』
――また来るわ。
聞き覚えのない女性の声が聞こえた、と思ったのと同時、エアロは特別治療室のドアを開けていた。
いつもより来るのが遅くなってしまったが、お人よしが人になって歩いてるような者達の事だ、口煩く文句を言ってくるような事にはならないだろう。
そう思いながら、様子を伺うのだが、部屋の中には妙な空気が満ちていた。
「何かあったんですか?」
そういえばここに来る直前に、誰か知らない人間の声が聞こえていた、と思いながら尋ねれば、その場の代表で姫乃から言葉が返がってくる。
「うん、ちょっと……」
ただ、その内容はかなり短くあいまいだった。
何かがあったのは見れば分かる。何かあったのだと。
エアロはその何がが何なのかを知りたくて聞いたつもりなのだが。
だが詳しく尋ねようにも、姫乃本人にもよく分かっていないような様子だ。
「エアロには前に話した事があるよね。未利を見ててって頼んだ時に、啓区がベルカって人を限界回廊で見たって事……」
「ああ、そんな話もありましたね。それがどうかしたんですか?」
厄介事を押し付けられた時の事だ。あの時はコヨミに呼び出されたと聞いて、何の話かと思ったが別の方面で驚かされた。
過去に存在したクレーディアそっくりの見た目をした人物の話した。覚えている。
大した内容は聞かなかったのだが、その人物の名前が今出ると言うことは……。
「その人が、いたんですか?」
「うん。実はさっきまで……それでね」
やはり先程聞いた人物の声は、そうなるのかと納得する。
続けて、言いよどんだ分の内容の説明を姫乃の口からされるのだが、何と言うか予想以上に曖昧だったと言うか……。確かにそれなら言いよどむ事にもなると思った。
「ええと、そのベルカという人は子ネコウをおいていった……んですよね。未利さんに必要だって言って。本当にそれだけですか」
言葉通りにそっくりそのまま解釈するなら、そういう事になるのだろうが、本当にそれだけだのはずはないだろうと思う。
だが、姫乃からは嘘をついている気配も感じられないし、彼女からは戸惑いしか伝わってこない。
「そうなんですか?」
部屋の中にいる他のメンバーにも事情を尋ねるものの、大体同じ風としか反応は返ってこない。
城の中に正体の良く分からない人間がうろついて、しかも病人(……では、正確には違うのだろうが)の近くにいたなど問題だろう。もっと詳しく話してほしかったのだが、本当にそれ以上の事は何もなかったと言うのだから、首を傾げるしかない。その人は一体何のためにここにやって来たと言うのか。
とりあえずはこの件を早急に城の者達に連絡しなければならないだろう、そう思って思考を切り替えようとするのだが、気になる言葉が耳に入った。
「でもそういえば何か、変な事言ってたわよね」
「あー、あれな」
「何ですか?」
ギルド、ホワイトタイガーに所属する選と緑花。コヨミと親しくする者達だ。
あまり頭脳労働的な事は期待できない人間だと思っていたのだが、彼らから情報がもたらされるとは……。
二人は思い出そうと、視線を虚空に投げかけながら言葉を紡ごうとしたのだが、それよりも先に視界に入ってくる人物がいた。
そして飴をもらう。
「まあ、そう難しくならずにー。この城で人死にが出るかもーみたいな話だよー。ほら、前にコヨミ姫が言ってたでしょー。城が襲撃されるって話、これはそろそろ対策考えなくちゃいけないんじゃないかなー」
「え、そういう話だったっけ」
お菓子何て要りませんと押し返そうとするのだが、身動き素早くポケットに入れられてしまった。
だから要らないって言ってるのに。
困惑の声を上げる姫乃の方を見ると、何やら納得しかねる様な表情で啓区の方を見つめていた。
なにやら仲間内で受け取り方が違うような言葉でも言われたようだ。
だが新たに出された話題の方も、気になるのは仕方ないだろう。確かにその件に関してはエアロも気をもんでいた。
未利の件が出る時と一緒にそれとなく伝えられた、コヨミの力で見た未来の話。
ここの所色々あってすっかり忘れていたが、確かにそろそろ対策をとらねばならない時期だ。
最近コヨミ姫が読んだ星の動きでは、その時が近づいてきていると聞いていたし。
「姫様はその件に関しては色々進めているので、大丈夫ですよ。この城の者達も、頼りなくはありませんからね。それより侵入者……? でしょうか、その人の方が問題です。何でちゃんと覚えておかないんですか。まったくもう」
「あ、そうだよね。ごめん」
どんな事を言われたのかは知らないが、もう少し危機感を持ってしっかり行動をしてほしいものだ。
いつもの様にくちを 挟みたくなるが我慢。何よりもまず、彼らに言わねばならない事があった。それに関係して、今日は遅くなってしまったのだから。
「それより、エアロは今日は来るのがちょっと遅かったよねー。ひょっとして、例の翻訳が終わったとかー」
「はい、ちゃんと頼まれていた分を終わらせてきましたよ。ノートにざっと内容をまとめてきましたので、後で見ておいてください」
彼女らからの依頼の内容は、アレイス邸から押収した「フォルト・アレイスの日記」とそれに関連する「エマー・シュトレヒムの手記」の翻訳だった。
