168 第3章 伝言
アレイス邸 客室 『未利』
ふんわりとした柔らかいベッド。
体を包み込むような感覚はここちよくて、いつまでも甘えていたくなる。
まるで家のベッドにいるような感覚だ。
家……?
「ふぁ……」
欠伸をしながら未利はベッドから身を起こす。
そして周囲を見回して、「ん?」と首をひねる。
そこは広い部屋だった。
天井は高くて、床に敷かれたカーペットは厚みがあってふかふかしてそうだ。
壁には何やら上品な感じの装飾が掘られていたり、繊細そうな筆遣いの絵画が飾られていたりする。
窓は一つ。レースのカーテンの合間から朝日が差し込んでいる。
そこから反対側にある扉へと視線を向ける間にベッドやタンス、化粧台とイス、テーブルとまたイスといった具合に家具が並んでいる。
ベッドから降りて、予想通りフカフカした絨毯の上を歩いて扉へと向かうのだが、握ったノブはいくら回しても動く気配はない。
静かにして耳をすませると、扉の向こうには人の気配。見張りだろう。
この部屋からどうにかして出られても、見張りをどうにかできなければ意味がない。
自分の服装を見て見る。
質のいいパジャマだ。シンプルなものだがすべすべしている。
持ち物は当然ない。
部屋を見回しても。
ここに来てすぐ没収されたからだ。
そこでようやく頭が現状を把握する。
「そうだ、拉致られたんだった」
そして未利は頭を抱えた。
あの後、イビルミナイでの逃走に失敗した未利達は白装束達に捕まってしまった。
そして、当初の目的地であった屋敷へと連れてこられて監禁されたのだった。
奴らの狙いは相変わらず分からない。
ただ名前は分かった。
組織名は、明星の信光。
そいつらはコヨミの持つ予知能力をどう勘違いしたのか、それを浄化能力者である証だと言い張っている。
だが、その事と王女を糾弾する事の関係性は分からないままだ。漆黒の刃が関わっているのも理解に苦しむ。
初めの内は未利もどうにかして情報を得ようと口を挟んでいたのだが、その内空気がヤバくなっていたので諦めたのだ。
奴らにとって必要なのはコヨミであって自分ではない。
邪魔なようなら始末する、なんて結論になった場合、一番困るのは自分だ。
そういうわけなので当初の予定として未利は、適当な牢屋にでも頬り込まれるはずだったのだが、そこにあの時の射的の男……フォルト・アレイスがやってきてこの部屋で面倒を見るとか言ったのだ。
牢屋でないのは助かったが、犬か猫と勘違いしてるんじゃないだろうか。
「はぁ……」
ため息をついて、窓の方へ向かう。
窓の外に見えるのは蒼穹の空と白い雲。
視線を下のほうへ持って行けば、シュナイデの町が一望できた。
「ここってあれか、鼻持ちならない金持ち共が住んでる所か」
ヘブンフィート。
険しい山肌に家を建てる経済が豊かな富裕層の人間が済む地域だ。
「お金持ちってなんで、こう高いとこに住みたがるんだか」
人がゴミのようだ。みたいな事をしたいのかどうだか知らないけど。
窓を開けようとしたが嵌め殺しのようで開閉できないようになっていた。
そこで、カーテンの影になっていた所に何かが置かれている事に気が付いた。
ヌイグルミだった。
フォルトが当てた射的の景品、ネコウのヌイグルミだ。
「何でこいつがこんなところに?」
これが未利の持ち物(邪魔だしいらないが)である事を知っているのは、ここにいる面子ではコヨミとフォルトだけだ。
人質のいう事を聞くわけはないので、持ってきたのならフォルトだろう。
コヨミも余計な物は奴らに奪われてしまっているだろうし。
そんな事を考えながら、ネコウのヌイグルミを持つと違和感に気がついた。
手ごたえが固い様な気がする。
よく観察してみると羽の付け根のところに切れ目が入っていて、中が見えるようになっている。
そこには……。
何かがもぞもぞと動いて這い出てきた。
「うわっ、びっくりした」
『たー』
緑色の亀ロボ、うめ吉だった。
「な、何で?」
『でー』
どうやら昨夜と違って窓辺で充電でもされた影響か、起床中らしい。うめ吉はつぶらな瞳をしばたいて相槌を打ってくる。
