152 第50章 絡んだ糸
「アンタ……なんでここに。幻? でもここは回廊じゃないし」
現れた小柄な少年に目をこすって確かめたくなる未利だが、行動に移る前に相手から言葉が返って来た。
「言っておくけど、回廊とやらで最後に会ったのも僕だよ、幻なんかと誤解されたままだと人間として何か気分悪いしね」
「最後って、何でアタシがその前にアンタの幻見た事知ってんの? ていうか、侵入者……? それとも」
まさか城の人間なのか、と思うがそんなはずない。
こんな薄気味くて得体のしれない悪い子供を城に入れるような事はしないはずだ、あの姫は。
というよりそもそも同じ人間という気がしない。
出会った頃からこいつはこんなんで、いつも未利は気味悪さを感じていた。いや、気味が悪いのではなく、気持ちが悪いと言えば正確か。
いつも出会う人間に対して辛口で喋っているが、本当に薄気味悪い人間になど未だ会った事がない。
大勢にそう言われている人間だって、どこかしら人間味があって、理解できる部分が必ずあるからだ。
でも、目の前のこいつは違う。
存在からしてまったく別物、何か異質なものが人間の皮を被っている様にしか見えないのだ。
「頑張ってるみたいじゃないか、クレーディア……おっと間違えた、じゃなくて未利。方城織香じゃない人生はさぞかし束縛がなくて自由で楽しいだろう?」
「……何の用?」
警戒しながら、半歩分身を退く。
体が強張って緊張してきた。
「レース、楽しそうだったね。大勢の人間に笑いものにされてさ」
「馬鹿にしてんの?」
「まさか、誤解だよ。僕は、喜んでるんだ。友人の晴れ舞台に、さ。もっとも数日後にはもっと良い舞台で踊る事になるだけど、まあ今の君に言っても意味がないよね」
「アンタ、一体何なの? いっつもいっつも、アタシの前に現れて関わってきてネチネチしてさあ」
剣呑な声で不機嫌な感情を隠そうともせず喋る未利に対して、砂粒の声は穏やかだ。
まるで世間話でもしているかのように砂粒は、心外だと大げさに肩をすくめる。
「自分が特別に気にされてるだなんて思わないでほしいな。君も他の人間も大して違わないよ。ただちょっと、たまたま目に留まったからこうして友人として接しているだけ。暇な時にはまあ気が向いたら君の様子を見に来てるんだよ」
「アタシは、アンタと友人になんてなった覚えない」
「ひどいな。僕は君にこんなにも友好的に接しているのに」
「冗談でしょ?」
本気でそう思った。どこにそんな要素あった。
丁寧なのは口調だけじゃないか。
心の底から嫌いだ。いや大嫌いだ。嫌悪していると言っていい。もうまるっと存在ごと。
顔をしかめる未利は周囲に視線を向ける。自分達以外の人の気配はない……と思う。
そうしてると、
「足手まとい」
「?」
いきなり単語だけ呟かれてる。
もちろん反応に困った。
何の事だと訝るような視線を向ければ続きが返ってきた。
「僕は心配してるんだよ。足手まといにならないと良いなってね。君は他の人と違って特別な力も、この状況で役に立つような取り柄もないみたいだから」
「……」
「それなのに君は良く頑張ってるよね。偉い偉い。すごいすごい。でも、いつまでだろう。いつまで彼女達と一緒にいられるだろう? 僕はそれが心配でたまらない。こんな事をわざわざ考えてあげるなんて僕はなんて友達思いなんだろう?」
これ以上ないくらい押しつけがまい言動だったので、腹が立った。
殴ってやりたいところだが、理性を総動員して我慢する。
「……そんなの、アンタには関係ないでしょ」
「今、どうして言葉に詰まったんだい? 何を考えていたのかな? 関係なくはないだろう。だって君の友人なんだから。いい加減自分の気持ちに素直になったらどうだい。ちゃんと自分の事を正確にまっとうに見つめて評価しなよ。君の……いや、周りの人間の幸せのためにも、さ」
余計なお世話だ。