それなりに頭は悪くないはずなのに、なぜか文字が読めないという姫乃達の為に、訓練やらの合間の時間をぬって雪奈の力を借り、彼女らの言語に合わせて内容を翻訳して紙にまとめていたのだ。
「やっぱりこの世界の文字は読めないと困るよね」
「えー、でも英語だからまだ良かったんじゃないかなー」
「そうだね。文章は読めないけど、単語だけなら何となく意味が分かる物も多いし……」
早速そのノートを渡すのだが、その時に会話するヒメノたちの言葉を聞いて首を傾げる。なにやら耳慣れない言葉が出て来たような気がするが、翻訳を頼みたい。
「あの、イセカイって何ですかそれ」
「あれ?」
「あー」
姫乃と啓区が顔を見合わせて妙な反応、そして、部屋の中で今ままで子ネコウと遊んでいたなあや、水連という少女が「ふぇ?」「ん?」と、視線を向けて来て、選や緑花が遅れて「「……あっ」」となった。
今まで気が付かなかったが、奥にいたらしい花華が眠っているらしい男性医師の様子を案じつつも、こちらの様子に「あらあら」と反応して見せる。
「そう言えば、コヨミ姫様と、傍にいたイフィールさんは知ってたけど……エアロにはまだ言ってなかったよね」
「ねー。さすがに僕もちょっと油断してたよー」
「二人共、一体何の話をしてるんですか? そちらだけで分かったような会話をしないで下さい」
なにやら置いてきぼりにされているような気がして、非常に不愉快なので止めて欲しいとそう伝えると、姫乃が謝りながらこちらにその内容を教えて来た。
「ごめん。てっきりもう知ってるつもりで話しちゃったんだけど。驚かないで聞いて欲しいかな。私たち実は……」
この世界じゃない、別の世界……異世界から来たの。
と、そんな面白くもない冗談を言って来た。
姫乃はそういう事を言うような人間ではないと思って血たのだが、これは認識を改めなければならないかもしれない。
異世界。
その意味を理解してエアロが発言に納得したのは、それから約一時間後の事だった。
シュナイデ城 中庭
……ああ、もう。
確かに、見た事も聞いた事もない言語を操ってるなと時々思う事はあったけど。まさか異世界から来たとは。
数時間後、色んな事がどうでもよくなる様な、そんな投げやりな気分でエアロは中庭をうろついていた。
「ほんとにとんでもない人たちですね。あの人達は」
時刻は夜なのだが、どうにも昼間に驚愕の事実を耳にしたせいで落ち着いて眠れそうになかったのだ。
「常識外れなのは、親切心と戦闘力だけにしてほしいですよ」
幸いにも周囲に人影はなく、辺りは静まりかえっている。
離れた所には見張りの兵士がいるだろうが、そこまで距離があるので、エアロの声は聞こえないだろう。
つまり誰かに遠慮することなく、愚痴やら悪態やらが吐ける絶好の場所だという事だ。
夜に部屋の外をうろつくなんて、あまりよくないと思ってましたが……。これはこれでいい気分転換になるかもしれません。
中庭の比較的その外の方にでんと置いてある、正体不明の黒い石に自分の歩く姿が反射して見える。
夜なのに姿が見えるのは、星月の明りがほんのりと照らしてくれているからだ。
「でも、……姫乃さん達、きっと大変だったんでしょうね。見ず知らずの土地で。それなのに、出会った時はときはひどい事言ってしまいました」
思い出すのは、ロングミストの町で町長の元へ彼女達がやって来た時の事だ。
だって、あの時の姫乃達と来たら、とても能天気そうで、現実を全然分かってなさそうに見えたから……。
何か裏があって親切を働いているんじゃないかとそんな風に心の中で思って、警戒していたのだ。
「でも、知らなかったから、仕方ないじゃないですか」
そう、何も知らなかった。
それは当然の事だろう。出会ったばかりだったのだから。
でも……。
「駄目です。やっぱり、後悔はしますよね……」
誰もがしょうがなかったと言って、自分でもあの場ではしょうがなかったのだとそう思っていたとしても、もっと他にやりようがなかったのかとそう思わずにはいられないのだ。
「あの時も……」
水礼祭一日目の時。
姫乃と未利が会話していた時の内容をエアロは少し聞いていたのだ。
普段は強がって迷惑な態度ばかり取っている少女の、秘めた本音の言葉を。
「分からないから、こんなに大変なんですよ……」
いっそ、初めからその人の思いも、誰かの事情も何もかも分かっていればいいのに、とそう思う。
分かっていれば、誤解なんて生まれないし、不和になんてなるはずもないのに。
気づけば、花々が生い茂る場所を通り過ぎて、庭の中央まで来ていた。
そこでは、大きな白桜の木が一本生えていて、厚い夏の季節の到来とともに、厚く逞しくなってきた木の葉をさわさわと涼し気に風に揺らしている。
幹に手をかけ、思いにふけっていると、底に声がかかる。
それは敬愛すべき主君の声であり、命をかけて力になりたいとそう思う少女の声だった。
「そうね、だから。分かる努力をするのってとっても大切な事だと思うの。仲良くなるために……争わずにすむために」
コーヨデル・ミフィル・ザエル。
このシュナイデル城の主、東領の統治領主だ。
(※修正しました。9/3)