175 第10章 嘘と真実
ガラス板の上を走る姫乃達。
エンジェ・レイ遺跡星之宮の遺跡から出て、月之宮の遺跡へ向かうその道の途中、変化が表れた。
ガラス板の……何十メートルあるかわからない遥か下の光の届かない暗闇から、幾重もの手が伸びてきたのだ。
人間のもののようにみえる形の漆黒色の手が.
「わ、わわわ……っ」
「ひっ」
姫乃とコヨミがそろって声を上げる。
「ぴゃっ、おててさんがいっぱい伸びて来たの。なあ、なんだか怖い感じがするの」
珍しい事になあも同様に恐怖はしている様で、良い感情は持っていないようだった。
「怯えるな! 怯えればその分だけ足が遅くなるぞ!」
そんな風にする姫乃達の様子が見えているかのように、前方からイフィールの声が飛んでくる。
しかし、と思う。
まるで、ホラー映画の様な光景だ。
これらは一体何なのだろうか。
まさかこの下に人間がいる、なんてことはないだろうし。
でも、何だろう。
どこかで見た事がある……ような気もするのだ。
そんなはずはないのに。
走り抜ける闇の底を見つめる。
手だ。
闇色の手が伸びて現在進行形でホラーな光景を作り出している。
確かに怖いし、あんまり見つめていたくないのだが、奇妙な既視感があって消えない。
「はぁ……はぁ……っ、よ、よく観察していられますね、あれが何だか分かったら、きっとぞっとしますよ」
「ぞっとするような正体なんだ……」
近くで走るエアロの声は若干震えているようにも聞こえる。
彼女はあの手の正体を知っているようだった。
姫乃は視線を彼女の方へ向けてみるのだが、……。
「い、言いたくありません。そんな事してあの手に捕まっってしまうような事になったら、ど、どうしてくれるんですか。責任とってくれるんですか」
エアロは顔に真っ青にして回答拒否した。
そんなにも言いたくなくなるようなものって……。
一体どんなものなんだろう。
「姫ちゃんって幽霊とか怖くない系なのかなー」
啓区がそんな事を言うがちゃんと怖い。姫乃は怖がっている。
ただちょっと、視界に見える物に違和感を感じている不思議さでごまかされているだけで、本当ならエアロみたいになってたと思うし。
と、そんな中で、背後を振り向いていたらしいなあちゃんが声を上げた。
「ぴゃ、おててさんが通路さんまで伸びて来てガシッてしてるの」
どうやら背後の手は、姫乃達が通り過ぎていった通路まで伸びたらしい。
「ぴゃ。前のおててさん、ゆらゆらしてるの、なあ達と仲良くなりたいの? うーんなの、握手してほしいのってなあ思うの」
「間違ってなさそうな気はするけどー、どっちかって言うと引きずり込む方の仲良くっていう感じじゃないかなー。間違っても近づいてっちゃ駄目だよー」
「あ、貴方達どうしてそんなに余裕なんですか!? もっと緊張感持ってくださいよ!」
走って急いでいる途中にも関わらずマイペースなやり取りをするなあや啓区の第度にエアロが、信じられないと言った風に叫び声を上げる。
「お願いですから黙って進む事にだけ専念しててください!」
エアロはどうやら一刻も早く、この場から離れたくて仕方が無いようだった。
黙ってる方が怖いと思うんだけどなぁ。
姫乃達が無事に全員通路を通り抜けたのは、それから数分後の事だった。
カランドリ 『アピス』
富裕層の多く住むヘブンフィート出身の少年アピスは、豊かでも貧しくもないごく普通の一般市民達が住む地域に足を運んでいた。
「はぁー、まいっちまうよな。最近町がおかしいっていうか……」
先日は多くの人が盛り上がり、前々から楽しみにしていた水礼祭が催されたのだが、それが終わった後は急に活気がなくなってしまったように思えるのだ。
「まあ、終止刻があるからある程度は仕方ないかもしんないけど、どうせ、何とかなるだろうに皆びくびくし過ぎなんだよなぁ」
頭をガシガシかいて、ため息をつくのだがそれで町の空気が明るくなるわけでもない。
「そういやぁ、今年の祭りはなんか変な終わり方だったよなあ」
アピスはその変な終わり方をした、祭りについて思い返す。
会場近く、港にいたので詳しい話は他の人間達から聞いた話になるのだが……。