そう言い返そうとした未利に向けて、これ、と砂粒は右手で掴んだとある物を見せる。
それは桃色の小さなリボンだった。
遅いと知りつつも未利は上着のポケットなどを慌てて調べる。
「それは……いつの間に、何でアンタが」
ずっと外に出すようなことはしなかったのに。なぜ。
「偶然拾ってね。もしかしたら君の物かもしれないって持ってたんだよ。これ大切な物なの?」
「そ、そんなの別に……ぜんぜん……、大切なんかじゃない」
「そうだよね。いくら肌身離さずこんな所まで持ってたって言っても、いらないよねこんな物。だって君、彼らの事嫌いだったんだし。そんな彼らがくれたあの可愛らしい服の飾りなんて全然まったくいらないよね。あの服だって着たくなかったからゴミ箱に捨てたんだろう? 君がそう言うのを僕は想像できたけど、ほら、こういうのって一応聞かなきゃまずいだろう?」
そういって、砂粒はリボンの反対側の端に左手を持ってきて掴む。
「な、何するつもり……」
「どうして聞くんだい、大切な物じゃないんだろう? だったら僕がどうしようと君には関係のない事じゃないか」
それは、そうだ。
分かってる。
でも、自分でもよく分からないのだ。どうしてなのか
そもそも最初から、どうして捨てる服からリボンをとったのか、未利には分からない。
「だから、ほら……」
砂粒は左右の手に力を込めていく、リボンは引っ張られて繊維が伸びる。
「……っ。かえ……せ……っ」
分からなけれど、そのまま目の前の人物にそれが好き勝手に弄ばれるのは嫌だった。
未利は手を伸ばしてそれを取り戻そうとするが、腕を避けられる。
「壊すんなら、持ち主であるアタシが壊すし、アンタ嫌いだし。信用できないから返せ!」
「横暴だね。でも駄目だよ。だって君は、僕がいらないよねって言った時否定しなかった。だからこれはもう僕のものだし、言葉を借りるけど、持ち主だったら今は僕だからさ」
「この……っ」
砂粒に飛びかかろうとした寸前だった。
「そこで、何をしてるんですか……」
エアロがやって来て、声をかけられた。
「これはこれは良いタイミングで来たね。じゃあ、また」
じゃあね、と砂粒はそう言ってリボンを落として、興味を失くしたようにその場を離れていく。
だが、
リボンを拾い上げようとした未利に一言返って来る言葉があった。
「ああ、ごめん。言い忘れてたけど。それ、君がいない所でうっかり破いちゃったんだよ。ごめんごめん、悪かった、許しておくれよ。たかがゴミ何かの為に、時間使わせて本当にすまないね」
「あ……」
手に取って、ひっくり返す。
裏側の生地が切り裂かれていた。
そのまま砂粒は中庭から去っていく。
エアロは気まずそうに両者を交互に見つめる事しかできなかった。
「……」
「えっと……あの人は一体……? 貴方の知り合いなんですか?」
完全に背中が見えなくなったのを見計らってエアロは異を決して、口を開くのだが。
「……知らない、あんな奴知り合いなんかじゃない」
返って来たのはそんな言葉だけだった。
それだけ言って未利は、何も手にせず中庭から出て行こうとする。
「あの、これは……」
「いらない」
地面に一つのリボンを残して。
『エアロ』
遠ざかる一人の少女の背中をエアロは見つめる。
夜ここにきたのは、コヨミと話をしてみようと思ったからだった。
一度きちんと話さなければならないと思ったからだ。
だが、そう考えて中庭へ足を運ばせるエアロは緊張していたため見張りの気配がまったくないことに気が付かなかった。
それで、サクラの木の近くまでやって来た時に、未利と少年の話し声が聞こえて、どうしようかと思ってるうちに、盗み聞きするような形になってしまったのだ。
エアロは引き裂かれたリボンを拾い上げる
「はあ、どうしてこんな風になってしまうんでしょうか」
問題を解決するどころか一つ増やしてしまった状況に、もう頭を抱えるしかなかった。