8.回想3〜嘘〜
ー・・3学期になって、文芸部では、毎年恒例のコンクールに向けての作品を部員全員が製作することになった。
毎年恒例といっても、1年生の私達には初めての体験。緊張とワクワクが入り混じった何ともいえない気持ちを、私は味わっていた。
このコンクールというのが、何やら結構本格的らしくて、大賞は賞金50万円。運がよければ、作品の映像化などもあるらしい。それ位規模の大きいコンテストだから、応募も全国から集まってくる。
まあ大賞は無理だろうけど、奨励賞ぐらいには入れたらいいね、って亜季と話していた。
私も亜季も、コンクールには小説を出すことにした。
毎日、気が遠くなるほど文字を書き続けた。いつもはおしゃべりばかりしている先輩達も、この時ばかりは真剣らしかった。毎日、放課後の部室には緊張感と静寂が流れた。
私の書いている小説は、かなりの長編になりそうだった。毎日結構な量を書いているのに、なかなか結末が見えてこない。コンクールの締め切りが近づいていた。
「でーきたー!」
作品に取り掛かってから2週間後。
亜季が原稿用紙の束を、両手で掲げながら言った。横から見ると、束はかなり分厚い。
「え、マジで?できたの?」
思わずそう言ってしまった。なんとなく焦る。
「なんとかね。2週間もかかるとは思わなかった〜」
2週間もって、そしたらその2週間を費やしてもまだ完成していない私はどうなるんだ。
私は下を見つめたまま、しゅん、となってしまった。我ながらかなり暗い気分・・
落ち込んでしまった私に亜季が気付いて、慌ててフォローを入れた。
「焦ることないよ!桃子。書き続ければ、絶対完成するから!」
そんなこと誰でも分かっている。だけど、そんな分かっていることしかフォローできない亜季が私は好きだ。
「・・そうだね。頑張る。」
「そうだよ。その意気だよ!」
亜季が、小さくガッツポーズをしてみせた。返事の代わりに苦笑でそれに答える。
原稿を先生に提出しに行った亜季を尻目に、私も完成にむけて再びペンを進めた。亜季と違って、ペースの遅い私だけど、書くことが好きだという気持ちは同じだ。だから、頑張れる。
何分かして、亜季が戻ってきた。一仕事終えた、達成感のある表情をしている。私は、まだ一仕事残っている。
「私、もう少し居残りして書くよ。亜季、先に帰ってて?」
「いいの?」
「うん、早く完成させたいし。できたら、亜季にも見せるから。」
「・・分かった。じゃ、頑張ってね。」
亜季はそう言って、一人で部室を出て行った。部室には、ぽつぽつと数人の生徒だけが残された。
その日、ぎりぎりの時間まで残って、執筆を進めた。時間はかかってもいいいから、自分で納得のいく作品にしたかった。
今までで一番作業がはかどった。おぼろげにしか見えていなかった、ストーリーの構造もはっきりしてきた。完成まであと少しだ。
気分がのってきたところで、下校時刻になってしまった。それでも気分はすっかりすっきりしていた。
亜季帰ろう、と声をかけようとして、彼女がいないことを思い出した。もう習慣になっちゃってるんだな、と笑いそうになった。
1月も終わりだ。外はだいぶ暗くなっている。
早く帰ろう、と部室のドアを勢いよく開けてー・・私は寿命が縮まるかと思った。
サッカー部員でクラスメイトで。つまり。片思いの彼が、そこに立っていた。
彼の名前は、黒木周平という。もう何度心の中で、その名前を唱えたか分からない。漢字でフルネームを書けと言われても、いつだって大丈夫だ。
彼の方は、私のことなんてほとんど知らないだろう。これだけ黒木君のことを想っているのに、私は彼と話したことすらないのだ。
だからその日、部室の前に彼が立っていたのは、私にとってものすごい大事件だったのだ。
私はしばらく部室のドアを開けた姿勢のまま固まった。黒木君という魔法が、私の体を動けないようにしていた。
もちろん、ただ立っているだけでは(まあちょっとは驚くけど)ここまでパニックにはならない。私を動揺させている、もう一つの理由は、黒木君が確実に私を見つめていることだった。
顔がカーッと熱くなった。ゆでダコみたいになっているかもしれない。彼に気付かれたらどうしよう・・
黒木君は、私を見ているというより、私の目を見ていた。なんでこんなことになってるんだろう。部活を頑張った私への、神様からのご褒美?
