124 第22章 限界回廊(未利)
限界回廊 『未利』
皆とバラバラになった。そう思った瞬間、未利は別の空間にいた。
「ここは……」
自分は今、思い出したくない光景の中にいる。
ガラでもない服を着せられて、同じくガラでもない習い事をさせられている。
こぢんまりとした小さな部屋の中、目の前のテーブルに置かれているのは色とりどりの花と花瓶。
見回せば他の生徒たちはそれぞれが、もくもくとその花を手に作業していた。
そこは生け花の教室だ。
「織香さん、方城織香さん」
聞き覚えのある声に顔を上げると、目の前には習い事の講師がいた。
「どうかしましたか」
「……なんでも、………ない、です」
正直現状を把握するのでいっぱいいっぱいで何でもないなんてことはなかったが、分からないがゆえに下手なことはできないと自然と空気に流されるように返事してしまった。
訝しそうにしながらも、講師は他の生徒を見にその場を離れていく。
「一体これどうなってんのさ」
不可解な状況に呻きつつも、オートモードで手を動かす。慣れた様子で花を花瓶に差し込みながらこの状況について考える。
アテナの説明でこの場所は何でもありだという事は聞いた。だから色々心構え的なことをしてたわけだが、まさかこうくるとは思わなかった。
「これいつ終わんの、いつ出れんのさ。てか、なあちゃんは……いないか」
周囲をもう一度見回してみるが、ここに来た目的である要注意捜索対象は見当たらない。
こんなわけのわからない空間に長いこと放り出しておくわけにもいかない、出来れば早めに見つけてやりたいところだが……。
そう思い何かヒントでもないかと顔をあげれば、
「変わっとるやん」
周囲の光景がガラリと変わっていたので、動揺のあまり言葉がおかしくなった。
今度は鍵盤のついた大きな黒い楽器、ピアノのある部屋だった。
音楽の教室か。
「織香さん、あなたの番ですよ」
ピアノを弾いていた講師の先生に名前を呼ばれる。
未利は試しに反論してみた。
「アタシは織香じゃない。てか他の皆はどこなのさ。早くこっから出せっての」
「何を言ってるの? あなたは方城織香さんでしょう、他の誰だっていうの? さあ、こっちへ来なさい」
「うっさい、誰が大人しく言う事聞いてやるかバーカ」
これ以上つきあって時間を潰すわけにもいかず、乱暴に言葉を吐き捨てて部屋の外へと出ていく。
するとあきらかにありえない場所へと移動していた。
「もうホントどうなってんの……」
場面は変わる、未利は車の後部座席に乗せられてどこかへと移動するところだった。
服装は言わずもがな、だ。
運転席と隣の席には一応の父親と母親が乗っている。
「織香、体調は悪くない?」
母親が話しかけてくる。
「ほんと嫌になる、何なの?」
「なんだか、顔色が悪いわ。今日のお出かけは中止しようかしら。ねぇあなた」
未利の言葉など聞こえなかったかのような反応。
これは、魔法が映したものだからとか幻的なそれだからとかそういう反応じゃない。
これがいつもの反応だ。素の反応なのだ。
こっちが何を言おうが、あの二人の耳には自分に都合のいいようにしか届かないのだ。
「こんなもの見せて、一体何がしたいんだ」
「織香、あなたは体が弱いのだから無理しては駄目よ」
「………」
言うべき人間が違うんじゃないの、とかアタシは織香じゃない、とか色々言いたい事は沢山あった。
けれど無駄だと分かってたからもう、言わない。あの頃は抵抗などとっくに諦めていたから。
どうにもならないし、どうにもできない。
ただつまらないだけの日々を過ごしてだけだった。
織香としての日々は苦痛だった。
習い事とかに強制的に通わされて望んでもいないスキルを磨かされ、自分の名前ではない名前で呼ばれる。
誰かの敷いたレールの上を、自分ではない誰かの名前で歩いていく。
これほど気持ちの悪い不愉快な人生が他にあるだろうか。
織香ではない。
そう訴えても、他の大人達も呼び方を改めてはくれなかった。
自分の父と母……あの頭のおかしい人間を怖がっているというのもあるけれど、彼等が方城という少しばかり良い家の人間だからもあっただろう。
富豪と言うほどではないが、それなりに収入のある家。
