199 第1章 裏舞台の騒動
それは姫乃達がコヨミと未利を救出する為にアレイス邸に突入する、その少し前の時間の出来事だった。
『アピス』
「あー、今日もいい天気だなあ……」
早朝の散歩と評して、シュナイデルの町を歩く一人の青年がいた。
名前は、アピス・フィデイム。
裕福な家の生まれの青年で、有名な鍛冶師を祖先に持つという知名度を利用して、数代前にそれなりに裕福な地位にのし上がった。そういう経歴を持つ家の一人息子だった。
真新しい事や、面白い事、斬新な事を好む彼は、己の足でそれらを探していく事を趣味として日々を過ごしていたが、今現在の散歩はそんなアピスの趣味によってのものではない。
「家にも、ヘブンフィートにいても気分なんか晴れやしないからなあ……」
世間から見れば恵まれた環境に生まれたアピスであるが、贅沢である事は受け入れても、楽で刺激のない生活を送る事は苦痛と感じてしまう性格を自任していた。
退屈な時間を何よりも嫌い、面白みのない日々に意義を見いだせないアピスは、こうして自分と同じような境遇の……裕福な者達が住む地域である、山にへばりつくようにして作られた高層住宅街を離れて、よく町へと降りてくるのだ。
アピスにとっての慣れ親しんだ地域と言えばヘブンフィートよりもずっと、一般所得者や低所得者の住むカランドリやイビルミナイの方が近かった。
たまに考えの違いや価値観の差から、小さな小競り合いを起こしてしまうものの、それらの騒動さえアピスにとっては良い刺激として記憶されている。
そんなアピスが人もそう通っていない、まだ鳥や虫も眠っているだろう早朝の時間に町を歩いているのは、ある人物の手伝いをする為だった。
朝の薄暗い中、静かな町中を通って向かうのは、何の装飾もないただ資材を組んだだけという武骨な造りの店だ。
店の扉を慣れた様子で開けたアピスは、他の家の迷惑にならないように声を抑えつつも、挨拶の言葉を放つ。
「ちわーっす。親方ー。手伝いに来たぜー」
そうして呼びかければ、アピスの知り合いである店の主人……鍛冶師であるその人物そのの声が奥から聞こえて来た。正し、その言葉はこちらの挨拶の返事などではなく、誰かと話をしているかのような口調だ。次いで聞こえてくるのは、子供二人の声。女の子と、男の子のだ。
「何だ? お客さんでもいるのか」
疑問に思うがそれにしては声が子供で幼すぎるし、こんな早朝に来る客など聞いた事が無い。
歩いて行って、奥の様子を窺えばそこには作業台で紙面を覗き込む、親方と小さな兄弟がいた。
「なるほど、この仕組みを使えば武器にも応用できるかもしれん。本来の用途として活用するのは難しいだろうが、お前さん達が頑張ったおかげで多くの人間の力になるかもしれんぞ」
「ほんと? やったね、ユーリお兄ちゃん!」
「良かったな、チィーア。お父さんの知り合いのおじさんに資料も見せれたことだし、後はお城の人に見せるだけだ」
手を取り合って喜ぶ兄弟は見てるこっちまで嬉しくなってきそうな笑顔だ。言葉を聞くに家族に頼まれ事でもしたらしいが、こんな時間に出歩くなど一体、どんな仕事なのか。シュナイデの町の中、この辺は特に危ないわけでもないが、もしもの事が無いとは限らない。日頃楽観的だと良く友人に言われるアピスにしても、少々心配になった。凶暴っぽい人間に絡まれでもしたら大変だろうに。
一体あの兄弟にはどんな事情があるのだろう、とそう思っていると気づかなかったが店の隅にいたらしい最後の一人が口を開いた。
「はっ、用が済んだんなら、もう俺様に関わるんじゃねぇ。テメェらが話しかけて来たせいで酒場にいられなくなっちまっただろうが」
先程絡まれたらまずそうだなと思った。まさにその想像通りの凶暴っぽそうな人間だ。
「まだ! お城の人に会えてないもん」
「そーだぞ。ウーガナ案内しろよ」
「呼び捨てに命令かよ。このガキ……」
大柄な体格の男は清々したみたいな態度で言葉を放っのだが、直後に兄弟に言い返されて額に青筋を作っている。
あんな大男になんて事を言うのだろうかあの子たちは。意外と度胸があるらしい。
「おい、店主! 頼んだ武器はまだ出来ねぇのかよ。くそ、元のやつは城から出る時に、イフィールの野郎に目の前で壊されやがったからな」
「あの金髪の嬢ちゃんが、そんな乱暴な事をね。坊主、意外に気に入られておるな。武器の件はもう少し待て。特注は一朝一夕にできるもんでもないんでな。新機能も……げふん。とにかく時間がかかる」
「今なんか変な事言いやがらなかったか、おい」
途中で言葉を濁し始めた店主の様子を見て、アピスはそっとウーガナと言う大男に同情した。
どうやら彼は武器の作成を依頼した客のようなのだが……。