永遠にも感じられたその時間、沈黙を破ったのは黒木君だった。彼は私の方に静かに歩み寄ると、
「田島さん、ちょっといいかな・・?」
ここじゃ話しずらいから、場所を変えようと黒木君が言ったので、私達は学校を出て、近くの公園に来ていた。
学校の中でも良かったんだけど、先生達が一斉に下校指導をしていたので、いつまでも校内には残れなかったのだ。
私達は二つあるブランコに一つずつ並んで腰掛けた。軽く動くだけでも、鎖がキイキイと鳴る。
私は、今までの人生で、おそらくトップ3に入るんじゃないかってくらい、心臓がドキドキしていた。
この時間。この場所。このシチュエーション。人の多いところでは話しずらいという黒木君の言葉。
まさか・・・そんなことってある?話したこともないのに。何の接点もなかったのに。
でも・・この状況での話なんてつまり・・
「告白」しかないだろう・・
ブランコに腰掛けてからの時間が長かった。
静寂が続く。そーっと、黒木君の横顔を見てみると、深呼吸をしたり、思いつめた表情をしたりしていた。話し始めるタイミングが、つかめないようだった。
だからと言って、私の方から切り出す勇気もなかった。図々しいと思われたら嫌だし、こういう時はやっぱり女は待つべきかなーという、変なポリシーがあった。
どれくらいの時間が流れただろう?
夜風が冷たく感じ始められたころ、ようやく黒木君が口を開いた。
「・・田島さん。」
「は、はい。」
「今日、こんな時間に呼び出したのは・・」
黒木君は、そこまで言って、一度口をつぐんだ。私の心臓はもう爆発寸前だ。・・神様!
「・・池田さんのことなんだけど・・」
(!?)
「・・あ・・き・・のこと・・?」
声がかすれた。いきなり予想だにしない名前が出てきて、私は体の力がいっぺんに抜けた。
「・・そうなんだ。亜季って呼んでるんだ?やっぱり、仲いいんだね。」
私は黒木君のその言葉を、はるか遠くで聞いていた。告白?何をうぬぼれたこと考えていたんだろう。そうだよ、黒木君が私を好きになるような理由がどこにあるというのだろう。
少し考えれば分かることだけに、私は恥ずかしさで死んでしまいたくなった。
かなりの努力をして、無理やり気力を振り絞ると、私は平静を装って、言った。
「亜季は親友だけど・・どうかしたの?」
黒木君は、少しためらった様子だったけど、やがて意を決したように言った。
「俺・・池田さんのこと・・好き・・なんだ。」
アルバムのページをめくる。黒木君の写真を見つける。
亜季と黒木君。もしかしたら付き合うことになるかもしれなかった二人。
だけど、それは現実にならなかった。いや、させなかった。
この時からだった、歯車が狂い始めたのはー・・
黒木君の話は、亜季と仲のいい私に、それとなく亜季の気持ちを聞いてほしいというものだった。
気持ちを聞くと言っても、黒木君の名前は出さないで、好きな人がいるかいないか、それを聞いてくれないかと言うのだ。
そんなの・・なんで私に頼むんだよ。私の気持ちはどうなるんだよ。
そして、亜季の気持ちはー・・もう分かりきったことだ。
コンクールの作品が仕上がった。でも気持ちは全く晴れなかった。
決して不満の残る作品になった訳じゃない、むしろ自分で納得のいく出来だ。
それでも、昨日の話は私にとってあまりにショッキングすぎた。
私が思いつめた表情をしているのが分かったのか、亜季が心配そうに話しかけてきた。
「桃子、大丈夫?なんか顔色悪くない?」
「え・・そんなことないよ、作品仕上げるのに徹夜しちゃっただけ。」
「そう?あんまり無理しないでね。」
亜季はまだ何も知らない。親友の片思いの相手が、自分を好きだということ。
どうやって話そう?
亜季に好きな人がいないというのは、例によって以前話したことがあるから、私も知っている。
でも、だったらなおさら黒木君の気持ちはちゃんと話しておいたほうがいいだろう。
亜季はどんな顔をするだろう?驚き、喜び、悲しみ・・?
ー・・考えたくない。
私は通学カバンを乱暴に手に取った。もう耐えられない。
「桃子?」
「ゴメン・・なんかちょっと疲れた・・先、帰るね。」
亜季の顔も見ないで、私は逃げるようにしてそこから駆け出した。このまま亜季といたら、自分が壊れてしまいそうだった。
神様は、残酷だ。なんで黒木君なの?なんで亜季なの?私、どうしたらいいの?