後夜祭の最後の日。
浄化能力者とかいう少女の演説があった後、会場の……観客席に座っていた者達は、その場から移動する事を禁じられたらしい。
祭りの実行者や駆けつけた兵士達からは安全を確保する為と言われたが、観客達はその中に先程の騒動を起こした犯人達が潜んでいるからなのだと、そういう噂でもちきりになった。
それで祭りの残り物をタダでふるまってもらったり、兵士達が用意した防寒具などで夜を明かして、半日ほど過ごしたのち翌日の昼頃にシュナイデの町の住民だけ解放されたらしい。それ以外の人間は未だ会場周辺に留まっているという。
「一体、どういう事なんだろうな」
おかしいとは思いつつも、考えても答えは出ない。
ここのところ周囲で起きている変化と合わせて考えれば、ひょっとして何か大変な事でも起こりつつあるのではないか……と不安になりそうになるのだが。
「まあ、そういうのはお偉いさんに任せとけばいいか」
自由気ままな生活を送って来て、苦労の少ない人生を過ごしてきたアピスは大して深く考えもせず思考を投げるのが常だった。
だが、それではいけないとディテシア聖堂教の亡き大司教、ディテシア様が言ったのかどうか……アピスはもれなく、何やらきな臭い気配のする現場に遭遇してしまう。
「一体どういう事か話してくださいです、ルーン。どうして城へ渡しに行くなんて嘘をついたですです」
「いや、僕は……」
ぼさぼさの髪を一括りに束ねた、あまり身辺に頓着してなさそうな女性と、華奢な体格の男性が向かい合って深刻そうな話をしていたのだ。
「未利さんから手紙を預かっていたはずじゃなかったんです? 彼女から私達は通信で聞いているんですです。それなのに、ルーンはぜんぜんお城に顔を出さなかったです。場所を教えてくれたのは助かります……けど、手紙を失くしたなんてどうして嘘をついたんですです?」
「嘘なんかじゃない。本当の事だ」
「嘘です。ルーンは嘘をつくときに一回息を吸う癖があるですです」
「そんな馬鹿な……、いや、嘘なんかじゃ」
城、とか、姫様とかいう単語を聞くに彼らはどうやらシュナイデル城で働く兵士たちの様だった。
その兵士達が、どうやら何かの出来事について言い争っているらしい。
「今からでも遅くないです、本当の事を言ってください」
「……アテナ、君は僕の事を信じてくれないのか?」
「それとこれとは別の事ですです。嘘を嘘だと分かっているのに、信じる事なんて私にはできませんです」
「だったら、理由が……あるんだよ。だから頼む、その事は黙っていてくれ」
「理由、ですか。……本当に?」
「ああ、本当だ」
「分かり、ましたですです」
アテナというらしい女性は、ルーンという男性から顔を背けて言葉を続ける。
「私は誘拐された姫様達が無事なら、今はそれでいいです。……まったく浄化能力者に間違えられて攫われるなんて、皮肉にもほどがあるですですよ」
「そうだったね。まだ本物は見つかっていないと言うのに」
そこまで聞いてアピスはそっと周囲を窺ってしまった。
聞いてしまったのは偶然なのだが、なぜかやましい気持ちになって来る。
それに、話の規模がとんでもない事になっていた。
シュナイデル領の王女が誘拐されただけではなく、浄化能力者と間違えられているとは……という事はあの後夜祭で聞いた話の演説をした子供は……。
そこまで考えて、思い至った可能性に表情を眉をしかめる。
もし事実だとしたらさすがに可哀想すぎる。
アテナとルーンという人間はその後も色々と話をし続けていたがアピスはその場からそっと離れた。
すぐに仲間に相談しよう、と思って走るのだが、その足が止まってしまう。
そんな事を本当に話しても良いのだろうか。
信じてもらえるもらえないは別として、こんな事実を知ってしまったという事が洩れれば自分は大変な事になるのではないだろうかと思う。
アピスの家は裕福だ。
だから大抵の問題は資金の力で何とかできる。
だがそれでも世の中には何とかできない問題という物は存在しているはずで……。
「どうすればいいんだ……」
アピスは頭を抱えずにはいられなくなった。