店主はちゃんと良い鍛冶師ではあるのだが、たまに勝手に改造したり手を加えたりする悪癖があるのだから、困るのだ。
何度、苦情を言われてその対応を押し付けられたか。
「ん、何だアピ坊来てたのか。ならとっとと手伝わんか。まったく、優秀な人間は何かを指示される前にすでに行動しておるぞ」
そんな風に成り行きを見守ているとこちらに気が付いたらしい店主が不満げな表情をして、不満げな声で話しかけてくる。
……指示されるのを待つも何も、まだ雑用を押し付けられてるだけのただの手伝いだけど、俺。
「そりゃないぜ、取込み中だから気をきかせてたって言うのに」
それにまだ店主は今日の作業すらしてない様子だというのに。
理不尽な言い様だが、これがこの店の連取の通常営業なのだから仕方がない。言い返したり指摘したり、正論でやりこめようとしたって、何倍も小言と雷が返って来るだけなのだ。言う事を聞いていた方がまだマシである。
そう言うわけなので経験則に従い、やれやれと肩をすくめたアピスは、作業着に着替えるために更衣室へと向かおうとするのだが……。
ふと、この間聞いた事を思い出した。
「親分……。この前、城の人が話してるのを聞いちゃったんだけどさ。確か、アテナとかルーンとかって言う人の……。コヨミ姫様が浄化能力者と間違えられて実は誘拐されてたなんて言ったら、信じるか親分」
何故か、部屋から出て行く所だった大男と、その姿を追いかけようとする小さな子供二人の足が止まる。
一方はここにはいない誰かへ何やってんだという視線を向け、もう一方はただ何やら気になる単語に耳が動いただけという反応を見せる。
「何だと? それは一体どういう事だ」
「いや、だからそのまんまで。この間、偶然聞いちゃったんだよ。まあ、ホントかどうかは分からないんだけどさ」
「何だ。年寄りをむやみに脅かすでない」
都合の良い時ばっか、年寄り言うよな親分って。
眉間に皺を寄せて問いただそうとする店主に、真偽が不明である事を告げたアピスも「何だって?」と言う心境なのだ。やはりあの効いた内容は、信じろと言うのが無理がある話なのだ。
「やっぱりそんな事あるわけないよな。あー良かった。親分に話してすっきりしたぜ。仲間達も嘘だって言ってたくらいだし」
「ちょっと待てアピ坊、人に話したんか!」
まったく不要な心配を抱いていたもののだと、アピスは胸を撫で下ろしかけたのだが、怒号と共に店主からのゲンコツを受けて視界に火花が散った。
「いってぇ!」
「悩まんでもいい事を他の人間に悩ませる気か、お前さんは。正しいかどうか分からんという事はだな、同じように間違っているかどうかも分からんという事なんだぞ。今のこの状況で、その判断が冷静にできる人間がどれくらいおると思っとる」
予想以上の声量で、雷を落とされた事にしばらく口を聞くだけになってしまったが、徐々に頭が働いてきて、言われた事の意味に気が付く。
「ひょっとして、終止刻? でも、そんな大げさな。いつだって終止刻は解決されてきたんだろ。なら今回だって大丈夫に決まって……」
「ぶぁっかもん!! これだから良いとこの坊ちゃんは、お前さんは他の金持ち連中よりはマシだが、やはり根っこの所では違う価値観をもっとるもんだな。いや、お前さんその金持ち連中よりも危機感なくないか」
考えすぎだと思って、笑って否定しようとしたのだが、迫力のある馬鹿者認定をされて一蹴される。
今までに聞いた事のない特大の雷を見舞われたアピスは、有無を言わせぬ口調で店の出口へとぐいぐい背中を押されて移動させられてってしまう。
「こういうもんは、理屈で感情が納得できんのと同じじゃ。今すぐ火消しに行ってこい」
手伝いは? などと言い出せる雰囲気ではなかった。
いきなり怒り出した店主の剣幕にビビったのか、店にいた大男と小さな兄弟達はいつの間にかいなくなっている。
そんな様子で怒りの収まらない連取はアピスを問答無用で店から叩き出してしまい、ついでガチャリと扉を施錠してしまった。向こう側で足音が遠ざかっていくのが聞こえる。
あの様子だと当分は気分が変わらないだろう。
今日はきっともう、中には入れてもらえない気がした。
今いち自分の仕出かした事のとんでもなさが分からないのだが、これはこれでかなりまずい事をやらかしてしまったらしい。
「火消ししろって言われても、どうすればいいんだ」
誰に話が伝わったかも分からないのに、一人一人それは違うんだと話して歩くわけにもいかないし。
そんな風にうなだれていると、不意に人の気配が近づいて来るのに気が付いた。
「貴方ね、町中で変な噂を広めてる張本人って。話があるからちょっと来て」
さっそく、アピスの仕出かした問題に頭を悩ませなければならない時が来てしまったようだ。