家に着くまでずっと走った。
帰ると、部屋に閉じこもった。少しずつ気持ちを落ち着けて、考える。
私は黒木君が好き。それは恋という名の感情。
亜季のことも好き。それは友情という名の感情。
2人の事が、どちらも好き。どちらの方が重いのかなんて、考えたこともない。天秤なんかで量れる気持ちじゃない。
ずっと、2人のことを見ていたい。2人の笑顔を見ていたい。
そのためにはどうするのが一番いいかなんて、本当はとっくに分かってる。分かってるのにー・・
私はゆっくり起き上がると、机の引き出しから紙とペンを取り出した。私は、何をしようとしているの?
その時、私は以前感じたー・・あの黒い渦が体の底から沸いてくるのを抑えることができなかった。
何かに操られるかのように、ペンを走らせる。
『黒木君へ
亜季のことでお話があります。昼休み、学校の屋上へ来てください』
風が強い。
屋上に出て、最初に感じた。
違う場所にしたほうが良かったかもしれない、と思った。ただでさえ、今の私はうまくバランスをとれていない状態で、いつ転げ落ちてしまうか分からない。
屋上には、昼休みということもあって、結構わらわらと人がいた。それが、少し私の気持ちを落ち着かせてくれる。
今日の朝、黒木君の靴箱に手紙を入れた。昨日書いた、短い手紙。
手紙で告白することだって、十分にできた。でも、もう私は黒木君の気持ちを知ってしまった。
もうこんな形の手紙しか、書くことはできないー・・
「田島さん」
来た。
手すりにもたれかかった姿勢から黒木君の方に向き直る。彼の姿が目に入ると、急に緊張の波が押し寄せてきた。
私は残酷な事をしようとしている。まだ誰もその事を知らない。人を殺す犯罪者の気持ちになった。
「ごめん、遅れて。」
黒木君は、肩で息をしながら、それでも目には期待の色を輝かせていた。胸がちくり、と痛む。
「ううん、私も今来たところ。」
かろうじて声は震えなかった。しっかりしろ、私。
デートの待ち合わせのような会話だと思った。本当にデートだったらよかったのに。
それは永遠に叶わない。ー・・絶対、叶わない。
黒木君の提案で、人のあまりいない隅の方へ移動した。喋る声もなんとなく小さい。
2人並んで、しばらく景色を眺めた。この前とは違って、今度は私の方から切り出さなくてはならない。かなり辛い。
とうとう私は意を決して、最初の一言を口にした。
「亜季に、聞いてみた。気持ち。」
黒木君が、視線を景色から私の方に移した。驚くくらいの速さだった。
「それで・・俺の事は・・」
「あ、それは大丈夫。黒木君の名前は出してないから。」
「そっか・・それなら良かった・・」
黒木君は心底ホッとした様子だった。かっこいいし、サッカーも上手いし、女の子に人気もあるのに、意外と奥手なんだな、と思った。
「それで・・池田さん何て・・?」
「・・・・・・」
手が汗ばむ。怖い。今ならまだ引き返せる。本当のことを言える。でもー・・
「・・田島さん?」
私は、黒木君の方をしっかりと向いた。ー・・ごめん、亜季。
「亜季・・好きな人がいるって・・」
黒木君の表情が凍りついた。さっきまで期待に輝かせていた目は、絶望で真っ暗になっていた。
私は下を向いた。とても、黒木君のそんな顔を見ていられなかった。遠くから聞こえる、鳥や生徒達の声も、冷たく感じられた。
恐ろしいほどの沈黙が続いた。今、黒木君はどんな顔をしているのだろう?まだ、前を向くことができなかった。
沈黙に飲み込まれそうになった時、黒木君が口を開いた。
「そっか!そうだよなあ。好きな人くらいいるよなあ。」
(え・・?)
「ゴメン!田島さん、この話は忘れて?嫌な役、させちゃって悪かったな。」
私はゆっくりと顔を上げた。黒木君は、もういつもの明るい笑顔に戻っていた。
「じゃ、それだけだから。本当、ありがとな。」
カラッとした声だった。黒木君はそう言うと、さっさと屋上の入り口まで歩いていった。あまりにもあっけなくて、私はポカンとしていた。
黒木君の姿が見えなくなると、私はその場にヘナヘナとしゃがみ込んだ。
終わった。何もかも。
(・・これで良かったんだ。)
(私は・・何も知らない。)
自然と涙が溢れる。私はそのままうずくまるようにして、声を出さずに泣いた。
(私は・・最低・・)