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夢屋  作者: さーふぁー
13/14

13.新しい夢

『季節が初夏を間近に控えたある日、私は会社をクビになってしまった。

理由は、いわゆる経費削減のためのリストラで、私もその枠の中にしっかり入っていただけの話だ。・・』

夢屋2階の会議室。

私はひとり、コツコツと原稿用紙を埋めていた。事実は小説より奇なり、と言うけれど、私は自分の体験を小説にすることにした。

老人に言われたとおり、私は夢から逃げていたのかもしれない。だから、少し遅いかもしれないけど、これは私なりの努力なのだ。

原稿のマス目がひとつひとつ埋まっていくたびに、ひとつひとつ夢に近づいていくような気持ちになった。

この小説を書き始めて、すでに一週間が経過していた。

「お、やってるね。」

会議室の扉が開いて、小阪さんが顔を出した。毎日、仕事の合間をぬって、こうして私の様子を見に来るのだ。もう、すっかり私の本当の先輩のようになっていた。

「もう少しで完成します。」

私はペンを原稿の上に転がして言った。一日中手を動かしていたので、さすがに疲れてきた。

「ホント?出来たらさ、絶対すぐ私にも見せてよね。」

小阪さんは目を輝かせて言った。

「いいですよ。あ、でも・・最初に見せないといけない人がいるんです。」

私がそう言っただけで、小阪さんは誰のことか分かったようだった。

「あ・・そうか。じゃ、2番目に見せてよ!約束ね?」

小阪さんがゆびきりげんまんの形にした手を差し出した。私は笑って、指を絡ませた。


外が暗くなったころ、ようやく小説は完成した。かなりの長編になり、またかなりの達成感を感じていた。

私は原稿の束を整えると、エレベーターで1階へと向かった。まだいるだろうか?

目的地は社長の部屋ひとつのみ。私は扉の前に立つと、ゆっくりとノックした。

「どうぞ。」

扉が開き、大きな椅子に座って、書類をチェックしている老人の姿が現れた。

老人は入ってきたのが私だと気づくと、書類をめくる手をピタリと止めた。

「出来たんだね。」

「・・はい。」

老人の視線が私の手に持っている原稿に注がれた。

老人は、椅子から立ち上がると来客用の方のソファーに座りなおした。

「それじゃ、見せてもらおうかね。」

私は静かに原稿を渡した。


それからどの位たったのだろうか?30分かもしれないし1時間かもしれない。時間の経過が分からなくなるほど、私は現実の世界から遠く離れたところにいた。

それは緊張や不安ともちょっと違う、今までにない感覚だった。

「・・ありがとう。」

私を現実に引き戻したのは、老人のその声だった。その声で、私は社長室にいることも、小説を読んでもらったことも思い出した。

「とても、良かったよ。」

老人が私の目をしっかり見つめながら言った。お世辞や無理に言った言葉でないことは、表情に表れていた。

「しかし、何より良かったのはね。」

老人がひざの上で手を組みなおして言った。

「君がひとつの作品を書き上げたという、このことだよ。それを忘れないでほしい。」

「・・はい。」

「それにね、たとえ夢が叶わなかったとしても、君がやってきた努力に何一つ無駄なものはないんだよ。それも忘れないでほしい。」

「はい。」

私は老人の言葉を聞きながら、小阪さんの話を思い出していた。足の靭帯を切って、夢に見放されてしまった老人。もしかしたらこの言葉は、自分自身に聞かせてもいるのではないかと思った。

「今の君はとてもいい表情をしているよ。ーーーもう大丈夫だね。」

老人はそう言って、優しく微笑んだ。

それが私が最後に見た老人の笑顔だった。


次の日、私は少し早めに家を出た。

正式に、夢屋で働かせてください、とお願いしようと思っていたのだ。もちろん、小説家の夢も忘れてはいないけど、夢屋と離れたくなかったのだ。老人に小阪さん。どんな顔をするかな。

昨日までと同じように、同じ道を歩いた。信号機に、銀行に、パン屋さん。目印をたどってー・・

(ーーーーえ・・?)

夢屋の前、いや、夢屋だったところの前まで来て、私の体が凍りついた。昨日まで夢屋があった場所には・・・別の会社が建っていた。

何かに追われるかのように、私はその建物の中に駆け込んだ。中も全く別の会社だった。フロントの受付嬢に、質問を浴びせかけた。

「あの!ここに、夢屋って会社があるはずなんですけど!なんで、違う会社になってるんですか!?」

「夢屋・・?」

受付嬢は隣の同僚と顔を見合わせて、

「さあ、そんな会社は知りませんけど・・ここは前からうちの会社ですよ?」

「嘘・・」

体の力が抜けた。そんなことって、あるのだろうか。

フラフラになりながら、外に出て、ゾンビのように道を歩いた。道行く人達の視線を感じたけど、そんなのどうだっていい。

老人、小阪さん。もう2度と会えないのかと思うと、たまらなくて涙が出てきた。昨日のあれっきりで最後なんて、ひどすぎる。

行くあてもなく、川原にやってきた。座り込んで、考える。

全部、夢だったんだろうか。ーーーそんなはずはない。カバンには今でも万華鏡が入っているし、何よりこんなにはっきり覚えている。

(もう大丈夫だね。)

あれは、別れの挨拶だったのだろうか。だから消えちゃったの?

私はそのまま静かに涙を流して、静かに泣き続けた。ーー永遠に思えるくらい、長く。


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