191 第26章 舞い降りた少女
フォルトを置いて走った。
コヨミと合流して、早く姫乃と合流しなければ、そう思って屋敷の中を進み数分……。
もう一人の人質は、やはりルーンと共にやって来る所だった。
合流だ。これで心配が一つ減った。
「コヨミ!?」
「未利ちゃん」
ルーンに連れられていたコヨミに怪我とかはなさそうで元気そうだった。
姫乃達の来訪を察知したルーンがやはり連れ出して逃がそうとしてくれたらしい。
「良かった、これで気兼ねなく姫ちゃんの所に……いやまだアイツがいたか。死んでないと良いけど」
とにかく次は姫乃との合流だ。
「あいつ?」
「何でもない。ただの頭のおかしな変人だから」
フォルトは……うん、本当にそうだと思う。
いくら考えても分かんないし。これからも分からなさそうだ。
「話は済んだかい? それなら急ごう。あまりもたもたしていると奴らに気づかれてしまう。僕は戦闘に関してはずぶの素人だからね」
確かにそうだ。
芸術家って言うぐらいだから。そっち方面はきっと期待できないだろう。
未利は魔法はできると思うが武器はないし、コヨミの戦闘力は不明だしで、早めに姫乃達と合流するに限る。
「僕が先導する。ついてきてくれ」
「分かった、……頼んだ」
「お願いね、ルーン」
そう言って走り出すのだが、コヨミが一瞬不審そうな表情をルーンに向けるのを、未利は気が付かなかった。
それからはルーンの先導で、屋敷の中を走っていった。
途中白装束達と何度か出くわしたが、ルーンがうまく言いくるめて騙して通って来た。
ただの芸術家だというのに、奴らが怪しみもせずに通してくれるのは不思議だったが、行けるに越した事は無い。
そうして、扉の前までやって来るのだが……。
目の前に見える大きな扉に近づいてく。
後もう少し、ここを過ぎればきっと姫乃達と合流できる。
その後は、しょうがないけどアイツも助けて、城に戻ってからはエアロなんかに愚痴を言われたりして、寂しがっていたなあちゃんの相手をする事になるのだろう。
一週間前と同じ日々が戻って来るのだ。
そう思いながら進んでいくのだが……。
「止まれ!」
「っ」
聞きなれた声が聞こえて来て、気が付いたら、足が縫い付けられた様に急に止まって床に倒れていた。
打ち付けた体を動かして、その正体を確かめようと振り返る。
「何が起こったか分からないかい?」
「さ、りゅう……」
自分たちの後ろからかけられる声は砂粒の物だ。先程かけられた物も。
複数の足音が近づいてくる。
人の気配。コヨミが息を呑む音が続く。
追いつかれてしまったようだ。
「こういう事もあろうかと人の行動を止める魔法を仕込んでおいたんだよ。時々効力を確かめさせてもらったりもした。身に覚えがあるだろう」
「まさか……」
体が動かなくなる感覚。
あれは砂粒の魔法の影響を受けていたからだったのか。
何で気が付かなかった。
さっきフォルトが、砂粒が未利を動けなくしていたとか言っていたじゃないか。
「く、アンタ……」
立ち上がろうとするが、うまく足に力が入らない。
魔法の影響だろう。
駄目だ。
「コヨミ、外に……」
爆発音は屋敷の内部ではなく外からしている。
姫乃達がいるなら外だ。
だから、外に出さえすれば助かる可能性は上がる。
そう思ったのだが、
扉に走り寄って、それを開けたコヨミは愕然とする。床に倒れたままの未利もだ。
「そんな……」
「なんで……」
二人の声が重なる。
そこにあったのは外ではなく、崖につくられたバルコニーだったからだ。
屋敷への出口ではない。
断崖絶壁に張り付くようにして作られた場所だから、鳥の様に飛んででもしない限り外になんて出られない。
「残念だったねぇ。さあさあ、愉快で滑稽な逃亡劇はここで終了だ」
見世物の終了を知らせるかのように手を打ち鳴らした砂粒は、白装束達に向けて声を張り上げる。
「さあ、君達マリオネットには踊るべき舞台がまだ控えてるんだから、大人しく戻ってきて欲しいな」
白装束達が、こちらに向かってくる。
立てない。
けれど、少しでも逃げようと努力した。
「く……」
床を引っ掻いて、足を動かそうとする。
無理だ。
なら、腕の力で……。体を引きずろうとする。
けど、駄目だった、足を掴まれた。手も。
大した抵抗も出来ずあっという間に取り押さえられてしまう。
悔しそうにするコヨミも同じ状態で呟いている。
「こんな事って……」