方城という名は、大人たちにとっては逃したくない金づるだったのだ。
大人と違って、そういった打算もなく本名を呼んでくれている子供の友人もいくらかはいたけれども、長く付きあうことはなかった。
ひとたびあの二人の異常性を目の当たりにすれば、寄り付かなくなってしまうからだ。
やがて、本当の名前を呼ばれなくなっていった。
それで今まで潰れなかったのは、ちょうどいい息抜きの仕方を覚えたからだ。
動きやすい服装を見につけ、方城織香ではない自分として町を歩く。
自分を知るものがいないかわりに、織香ではない自分でいられる時間は何物にも代えがたい貴重なものだった。
そんな息抜きをしていたある日、一人の少年と出会った。
名前は砂粒。
同じ孤児院の出身の二つ下の子供だった。
「久しぶりだね」
こいつは子供のくせにやけに大人びた口調で話す奴だった。
「砂粒……」
「普段はガラでもない奇天烈な格好をしているって聞いたよ。いや、この言い方は服に失礼だったね」
出会うなりそんな失礼な言葉を浴びせかけてくるそいつは、遠慮というものを知らない人間だ。思った事をそのままに躊躇なく発言してくるような奴。
「ケンカ売ってんの? アンタここらの周囲一辺をおちょくりまわってるらしいじゃん。昔から全然変わってない。いつか背中を刺されても知らないけど」
「忠告どうも。好きでやってるんだよ。ただ誤解がある様だけど、僕は自分の感想とか考えを親切に述べて歩いているだけだよ」
「あっそ」
そうだ別に、嘘や誤魔化しを口にしているわけではないのがこいつのタチの悪いところだ。こいつのやり口は、悪意を装わずに悪意をぶつけてくる事だった。
何ら悪びれたところのない態度に素っ気なく相槌を返し、未利はさっさとその場から離れるのだが、砂粒は何故かついてくる。
「それにしても大人しいな。君を知ってる身としてはいささか頭がおかしくなったんじゃないかと不安を感じるほどだよ」
「……」
「さっさとあんな家なんか逃げ出すか、適当な罠にでもはめてやり返してるとばかり思ってたのに」
「……」
未利は、砂粒の言葉に返事をしない。
こいつに言葉を返すくらいなら関わりを断つことに労力を費やす方がいい。その方が遥かに自分の為になることだと知っているからだ。
「孤児院の大人に訴えるとか、悪事を働いて罪をなすりつけるとか、いくらでもやり様はあっただろう。他にも現実を知らしめさせてやるとか。貴方達の大切な娘はもうこの世にいません死んでしまったからです……って言うとかさ」
足を止めて、背後にいる砂粒を睨みつける。
無視しようと決めたばかりなのに、我慢できなかった。
「アンタが……」
「何だい?」
「誰のせいでこんなっ! アンタがっ、あんな事、言ったからでしょうが!!」
だが返ってきたのは、嘲笑まじりの正論だった。
「人のせいにするなよ。僕は僕の考えを述べたまでだ。決めたのは君だろ? それともそんな大事な決断を人のせいにするような人間なのかい? あぁ、自分の行動に責任が持てない人間って最低だと思うよ」
「っっ……」
歯を食いしばって、目の前の少年を睨みつける未利はしかしそれ以上の言葉は言わない。言えない。
決めたのは自分。こいつの言葉は本当だからだ。
誰が何を言おうと、自分が自分の意思で行動した事に変わりはないし変えられない。変えるわけにはいかない事情があった。
「じゃあね、それなりに有意義な時間だったよ。縁があったらまた会おう」
いつも思う。
こいつ本当にただの子供なのだろうか、と。
そんな所で、未利は我に返った。
「最悪……」
これ以上ないくらいの機嫌の悪さで砂粒の去っていった方向を睨みつける。
「よくもこんなところに放り込んでくれたし」
さっさとこんな所から出たかった。
現在自分は、散々さまよった過去の景色の中ではなく、白くてどこともしれないあいまいな空間にいたが、もう一秒だってじっとしていられなかった。迷う事なく前へと足を進める。
周囲の様子は変わらない。だが、数秒もしないうちにまた見慣れた姿が目の前に現れた。
「久しぶりだね」
「砂粒……」
偽物だと思うそれは、目の前から中々消えてくれなかった。