わけが分からない。
未利達を捕まえた連中の仲間のくせに、こっそり私物をこんなところに持ち運ぶなんて。
「実は良い奴、とか?」
『かー』
変な奴ではあるが悪い奴ではない。
それは会った時に思った、フォルトに対しての感想。
何かやむにやまれぬ事情があって奴らと行動を共にしているのかもしれない。
「ま、ここでうだうだ考えていても仕方ないけどさ」
『さー』
そんな風に窓際でネコウの背中から顔を覗かせるうめ吉相手に話をする、という中々シュールな光景を生み出していると、部屋の外から声がかかった。
「失礼するよ」
どこかで聞いたような声だ。フォルトの声ではない。
次いでノック。
「おわっ、びっくりした」
『たー』
「いや、うめ吉、黙って。というか黙れ」
『れー?』
だから黙れと言うとるのに。
未利は慌ててうめ吉をヌイグルミにつめこんでカーテンの影へ隠す。
レースだからちょっと見えてしまう。
こんなんで大丈夫か。
いや自然にしてれば備え付けの家具みたいに保護色して大丈夫なはず。たぶん。
「何か用……って、アンタは」
顔を出すなら、フォルトか白装束かのどちらかだと思っていたのだが、その顔は予想外だった。
「アテナの彼氏じゃん。何でここに」
シュナイデル城で一度見た顔だ。
名前はえーと、覚えてないがアテナとイチャイチャしていた野郎だという事は覚えている。
彼女持ち。ようするにリア充野郎だ。
別に特に敵対心は持ってないし、二次元なんてこの世界にないだろうが。
何となくだ。
「僕はルーンだよ。以前に城で一度あったよね。調子はどうだい?」
「どうって、アンタもこっち側の人間だったワケ?」
警戒しながら訪ねるが、それを聞いたルーンは慌てて首をふった。
「そんなまさか。誤解だ。僕はアテナの役に立とうと、連中の懐に潜り込んでいるにすぎないんだよ。あいつらに協力する気なんてこれっぽっちもないんだ」
「……」
本当だろうか。
疑いの目を向けていると、ルーンは困ったように頭を掻く。
「困ったな。信じてくれないかな、僕は彼らの仲間じゃないし、君達の味方のつもりなんだけど」
「……一応信じてやる」
「ありがとう」
正直を言えばまだ疑念は残っていたのだが、いつまでも疑ったままでは話が進まない。
とりあえず味方だという事にして、いったいどういうつもりでこの部屋を訪ねたのか聞いておかねばならない。
「そんで、何しに来たワケ?」
それに対してルーンは紙とペンを出して見せる。
「ここから出してあげたいところだけど、さすがに目立つから。これを外に届けようと思ってね」
「なるほどね」
未利は背中にある物の存在を考える。
ここにあるものが確実に使えるかどうか分からない。急ごしらえで作った物ならいつ壊れてもおかしくないだろう。
手は多く打っておいた方がいいはず……。
「貸して」
ルーンからそれらをもらって未利は、姫乃達が知らないであろう事柄を書き記していく。
というか向こうは何かあっただろうか。
「姫ちゃん達から、そっちがどうなってるか手紙もらってきてほしいんだけど」
「ああ、そうだね。分かった」
大人に物を頼むのは気が引けるが、そんな事をこんな状況でいつまでも気にしているわけにもいかない。
頼みを言えばルーンは快く了承し、頷きを返してくれた。
「あ、あり……助かる。それと、アンタこの場所については? 住所みたいなもの知らないの?」
普通に礼を言うべきだと思ったが、何か無理だったので不愛想な口調になってしまった。
ルーンが気にした様子でないのが救いだ。
「ああ、それなら……僕が分かりやすく後でちゃんと書くよ、地図も付け足した方がいいだろう」
未利が文字を記した後、補足するようにルーンが地図やら住所らしき文字を付け足していく。
全てを記し終えた後は、小さく折りたたんで、そのままポケットにインした。
滅茶苦茶大雑把な入れ方だけど、そんなんで大丈夫だろうか。
「じゃあ、さっそく城へ行って必ず届けるよ。アテナに会う良い口実もできた事だしね」
嬉しそうな顔をする男の顔を見て思った。
あからさまにのろけ顔で自分本位の事情を出すな。