「ねぇ、どんな気分だい? 得られると思っていた日々を目前で取り上げられ、希望が絶望で塗り替わっていく気持ちって」
解放された後の事を色々と。
仲間達と過ごす日々を。
戻れると思った日常を。
それらを、わざと思い出させるように砂粒はゆっくりと言葉を紡いでいく。
「……っ」
「でも、残念だ。君達はもう二度と戻れやしないよ。今日みたいなおいたをしないためにも、人形になってもらう事にしたから。ねえキリヤ」
砂粒は背後に声を掛ける。
そこから、出て来たのは白装束達とは雰囲気の違う人間だった。
「そうだな。ちょうど組織で開発した新薬の実験データが欲しかったところだ。好きにいじって良い検体を提供してもらえるとは思わなかった、氷裏」
「その名前で呼ばないでくれるかい、今の僕は砂粒なんだから」
いや、人間と言っていいのか。
キリヤと呼ばれた人物は近づいてくる。声は予想よりも近くから聞こえる。
なぜなら身長が小さいからだ。
小さな、手作りの人形だった。
それが未利の目の前に立った。
男の老人の姿。
毛糸で作られた紙に、布で作られた服と肌、中身は綿でもつまっているのだろうか。
そんな人形がひとりでに動いて喋っている。
手には凶悪な物体。小さな注射器を持って。
何だこいつは。
一目見て、聞いて分かるのはそいつがまともな人間(?)ではないという事。
砂粒程ではないが、通じるものがあるし、よく似た雰囲気で言えば前にロングミストの件やイビルミナイで会ったロザリーとやらに似ている。
室内の灯りに、注射針が鈍く光った。
「実験を開始する、いいだろう氷裏」
「い、いわけないでしょう、が……っ」
動こうとするが数人に抑え込まれている為、思うようにその場から移動する事が出来ない。
鈍い光を話す容器は近づいてくる。
緑色の液体の詰まった注射器が。
そんなわけの分からない物を注射されてはたまらない。
「っ、未利ちゃん! やめなさい貴方達、止めないと言うのならさもなくば……」
「さもなくばどうするんだい?」
コヨミがこちらを見て砂粒に何かを言おうとするが、
「貴方達にとって衝撃的な事実を口にするわよ」
「それは困る。ちょっとその子を口を塞いどいてくれないかい。理由は後で説明するからさ」
その口は取り押さえている者達に塞がれてしまった。
その間にも凶器は近づいてくる。
「っ……は、離せ、馬鹿っ。このっ」
視界に、こちらを見つめるルーンの姿が目に入る。
そいつは何もしないで、こちらを見つめているだけだ。
いや、ねじの外れた言葉を口から垂れ流してはいたが。
「ああ、最高だ。希望を取り上げられたその絶望の表情、僕の作品としてこれほどふさわしい物があっただろうか。今までがぬる過ぎたんだ、想像力なんてあやふやな物に頼るから中途半端な作品しか作れない」
その言葉に口を塞がれているコヨミが抵抗を忘れて、絶句する気配。
「アンタ、裏切ったの! アタシ達を! コヨミを! ふざけ……、ふざけんなぁっ!!」
「おやおや、そんな事言っていて良いのかい。方城未利のピンチなんだけどなあ」
「っ!」
砂粒に言われて息を呑む。
近づいてくる注射針から滴る緑色の液体が、床に零れて落ちた。
ルーンは裏切った。
コヨミは動けない。
フォルトはどうなったか分からない。
逃げられない。
もう、ここから出る事は叶わないし、姫乃達には会えない。
ここで、こいつらの手にかかる事は……その一線はきっと、人間として超えてはいけない一線だ。
そこを超えてしまうときっと戻る事が出来なくなってしまうだろう。おそらく、きっと、永遠に。そう予感した。
もう、二度と。
あんな居心地のいい空間には。
偽物の……方城織香ではない。本当の未利でいられる場所には……。
近づいてくる。
終わりが近づいてくる。
全てが終わってしまう……っ。
「……っ、……ぅ」
込み上げて来た感情が、言葉に、そして表情に現れようとしたその瞬間。
風船が破折するような音がして一瞬、何かがバルコニーの床に突き刺さった。
棘の剣。結界破りの力を秘めた剣。啓区の持ち物だ。
そして、
「何してるんですか」
声が聞こえた。
「私の友達に……何をしてるんですかっ!」
一瞬後、黒い羽をはばたかせて舞い降りた、記憶の中よりも短くなった赤い髪の少女。
結締姫乃が、燃え盛る炎を宿らせたような意思を瞳に込めて、こちらの方を見つめていた。
「それ以上二人にひどい事をしようとするなら、私は絶対に許しません」